96.この私がゴシップ記事に踊らされるわけがない
ダンジョン探検から二ヶ月ほど経過し、夏が終わりに近づき、夜は涼しくなってきた。
消えた幻獣アーヴァンクの行方は、掴めないままだけど、新たに幻獣が出没したという話も聞かない。
もしかしたら、事件はもう幕をおろしたのかもなんて、淡い期待を抱いてしまうほどだ。
けれども、もう一つの問題の方は、いつの間にか、ますます炎上している。
結局、バーントの平和式典後の様子は、記事にされていた。
内容としては国民の声と同じで、幻獣ユニコーンが突然現れ、私には興味を示さずにどこかに消えて行った。
つまり夫婦の初夜は済んでおり、正常な夫婦生活が営まれているのだろう。
それなのに、お世継ぎが宿っていないということは私の服装から推測できる。
だから夫婦の片方か両方に何かあるのでは?⋯⋯ということだ。
そんな内容がわざわざ書き起こされて、世間に出回っていると言うのだから鳥肌ものだ。
王室が直々に抗議して、すぐに発行を取り止めてもらったけれども、人の口には戸は立てられない。
普通は権力者にこんな失礼なことをしたら、国や時代によっては、記者の人もろとも消されちゃうんじゃ⋯⋯
それ以降も行事に参加する度に、私の服装が取り沙汰されるので、あえて緩めのドレスとヒールの低い靴を選ぶ日を作るなど、逆にこちらも好き勝手にファッションを楽しんでやろうとしている状況だ。
しかし、強気で乗り切ろうにも、中々上手くいかないのが現状で⋯⋯
「毎晩お二人で過ごされているご様子なのに⋯⋯」
「こういうのは、急かしても良いことはありませんよ。プレッシャーがあると、上手くいくものも、いかなくなりますから」
「まだ若いのだから、きっともう直ぐだろう」
使用人たちの心配そうな声を聞いて、毎日過ごす羽目になった。
夜。
今日は月のものが来た、いわゆる『乙女の日』なので、目元には紅を塗らずにブラン様のもとを訪ねた。
ブラン様は寝室にはいなかった。
まだお仕事中かな?
執務室を覗くと、ブラン様は机に向かい、書類に目を通していた。
ゴシップ記事の火消しという、要らない仕事が入ったせいで、本来の業務を圧迫してるんだよね。
ここまでして、ブラン様が戦ってくれているのは、他でもない私のためだ。
「ブラン様、お疲れ様です。まだ終わりそうにありませんか?」
声をかけるとブラン様は私の顔を見上げた。
その表情は一瞬こわばった後、すぐにいつもの穏やかな様子に戻る。
『すみません。今月もだめでした』と心の中で謝る。
サフィールさんに教えてもらった、薬草のハーブティーも毎日飲んでるのに。
結局は穏便に国民を納得させるには、お世継ぎを授かるしかない。
ブラン様、ショックだろうな。
「セイラ、お疲れ様。私の所で長く留めすぎた案件があるんだが、もう少しで終わりそうだ。先に休んでいてくれ。お休み」
ブラン様は優しく微笑みながら言ってくれたあと、書類に目線を戻した。
お休みのキスは無しか⋯⋯
たったそれだけの事なのに、ショックで胸が割れたように苦しくなる。
勝手に傷つくのは止めよう。
キスして欲しければ、自分で言えば良いじゃない。
そう思ったはずなのに。
「ブラン様⋯⋯」
愛しい人の名前を口に出した瞬間、言い様のない切なさと虚しさが襲って来た。
一気に涙があふれる。
周りの雑音によるストレスのせいか、ブラン様の態度がショックだったせいか、はたまたホルモンバランスのせいか⋯⋯
とにかく、このままではめんどくさい女になって、疲労困憊のブラン様にさらに負担をかけてしまう。
「お休みなさい!」
早足でドアの方に向かって歩く。
「セイラ? どうしたんだ? まさか、泣いているのか?」
後ろでブラン様が立ち上がる気配がする。
「大きなあくびをしちゃいました! では! ブラン様も早く休んでくださいね〜!」
急いでドアを閉めて自分の部屋に戻り、鍵もかけて布団に潜り込む。
この晩は、枕がびしょびしょになるほど、たくさん泣いた。
あれから九日後。
ストレスのせいなのか、乙女の日は長引いている。
どこか本音では、まだ終わって欲しくないって思ってるからだったりして。
目元に紅を引くのが怖い。
まただめだったら? ブラン様にプレッシャーに思われたら⋯⋯
いずれは義務感で抱かれるようになるのかな。
まだ結婚して半年も経ってないのに、どうしてこんな事になっちゃったんだろう。
考えれば考えるほど、食事も喉を通らなくなった。
数日後の夜。
この日は、カームの街での慰霊祭に参加することになっていた。
ここカームは王都の南西に位置していて、王家の人間や、いわゆる無縁仏のお墓がある。
慰霊祭は死者たちの魂が安らかであることを願い、祈りを捧げる行事。
簡単に言うと魔法のイルミネーションで、死者のみなさんに癒されてもらおうという感じだ。
このイベントには両陛下とモント様、英雄のみなさんが出席している。
セレモニーは主に教皇聖下が取り仕切っているけど、聖属性のアッシュ様と、闇属性のノワール様も点灯者として参加される。
他にも聖属性と闇属性の神官たちが、たくさん参加していて、アッシュ様とノワール様のお母様も、どこかにいらっしゃるとか。
広場にて、教皇聖下が聖典を読み上げ、闇属性の神官たちが魔法を使うと、夜の闇が一段と暗くなった。
次に聖属性の神官たちが魔法を使うと、目の前に星があるかのように、黄色い光があちこちで瞬き出す。
まるで地上まで夜空が広がっているみたいだ。
幻想的な体験をしながら、魂たちが安らかに眠れることを祈った。
セレモニーが終わると、人々は広場から徐々にはけていき、屋台を見たり、帰路についたりと移動し始めた。
両陛下とモント様と教皇聖下も、それぞれ馬車に乗ってお帰りになる。
徐々に小さくなる馬車を見送っていると、知った顔が近づいて来た。
「セイラ妃殿下。カームへようこそ」
遠慮がちに小声で話しかけられる。
「あ! サフィールさん!」
幻獣研究家のサフィールさんだ。
そっか。確かここの出身だって言ってたよね。
「妃殿下は慰霊祭は初めてですか? 王家の墓にもお参りに行かれたでしょうか?」
「はい。とっても素敵なお祭りですね。王家のお墓には、日中にお参りして来ました」
「そうですか」
サフィールさんは穏やかに微笑んでいる。
「今日のセイラ妃殿下は、いつもよりも緩いドレスをお召しのようね」
「心なしかふっくらされたような⋯⋯とうとうおめでたか?」
「ずいぶんと痩せられたように見えるけど、どこか悪いのかしら」
この街の人か、観光客か、だれかが噂話をするのが聞こえてくる。
もうみなさん、言っていることがむちゃくちゃだ。
人は見たいように物事を見るというのは、本当らしい。
こう言うのは気が散るから、聴力が拾える範囲を調整出来たらいいんだけど。
「妃殿下? 大丈夫ですか?」
サフィールさんは、心配そうに私の顔をのぞき込んでいる。
「大丈夫です。失礼しました。あの⋯⋯一つお伺いしたいのですが、薬草の効果って、どれくらいの期間で出るものなんでしょうか?」
「そうですね⋯⋯リラックス効果や保温効果なんかは、飲んでいる最中から出るはずですが⋯⋯4ヶ月から半年くらいで、体質が変わったと実感出来るかもしれませんね」
サフィールさんは顎に手を当てながら答えた。
「そうですか。そんなものですよね。ありがとうございました」
手を差し出して握手を求めると、彼は応じてくれた。
あれ? サフィールさんの爪の噛み跡がきれいに治ってる。
爪がちょっと伸びたくらいでは、治らなさそうなほどだったのに。
たくさん来ている神官の人にでも治してもらったのかな。
まぁそんなことはどうでもいいや。
「では僕はこれで」
彼は爽やかな笑顔で立ち去って行った。
「誰だよ、アイツは」
サフィールさんと入れ違いでジェード様が話しかけて来た。
おっと。今の話は聞かれてないよね?
「幻獣騒動を一緒に解決しようと、協力してくれている研究者の方です」
「ふーん。そっか」
ジェード様は、サフィールさんの後ろ姿を、しばらくの間見つめていた。
サフィールさんと別れたあとは、王室が所有する別荘に移動した。
ここでみなさんと一緒に食事を摂って、宿泊することになっている。
ちょっとした旅行気分で、美味しそうな料理を楽しめるはずだったんだけど、驚くほど食欲が出ない。
「セイラ、お前⋯⋯どうしちまったんだよ」
ジェード様は、痛々しいものを見るような目で私を見た。
「セイラちゃん、痩せたよね」
ノワール様も心配そうにしている。
「いつも元気に、モリモリ食べてるセイラちゃんが⋯⋯もしかして⋯⋯おめでた!? 今日の服はダボっとしてるし、靴もペタンコだなって思ってたんだよね〜!」
嬉しそうに口元を押さえるボルド様。
このお方は新聞とか読まなさそうだから、まったく悪気が無いのが分かる。
セルリアン様は、そんなボルド様をたしなめるように、テーブルの下で軽く足蹴りを入れる。
「どうしてですかね。あはは〜。ちょっと早いですけど、もう休みますね。お休みなさい」
料理を作ってくれた人にも、みなさんにも失礼だと思ったけど、ナイフとフォークを置いて、退席した。
入浴後、罪悪感に苛まれながらベッドに倒れ込む。
みなさんに気を遣わせたよね。
ほんと、何をやってるんだろ。
こんなにも弱い自分が嫌になる。
私が部屋を出たとき、ブラン様はどんな顔をしてた?
大切な仲間の前であんな態度をとるなんて、失望されちゃったかな。
ぐるぐる考えていると、ジェード様の笛の音が聞こえてきた。
庭にあった池の方で吹いてるのかな。
ここは周りに民家もないし、外は気持ちいいだろうな。
久しぶりに聞くその優しい音と、穏やかなメロディーに癒される。
この音を聞きながらだったら眠れるかも。
静かに目を閉じていると、笛の音が止み、しばらくすると話し声が聞こえてきた。
「ジェード、すまない」
声の主はブラン様だ。
「なんで俺に謝んだよ」
「私はセイラを幸せにするどころか、毎日辛い思いばかりさせている。これではあの日の約束を果たしているとは言えない」
ブラン様の声は辛そうだった。
そっか。私のせいで、ここまで苦しめちゃってるんだ。
「夫婦のことはよく分かんないけどさ。少なくとも俺の目には、お前のせいでアイツが不幸になってるようには見えなかったけど」
ジェード様の言葉の後、ブラン様の返事は聞こえない。
「幻獣騒ぎの方は、俺らにも手伝えることがあんだろ。うるさい外野のヤツらの方は、見つけたらぐるぐる巻きにして、その辺に吊るしといてやるから、お前らは堂々としてろよ」
ジェード様の声は優しかった。
「ジェード、ありがとう」
「とは言え、ノワールは怒ってるかもなー。アイツはセイラの事になると怖いから」
ジェード様は笑い声混じりで冗談ぽく言った。
「何? 俺の話? 別に俺も怒ってないよ。浮気して泣かせたとか、いつかの妖怪男みたいに酷いことしたわけじゃないでしょ?」
ノワール様の声だ。
「そんなことをするわけがないだろう?」
「じゃあブランは悪くないよ。もちろんセイラちゃんも。俺にも出来ることがあるなら協力するから。ブランも元気だして」
ノワール様の声も優しかった。
「ありがとう。どうかこれからも力を貸して欲しい。セイラを守りたいんだ」
ブラン様の言葉の後、しばらくして三人は室内に入っていったようだ。
大丈夫。こんなにも私は愛されてる。
今度、ゆっくり話せる時間をもらって、ブラン様に想いを伝えて、きちんと彼を支えるんだ。
そしたらきっと元に戻れる。
そう思ったのに、再び事件は動き出してしまった。