80.その魔法使いが見た夢の世界で溺れるわけがない②※
場面は再び切り換わり、気がついたら、私たち二人は森の中を歩いていた。
手はさっきと一緒で、しっかりと繋いだまま。
一つ違うのは、ジェード様の姿が、本来の姿に戻っているということだ。
「ヴェールの森の中に人間が入るのって、許可がいるんですよね?」
「おぅ。まぁ、王族と騎士団は、いちいち許可を取らずに入ってくっけど。木こりや狩人、商人なんかは免許制だな。この辺りは他のエルフは来ないし、俺と一緒なら問題ないだろ」
ジェード様は、川のほとりまで私を連れてきて、倒木の上にドサッと座った。
「父さんと母さんが、今度ライズに行ってみたいって。もう何十年も森を出てないから、観光したいんだとよ。って表向きは言ってっけど、俺たちの生活っぷりが気になってんだろうな」
ジェード様はため息をついた。
けどその表情はどこか嬉しそうで、照れ隠しなのが伝わってくる。
ご両親、生きてたんだ。
よかった⋯⋯
頭の中に記憶が流れ込んでくる。
ジェード様とよく似た、美しくて優しいお二人の笑顔。
「それは楽しみですね! ライズも王都に比べたら小さな街ですけど、見所はありますから! 家に泊まられるでしょうか? だとしたら、ゆっくりご案内できそうです!」
どこがいいかな。
名所をピックアップしようと、頭を回転させていると、ジェード様の視線に気づく。
彼は私のことを愛おしそうに見つめていた。
「ありがとうな」
お礼にと、手から黄色い花を出して、私の髪にそっと挿してくれる。
「お前は可愛いすぎる」
こめかみにキスされ、頭を優しく撫でられる。
このお方は口は悪いけど、いつも私の事を女性として扱ってくれるし、優しくしてくれるんだよね。
「ありがとうございます」
お返しに頬にキスすると、また場面が切り替わった。
ライズにある私たちの家だ。
ジェード様は庭の地面に苗を植えていた。
掘った穴に幼木を入れて、丁寧に土をかけていく。
最後に魔法をかけると、幼木だったのが、あっという間に成長して、花を咲かせた。
「よし。これでいいだろ。こいつは縁起がいいとされてる木で、宝石みたいな実をつける。絞って飲めばうまいしな」
「へぇ! ザクロですか! あまり馴染みがないのですが、どうして縁起がいいんでしょう?」
「あ? そりゃ、豊穣とか子孫繁栄とか色々あるだろ」
⋯⋯⋯⋯なんだか凄いワードが聞こえたような。
まぁ、夫婦なんだし、それは自然なことか。
「明日は父さんと母さんが、ここに来るからな。ザクロジュースでも作ってやっか」
「そんなにすぐに実がなるんですね! さすがです!」
明日が楽しみだな。
その後、夕食とお風呂を済ませた私たちは、寝室のソファに並んで座り、ブドウ酒を飲みながら寛いでいた。
「ねぇねぇ、ジェード様。私たちの間には、どういう子が生まれてくるんですか?」
「ブーーッ! いきなり変なこと言うなよ。まったく。まぁ、そうだな⋯⋯いわゆるハーフエルフってのになるんじゃねぇか? どんなやつかは見たことないけどな」
ジェード様は照れて動揺しているのか、ブドウ酒を吹き出した。
子孫繁栄の木を庭に植えたのと、同一人物とは思えない反応だ。
「そうですか。ハーフエルフ⋯⋯」
「いや、俺⋯⋯今なんつった? 俺たちの子どもは普通の人間に決まってんだろ。だって⋯⋯いや、でも⋯⋯なんだこれ? 今日は酔いが回るのが早すぎんだろ」
戸惑うジェード様⋯⋯
そうか、わかった。
今、私がいるのはジェード様の夢の世界なんだ。
だからこんなにもコロコロ場面が切り替わって、ジェード様の姿もエルフだったり、人間だったりするんだ。
きっとジェード様は、いつも口が悪くて分かりにくいけど、心の中では悲しみや葛藤を抱えているんだ。
子どもの頃、辛かった時に誰かに寄り添って欲しかった。
ご両親には生きてて欲しかったし、でも砂川さんとの出会いも、無かったことにはしたくない。
人間だったらよかったのにという思いと、エルフとしての誇りの狭間で揺れている。
「俺は人間だ。だから俺とセイラの間を阻むものは何もない。これからはずっと一緒に居れんだ」
ジェード様は左手で優しく肩を抱いてくれる。
――『もう二人を阻むものは何もない。これからはいつだって側にいる。愛してる』
あれ? 誰の声? いつの記憶だっけ?
その声に導かれ、幽体離脱したみたいに、三人称視点に切り替わる。
けど、この夢が終わってしまえば、ジェード様のご両親は⋯⋯
見えない力に強制されたのか、いつの間にか一人称視点に戻る。
「ジェード様、また耳が⋯⋯」
人間の耳になっちゃってる。
左手をそっと伸ばして、彼の右耳に触れると、くすぐったそうにした。
しばらく見つめ合っていると、どちらともなく顔が近づく。
長いキスの後、再び見つめ合い、手を引かれ立ち上がる。
ベッドに連れられ、丁寧に横たえられた。
私たちにとって初めての夜。
優しく頬を撫でるジェード様の手は、氷のように冷たい。
いつもはこんなことないのに。
「もしかして、緊張してますか? 大丈夫です。怖くないですよ?」
「お前さぁ、女慣れしてる男が言いそうなセリフを言うなよ」
呆れたようなジェード様。
「けど、怖いよ。このままだと、なんだか夢が終わるような気がする。セイラは消えたりしないよな?」
不安そうな声だった。
ジェード様も、これが夢の世界だと感じ取ってるのかな。
この夢の終わりは、私にはわからない。
だって、この世界の主は、他でもないジェード様なんだから。
両手でジェード様の頬を包んで、引き寄せて耳にキスする。
「お前は本当に俺の耳が好きだよな」
「はい。尖った耳が好きです。ありのままのジェード様が好きです」
想いを伝えると、耳元に優しい風が吹いた。
ジェード様の耳が元の形に戻る。
「これでいいのか?」
「はい⋯⋯」
エルフの姿に戻ったジェード様は、再び優しくキスしてくれた。
柔らかく何度も繰り返される。
「セイラ、愛してるよ。今日までずっと側にいてくれて、ありがとうな。クマの人形も、嬉しかった」
ジェード様は潤んだ瞳で私を見つめる。
「泣かないで、ジェード様」
両腕を伸ばして胸に抱きしめ頭を撫でる。
しばらくそうしていると、ジェード様は身体を起こした。
再び唇が重なり、お互いを求めあった後は、肩ひもをずらされて、鎖骨にもキスされる。
じれったいくらい、優しく触れられる。
「さっきから悶えてるけど、大丈夫か?」
ジェード様は心配そうに見下ろしている。
なぜこんなことになっているのか⋯⋯耳元でこそっと伝える。
「なんだよそれ。可愛いすぎんだろ」
ジェード様は照れを隠すみたいに、強く抱きしめてくれた。
翌朝、ジェード様のお父さんとお母さんが、家に訪ねて来た。
三人の幸せそうな笑顔を見届けると、黒い光に包まれた。