第11話 汝染(なれそめ)
灰色の病室は、静かに電子音の脈拍を響かせていた。
並んで置かれたベッドが三つ。生々しい火傷をおおい隠すように包帯が全身に包帯が巻かれ、腕に刺さったチューブは薬品と栄養剤の点滴に繋がれている。自力で嚥下する能力もないのだ。目を閉じたまま、患者は苦し気に眠っている。
少女は落ち窪んだ眼を彼らに向け、そっと手を差し伸べた。苦痛を和らげるように、彼の額をなぞる。煙草森鳰は、別れを惜しむような声で呟いた。「もう行くよ……。父さん」
名残惜し気に立ち上がり、病室のドアノブに手をかける。……煙草森は、頭を押さえた。
脳の中に、不意に、見覚えのない景色が流れ出す。
そこは雲の中のようであり、鏡面のように光る湖の上でもあった。その最中に、一人の少女が立っている。……いや、それは少女ではなく、成熟した女性かもしれなかった。
「な、に……?」
「ほう……。『誰』ではなく『何』と問うのか。本質を突いているね。煙草森鳰」
景色は、語りかけてきた。全貌は分からない。その姿は認識の外にあった。彼女は虹色の光を瞳に纏い、全能じみた笑みを浮かべて告げた。
「汝は『世界』。君たちの言う『神』だ」
〇
「ここいらで休憩しないですか?」
軒の低い雨上がりの住宅街に、橳島兎のぼやきが渡る。まだ柔らかい落ち葉で赤黄に色づいた歩道を歩きながら、馬飼首は眉を上げた。
「まだ巡回、終わってねえだろうが。交代は16時だ、気ぃ張れよ」
「って言ってもですねぇ、馬飼さん。ここんとこエデンも大人しいじゃないっすか。先月の恐山の放火からこっち……、目立った動きも無いですよ?」
馬鹿野郎、と馬飼は窘めた。
「その放火の一件がでけえから、気が抜けないんだ。焼け出された死体にはP-HEADsの亥場のものがあった。関西チームのスカウトに行ってたはずの亥場さんだぞ? 煙草森生存の情報をエデンが掴んでて、恐山まで狙いに来てたと見て間違いねえだろ」
マンション一棟が焼けた火災事故は、煙草森の部屋を狙ったのものと目されている。馬飼は兎をどやす。「大体てめえ現場にいたんだろ? なんか思わねえのかよ」
「いや、たしかに亥場さんの一件は残念すけど……。煙草森に関しては俺ら周辺の警備に回されてましたし、あんま知らなかったというか……」
十三蝦夷と雪の戦闘が街に影響を与えないよう、封鎖に回っていたのだ。
「〈12人〉の一人を逃がしたのは痛いっすけど、エデンに押さえられてないなら、大丈夫じゃないっすか?」
「ばか、煙草森は本局の『蜃気楼』を解いたままだ。家が焼かれたのは俺たちのせいだと恨んでる可能性さえある。もしかしたら家族も巻き添えを食ったかもしらねえし……。煙草森を逃がしたのは、どう考えても痛手だろ」
馬飼は兎の丸い頭を睨む。「頼むぜ。お前らも『贋作』の能力を手に入れたんなら、それ相応の自覚を持て。これはそういう力なんだからな」
兎は背筋を伸ばした。「分かってます。俺がみんなを守る。期待には応えてみせます」
「ふん、その意気だ」
馬飼は背中を叩いて十字路を指さした。「じゃ、俺はこっちの区画を見回るから、お前は東側を頼む。さぼるなよ」
ブロックは住宅街から離れ、うらぶれた景色に変わってきた。あまり人気もない。警察関係の施設も多い場所だ、治安は悪くないが殺伐としている。
そういえばここは雪の思い出の地だったな、と兎は思う。
「ああ、ここにエデンのアジトがあったんだ。今どうなってるか知らないけど」
巡回の担当が同じになった雪は言っていた。
「人体実験のために攫ってきた子供を収容する施設だよ。袈裟丸もそこに居た」
「兄妹の馴れ初めってやつ?」
「『馴れ初め』ではないだろ……。でもまあ、初めて出会った場所ではあるな。僕は伏魔殿に入隊したばかりの年だったんだけど、その施設の殲滅作戦に派遣されたんだ。可哀相に、袈裟丸はその時にはもう放心して口もきけないような状態だった。エデンの薬物で脳か精神をやられてたんだ。回復するまでにしばらくかかったよ」
今の明るい姿からは考えられないな、と兎は思った。でもそこから何故隊預かりということになったんだろう? 両親のもとに帰されなかったのだろうか。兎が疑問に思って聞くと、
「あぁ、親とは死別してるからな」
雪は気の毒そうに答え、声を低くした。
「あまりこの話はしないんだけどな、袈裟丸は両親に殺されかけたんだ。無理心中を図って、袈裟丸だけ殺し損ねた……」
灰色の建物の間を進んでいくと、不意に道が開けて鮮やかな野原が広がっていた。白や桃色に色づいた花々が咲き乱れている。
天然の花畑だ。何かの施設の跡地なのだろう、空き地になった場所に雑草が群生してこうなったのかもしれない。路地裏にこんな場所があるとは知らなかった。
ほっこりとして草の匂いを吸い込んだのち、表に戻ろうとして足を止めた。
花畑の中に少女がいる。中学……1年生くらいだろうか、ひょっとしたら小学生かもしれない。女の子が原っぱの中に座り込んで一人草花と戯れていた。くすんだ灰色の髪に紅いメッシュ、あどけない顔立ちで幼く見える。周りに友達がいる様子もない、迷子にも見えないが、この辺りは子供が一人でうろつくような場所でもなかった。兎は少女に声をかけた。
「おい嬢ちゃん、こんなとこで何してんだ?」
怯えさせないよう精いっぱいの笑顔を作る。妹弟たちにも強面だとよく言われるから、愛嬌は大事だと心得ている。
少女が顔を上げた。白いワンピースを着て、はだしで草の上に座りこんでいる。膝の上にはぐちゃっと束ねられたシロツメクサが幾房か丸まっている。
「お兄さん、どなた?」
少女は警戒する風もなく小首をかしげる。兎はほっとして少女の側にかがんだ。制服の裏地に浮かべた電子隊章を見せる。
「俺は柤岡兎ってんだ。お巡りの仲間だよ」
「うさぎさん……。素敵なお名前ですの」
少女がにこりとする。
「似合わないってよく言われるけどな」
兎は丸めた頭に手を添えて苦笑いする。
「嬢ちゃん、一人みたいだけど……、家は近いのか?」
「そうとも言えますの。ここは昔のお家ですの。お兄様が住んでいましたの」
少女が答える。要領を得ない答えだ。兎は首を傾げる。
「お嬢ちゃんは……」「マドカですの」「マドカは、こんな場所で何してるんだ?」
少女はシロツメクサの束を掲げてみせた。「マドカの字を作ってますの」
「マドカの字?」
「まん丸の○で〇(マドカ)ですの」少女は地面に指を立て、ぐるりと〇の図を描いた。円ということだろうか。兎は地面の円とシロツメクサと交互に見比べて手を合わせた。
「ああ、花冠を作ってたのか」
「ですの」
マドカは困ったような顔で草の網を突き出した。「お兄様にあげようと思ってたんですの。でも難しいんですの。作ったことなかったから」
「兄ちゃんがいるのか。良い兄ちゃんか?」草の塊を受け取って兎は聞いた。
「ですの。〇(マドカ)をいつも守ってくれるんですの。この場所に白いお家があったころ、〇(マドカ)をのために入ってくれてましたの」
「白い家?」
「怖い大人がいっぱい、高い壁で囲まれてて、棘でぐるぐるでしたのよ。〇と同じくらいの子たちもたくさんいて、入ったら出られないんですの。うさぎさんくらいの年の子もいましのよ」
茨を頭の上に掲げて少女が言う。塀に囲まれて……、有刺鉄線、か? 雪が言っていたエデンの施設かもしれない。兎は目を見張る。
「なんてこった。兄ちゃんは無事なのか?」
「? お兄様は良い子だから、すぐに帰ってこれましたの。ここに住んでたのは少しの間ですのよ」
「そうか……」もしかしたら、ちょうど雪が施設を解体した時期のことだったのかもしれない。今もエデンに捕らえられていたらと思ったが、その心配はないようだ。手を動かして草花を編み込みながら、兎は胸を撫でおろす。
花の茎を繋げて、編み込まれた花の輪を作った。「ほらよ。ここにそれを挿したら完成だ」
「まあお上手」
「へへ。弟や妹と、よく作ってるからな」
花の輪に手元のシロツメクサを編み込み、マドカは冠を完成させた。少女が頬をほころばせるので、兎もつられて強面の顔を緩ませる。
「うさぎさんもお兄さんでしたの?」
「まあな。さ、冠もできたし、もっと賑やかな場所に行きな。こんな寂しいとこに一人でいるもんじゃねえよ。近頃はおっかない連中が、うよういやがるからな」
兎は巡回に戻ろうと立ち上がる。「もう行きますの?」マドカはほわほわとした表情で花輪を握りしめながら兎を見上げた。「じゃあやっぱりこれ、兎さんに差し上げますの」
「えっ」
「お礼ですのー」
マドカはぴょんと飛び跳ねて、兎の丸い頭に花冠を被せた。二人の間にはそれなりの身長差があったが、マドカは軽々と兎の頭に届いて見せた。兎は感心しつつ冠に手を乗せ
「良いのか? 兄ちゃんにあげるんだろ?」
「またどこかで作りますの」
手伝った品を貰っては本末転倒な気もするが、少女が満足そうだったので兎は良しとした。
「〇(マドカ)、こんな所にいたのか」
路地の入口の方から声がかかる。ポケットに手を突っ込んで立つ少年の姿があった。
「あら、お兄様」
マドカが立ち上がる。少年はまだ幼く、マドカとよく似た背丈と顔立ちをしていた。少女と違って緩やかな雰囲気はなく、利発的で年相応の反抗的な、引き締まった空気を身に纏っていた。「あまり一人でうろつくな。行くぞ」少年はじろりと兎の方を一瞥して、踵を返した。
「待ってほしいの」少女が駆け寄って兄の手を取る。もう片方の手で、振り向いてこちらに手を振った。「ごきげんようですのー、兎さん」
「兎さん?」少年がいぶかし気に振り返る。
「治安維持局員の柤岡兎だ。維持局は兄ちゃんも知ってるだろ。ここにあったエデンの施設を壊した」
「……? ここで……?」
少年が不愉快な思い出を辿るように首を捻る。
「……〇(マドカ)からどう聞いたのか知らないけど、ここにそんな施設はないよ。……あったのは、少年院だけだ」
少年は唾を吐くように言い捨てると、面食らった顔の兎を残して去っていった。




