第17話 若気
「〈天路歴程〉……。お前の能力か? 五頭稔」
×(オサム)は殻の中から尋ねる。
「能力は『風』か……、それとも『力』? 海土路隊長の血清でも打ったか。サンプルはそっちも持ってるだろうしな」
「残念だが別人の細胞だぜ。3号の血清は俺に使われた」馬飼がしっかりした足取りで五頭の隣に立つ。
「こいつら多対一にかなり適した能力してやがる。集団戦は逆に不利になるな」
「ああ。……悪童隊、各班長を先導に先へ進め。こいつらは俺と馬飼で片付ける」
「待ってください!」
兎が進み出る。牛頭馬頭は意外な顔つきで兎を見返した。
「リーダーが二人とも抜けるのはまずい……。せめてどっちかだけでも指揮に残った方がいいっす」
「そりゃそうしたい所だがよ……。あの二人の連携はきついぜ、止められるのは俺と五頭くらいしか……」
「自分が残ります」
兎は意を決した表情で言い切った。
「お二人の戦いはずっと見てきてる……。牛頭馬頭の動きにどうにか合わせてみせます」
「でもよ、お前……」
馬飼が反論しかけるのを、五頭が片手で制した。「良いだろう。残るのは俺と柤岡で行く。馬飼、お前は部隊を率いて先に進め」
「いいのか?」
兎の性格上、子供二人と闘えるかは分からない。特に顔見知りならなおさらだ。
「こいつにも思うところがあるんだろう。任せてみる。……それに馬飼。侵入者の中にはあの男がいる」
「……!」
馬飼の顔つきが厳しくなった。
「奴を止めるには他の連中では力不足だ。お前の指揮で勝て」
「……分ぁった。ここは任せる。行くぞてめえら!」
悪童隊が応えて先へ進む。
「……話はまとまったようだね」
回れ右をした悪童隊を×が眺める。
「行ってしまいますの? 残念」
「そういうな、○。慌てなくても、血ならいくらでも見せてあげる」
鉄線が二人を向く。「まずはこいつらからだ」
〇
本館の周囲に無数の軍勢が押し掛ける。既に分館に大半の軍が集中してはいたが、十三蝦夷たちによって地下通路がせき止められていた。地上に残った部隊は、攪乱と新たな襲撃ルート開拓のため本館地上階の攻略を目指す。
本館のビルは人工衛星の雨に傷つけられてはいたものの、未だにその外観を保っていた。壁面に収納された砲台から粒子砲弾が降り注ぎ、地上の部隊を殲滅する。
「よし……、まだ砲台、生きてたか」
雪は周囲の時間の進みを穏やかにし、迫りくるエデンの兵士たちを高速で蹴散らしながら、空を飛び交う粒子弾を眺めた。特に屋上の巨大砲塔が再稼働を始めている。まだ大隊レベルの部隊がいくつも控えている。しかしあれが作動すれば、地上戦はオペレーターに任せられる。
スピードに自信のある能力者たちが力づくで雪を止めにかかった。強化された反射神経+能力で活性化した動作で、どうにか雪の侵攻を阻む。雪はブレーキを掛けつつ、銃を抜いて敵を撃ち倒した。
「しかしこれだけの数……、エデン兵の半分はいるぞ。上層部の推定より兵を集めてたのか? それとも……」
不意に『自身が血反吐を吐いて膝をつくイメージが頭を過る』。
悪寒が走る。予知された未来を回避して雪は後方へ退避する。囲んでいた敵が血を吐いて次々と倒れる。
外傷はない。この攻撃は……。
「雪。あなたは言ったわね、私たちをエデンから守れるだけの強さが、伏魔殿にはあると」
敵陣が割れる。水色のツインテールの少女に道を開ける。9号能力者・雨乞烏合……、無表情な生体兵器の顔は、心なしか今日は哀愁に染まっている。「ここで伏魔殿が敗れるようなら、あなたを預けてはおけない。だから今日……、証明してみせて」
あたりに伏していた死体たちが動き出す。ネクロウィルス……、死者をゾンビ化させるウィルスが、付近のエデン兵たちには仕込まれていた。
「安心して、雪。ネクロウィルスに感染力はない。でも、能力は生前同様に使えるから、用心して」
「助言はありがたいんだけどね……」
雨乞は腹を括っているようだった。やはり伏魔殿に味方するつもりはない……。少なくとも、雪がエデンを撃退する力を示すまでは。
雪にはもう一つ懸念点があった。どこかで指揮をとっているであろう3号4号を除いて、〈12人〉の一人である雨乞が参戦しているということは……。
地上の瓦礫が、逆引力に宙づりになる。重力操作……! 空を見上げる。円盤型の飛行艇、4号専用機〈ト・アペイロン〉が、瓦礫どもを吸い上げる。敵の本丸だ、雲の上に隠れていたのだ。屋上の対空砲が上空を向き、円盤に狙いを定め、光の粒を寄せる。しかし二つの兵器の間に、一人の男の影が舞い込んだ。
男は和柄の装束に差した日本刀に素早く手をかけた。宙に浮かぶ岩々を蹴って空を駆ける。迎え撃つ一点集中のレーザー砲。焼き斬れる一筋の光が、敵の本陣に向かって閃く。
男の刀身が見えたのは、一瞬だった。
本館地下一階、閉鎖された階段を見上げ敵襲に備えた後原未の一団が、張り詰めた空気で銃を構える。
足音が聞こえる。角から武装した集団が駆けつけてきた。後原たちはいっせいに銃を向ける。
「撃つな! 味方だ!」
跡星が手を挙げて止まる。「……跡星教官」
「早いな、後原。……お前らも迎撃部隊か。地上からの本館襲撃を、上はよっぽど警戒しているようだな」
跡星は後ろの兵に合図を出すと、後原たちと逆側の通路を固めて膝を付いた。
「連隊を二つも投入なんて……、ずいぶん集まったもんっすね。分館の方に人を送った方が良かったんじゃ?」
「あるいはな。だがここに大隊を配置しておけば、地下の各所に隊を分割して派遣できる……地下が混戦になっても耐えられる構えだ。地上は雪が護っているとはいえ、カバーできる範囲は限られてる。そろそろ敵が来るはずだ……」
「…………」
後原が拍子抜けしたような、何か言いたげな目でこちらを見てくる。視線で頬がかゆい。跡星は眉を顰めた。「……何だ? 俺の顔に何かついてるか?」
「いや、大したことじゃないんすけどね」後原が悪戯っぽく笑う。「『敵』とか『味方』とか……、跡星教官もずいぶん警察側の人間になったなと」
「ああ?」
跡星は顔をしかめる。言われてみれば、だ。エデンが「敵」で伏魔殿が「味方」……。警察の犬がすっかり板についた。それをこんな小娘に指摘されたのも不覚ではあったが、何より、
「煙草森……、あの女め……」
跡星は、自身を洗脳した少女に毒づいた。
跡星丑は優秀な少年だった。運動能力と学習能力に優れ、大学にも進学し、冷戦下の就職難でも自由に職を選べるくらいには、将来を嘱望された人材だった。
しかし同時に彼は、刺激のない日常に不満を感じてもいた。
今の五頭や馬飼の世代のように、若者が徒党を組んで暴徒化する時代でもなかった。戦後復興の区切りのついた停滞の雰囲気と、いつまた大戦が勃発するか分からないぴりついた空気。それは焦燥と抑圧という形をとって社会に沈滞していた。
跡星は血が見たかった。
世の中にはシリアルキラーとか殺人依存症のような連中がいるが、彼はそういった狂気に呑まれていたわけではなかった。単なる若気の至りとも言えた。おそらくは鬱屈した社会の中で、どこかにはけ口を求めていただけなのだ。
そんなわけで、跡星丑は青年期を中東の傭兵として過ごすことになる。機械兵を運用するだけの金もない地帯。跡星は紛争地域を渡り歩き、原始的な暴力の最中に身を置いた。本物の痛みと流血。強烈な死のスリルと、それによって輪郭を得る生。そこにはネットの映像にはない、リアルな命の躍動があった。
やがて20代半ばもすぎ、跡星は日本に帰ってくる。ちょっとした望郷の念。たまさかの平穏を味わっても良い気分だった。そこで跡星に声をかけたのがエデンだった。跡星の戦場は、現代の東京の街になる……。
……はずが、この様か。
跡星は自嘲する。煙草森鳰。伏魔殿への帰順を植え付けたのは彼女だ。そのせいで、この俺が今やガキどもの『先生』と来た。まったく人生は、分からない……。
戦闘音が近くなる。跡星は物思いから覚め、再び銃を握りなおした。
「近いぞ……!」
轟音と共に天井が崩れる。瓦礫が数多降ってきて、少女と二人の人影がその上に飛来する。
「雪⁉」
人影の一つが後原の近くに転がった。雪は土埃になった頬を拭ってすぐに身を起こした。「逃げろ、お前ら!! 皆殺しになるぞ!!」
「! 驚いたな、こりゃ……」
空いた天井からは真っ二つに割れたビルの地上階と、見えるはずのない青空が覗いている。上階は大砲が炸裂したように大破し、ビルの根元に向かって斬撃の跡が走っている。だがその異常な傷跡よりも、跡星の注意は、それを為した当の戦力に引き付けられていた。
「八号の左衛門三郎捌光……!! それに九号の雨乞まで……! なんだこいつら、数と言い戦力と言い、まるっきり総力戦のつもりか!」
捌光と雨乞が動く。前面の隊員が嘔吐し、血を吐き出した。飛び出してきたドローンの群れを斬撃が一撫でにする。
ドローンの爆風から顔を覆い、跡星が叫んだ。「退け!! 戦線をA6まで下げて迎え撃つ! 雨乞を間合いに入れるな!」
後原と跡星は銃撃で烏合の足を止めつつ後退した。刃を構える捌光を雪が携行刀で抑える。
「……ふむ。なるほど……」
捌光は鍔迫り合ったまま、黒めがちな目で雪と雨乞を見比べた。「雨乞」
「……?」
烏合は銃弾を防ぎながら振り返った。
「貴様は……、兵を連れ、内部へ。此奴の相手は、某が……請け負おう」
「! ……。感謝するわ」
多数の兵軍が滑り降りてくる。烏合に従って彼らは進軍を始めた。
「! 待て!」
雪が瞬足で動き出した先に、捌光は切っ先を置いた。「……!」雪はブレーキをかける。
「……驚いたな。この速度に対応できるのか。どんな反射神経だ?」
「己が……野性の本能に……、従ったまでのこと。貴様にも……、感じられるであろう」
「……? のまえや御黒が持ってるあれか? 本能的な危険感知、野生の第六感……。あれは先天的な、あるいは幼少期の環境から身に付く、才能のようなものだ。僕には無い」
雪は刀剣を弾きながら否む。
「ぬ……」捌光は剣を振りかざしながら、雪の瞳の奥をまじまじと見つめた。「言われてみれば、今の貴様には、それを感じない。あの時は……、確かに感じたのだ。某や二号とは違う、異形の……、野性を」
「異形……?」
雪は首を捻る。夏のウォーター・パークでの一件のことだろう。捌光が何かを感じたということは、たしかに野性は存在したのだろう。しかし、雪にそのような自覚はない。
「もしかすると……、〈寿〉の力のことか? 『悪魔が来りて笛を吹く(ヰタ・エクス・マキナ)』……、12号としての潜在的な能力だ」
「悪魔の……力か。狂花帯の……それでは、ないように思うが……」
捌光は釈然としない面持ちで独り語つ。それから刀を水平に構えた。
「まあ、良い……。斬り結べば、分かることだ。今から確かめてやる……、真白雪」
〇
「……はい、南北に逃れた部隊は跡星隊が追跡しています。現在部隊を四つの班に分けて対応中です」
地下二階、第二オペレーションルームから指示が飛ぶ。
「……こちらは大丈夫です。お兄ちゃんはその場で八号の撃退をお願いします」
雪が応答して通信を切る。染袈裟丸が緊張に息を吐くその上で、通気口のダクトから二つの眼光が覗いていた。




