94.そんなにすぐにコウノトリが来るわけがない※
バーントの街で行われた平和式典の後、現れた幻獣ユニコーンの影響で、人々の不安の声を聞く羽目になった。
それは私だけではなく、ブラン様にも聞こえていたようで、どこか気まずい雰囲気のまま王宮に帰還した。
夜。他愛のない話をしながら二人でベッドに横になっていると、ブラン様が切り出した。
「セイラ。先程は嫌な思いをさせて申し訳なかった。私が不甲斐ないばっかりに⋯⋯」
ブラン様は困ったように眉を動かした。
「ブラン様が謝ることではない気がしますが⋯⋯今って春ですよね? 私たち、まだ結婚してから三ヶ月くらいしか経ってないんですよ? 国民のみなさまの気持ちは分かりますが、これくらいは別に普通では⋯⋯?」
「それはそうだが、ただでさえ君には命を宿すことで負担をかけると言うのに、あんなことを言われて、好奇の目に晒されて辛かっただろう? 家系図を見ても分かる通り、この一族は子供が生まれ辛く、生まれても病弱で婚姻前に亡くなるケースが多かった。それはナーダ様の呪いだろうから、今後は心配する必要はなくなったが⋯⋯兄上も私も遅くに生まれた子だ。そういう体質だったりするのかもしれない」
確かにアラバストロ家は王族でありながら、一般家庭と変わらないか、それ未満の規模の一族だ。
一族の血を引く若者は、国王の子であるブラン様とモント様だけ、遠い親戚なんてものも存在しないなんて、異質と言われればそうだ。
だからブラン様は、自分のせいかもって思っちゃったのかな。
そういうプレッシャーには弱い男性も多いと聞いたことがあるし、周囲の軽はずみな発言のせいで、ブラン様が追い詰められるのは嫌だな。
「もう。ブラン様は優しすぎます! この前、三国から贈り物が届いた時は、自分たちのペースで良いって、言ってくれたじゃないですか。神託は絶対だから、いずれ授かることは分かってるからって。まぁ、私だって心がありますから、何を言われても平気なわけじゃないですけど、覚悟の上というか、そういうの込みでも、まだまだ幸せの方が余裕で勝ってるっていうか⋯⋯」
目を見つめながら伝えるけど、困ったような笑顔を返される。
「お世継ぎも大事ですけど、それ以前に、私たちは愛し合う男女ですから。もう、そんなこと考える余裕なんて、無くしてあげます」
腰の上にまたがり、彼を見下ろす。
至近距離で見つめながら、慰めるように口づけると、邪魔な髪を耳にかけてくれたあと、頭を撫でられる。
両手を頬に添えて、自分の想いを注ぎ込むようにキスすると、優しく腰に手を添えられる。
瞳に熱が宿ったのを確かめて、首筋や耳にも唇で触れながら、硬い腹筋に手をやる。
時折辛そうに眉を寄せるのをじっと見つめて、いつまでも焦らし続けていると、あっという間に上下が逆転した。
「もう、おかしくなりそうだ⋯⋯」
強く抱きしめられ、噛みつくように唇を奪われる。
夜の姿はトラかライオンか。
世界一美しい獣のようなこのお方に、受け身の姿勢は似合わない。
腰を掴まれて、一気に引き寄せられる。
「ブラン様⋯⋯おかしくなってください。ついでにむちゃくちゃにしてください」
勢いに任せて大胆なことを言っちゃった?
けれども、決して私を傷つけるようなことはしない彼は、おでこに張り付いた前髪を、指で優しくよけてキスしてくれた。
その後は甘いめまいを感じながら、味わい尽くされるように愛された。
それからしばらくして、幻獣専門の研究者が名乗りを挙げてくれたと連絡が入った。
セイルの街の幻獣アーヴァンクを見てもらえる事になったので、騎士団の支部へ急行する。
研究者はサフィールさんという名前で、三十代前半くらいの紫髪紫眼の顔立ちが整った男性。
髪は顎にかかるくらいの長さで、前髪はM字バングだ。
南西にあるカームの街に住んでいるそう。
「幻獣アーヴァンクの生息地は、特定には至っていなかったものの、大きな川という説が濃厚ですので、川と繋がっているこの湖に現れること自体は、不思議ではありません。頭痛に関しては、今は異常が無さそうですから、病気だとすれば発作性のものかと思われます。記憶喪失に関しては、頭部に衝撃を受けたことで、引き起こされた可能性はあります。幻獣の脳というのは、人間以上に複雑な回路があるとされていますので。ちなみに聖騎士様が使用された魔法に、そういった効果は?」
サフィールさんは、すっかり毒っ気が抜けたアーヴァンクを見つめながら、穏やかな声で、冷静に語った。
アーヴァンクも、そんなサフィールさんのことを、じっと見つめている。
「彼が放った魔法には、そのような効果はありません。今回、アーヴァンクが我々を襲った事件と、ブルムでケルベロスが騎士達を襲った事件には、何らかの関連があるのではないかと考えています。人為的にこの現象を引き起こす方法は、あるのでしょうか?」
ブラン様は真剣な表情で、サフィールさんを見つめる。
犯人と思われる謎の二人組についての情報や、黒い百合の花のことは、残念ながらサフィールさんには話せないから、あくまでもこちらの憶測という体で語っている。
「そうですね⋯⋯ケルベロスの方は現物を見ていないので、何とも言い難いですけど⋯⋯人を襲わせるように仕向けるには、幻惑系の魔法を使うか、何か彼らが嫌がるような周波数の電波を流すか⋯⋯アーヴァンクに関しては、ユニコーンと同様に、美女が好きという説がありますので、セイラ妃殿下を襲ったのは、そういう理由も考えられます」
サフィールさんは私を見つめながら答える。
⋯⋯⋯⋯なんと反応したらいいのか。
口輪をされて、手足も拘束されているアーヴァンクは、私のことをキラキラした目で見つめているような、いないような。
「聖職者もしくは技術者の犯行か⋯⋯幻獣を狙った場所に出現させる方法はありますか?」
「どうでしょうね。幻獣を手懐けるか、好物でおびき寄せるか⋯⋯」
サフィールさんは、カバンから分厚いノートを取り出して、パラパラとめくりながら答える。
爪を噛む癖があるのかな。
ページをめくる指が、かなりの深爪で、ガタガタになってる。
爪の先端、三分の一が無いみたい。
研究者って、ストレスがかかりそうなお仕事のイメージがあるからな。
ただ、整った顔立ちと穏やかな話し方とのギャップは感じる。
結局、この日は特別な情報を得ることはできず、今後お互いに何か進展があれば共有するという話に落ち着いた。
解散となる直前、サフィールさんに小声で呼び止められた。
「セイラ妃殿下、少々よろしいでしょうか⋯⋯」
「はい。何でしょう?」
ブラン様とアッシュ様にアイコンタクトで断りを入れ、応じる。
「実は僕、以前からセイラ妃殿下のファンだったんです。女性でありながら、他の男性の英雄たちに引けをとらない強さをお持ちで⋯⋯僕たちカームの住人は、何度も魔物の群れに襲われそうになったので、魔王を倒してくださった英雄のみなさんには、感謝してもしきれません」
サフィールさんは頭を下げた。
最近はイヤな噂話も耳に入るせいか、こうも真っ直ぐに褒められると、内心嬉しい。
「いえいえそんな! こちらこそ、この度はご協力頂きありがとうございます! もう幻獣が人を襲わないことを願うばかりです」
私もサフィールさんに頭を下げた。
するとサフィールさんは、私の耳元に口を近づけた。
「だから僕は一国民として、最近の貴女の扱いが許せないんです。バーントの平和式典後のユニコーン騒ぎでの噂話のことも聞きました。僕は職業柄フィールドワークが多いですから、薬草に関する知識にも自信があります。余計なお世話なのは百も承知ですけど、力になりたいんです。これは貴女の悩みによく効く薬草のリストです。ハーブティーとして販売されていますから、ぜひお試しください。殿下には内緒で⋯⋯」
サフィールさんは私の手に紙切れを握らせた。
後でこっそりと紙切れを開いて見ると、薬草の名前と効能が書かれていたリストだった。
効能はストレス軽減、抗酸化作用、保温効果などなど。
私は早速このリストをメイドのマロンさんに渡して、ハーブティーを飲んでみたいとお願いした。
この日から数日後、幻獣アーヴァンクが、こつ然と姿を消したとの報告が入った。