95.この国の未来が明るくないわけがない
捕らえたアーヴァンクが行方不明になって以降、特段動きもなく穏やかな日々を過ごしている内に、季節は夏になった。
今日はアカデミーで、体験型授業のダンジョン探検が行われる事になっている。
この授業の目的は、未来の英雄になるかも知れない子どもたちに、自分たちが受けた試練を疑似体験してもらうことで、いつか訪れる災厄に備えることだ。
ブラン様、アッシュ様、ジェード様、ノワール様、ボルド様、セルリアン様とアカデミーの校庭に集結する。
「セイラ、お前は大丈夫なのかよ? 命を狙われてるかも知れないんだろ?」
「犯行予告のように花を送りつけられて以降、幻獣が狙ったように行く先々に現れたと聞く。そのような状況では気も休まらない」
「そうですね。正直、何がなんだか。一応最近はパタリと落ち着いたみたいですね」
「それならいいけど。今日は俺たちもいるから安心してね」
ジェード様、セルリアン様、ノワール様は一連の騒ぎを知ってから、ずっと私のことを心配してくれていたらしい。
「ありがとうございます! さすがにこのメンバー相手に何かする輩はいないですよね!」
とは言え、パパラッチの気配はするから、なんだか落ち着かないけど⋯⋯
「先生! もうしばらくしたら、みんな降りて来るって!」
こちらに向かって走って来たのは、愛弟子である火属性の盗賊のアガットくん。
彼はこの春にアカデミーを卒業し、ターコイズ公爵家の用心棒として働いている。
今日は何かの役に立ちたいと、自主的に手伝いに来てくれた。
「ありがとう! 了解!」
生徒たちが来るまで、石段に座り雑談をする。
ブラン様は王室の魔法使いと今日の流れについての最終確認に、アッシュ様は不審者がいないかの見回りに行っている。
私は隣に座るアガットくんに、近況を尋ねることにした。
「お仕事の方はどう?」
「すっごく上手くいってるよ! 泥棒は先生と一緒に捕まえて以来一人も来てないし、俺がいるだけで防犯になるって、閣下にも先輩達にも褒められたんだ!」
アガットくんは目を輝かせながら言った。
「それは良かったね! 毎日どんな風に過ごしてるの?」
「用心棒の先輩達に稽古をつけてもらったり、脱走癖があるペットのハムスターを探したりしてる。この前は、熱源感知で本棚の裏に隠れてるのを見つけたんだ!」
なるほど。それは平和で何よりだ。
「もちろん閣下のお仕事にもついて行ってるよ! 殺気を出してる人間がいたら分かるから! 俺が閣下を守らないと!」
アガットくんは手裏剣を取り出して、嬉しそうに語ってくれた。
「そっか! 順調そうで良かった〜!」
「うん! 先生のお陰!」
未来ある若者が社会で活躍する姿って、とっても眩しいな。
のんきにそんなことを考えていたら、注意を受けることになった。
「おいガキんちょ。さっきからキャッキャしながら、どさくさに紛れて、くっつきやがって」
後ろの段に座るジェード様は、腕を組んで、怖い顔でアガットくんを見下ろしている。
「へ?」
アガットくんは目をまん丸にした。
どうやら興奮して前のめりになった彼は、私の太もものすぐ側に手をつき、肩が触れるような至近距離で話していたらしい。
全然意識してなかった。
「まぁまぁ。久しぶりの再会だから、テンションも上がっちゃうよね!」
変な構図で写真を撮られて騒ぎにならないように、念の為、彼から距離を取る。
「君は十六歳? だとしたら、そろそろ弁えたほうがいいと思うけど」
ノワール様も追い撃ちをかけるように言う。
「ちょっと! ノワール様?」
「先生⋯⋯ごめんなさい。でも、俺はただ先生に会えたのが嬉しかっただけで⋯⋯」
二人の勢いに怯え、謝りながら私の後ろに隠れるアガットくん。
「あ〜! ジェードとノワールが、青少年をイジメてる〜! 可哀想〜!」
ボルド様が茶々を入れた。
「いくら未成年だからって、既婚女性に甘えて、可愛がられようとして⋯⋯」
「可哀想だぁ? コイツはそんなタマじゃないだろ。だいたいお前は、弟子相手だからって油断しすぎだ。そんなんじゃ危なっかしいから、代わりに見張って、注意してやってんだろうが」
ノワール様とジェード様は追及の手を緩めない。
「それは私が悪かったです。申し訳ありませんでした。けど、もう少し優しく言ってあげても⋯⋯」
どうしてお二人はここまで怒っているのか。
「なるほど。初対面では何故彼が盗賊なのかしっくり来なかったが、随分としたたかな人物らしい」
セルリアン様はアガットくんを見ながらつぶやく。
その視線の先を追うと⋯⋯私に隠れたアガットくんがジェード様とノワール様に対して、あざ笑うかのように舌を出していた。
愛弟子の意外な一面を知った所で、アッシュ様が帰って来た。
「あぁ! 大師匠〜!」
アガットくんは、ジェード様とノワール様の鋭い視線から逃れるように、アッシュ様に駆け寄る。
アガットくんにとっては、私の師匠であるアッシュ様は大師匠だ。
元々、騎士への強い憧れがあるアガットくんは、その頂点に君臨するアッシュ様への想いも凄まじく、犬のように懐いている。
「アガット、元気そうだな」
「はい! 大師匠を見習って、日々鍛錬を続けています!」
「そうか。これからも励むことだ」
アッシュ様は優しい目をしながら、アガットくんの頭を撫でた。
それから間もなく生徒たちが降りてきたので、小グループに分かれて、引率の英雄が一人ずつつく形でダンジョン内に入ってもらった。
最初は、戦闘向きの役職の子だけを対象にしようという案があったけど、最終的には生産職や技術職の子も含めることにした。
それは、生産職や技術職と違って、平和な世の中だと活躍の場がない役職も中にはあるけど、有事の際に彼らがどのような活動をしているかを知っておいて欲しかったから。
ダンジョンの中はスイッチを押す仕掛けやパズルなど、安全な物で作られているけど、ラスボスはパステルとバーミリオンが交代でやってくれて、そこそこ本格的な物を生徒たちに体験してもらうことが出来た。
ダンジョンから出て来た生徒たちが、満足そうな表情をしていた事が嬉しかった。
体験が終わると、残った時間は質問タイムになった。
「ジェード先生〜! さっきの範囲攻撃はどうやって出力を高めているんですか〜?」
「範囲攻撃と言っても、放出する直前までは一点に集中させろ。魔法が自分から離れて飛んでいく瞬間に、範囲を定めるんだ」
ジェード様は魔法使いの子の杖を手で支えて、構え方を指導している。
「ノワール先生。補助魔法を対象者全員に瞬時にかけるコツはありますか?」
「仲間の顔と位置を同時に思い浮かべることかな。普段から仲間の動きや思考の癖を把握しておくこと、戦闘中は自分が一番後ろに位置どって、常に全員を視界に入れることが大切だね」
先ほどはお怒りだったノワール様も、普段通りの落ち着いたトーンで説明している。
「精霊語は短く、はっきりと発音することだ。普段は自由に過ごしている彼らを呼び寄せる最初の語りかけは、差し迫った状況であればあるほど、迅速さを求められる。構文については、精霊の性格や出身地によって若干異なり、命令文になったとしても、何をするのかが明確な短い文を好む者、初めに行動の狙いや理由を知りたがる者⋯⋯精霊たちの個性を知り、伝わる表現を選択することが重要となる」
セルリアン様は丁寧に説明している。
「いいな〜! 誰か俺の所にも質問に来てよ〜!」
ボルド様は心底羨ましそうにしている。
魔法使い、神官、精霊術師は人数が多いけど、重戦士って、そもそもの数が少ないからな⋯⋯
その叫びが届いたのか、鍛冶職人の子から質問が来たので、ボルド様は大喜びで答えていた。
「この国の未来は明るそうですね」
隣にいるブラン様とアッシュ様に笑いかける。
「そうだな。彼らのように自身の役割を理解し、向上心を持って責任を果たそうとする国民たちによって、この世界の平和は守られているから」
「そうですね。何も民を守るのは我々だけではありません。皆が力を合わせれば、平和な世になりましょう」
ブラン様、アッシュ様も微笑み返してくれた。