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人獣見聞録-猿の転生 Ⅶ Side-B:N+Anachronism   作者: 蓑谷 春泥
第2章 総員玉砕せよ
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第18話 陰獣

 静まり返った階段に、雨乞烏合の足音が響く。

 踊り場に足を下ろす。角を曲がる。廊下の中ほどに壁を作ったマスクの兵団が、盾ごしに銃を構えている。奥で武器庫の扉が開いている。そこから用意してきたらしい。

 少し減ったか……、敵の数を目視して烏合は考える。隊を分割し他所へ回したらしい。

「……ガスマスク。効果的だけど、長くはもたない」

 廊下に満ちる死の臭いが強まる。「感染経路は、空気だけじゃない」

()ぇッ!!!」

 部隊の掃射が始まる。烏合の前に二つの盾が飛び出す。防護壁(シールド)を展開して、銃弾から烏合の体を守る。

「……ッ、数は減りましたが……、ここへきてがっつり固めてきましたね。伏魔殿の奴ら、ここから先の侵入は断固拒絶するつもりですよ」

 餘目(あまるめ)止朗(よしろう)が盾を(ひさ)ぎながら言う。隣で第九研究班(プラン・9)メンバーの

筥崎(はこざき)(しお)が白塩の壁を構築して踏ん張る。

「二人とももう少し耐えて。それほど時間はかからない」

「班長の頼みなら……っ、何時間でも耐えますけど!」

 唸る箱崎の横で餘目のインカムが反応する。餘目が応答する。「……」

「餘目女史、なんて?」

「分館・安虎(あどら)からの要請で、西側C1通路に小隊を回してほしいと」

「第二通信室の近くか……」烏合は一考する。「……止朗、行ってきて」

「は……。こちらは大丈夫ですか? 先輩」

「愚門。盾だけ貸して。準備は整った」

 敵の部隊にどよめきが起こり、銃撃がまばらになる。

「なんだ? 銃が錆びて……」

 目の前に烏合の盾が突出している。前衛の警備たちはボウリングのピンのように撥ね倒され押さえつけられた。烏合がメスを取り出す。切っ先に吹きかけた吐息で刃が白く濁った。

 隊員たちに切り傷を付ける。かすり傷一つ、それだけで隊員たちは血反吐を吐いてのたうち回った。

「奴に触れるな! 刃に病毒を纏わせているぞ!!」

 飛び交うメスで数人の命が奪われる。「さっすが班長……。続け皆!」

 箱崎の掛け声で後方のエデンたちが突撃する。

 杞憂だったな。小班を従え、餘目は烏合の頼もしい背中を見送って部隊を離れた。


 〇


「……?」

 第二通信室を、妙な香りが包んでいた。

 袈裟丸は指を止める。花のような芳香だ。しかし、どこか食虫植物を連想させるような、生々しい、獣じみた、熟し、腐れた肉の臭いでもあった。

 ……体の奥が疼いた。

「……なに、これ……」

 首元に汗が滲む。他のオペレーターたちも妙な顔であたりを見渡している。心なしか全員顔が赤い。胸をはだけさせ、通気口を見上げる者もいた。袈裟丸は火照った顔を押さえた。「身体(からだ)、熱い……」

 がた、と椅子を引いて、隣の隊員が立ち上がる。驚いて見上げる。隊員の目は血走り、鼻から熱い息を噴き出していた。

「……せろ」

「え……」

 隊員は猛り狂った声で叫んだ。「()らせろぉおおッ!!!」

 隊員が飛び掛かる。袈裟丸は椅子から転げ落ちて身を躱す。獣のように飛び込んだ青年隊員は地面にもんどりうって荒々しく身を起こす。その目は明らかに常軌を逸していた。

 彼だけではない、部屋中で大勢の男性隊員が……、いや幾人かの女性隊員もが、野獣のような顔つきで暴れ出した。

 たちまちに甲高い悲鳴が上がる。阿鼻叫喚の地獄絵図が始まる。押し倒され衣服をちぎられ、温厚な隊員までもがぎらぎらとした目で性を貪る。

「っ、なんなの、これ……!」

 袈裟丸は机の下に隠れ吐息をつく。心臓が速い。無性に雪の顔が頭に浮かぶ。

 ざ、と机の下に男の足が覗く。四十がらみの肥えた顔が覗いた。「ハァ……、染ちゃんか」

「っ!」

 また一つ悲鳴が聞こえる。男はしゃがみこんでネクタイを緩めながら、狼のように眼光を光らせた。「大丈夫だ……、信じてくれ……。おじさんはロリコンじゃない……」

 ぐっ、と躊躇うような唸りをあげる。

 デスクの下は塞がれていた。叫喚と机に打ち付ける頭の音が暴力的に混ざり合う。袈裟丸の呼吸も釣られて速くなる。男の理性が葛藤しているのが見えた。

 一際大きな衝撃があって、机の上からペン立てが倒れ落ちた。袈裟丸の手元にハサミが転がる。

「オレはロリコンじゃない……。はぁ……! でも……ッッッ!!」

 男は沈黙した。それからベルトのバックルに、おもむろに手をかけた。


 〇


「ソドムもびっくりの乱痴気騒ぎだなァ……」

 換気口のダクトを這いながら、反響してくる泣き声や絹を裂くような声に耳を傾けて、安虎はくつくつと笑った。

通信(オペ)室に何仕掛けたんすかぁ? 姐御。分館(こっち)は指示が乱れて敵さん混乱中みたいやわ。おかげで結構な部隊が本館に入りこめてます』

「クク……。第二通信室の連中にオレの能力をかけた。『悪徳の栄え(ニンフォマニアック)』……、知っての通り、性欲をコントロールし暴走させる能力だ。やつら思春期の猿みたいに盛ってやがるぜ」

『あっはは、考えることエグイわ。でも第二通信室までのルートは遮断されてたやない? どうやって入り込んだんです?』

「直接接触する必要はねえ。『悪徳の栄え(ニンフォマニアック)』のトリガーはオレの匂いだからな。通信室に繋がるダクトに潜り込み、通気口の風に汗や血の匂いを乗せた」

『わお。姐御のフェロモンむんむんってわけっすね? でもそんなに()くんなら、なんで伊達政の野郎に使わなかったんすか? 姐御が戦闘の途中で消えて怒ってましたよ』

「相性ってもんがあるんだよ。あいつみたいな殺傷願望のあるタイプを興奮させると、()る気出しちまってかえって手が付けられねえ……」安虎は換気扇を蹴破って廊下に出た。「ま、ともかく、後は本人たちが勝手にやってくれるさ。第二通信室は内側から開く。逃げてきたオペレーターたちを待ち伏せして狩るって寸法だ」

 通路にどやどやと足音がやってくる。

「安虎小隊長」

「おう、要請通り駆けつけたか。アマルメのお嬢さん」

 ストレートの赤髪を眺めて安虎が言う。「これから第二通信室の隔壁が解放されるはずだ。ルートを包囲して殲滅を……」

「こっちだ!」

 別の足音が、向かいの通路にこだまする。『Λ(ラムダ)』の一群を連れて走る後原の姿があった。安虎が目を見開く。

「!!! おいおいおぉぉおい!! (らむ)ちゃん発見(はっけ)ェん!」

「安虎⁉」

 走りながら振り返った後原が、見知った顔に驚く。安虎が手の平の傷を掲げる。背後のエデン兵たちがかっと血に飢えた表情になった。

「予定変更だ、あいつぶっ殺すぞてめえら!!」

「おおおおお!!!!!」兵士たちが雄叫びを上げて安虎の後を追う。「ちょっ……! 安虎小隊長! オペレーターを狙うのでは?」餘目が口元を覆って尋ねる。

「んなもん知るか! オレは後原(あいつ)()るためにここに来たんだよオ!!」

 下手をすると全員が付き従いそうな勢いだった。餘目はため息をついて指の腹を胸に押し当てた。『人工心臓(ハート・ロッカー)』……。餘目と周囲の隊員の脈拍が落ち着いていく。安虎の匂いに充てられた隊員たちが冷静な表情に戻って顔を見合わせる。

「落ち着きましたか、皆さん。数は目減りしましたが、私たちはオペレーター狩りに向かいましょう」


 〇


「……第二通信室が?」

 作戦本部からの報告に、葎は処置の手を止めて叫んだ。

『詳細は分かりません、音声がひどく乱れていて……。しかし内側から隔壁を解除して、オペレーターたちが逃げ出したのは確かなようです。襲撃にあったと見るのがよいかと……』

「……分かった。こっちまでの通路を開けるわ。安全に誘導できるよう付近の隊員に護送させて」

『了解。後原隊に向かわせます』

 深刻な葎の表情に、怪我人の救護を終えた見が駆け寄った。「葎先生、何が……」

「第二通信室が襲われたみたいなの。オペレーターのみんなが避難してるわ。戦闘区域を通らずに避難できるよう、こちら側の隔壁を一部解除する」

「第二オペレータールームって……、染たちの……!」

 第二通信室が近すぎる、という五頭の懸念を思い出した。

「ええ……、とにかく通路を開ける必要があるわ。シャッターの鍵はこちらから制御できるけど、内側のバリケードを崩さないと……」

「西棟のとこですね……! 僕が行きます!」

 見が器具を置いて駆け出した。「! 待って見くん、独りで行くのは……!」

「今は人手も不足してるでしょう、バリケードまでの道は封鎖されていて敵もいません、一人で大丈夫です!」

 見は目を合わさずに、扉を開錠して走り出した。


「っは……、おい……、なんでだよ。俺たち、味方のはずじゃ……」

 隔壁の内側……、明かりの消えた備品室の床に悪童隊の数人が転がる。脇腹に銃弾が貫通し苦し気に呻きながら仲間の一人を見上げる。

「ああ、これ?」銃を握った少年が、自分の顔を指さして微笑む。顔面と骨格がばきばきと音を立てて崩れ、見知らぬ青年の顔に変わった。「こういう能力なんだ。君たちの仲間の真似」

「っ……、てめえ、野一色靜馬……。夏合宿の時の襲撃犯……!」

「覚えててくれて嬉しいよ」

 銃弾が隊員を沈黙させた。

「さぁて、潜入ミッションも伊舎那くんたちの手引きも終わったし、次は誰で遊ぼうかな。作戦本部までのルートは遮断されちゃったし……」

 死体を部屋の隅に隠しながら、めくるめく肉の面を変貌させ、靜馬は外の通路に目を向けた。「おや?」

 遠くの通路を横切る制服姿の少女の姿があった。否、それは一見したところ少女だったが、靜馬には彼が少年であることが見抜けた。既に(まみ)えたことがあったからだ。

百面相冠者(ノイエ・ザッハリヒ・カイト)』はニヤリとほくそ笑んだ。それから見の後を追って立ち上がった。


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