第21話 天魔
インカムを外され、鳩尾に一撃喰らう。一声呻いて見は倒れた。『見くん?』葎の声が聞こえる。インカムを拾い上げた見の容姿に変化する。そのまま見の声で応答する。「なんでもありません、先生。それより救護室までのルートを失念してしまって……。道順をもう一度教えてもらえませんか?」
『……今歩いてきたばかりの道を?』
「……ええ。敵が近くにいると思ったら、動転してしまって」
通信が向こうの逡巡を伝える。
『……分かったわ。代わりに迎えの部隊を派遣させるから、場所を教え』通信を切る。「なかなか聡い女だ」
「お前は……、野一色靜馬! 生きていたのか!」
「夏以来だね、鴛原見君。あの時は不覚をとったが……、あれくらいで死ぬ不佞じゃないよ」
靜馬は脱力した見の体を軽々と担ぎ上げた。「少し場所を移そう。ここは人目に付きすぎる」
〇
悪童隊は固唾をのんで事の行方を見つめた。馬飼が伊舎那を全力で打ち据えた。〈大切断〉を使ってである。並みの強化人間なら、頭が弾け絶命しているはずである。
「……やれやれ、ひどいじゃないか」伊舎那がこちらに向き直る。「身動きの取れない相手を撲るなんて」
一同の間に戦慄が走る。伊舎那の顔には、裂け目どころか切り傷一つ見当たらない。
「っ!」馬飼が汗を浮かべ、剛腕のラッシュを放つ。無数の打撃と斬撃が伊舎那の体に楔のように打ち込まれる。
「あぁ、こらこら。痛い、痛い」
伊舎那が手の平で拳を受け止める。びくとも動かない。唖然とした馬飼の顔を伊舎那の膝が蹴り抜いた。手錠に繋がれたまま、ありえない角度で腕と手首が曲がっている。馬飼が悪童隊の元に吹き飛ばされていく。伊舎那は手首が捻じ曲がるのもかまわず、その異常な態勢のまま着地した。跡星の方を軽く睨む。
「無傷チャレンジ中だったんだけどな。君のせいだよ、跡星先生。子供の喧嘩に大人が割って入るなんて、無粋だと思わないかい?」
伊舎那の腕と手首が軟体動物のようにぐにゃりと歪む。そのまま骨抜きになったかのように、手錠の間をずるりと手がすり抜けた。
明らかに人間の肉体ではなかった。
「ッ、狂花帯能力……!」
悪童隊が固唾を飲み、後ずさる。
「狼狽えてんじゃねえ! あいつが能力持ちなことくらい想定の範疇だろ!」
馬飼が跳ね起きて喝を入れる。
「奴は枢機卿直属部隊のリーダーだ! 俺や五頭と同じ贋作であってもなんら不思議はねえ! むしろ当然すぎるくらいだ」
「クク、『同じ』ねえ……」
踏み出しかけた伊舎那の体に弾丸が撃ち込まれる。跡星が油断なく銃を向けていた。
銃弾が床に散らばる。「少々鬱陶しいね」伊舎那が弾丸を拾い上げる。そのまま放り上げた銃弾を跡星に向かって蹴り返す。目にもとまらぬ脚のしなり、弾丸は銃弾と同等の速度で跡星の銃を撃ち落とした。
「!」
跡星は壁際に沿って駆け出し、8本のナイフを取り出した。長椅子を盾に隠れ、死角から正確無比な跳弾で伊舎那に投擲する。命中したナイフは硬い音を立てて皮膚に弾かれた。伊舎那は意に介した風もなく歩き続けた。跡星が背中からランチャーを取り出した。驚く悪童隊を尻目に素早く放つ。
爆炎が部屋の中に広がる。「やったか!?」
「無駄だよ。衝撃や熱では、僕を殺せない」
炎の中から、無傷の伊舎那が現れる。前衛の隊員たちが叫び、一か八か飛び掛かっていく。背中に飛びつき、首を絞め落とそうとする。伊舎那は涼しい顔だ。
「窒息も効かない」
伊舎那は小柄な体からは想像もつかない膂力でもって飛び出す。組みついていた三人が強引に振りほどかれ宙に舞う。馬飼が突き出した拳を額で受け止め、喉輪に手を掛ける。
「〈大切断〉は衝撃を斬撃に変換する能力だ。衝撃の大きさがイコール斬撃の深さになる」
馬飼は驚愕した。伊舎那の半面が潰れ拳が深くめり込んでいる。異形の形相で伊舎那はしゃべり続ける。
「こうして肉体の表面を硬質化、内部を液状化させて衝撃を吸収すれば、君の能力は完全に封殺できる」
ぐっと首を絞める手に力がかかる。跡星が投げた手榴弾が、床に反射し伊舎那の手元に跳ね返る。爆風で馬飼が離れる。「目ェつぶれ、ガキども!!」続け様閃光弾が投擲される。
光が炸裂する。塞がれたはずの視界で、伊舎那は撃ち込まれたパイプの破片を掴み投げ返す。瞳孔が瞬時に縮まっていた。
「僕の能力『化人幻戯』はあらゆる環境に適応し、進化する。攻撃に対して肉体の細胞が瞬時に無数の変化をするんだ。自動的にね。一瞬にして無数の対応が淘汰され、その環境に適した性質を持つ細胞だけが残る。経験は学習として遺伝子に蓄積し、その対処は回を重ねるごとに素早くなる。熱死、窒息死、感電死、圧死、失血死、ショック死……、僕はありふれたあらゆる死因を経験してきた。だからどんな攻撃も僕に影響を与える前に即応される」
跡星は腕に突き刺さったパイプを掴んで唸った。それからわけも分からないまま吐血した。「なっ、毒……⁉ そんなもの仕込んだ覚えは……」
「パリトキシン。フグ毒の数十倍の効果を持つ猛毒だ。僕の血に、その毒と同じ成分を混ぜ込んでおいた」
光が止む。伊舎那の腰元から、巨大な爬虫類様の尾が生える。
「僕の進化は適応淘汰に留まらない。生の飛躍……、創造的進化をも可能にする。僕は望んだ方向に自分の肉体を進化させることができるのさ」
尾の一振りが悪童隊を蹴散らし、跡星の体を遠く吹き飛ばした。跡星はガラスの壁を突き抜けて地層に激突し、さらに深い奈落に姿を消した。
「跡星!!」
跳ね起きた馬飼に伊舎那の拳がめり込む。棘のように硬化した拳が馬飼の胴を抉った。壁に激突し、血を吐いた馬飼の意識が遠のく。
とどめを刺そうと踏み出した伊舎那の爪先を、銃弾が射抜く。顔を上げる。上階のダクトの上から、駆けつけた後原がスナイパーで見下ろしていた。
「青錆・青墓・青黄! あんたらも狂花帯解放しろ!!」
「……! でも未姐さん、細胞の定着まで能力の使用は……」
「言ってる場合じゃねえ! 出し惜しみ厳禁だ、うかうかしてると死ぬぞ!!」
後原の喝に青錆、青墓、青黄の三人は腹を括った顔をし、伊舎那の前に立ちはだかる。
「『虚実皮膜』ッ!」「『車井戸はなぜ軋る(アクロイド・マーダー)』!!」「『破戒』!」
倒れていた悪童隊員も続々と立ち上がる。
「君たちの発言に一つ訂正をしておこう」
異形の肉体がさらに変化していく。腕は刃上の突起を持ち、筋骨の露出した脚は強靭なバネを備えている。より殺傷的に、より破壊的に、禍々しく機能を揃えていく。「僕を君たちと『同じ』贋作だと言ったね。あれは間違いだ」
頬に4つの目を生やし、完全な化け物となった伊舎那が嘲笑う。
「贋作なんてちんけなものじゃない、僕は本物だ! 12人の怒れる男・第六号、『蠅の王』改め『第六天魔王』、祁答院伊舎那……。憶えて死にたまえ」
〇
靜馬は見を床に放り出した。見は腰を打ち、薄暗い一室を視界に収めた。
部屋は無線室だった。しめた、と思った。緊急用に館内放送のスピーカーへ繋がるマイクが、どこかに配置されていたはずだった。
「……野一色靜馬、変身能力『百面相冠者』の贋作……。葦原侵入の手引きをしたのは君か」
「ああ。実はしばらく前から潜入していてね……。さて……、君たちには過日、痛い目に合わされた。借りを返させてもらおう」
靜馬は見の姿のまましゃがみ込む。「だが拙も鬼じゃない……。救護室の場所……、苦竹葎の居所を教えてくれれば、殺さないと約束しよう」
「……!」見が強く睨みつける。「目的は、葎先生か!」
「そうさ。もちろん個人的にではなく、エデンの目標としてね。苦竹博士は伏魔殿で唯一贋作手術を行える、重要人物だ。彼女を押さえてしまえば、君たちはこれ以上戦力を増強できない」
「それが分かってて……、素直に教えると思うか?」
見はじりじりと後退しながら言い返す。指先に何か硬いものが当たった。その正体を知ってぞっとする。死体だ。若い二人の死体が転がっている。
「ああ、彼らか……。面相のコレクションに加えさせてもらったよ。殺した人間の顔をコピーするのが趣味でね。君の顔はもうレパートリー入りしてるけど……、死相はまだ、見せてもらってなかったね!」
靜馬が見の髪を掴む。見は遺体の銃をとってすかさず振り向いた。電子銃が火を噴き、電気の弾が靜馬の胸を打った。
「が……ッ! なにッ」
「油断しすぎだ。本気で殺す気、ある?」
連続で弾を浴びせる。靜馬は強化人間だ。衣服も防弾繊維で編まれているものだろう。ちょっとやそっとの銃弾では効果がない。
やはり、頭を狙うしかないか……。見は膝立ちになり、息を整えた。銃のメーターを回し出力を最大にする。靜馬が痺れているうちに終わらせる。
「ま、待て……」
靜馬は電流のショックと痛みで容姿が変化しかけていた。女の外見になっている。自分の姿ならともかく、葎の姿をとられると撃ちにくい。迷っている暇はない。覚悟を決めて引き金を引くのだ。見は銃口を靜馬の額に突き付け、引き金にそっと指を掛けた。
「待って、見君……、……見!!」
靜馬の声音が変わる。見の指がぴたりと止まる。「……?」靜馬はそっと目を開けた。見は雷に打たれたような顔で固まっていた。
「……なんで」見の唇は銃口とともに震えていた。「どうして……、どうしてお前がそれを知ってる!! その人の顔を!!!」
見の瞳に、一人の少女の顔が写っている。紫の髪をした、どこか見にも似た、美しい少女の顔が。
その顔が、思わぬ好機にぐにゃりと歪む。
「はは……、そうか、知った顔だったかい? 隊員も随分殺してきたからね! この女も殺した人間の一人だろう……。ま、誰かも覚えていないけど!」
「貴様ぁぁあ!!! よくも彼女を!!!」
見が雄叫びをあげる。引き金にぐっと力を込めた瞬間、斬撃が胸を裂いた。
わけも分からず、見は倒れる。銃が指の先から落ちて床に転がった。ローファーの小さな靴がそれを遠くまで蹴飛ばした。その後ろから、幼い声がする。「人払いって聞いてたんだけどな」
ふたつの小さな影が、部屋に差す。靜馬が安堵したような顔で二人を見上げた。「間に合ったか……、死神兄弟」
〇が血の滴る鎌を携えてあどけなく笑う。「お仕事の時間ですの」




