第20話 雨にうたるるカテドラル
「劣勢だな……」
紫は作戦本部の大モニターを眺めながら歯噛みした。局所的な戦勝報告もあるが……、本館の部隊は、雨乞に押し込まれる形で作戦本部直上まで迫っている。加えて謎の襲撃によって、第二通信室のオペレーションが機能不全になった。全体的には押され気味、指揮系統の混乱で分館の敵の侵入も許しつつある。
紫はマップ上に光る、地上に近い一つの明かりを見た。頼みの綱の雪は八号に足止めを喰らっている。否、こちらが八号を抑えているとも言えるが、敵の〈12人〉がこちらより多い以上、雪にはそれ以上の働きをしてもらわなければならない。何より、敵はまだ最大の戦力を温存しているのだ……。
敵の空挺を映し出したモニターに変化がある。「局長!」慶留間麻呂が注意を促した。
沈黙を守っていた敵の本陣から、地上に向かう光が投射される。円盤型の空挺の中央から投射される光は、攻撃ではなく何かを搬出する道を作っているかのようだ。光の中心に一人の男が佇んでいる。
「! まさか……!」
紫は思ってもみない展開に立ち上がった。
「ここで来るか……! 総大将が!!」
敵最大戦力、3号海土路佑丞。指揮を任せられる優秀な代理(4号)が付いているということか、エデン優勢のこの状況で、普通ならば採りえない指揮官自らの前線投入。敵は伏魔殿の再起の芽を、徹底的に刈り取るつもりだ。
「これがあなたのやり方か……、枢機卿……!」
空に暗雲が立ち込める。エデンの所有する最大の脅威が、今しも地上に降り立とうとしていた。
〇
「聖堂」の内部は暗く、柱のように太いパイプを走る、青い電流の光が、ほの白く空間を照らし出しているばかりだった。フロアは地下最深部だったが、「聖堂」は地下2階と3階にまたがった広い部屋だった。本物の聖堂よろしく長机と椅子が並べられているが、これはこの部屋でPCを同時接続する場合があるためだった。また、壁面に硝子窓が付いていて、さらに地下の下水や排気口エリアへ続く業務用エレベーターの行き来が見えるようになっていた。
祁答院伊舎那は、両手をポケットに突っこんだまま、悠然とこちらを見ていた。
「遅いから心配したよ。もう少しで、指令室に辿り着いちゃうとこだった。そしたらチェックメイトだったんだけど、あんまり張り合いがないと、ここまで出張ってきた意味がないからね」
「そう上手く行くかよ。司令部への通路は隔壁で遮断されてる。どのみち袋の鼠だったんだ、お前は」
「んー」伊舎那は分かってないなという風に指を横に振った。「壁は打ち破るためにあるものさ。君らのお仲間にそうしたようにね」
東門を守備していた、一番合戦と水喰のことを言っているのだと分かった。馬飼は奥歯を嚙み締めた。
「元々は僕の仲間でもあったんだけどね。君らが裏切る前は」
伊舎那が皮肉っぽく言う。
「白々しいぜ。あんたにとって俺らは、使い捨ての駒に過ぎなかったろ。今もそうだ。あんたが引き入れた強化兵団があんたの仕込んだ爆薬で死ぬところを、俺は半年前の首都戦で見たぞ」
「いやだな、あれはただの『間引き』だよ。戦いに怖気づくような奴らは、枢機卿へ上納する戦力として相応しくないからね。正式にメンバーとして認められた者は、ちゃんと有効活用してるよ。使い捨てなんて資源の無駄でしかない。君もリーダーなら分かるだろ」
馬飼が手を振るう。悪童隊たちが散開して銃を構えた。馬飼が照準を合わせる。
「反吐が出るぜ……。あんたのやり方には」
掛け声とともに、一斉に銃が発射される。伊舎那が飛び出す。斜線を切る素早い身のこなし、平面を斜めに駆け、瞬く間に前衛の懐に辿り着いた。
「懐かしい話なんだけど」
前衛たちの頭を蹴り抜いて卒倒させながら伊舎那が言う。「君ら確か、雪くんとの初対戦の時、全員一撃でやられてたよね? しかも一発も反撃できず。なかなか笑えるよな。僕もチャレンジしてみて良いかい?」
「あれは、俺らが強化手術を受ける前の話だ」味方への誤射を避け、馬飼は銃を捨てる。「今の俺たちは違う。お前にのされた時ともな!!」
伊舎那の拳が正確に悪童隊の顎や頭を射抜く。宣言にたがわず、全員が一撃で倒れていく。強化人間相手にこれができんのか……。馬飼は脅威を再確認しながらも突撃する。身体強化の恩恵を受けていても、脳を揺らされれば気絶はする。もっとも効率的な倒し方だ。
だが脳への衝撃で気絶するのは、伊舎那とて同じはずだ。
馬飼の拳が空を切る。伊舎那は素早くしゃがみ込んでいた。拳を振り下ろす、巧みに払われる。横薙ぎがぶつかった机が、二つに切断される。
「『大切断』か。打撃を斬撃に変える技……。4号の性質変化か8号の波形操作能力の系統だと思ってたけど、圧力の加わる『面』を『線』に狭めて集中させてるんだね。3号の系譜だったか……」
「ちっ、眼も良いのかよ……っ」
能力のタネをあっさり見抜かれて馬飼はやっきになった。机を蹴り上げて下からの斬撃、伊舎那は予測してスムーズに体を躱す。机の上に転がり、ありえない姿勢で蹴りを飛ばしてきた。にもかかわらずすさまじい威力、顔面にヒットして馬飼は激しく吹き飛ばされた。
両手を払い、床の上に降り立つ。
「……こんなもんかな。小細工無しでも、君らに血の雨を降らせることぐらい造作もないんだよ。さあ、剣でも銃でも使うがいい、残りの君らもかかっておいで!」
「……一つ、お前の発言を訂正しておくぜ」
少年たちに支えられた馬飼がのそりと起き上がった。片鼻を押さえ鼻に溜まった血を吹き飛ばす。「雪に一撃でのされたのは全員じゃねえ。俺は一発耐えた」
伊舎那がにっと口角を上げる。「タフだね」
伊舎那が机の上を駆ける。飛び上がりドロップキックをかまそうとしたところで、青錆が飛びついた。机に押し戻された伊舎那だが、青錆を抱えたまま体を捻り、敵の体を下敷きにした。頭から叩き落された青錆は沈黙する。着地の勢いで二、三歩後退し、伊舎那が壁に手を突く。
「っと……。威勢は良いけど、受け身はとらなきゃな。時間稼ぎにもなってないよ」
「いいや、青錆は良い働きをしたぜ」
入口から声と共に手錠が飛び込む。空中で絡みつき、伊舎那の手首と壁面のパイプとをがっちりと繋いだ。
「悪いな……。他の連中と違って、俺の得物は百発百中なんだ」
跡星が手を伸ばしたまま決める。
「……!! 丑先生ぇ……!」
伊舎那が苛ついた様子で口角を上げる。視界を黒い影が覆う。馬飼の全力の打撃が、伊舎那の横面を撃ち抜いた。
〇
「……海土路兄弟を投入しよう」
モニターから伏魔殿の状況を眺めながら、灰色の枢機卿が呟いた。注連野が伏魔殿上空に三号の姿を観測する少し前。机上に並んだ幹部連は、枢機卿の宣言にざわめいた。
「お言葉ですが、枢機卿」
老幹部の一人が立ち上がる。
「今この状況は我々の圧倒的優勢にございます。ここはリスクを冒さず、じっくりと攻めるのがよろしいかと……」
「分かっていないな。戦場が混乱しており、かつQが悪魔の力を解放していない今が攻め時なのだ。あれが全力を振るえば、戦況がどう転ぶかは分からない。伏魔殿上層部を逃がす隙も生じれば、我々の部隊が全滅する可能性すらある。この機を逃すなど、
もってのほかだ」
「しかし……」
「猊下の言う通りだぜ、クソ爺ども」
海土路佐丞がモニター越しに答える。
「ここで日和って様子見なんてしてりゃ、奴らは巻き返してくる。リスクの冒しどころは今だ。猊下……、かまわないっすね? 下に降りても」
「無論だ。もとより本作戦の指揮官は君なのだからな」
海土路が満足気に通信を切る。
「……いささか横暴が過ぎますな、猊下。これでは我々幹部会が存在している意味がない。今のエデンは、猊下お一人が力を持ちすぎていると思いませんか?」
静かな怒りを込めて幹部たちが睨みを利かせる。
「その幹部の海土路が、私の進言を受け入れたのだぞ?」
「奴一人がです。猊下、あなたは王にでもなられたつもりか。枢機卿とは教皇に次ぐ聖職者の位。あなたはあくまで次席にすぎず、この組織にただ一人の最高権力者は存在しない。そのような意向を込めて『枢機卿』の称号を名乗っていたはずです。だからこそ我々エデン製薬役員・上層部たちも、素性の知れぬあなたの呼びかけに応じこのエデンを再興した」
「その通りです。猊下、我々エデンの望む真の世界は、死という呪いの存在しない平等な世界。死が存在しなくなれば、社会は、急激な変容を求められるでしょう。その社会を安定した方向に導くことまでが、我々の役目だ。だからこそこうして軍備を整えている。ゆえに誰か一人が力を握るなど、あってはならないのです。あなたはそのことをお忘れか?」
「忘れてなどいない。私はエデンという組織全体の利益を目指して提言しているまでだ」
「どうでしょうか」
若い幹部の一人が、正義感に駆られた顔で立ち上がる。
「枢機卿、私は耳ざといものでね。あなた、裏で何やら妙な作戦を進行中とか。たしか……、『スノーホワイト・プロトコル』と仰いましたか」
枢機卿が初めて反応を見せる。微かに髑髏の顔を動かして、赤い瞳を青年の方に向けた。
「その反応、お心当たりがあるようですね」青年が詰め寄る。「お教え願いましょう、あなたは何を企んでいるのです。人類の不滅を謳いつつ、その裏で一体何を……」
青年が机を叩いた瞬間、その体が炎に包まれた。
「!?!?!?」
青年だけではない。立ち上がった老幹部たちの頭が次々と発火していく。その場にいた全員が地獄の業火に巻かれていた。
「ぐお……!!! 枢機卿、何を……!!」
胸を掻きむしり老幹部が恨み言を述べる。しかしその枢機卿とて例外ではない。ケープは火炎に塗れ、鋼鉄でできた金属の骨がどろどろに溶けている。驚いたように、隅の席にいたエリザが立ち上がる。「動くな! エリザ君」枢機卿の鋭い声が飛ぶ。
「遠隔発火能力……、これは……!」機械の紅い目が監視カメラを睨む。「御黒闇彦……!!」
『ご名答だ、灰色の枢機卿』
館内スピーカーから、青年の声が発せられる。
『知っての通り、俺は座標を特定できればその対象を燃やすことができる。そして生憎、うちには有能なオペレーターが居てな。その部屋の監視カメラを数秒ハックするくらいのことは、やってのける。死角にいた奴はラッキーだったな』
「枢機卿、逆探知完了しました。奴は今番外基地の真上です!」
「……! そうか御黒……、辿り着いたか。我々に布告をしたことが、仇となったな……」
高熱に溶けた体が崩れる。途切れかけた音声で、枢機卿は切れ切れに命じた。
「エ…ザ……、今すぐ、海土路兄弟をキラウェア火山に、向かわせろ……!!」
「! しかし枢機卿、それでは伏魔殿攻略が……」
「伏魔……は、後回しだ。最優先は、1号……! 絶対に、昼神の……に……接触、させ……な……‼」
骸骨の鎧だったものが床に流れて煙を上げた。エリザは燃え盛る部屋を飛び出し、海土路兄弟に無線を繋いだ。
〇
「…………⁉ 3号が……、戻っていく……?」
光の道が途絶え、円盤の中に踵を返した海土路佑丞を見て、伏魔殿局員たちが困惑の表情を浮かべる。彼らの視線は円盤に注がれており、モニターの一つ、伏魔殿の崩れた外壁を抜け、ふらふらと場違いな制服姿の少女が一人、忍び入ったことに、誰も気づかなかった。
「…………殿」
うつ向き、深い怨嗟の影を纏った少女の唇は、そう動いたようだった。




