第20話 分離
『つーわけで御黒討伐のために俺らはここを離れる。本隊の全体指揮権はお前に渡したぞ、阿舎利』
「うぇ……、無理です、そんな……」
エデン救護本部、光学迷彩の暗幕に覆われたコンテナの中に、阿舎利の悲鳴が響き渡る。戦場から離れた場所には複数の医療車が並び、負傷したエデン兵の対応を行っていた。
『無理じゃねえ、お前がやるんだよ。戦闘大連隊の参謀(№3)だろてめえは? 階級的に、お前じゃなきゃ伊舎那のガキが引き継ぐことになるんだ。個人的に言えば、俺様はあのイカれたガキぁ嫌いじゃねえ。だが何をしでかすか分からんやつだからな、全部隊渡すのはちと怖えだろ。ニコラの爺さんに残間もいるんだ、四の五の言ってるとぶち殺すぞ』
敗けても血祭だからな、とついでのように付け足され、通信が途切れた。
阿舎利はこの世の終わりといった顔をしてひいひい言いながら車両の奥へ移動した。「おいおい、あんなのに任せて大丈夫か?」残間愛は呆れた顔をして邇凝博士の方を見た。計器の間に埋もれるようにして、つくねんと禿頭の博士が座っている。
「イヤなに、あれで彼女も優秀だからね。何とかするさ」
「と言ってもな……。博士、あんた狂花帯手術を創案したくらいの大天才なんだろう? あんたが指揮とればどうだ」
「生憎私は戦術の類には疎くてね。興味が湧かないことにはとことん弱いんだな、これが」
「ほう」残間が机に腰かけて腕を組む。「らしいっちゃ、らしいな。俺もカジノを組織しちゃいたが、ここまでの数となると、ちと手に負えん……。まあ俺としてはあんたたちが敗けてくれても、別に困らんがね」
残間は烏合にかけられたネクロウィルスの呪いのせいで、エデンに従わざるを得ない。
「フム。変わらずエデンに付く意志はないかね」
「こう隷属させられてはな」
残間は煙草に火を付けて答えた。裏カジノの人材も売り上げも……、全てエデンに吸収されてしまっている。おかげでビジネスは上手くいっているが、これではすっかり財布役だ。人類の不死。エデンの掲げる目標には興味があったが……、今のところ実現方法も伏せられていた。心臓を操る残間は既に寿命を克服していたが、彼らが与えると言ってる『不死』というのは、それ以上の本当の『不滅』だというのだ。
「なあ教えてくれ爺さん、あんたたちが約束する不滅の生命……、それを実現する手段は、本当にあるのか?」
「ある」
邇凝博士は珍しく真剣な表情で断言した。残間が思わずたじろぐほどだった。心臓の動きも、その言葉の真実性を証明していた。
「……そいつは……」
疑問を口に仕掛ける。その時、バンに何かが叩きつけられるような鈍い音が響いた。博士と顔を見合わせ、残間は腰の銃に手をかけ立ち上がった。
〇
五頭の燃える刃がワイヤーを焼き切る。刀の下から兎が滑り込み、×の襟を掴む。乱舞する鎌が兎の背中を切りつけて、兎に悲鳴を上げさせた。
五頭が銃弾で牽制し、その隙に背中を庇い兎は後退した。「あ~、剣士の恥ぃ」
「お前剣士じゃないだろ」
五頭は兎の背中の傷をちらりと確認する。深くはなさそうだった。
○は距離をとったまま卵を投擲する。兎の眼前に迫った卵を、五頭が空中で突き刺す。卵は不発気味に小爆発して割れた。。
「……?」
双子は揃って意表を突かれた顔をする。五頭は刀を振るい卵を払いのける。
「お兄さま、あの刀変ー」
「刀というより奴の能力だな……。風や力の類だと思ってたけど……」
「まだタネが分からないか?」
五頭は銃を向けた。「毒ガスの類かとも思ったが、この見えない壁……」
五頭が引き金を引く。透明なシールドが割れる。「……空気の盾か。酸素濃度を操る能力……、といったところだな」
五頭の刀が水平に〇の首を狙う。滑り込んだ鎌の刃が切っ先で押し込まれる。
「……! 『重い』……!」
押し敗けた〇が大鎌ごと壁に吹き飛ばされる。×が床に放ったワイヤーがリングロープのようにその体を受け止める。
その隙に兎が素早く当身、×を吹き飛ばす。×は飛ばされながら糸で卵を広い投げる。
兎の体が爆風に包まれる。兎は煙たそうに咳をしたが、大したダメージもなさそうに仁王立ちしていた。
「兎さんも能力者でしたのー? ずいぶん頑丈ー」
「さすがにそれなりの数いるか、伏魔殿の贋作も。〇、斬撃は有効みたいだ、まずはそいつから狩れ」
「言われなくても、ですのよ」
〇が嬉々として前に出る。兎は戦いづらそうに鎌を凌ぐ。
「柤岡! 守ってばかりでは勝てないぞ‼ ここは戦場だ、女も子供も関係ない、武器を持って向かってくる者に情けをかけるな‼」
「あの人の言う通りですのー、兎さん。殺しも続ければ楽しくなる。可哀相に感じるならー……、感じなくなるくらい、斬り続ければいい」
「……、その、言い方は……」鎌を捌き、兎が顔を歪める。「罪悪感を知ってる奴の言い方だろ! やっぱりそうだ、マドカ、お前はエデンなんて組織にいて麻痺してるだけだ! でなきゃ殺しなんて……」
「説教かよ。僕たちの……、〇のことを、何も知らないくせに‼」
×のワイヤーが、兎の首を絞める。
「〇には生贄が必要なんだよ……。ほんの9歳の頃から……、〇は殺しをしなくちゃ生きていけない体だったんだッ!!」
「……⁉」
五頭が再びワイヤーを焼き切る。炎を纏った銃弾が×を襲う。鎌がそれを弾く。
「……見ましたのー、お兄様。あいつ、刀をそこらの火にくべてた。火が吸い取られて、剣や弾に移動した」
周囲は爆発による引火で小さな火が燻っていた。「……なるほど」×が手を差し伸ばし、酸素を消して炎を止める。
「……お前の能力は、エネルギーの吸収か。熱や圧力といったエネルギーを吸い取り、質量として武器に付与する。さらに余剰のエネルギーはそのまま纏わせることができる。さっきの爆発も衝撃をそのまま吸い取った……」
五頭は答える代わりに天井のライトに刀を突き刺した。廊下の明かりが明滅する。振り下ろした五頭の刀に電流が流れて吸い込まれた。
「エネルギーの変換……。1号の系統だろ、それ。他と違って独特だ。引用元は一々江……、もしくは、跡星丑ってとこか?」
「どうだかな。……柤岡!」五頭は兎に呼びかける。兎がびくっと反応する。「次で決めるぞ……。これ以上手加減は無しだ、お前も自らの意志でここに残ったなら、腹を決めろ。奴らを殺す……、良いな!」
「ッ……!! はい……ッ!!」
兎が目をつぶり返事をする。五頭が駆け出す。兎が地面・天井をバウンドして逃げ道を塞ぐ。牛頭馬頭の定番の連携、を模した動き、殻の盾ができるよりも早く兎が双子の間合いに飛び込み、〇の動きを封じる。×のワイヤーを電撃の刃が切り裂く。五頭の放った重量弾丸が〇の眼に飛び込む……。
その寸前、〇の鎌が五頭の銃口に吸い込まれる。吸い込まれた鎌は〇のポケットから再び飛び出して弾丸を受けた。重みのまま弾が逸れ、兎の頭で跳弾がはじけた。
兎はそのまま突撃し、双子が後ろに跳ね飛ばした。鉛玉の当たったあたりの頭を押さえる。手の隙間から赤い砂が零れる。
「……っと、ちょっと額切れた……」
「ふん、三月兎が……」
〇の卵を掴んだところで、×のインカムに通信が入った。×が手を止めて応じる。
「はい。……靜馬先輩か。何の用? ……人払い? あぁ……、まあ敵地のど真ん中だしね。良いよ、行ってあげる」
×が手を下ろす。「〇、予定変更だ、こいつらは後に回す」
「ふぇ、乗ってきたところなのに」
「こいつらは倒すのに時間がかかる……。それよりもすぐ殺せる方がいいだろ?」
×の説得に〇が肯く。「お兄様が行くなら、ついてきますのー」
〇は兄の手を握り、壁の皹の前に立った。「……逃げたか」五頭は煙を振り払って刀を下ろした。
「柤岡、いつまで寝てる」
五頭に足で小突かれ、柤岡がむっくりと起き上がった。「すんません……、ちょっち痺れてました」
「頭は?」
「大丈夫っす。衝撃には強いんで」
兎の能力は〈一握の砂〉。骨や筋肉を砂のように流動化し、サンドバックのように衝撃を分散・吸収することができる。ただし砂状化するのみなので、流れ出た肉砂を操ったり切断された部位を繋げたりはできない。またそれぞれの筋肉や臓器の形・境界はそのままなので、同様に刺されたりすれば穴が開く。したがって斬撃には弱く、打撃や重火器の類にはめっぽう強い能力というわけだ。
「……最後の連携……、手を緩めたな」五頭が厳しい表情で睨む。「本気で締めあげれば、妹が逃げる隙は無かった。……分かっているのか、お前があいつらを生かすことで、俺たちの仲間が死ぬかもしれないんだ。お前のやったことは俺たちへの裏切りだ」
「……ッ、でも五頭さん、俺は……」
「お前にこの仕事は向いていない。俺たちは正義の味方だとでも思ってたか? 俺たちがやっているのは戦争だ、ヒーローごっこなら他所でやれ」
五頭は冷たく言い放って背を向けた。「今日付けで辞表を提出しろ。この基地を守り抜けたらの話だがな」
「ッ、五頭さん!」
「俺はあいつらを探しに行く。お前は最初に行っていた通り、第二通信室に向かえ。ここからは別行動だ」
兎はなんとも言えないような表情をして、頭を下げ、踵を返した。
お前は優しすぎる。
背中にぽつりと聞こえた気がして、兎は立ち止まった。振り返ると既に五頭は消えていた。
〇
「見くん! やっと見つけた」
隔壁のロックを開錠した見の背中に声がかかる。見は走り寄ってくる葎の姿を見止めて顔を伏せた。
「葎先生……。わざわざ救護室から……。危険ですよ」
「それはあなたも同じよ。……帰りましょ」
葎が見の手を握る。見はぎゅっと心臓を掴まれた感覚で顔を上げた。葎が頬を赤らめて顔を背けている。
息が止まりそうだ。見は頭の抽斗をひっくり返して、伝える言葉を探す。
「葎先生……、あの、この前のこと……」
『見くん、隔壁を開けていたら、すぐに引き返して』
「あ、はい。見ての通り、開錠は……、……?」
目を瞬く。目の前にいるはずの葎の声が、インカムから聞こえている。
『無線室付近の子たちと連絡がとれないの。既に何者かが侵入している可能性があるわ。そこは危険だから離れて……』
見は声を失う。右手は強い握力でしっかりと捕まえられていた。目の前の葎の姿をした女が、妖艶な笑みを浮かべる。
「本当に助かったよ……。扱いやすい奴で」




