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人獣見聞録-猿の転生 Ⅶ Side-B:N+Anachronism   作者: 蓑谷 春泥
第2章 総員玉砕せよ
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第20話 雨にうたるるカテドラル

「劣勢だな……」

 紫は作戦本部(オペレーター・ルーム)の大モニターを眺めながら歯噛みした。局所的な戦勝報告もあるが……、本館の部隊は、雨乞に押し込まれる形で作戦本部直上まで迫っている。加えて謎の襲撃によって、第二通信室のオペレーションが機能不全になった。全体的には押され気味、指揮系統の混乱で分館の敵の侵入も許しつつある。

 紫はマップ上に光る、地上に近い一つの明かりを見た。頼みの綱の雪は八号に足止めを喰らっている。否、こちらが八号を抑えているとも言えるが、敵の〈12(モンキーズ)〉がこちらより多い以上、雪にはそれ以上の働きをしてもらわなければならない。何より、敵はまだ最大の戦力を温存しているのだ……。

 敵の空挺を映し出したモニターに変化がある。「局長!」慶留間(けるま)麻呂(まろ)が注意を促した。

 沈黙を守っていた敵の本陣から、地上に向かう光が投射される。円盤型の空挺の中央から投射される光は、攻撃ではなく何かを搬出する道を作っているかのようだ。光の中心に一人の男が佇んでいる。

「! まさか……!」

 紫は思ってもみない展開に立ち上がった。

「ここで来るか……! 総大将が!!」

 敵最大戦力、3号海土路佑丞。指揮を任せられる優秀な代理(4号)が付いているということか、エデン優勢のこの状況で、普通ならば採りえない指揮官自らの前線投入。敵は伏魔殿の再起の芽を、徹底的に刈り取るつもりだ。

「これがあなたのやり方か……、枢機卿……!」

空に暗雲が立ち込める。エデンの所有する最大の脅威が、今しも地上に降り立とうとしていた。



 「聖堂」の内部は暗く、柱のように太いパイプを走る、青い電流の光が、ほの白く空間を照らし出しているばかりだった。フロアは地下最深部だったが、「聖堂」は地下2階と3階にまたがった広い部屋だった。本物の聖堂よろしく長机と椅子が並べられているが、これはこの部屋でPCを同時接続する場合があるためだった。また、壁面に硝子窓が付いていて、さらに地下の下水や排気口エリアへ続く業務用エレベーターの行き来が見えるようになっていた。

 祁答院(けとういん)伊舎那(いざな)は、両手をポケットに突っこんだまま、悠然とこちらを見ていた。

「遅いから心配したよ。もう少しで、指令室に辿り着いちゃうとこだった。そしたらチェックメイトだったんだけど、あんまり張り合いがないと、ここまで出張ってきた意味がないからね」

「そう上手く行くかよ。司令部への通路は隔壁で遮断されてる。どのみち袋の鼠だったんだ、お前は」

「んー」伊舎那は分かってないなという風に指を横に振った。「壁は打ち破るためにあるものさ。君らのお仲間にそうしたようにね」

 東門を守備していた、一番合戦と水喰のことを言っているのだと分かった。馬飼は奥歯を嚙み締めた。

「元々は僕の仲間でもあったんだけどね。君らが裏切る前は」

伊舎那が皮肉っぽく言う。

「白々しいぜ。あんたにとって俺らは、使い捨ての駒に過ぎなかったろ。今もそうだ。あんたが引き入れた強化兵団(オレンジ)があんたの仕込んだ爆薬で死ぬところを、俺は半年前の首都戦で見たぞ」

「いやだな、あれはただの『間引き』だよ。戦いに怖気づくような奴らは、枢機卿へ上納する戦力として相応しくないからね。正式にメンバーとして認められた者は、ちゃんと有効活用してるよ。使い捨てなんて資源の無駄でしかない。君もリーダーなら分かるだろ」

 馬飼が手を振るう。悪童隊たちが散開して銃を構えた。馬飼が照準を合わせる。

「反吐が出るぜ……。あんたのやり方には」

 掛け声とともに、一斉に銃が発射される。伊舎那が飛び出す。斜線を切る素早い身のこなし、平面を斜めに駆け、瞬く間に前衛の懐に辿り着いた。

「懐かしい話なんだけど」

 前衛たちの頭を蹴り抜いて卒倒させながら伊舎那が言う。「君ら確か、雪くんとの初対戦の時、全員一撃でやられてたよね? しかも一発も反撃できず。なかなか笑えるよな。僕もチャレンジしてみて良いかい?」

「あれは、俺らが強化手術を受ける前の話だ」味方への誤射を避け、馬飼は銃を捨てる。「今の俺たちは違う。お前にのされた時ともな!!」

 伊舎那の拳が正確に悪童隊の顎や頭を射抜く。宣言にたがわず、全員が一撃で倒れていく。強化人間相手にこれができんのか……。馬飼は脅威を再確認しながらも突撃する。身体強化の恩恵を受けていても、脳を揺らされれば気絶はする。もっとも効率的な倒し方だ。

だが脳への衝撃で気絶するのは、伊舎那とて同じはずだ。

 馬飼の拳が空を切る。伊舎那は素早くしゃがみ込んでいた。拳を振り下ろす、巧みに払われる。横薙()ぎがぶつかった机が、二つに切断される。

「『大切断(ダイバイザソード)』か。打撃を斬撃に変える技……。4号の性質変化か8号の波形操作能力の系統だと思ってたけど、圧力の加わる『面』を『線』に狭めて集中させてるんだね。3号の系譜だったか……」

「ちっ、眼も良いのかよ……っ」

能力のタネをあっさり見抜かれて馬飼はやっきになった。机を蹴り上げて下からの斬撃、伊舎那は予測してスムーズに体を躱す。机の上に転がり、ありえない姿勢で蹴りを飛ばしてきた。にもかかわらずすさまじい威力、顔面にヒットして馬飼は激しく吹き飛ばされた。

両手を払い、床の上に降り立つ。

「……こんなもんかな。小細工無しでも、君らに血の雨を降らせることぐらい造作もないんだよ。さあ、剣でも銃でも使うがいい、残りの君らもかかっておいで!」

「……一つ、お前の発言を訂正しておくぜ」

 少年たちに支えられた馬飼がのそりと起き上がった。片鼻を押さえ鼻に溜まった血を吹き飛ばす。「雪に一撃でのされたのは全員じゃねえ。俺は一発耐えた」

伊舎那がにっと口角を上げる。「タフだね」

伊舎那が机の上を駆ける。飛び上がりドロップキックをかまそうとしたところで、青錆(すけたけ)が飛びついた。机に押し戻された伊舎那だが、青錆を抱えたまま体を捻り、敵の体を下敷きにした。頭から叩き落された青錆は沈黙する。着地の勢いで二、三歩後退し、伊舎那が壁に手を突く。

「っと……。威勢(ガッツ)は良いけど、受け身はとらなきゃな。時間稼ぎにもなってないよ」

「いいや、青錆(そいつ)は良い働きをしたぜ」

 入口から声と共に手錠が飛び込む。空中で絡みつき、伊舎那の手首と壁面のパイプとをがっちりと繋いだ。

「悪いな……。他の連中と違って、俺の得物(たま)は百発百中なんだ」

 跡星が手を伸ばしたまま決める。

「……!! (ちゅう)先生ぇ……!」

 伊舎那が苛ついた様子で口角を上げる。視界を黒い影が覆う。馬飼の全力の打撃(ざんげき)が、伊舎那の横面を撃ち抜いた。



「……海土路(みどろ)兄弟を投入しよう」

 モニターから伏魔殿の状況を眺めながら、灰色の枢機卿が呟いた。注連野が伏魔殿上空に三号の姿を観測する少し前。机上に並んだ幹部連は、枢機卿の宣言にざわめいた。

「お言葉ですが、枢機卿」

 老幹部の一人が立ち上がる。

「今この状況は我々の圧倒的優勢にございます。ここはリスクを冒さず、じっくりと攻めるのがよろしいかと……」

「分かっていないな。戦場が混乱しており、かつQ(そそぎ)が悪魔の力を解放していない今が攻め時なのだ。あれが全力を振るえば、戦況がどう転ぶかは分からない。伏魔殿上層部を逃がす隙も生じれば、我々の部隊が全滅する可能性すらある。この機を逃すなど、

もってのほかだ」

「しかし……」

「猊下の言う通りだぜ、クソ爺ども」

 海土路佐丞がモニター越しに答える。

「ここで日和って様子見なんてしてりゃ、奴らは巻き返してくる。リスクの冒しどころは今だ。猊下……、かまわないっすね? 下に降りても」

「無論だ。もとより本作戦の指揮官は君なのだからな」

 海土路が満足気に通信を切る。

「……いささか横暴が過ぎますな、猊下。これでは我々幹部会が存在している意味がない。今のエデンは、猊下お一人が力を持ちすぎていると思いませんか?」

 静かな怒りを込めて幹部たちが睨みを利かせる。

「その幹部の海土路が、私の進言を受け入れたのだぞ?」

「奴一人がです。猊下、あなたは王にでもなられたつもりか。枢機卿とは教皇に次ぐ聖職者の位。あなたはあくまで次席にすぎず、この組織にただ一人の最高権力者は存在しない。そのような意向を込めて『枢機卿』の称号を名乗っていたはずです。だからこそ我々エデン製薬役員・上層部たちも、素性の知れぬあなたの呼びかけに応じこのエデンを再興した」

「その通りです。猊下、我々エデンの望む真の世界は、死という呪いの存在しない平等な世界。死が存在しなくなれば、社会は、急激な変容を求められるでしょう。その社会を安定した方向に導くことまでが、我々の役目だ。だからこそこうして軍備を整えている。ゆえに誰か一人が力を握るなど、あってはならないのです。あなたはそのことをお忘れか?」

「忘れてなどいない。私はエデンという組織全体の利益を目指して提言しているまでだ」

「どうでしょうか」

 若い幹部の一人が、正義感に駆られた顔で立ち上がる。

「枢機卿、私は耳ざといものでね。あなた、裏で何やら妙な作戦を進行中とか。たしか……、『スノーホワイト・プロトコル』と仰いましたか」

 枢機卿が初めて反応を見せる。微かに髑髏の顔を動かして、赤い瞳を青年の方に向けた。

「その反応、お心当たりがあるようですね」青年が詰め寄る。「お教え願いましょう、あなたは何を企んでいるのです。人類の不滅を謳いつつ、その裏で一体何を……」

 青年が机を叩いた瞬間、その体が炎に包まれた。

「!?!?!?」

青年だけではない。立ち上がった老幹部たちの頭が次々と発火していく。その場にいた全員が地獄の業火に巻かれていた。

「ぐお……!!! 枢機卿、何を……!!」

 胸を掻きむしり老幹部が恨み言を述べる。しかしその枢機卿とて例外ではない。ケープは火炎に塗れ、鋼鉄でできた金属の骨がどろどろに溶けている。驚いたように、隅の席にいたエリザが立ち上がる。「動くな! エリザ君」枢機卿の鋭い声が飛ぶ。

「遠隔発火能力……、これは……!」機械の紅い目が監視カメラを睨む。「御黒闇彦……!!」

『ご名答だ、灰色の枢機卿』

 館内スピーカーから、青年の声が発せられる。

『知っての通り、俺は座標を特定できればその対象を燃やすことができる。そして生憎、うちには有能なオペレーターが居てな。その部屋の監視カメラを数秒ハックするくらいのことは、やってのける。死角にいた奴はラッキーだったな』

「枢機卿、逆探知完了しました。奴は今番外基地の真上です!」

「……! そうか御黒……、辿り着いたか。我々に布告をしたことが、仇となったな……」

 高熱に溶けた体が崩れる。途切れかけた音声で、枢機卿は切れ切れに命じた。

「エ…ザ……、今すぐ、海土路兄弟をキラウェア火山に、向かわせろ……!!」

「! しかし枢機卿、それでは伏魔殿攻略が……」

「伏魔……は、後回しだ。最優先は、1号……! 絶対に、昼神の……に……接触、させ……な……‼」

 骸骨の鎧だったものが床に流れて煙を上げた。エリザは燃え盛る部屋を飛び出し、海土路兄弟に無線を繋いだ。



「…………⁉ 3号が……、戻っていく……?」

 光の道が途絶え、円盤の中に踵を返した海土路佑丞を見て、伏魔殿局員たちが困惑の表情を浮かべる。彼らの視線は円盤に注がれており、モニターの一つ、伏魔殿の崩れた外壁を抜け、ふらふらと場違いな制服姿の少女が一人、忍び入ったことに、誰も気づかなかった。

「…………殿(デン)

 うつ向き、深い怨嗟の影を纏った少女の唇は、そう動いたようだった。


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