77.その聖騎士が見た夢の世界で溺れるわけがない②
チェスナットくんに襲われそうになっていたところを、アッシュ様に救われた私は、喝を入れられ、弟子入りを志願した。
あれからアッシュ様は、熱心に稽古をつけてくれた。
「遅い。本来なら、俺よりもセイラのほうが、数段動きが速いはずだ。まだ怖がっているのか」
アッシュ様は、私の短剣相手に、素手で稽古をつけてくれている。
「うぅ⋯⋯すみません。踏み込みに躊躇してしまって⋯⋯」
「そんな調子では、あの男にすら勝てないぞ。本当に人を刃物で傷つけろとは言っていない。だが、あのようにひっ迫した場面では、防御や逃走のために、相手を威嚇することは必要だ。セイラからは殺気を感じられない。だから舐められるんだ」
そりゃ、確かに、バリバリ強そうなアッシュ様に比べたら、私なんてカモにしか見えないだろうけど。
アッシュ様は一言で言えば鬼教官だ。
ビシバシしごかれるし、声かけまで厳しい。
たぶん私は前の世界では、刃物を振り回すなんて危険な行為をしてこなかったんだろうな。
だからこんなにも抵抗感があるのかも。
そうだとしても、とにかく今は実践あるのみ。
「分かりました! もう一度お願いします!」
この人からできるだけ知識と技術を盗むんだ。
私は盗賊なんだから。
それからも連日稽古をつけてもらった。
「もう一本お願いします!」
最近の私の動きが、少しずつ良くなってきたからなのか、アッシュ様は素手ではなく、盾を使うようになった。
今はアッシュ様に斬りかかる練習をしている。
短剣だけでなく、隙あらば足でバランスを崩そうとするなど、卑怯な手もバンバン使う。
「アッシュも毎日毎日よく飽きないよな。けど、あの珍獣女も随分と勇ましくなりやがった」
アッシュ様のご友人の一人、ジェード様は、ヤンキー座りをしながら、私たちの稽古を見学している。
エルフって、ヤンキー座りとかするんだ⋯⋯
「セイラちゃんったら、どっかのボンボンに嫌がらせされて、襲われそうにまでなったんだって? そういうの最低〜! そこをアッシュが格好良く救ったんだよね! キャー素敵〜!って感じだけど、あんなに可愛い女の子に、あそこまで厳しい稽古をする必要ある? みんなで守ってあげたらいいじゃん!」
「俺たちはもう最終学年だから卒業していく。そしたらあの子は、自力でなんとかしないといけない。だからアッシュは、今のうちに稽古をつけてるんじゃない? あとは、恋とか愛とか」
「最初は、いかがわしい女が、どんな手でアッシュをだまくらかしたのか、と思っていたが、勤勉家と見える。認めざるを得ない」
ボルド様とノワール様とセルリアン様は言った。
そっか。アッシュ様は、そんな先のことまで考えてくれてたんだ。
厳しい人だけど、それは優しさから来るものなんだよね。
ただ手を差し伸べるだけじゃなくて、自分で立つ方法を教えてくれてるんだ。
「あいつらは、人が真剣にやっている側でうるさいな。少し休憩にするか」
アッシュ様は照れているのか、少し頬を赤らめながら言った後、ベンチに座った。
私もその後を追いかけ、隣に座る。
「セイラは上達が早いな。俺に斬りかかってくるお前を見た人間は、恐れをなして、手出ししてこないだろう」
「本当ですか!? やった! 確かに最近は、クラスメイトたちも大人しいんですよね。まぁ、アッシュ様が、チェスナットくんを懲らしめてくれたからでしょうけど。そうですか⋯⋯これで私も強者の仲間入りか⋯⋯」
「すぐ調子に乗るな。そうやって笑う顔は、隙だらけだ。あいつらを見てみろ」
ジェード様、ボルド様、ノワール様、セルリアン様⋯⋯
四人とも話してみると優しい人だけど、只者じゃないオーラが常に漏れ出てるんだよね。
この四人に、自分から喧嘩をふっかける愚か者は、いなさそうだ。
自然体でいても、強者であることは隠せない⋯⋯か。
私もそのレベルまで達することができたなら、絡まれずに済むんだろうな。
「俄然やる気が出て来ました! まだまだやりますよ!」
勢いよく立ち上がり、稽古に励んだ。
そしてある日。
この日はギャラリーはおらず、二人きりで稽古をつけてもらっていた。
うぅ。最近張り切って朝と夜も自主練してたから、手にマメが出来て痛い。
剣をしっかり握れないから、斬り付けが浅くなる。
私が振りかざす短剣は、アッシュ様の盾に弾かれ、簡単に飛んで行ってしまった。
こんなんじゃ駄目だ。
せっかく忙しい中、稽古をつけてもらっているのに。
「もう一本お願いします!」
気合い十分に叫んだけど、アッシュ様は首を横に振った。
「え?」
こちらに歩いて来たかと思ったら、私の手を取り見つめる。
「やはりな。水膨れが破れている。これでは稽古にならないだろう」
「すみません。調子に乗って、自主練をし過ぎちゃいました。治る間もなく、次の訓練をやり続けちゃった感じで⋯⋯」
反省していると、アッシュ様は回復魔法をかけてくれた。
「確かにこれは皆が通る道だ。水膨れの出来る位置から己の癖を知り、何度も繰り返すことで、皮が厚くなっていく。だがセイラは盗賊だ。盗賊の強さとは、『腕力』ではなく『しなやかさ』。俺と比べたらこんなにも小さな手で毎日頑張っていたんだな⋯⋯俺が厳しくし過ぎたからか」
アッシュ様は落ち込んだように言った。
「いやいや! アッシュ様は悪くないですよ? なんでもかんでも自分のせいにしないでください! 治して頂いて、ありがとうございます! もう全然痛くありませんから、もう一度⋯⋯」
気を取り直して訓練に戻ろうとすると、腕を引かれ、がばりと抱きしめられた。
大きくて鍛え抜かれた身体に包まれ、心臓が騒ぎ出す。
「どうしてそんなにも健気なんだ。痛々しくて見ていられない。お前のことは俺が守るから、もう何もしなくていい。そんな言葉が喉まで出かかっている」
⋯⋯そうだった。
このお方は感動屋で、こういう場面に心を打たれがちなんだ。
子どもや動物が主役の映画では、100%泣くと断言してもいい。
って何で私がそんなこと知ってるんだろう。
どちらにせよこの体勢はまずい。
師匠にドキドキするなんて、絶対に駄目なんだから。
「あ! そう言えば! アッシュ様は、再来月の剣術大会に出られるんですよね? その練習はしなくていいんでしょうか?」
身体を離し、無理やり話題を切り替える。
「剣術大会には短剣使いも出場するから、この稽古も練習代わりになる。そうか。セイラも出てみるか?」
アッシュ様は赤い目をしながら言った。
二ヵ月後、今日は学内剣術大会の日だ。
一辺約7メートルの正方形型のステージで、競技用の剣と防具を装備して戦う。
剣の種類は両手剣、片手剣、短剣の三種類。
魔法、スキルの使用は禁止されており、純粋に剣の扱いだけで勝負する。
ルールは一対一のトーナメント制で、一本勝負。
武器を落としたり、足の裏以外が地面についたりすれば失格。
防具に特殊な宝石が使われていて、衝撃を受けると輝き出す仕組みになっているので、相手の防具を先に輝かせた方が勝ちだ。
観客は全校生徒と全教員。
そして、まさかまさかの両陛下とモント王太子殿下だ。
優勝者には、王族に直接仕える道が開け、そうでなくてもお眼鏡にかなえば、王の側で働ける可能性があるからと、たくさんの生徒が参加している。
とは言え、女子生徒は私ともう一人、剣士の子の二人だけみたい。
とにかく⋯⋯まずは一回戦。
アッシュ様は、シード枠だから、出番はまだまだ先だ。
私の対戦相手は、同じクラスの剣士のマホガニーくん。
十三歳にして、推定身長190センチメートルの大男。
両手剣の使い手だ。
「手加減してやれよ〜!」
馬鹿にしたような野次が飛んでくる。
「よーい! はじめ!」
審判の合図とともに走り出す。
マホガニーくんはすぐに剣を構え、振り下ろして来た。
動きも速いし、パワーも強い。
攻撃を受ければ武器は弾かれ、転倒も避けられない。
けど、アッシュ様に比べたら太刀筋が甘い。
両手剣相手に短剣で勝つ方法は、素早さを活かして懐に潜り込むこと。
攻撃を誘い、避けた後、マホガニーくんの腹部を斬りつけた。
衝撃を受けた宝石が輝き出す。
「参りました」
マホガニーくんはひざまずいた。
「おい、なんだよ、あの動き。セイラってあんなに強かったのか?」
「あのマホガニーを倒すなんて」
「すごいじゃん!」
クラスメイトたちが声をかけてくれた。
「ありがとう!」
これでちょっとは認めて貰えたのかな。
全部アッシュ様のお陰だ。
残念ながら第三試合で負けてしまったけど、初参加にしては上出来だと、周囲は褒めてくれた。
競技用装備を返却し、身体についた土を流すためにシャワーを浴びて、いつもの装備に着替える。
担任の先生からも講評を頂き、大急ぎで会場に戻る。
「セイラちゃーん! こっちこっち〜! 席取っといたよ〜!」
ボルド様に大声で呼ばれ、隣に座ると、近くにジェード様、ノワール様、セルリアン様もいた。
ちなみにボルド様は、普段扱う武器の形状が特殊だから出場しないそうだ。
みなさんに労ってもらい、試合を観戦する。
間に合った。いよいよ決勝戦が始まるところだ。
決勝戦に残ったのは、もちろんアッシュ様。
対戦相手は、アッシュ様と同学年の騎士、コルク様だ。
「アイツは去年も決勝戦の対戦相手だった。試合がかなり長引いて、集中力が続いたアッシュが勝ったって感じだな」
ジェード様は腕組みをしながら、険しい表情で言った。
「そうなんですか⋯⋯」
アッシュ様とコルク様は片手剣を構え、互いを見据える。
「よーい! はじめ!」
合図があった直後、コルク様が仕掛けた。
何度も激しく打ち込んで、アッシュ様の守りを崩そうとしているみたい。
「勝負を長引かせずに、一気にケリをつけるつもりなのかな。当然、アッシュに攻撃の隙を与えなければ、コルクが勝つ」
ノワール様は落ち着いた声で言った。
コルク様の攻撃を、アッシュ様は必死に受け止めている。
剣と剣が激しくぶつかり合って火花が散る。
押され始めたのか、アッシュ様の左脇がガラ空きになって来た。
その隙を逃さずコルク様は斬りかかる。
けどそれは罠だったみたいだ。
アッシュ様はコルク様の剣を弾き飛ばし、飛んで行った剣は地面に突き刺さった。
決着はコルク様の狙い通りに、あっという間に着いてしまった。
「優勝は聖騎士アッシュ〜!」
「アッシュ〜! やったね〜!」
「コルクも凄かったぞ!」
会場が拍手と歓声に包まれる。
アッシュ様⋯⋯本当はもっと見ていたいくらいかっこよかったな⋯⋯
激しい攻撃を全て受けて、駆け引きにも勝って、相手を痛めつけずに勝つなんて。
興奮が冷めぬまま、すぐに表彰式が始まった。
魔法使いの先生が、二つの植木鉢にそれぞれ一輪ずつ花を咲かせる。
アッシュ様は、両陛下と植木鉢に向かって、それぞれ頭を下げた後、白い花を摘み取って、モント殿下の前にひざまずいた。
「アッシュは卒業後、モント殿下の側近になることが決まってるからね〜忠誠を誓った証として、象徴である白い花を捧げるんだよ〜」
モント殿下の象徴の花は、エーデルワイスで、花言葉は崇高、忍耐、奥ゆかしい美しさだそうだ。
「それで、もう一本の黄色い花は、どうするんですか?」
「えっと〜騎士道の考え方として、自分が強さを持っているのは、自分の実力だけじゃなくって、周りの支えや協力のお陰って言うのがあるんだよね〜それは、育ててくれた親や守りたい大切な人。あの花はアッシュの心を表していて、その人に想いを込めてプレゼントするんだよ〜。聖属性だから黄色いバラだね。俺らがちびっ子だった時の先輩方は、公開プロポーズなんかに使ってたけど、アッシュが優勝するようになってからは、そういうの無くなったよね〜」
なるほど。そんなハートフルな伝統があるとは。
確かに、立派になった息子が、お花をプレゼントしてくれたら感動ものだ。
きっと、アッシュ様のご両親も感動屋だろうから、家族みんなで泣いてしまったりして⋯⋯
目を閉じて妄想に浸っていると、ボルド様に肩を揺すられた。
「ちょっと! セイラちゃん!」
「あはは、すみません。私にも感動屋が移ったかもしれません⋯⋯あ! アッシュ様! お疲れ様です! 流石でしたね!」
気づいたら目の前に立っていたアッシュ様に、拍手を送る。
⋯⋯あれ? もしかして、まだ、表彰式の途中?
会場は静まり返り、観客の視線は、アッシュ様に注がれている。
そんな中でアッシュ様はひざまずき、私の手を取った。
「セイラ、俺の想いを受け取ってくれるか?」
熱のこもった真剣な眼差しで見つめられる。
意味を理解した瞬間、心臓を撃ち抜かれたみたいな衝撃が走る。
え⋯⋯私?
アッシュ様は、そんな目で私を見てくれていたってこと?
全然そんな素振りはなかったのに。
じゃあ、私も自分の気持ちに素直になっていいのかな。
「はい。アッシュ様⋯⋯嬉しいです。ありがとうございます」
差し出された黄色いバラを、幸せな気持ちで受け取った。
――ヒューヒュー
あちこちから口笛や、はやし立てるような声が聞こえてくる。
アッシュ様は、ホッとしたように微笑みながら、手の甲にキスしてくれた。