74.その精霊術師が見た夢の世界で溺れるわけがない②
ボルド様に茶化されたのを、セルリアン様に迷惑だと言われてしまい、傷ついた私は、誰もいなさそうな倉庫に駆け込んだ。
やっちゃった。
いくらショックだったからって、無言で逃げ出すなんて、感じ悪いよね。
セルリアン様もボルド様も、私のこと、おかしな子だと思ったに違いない。
もう二度と口も聞いてもらえないかもしれない。
棚にもたれて落ち込んでいると、ぞろぞろと人が入ってくる足音が聞こえた。
突然誰かが詠唱したかと思ったら、いきなり頭から冷たい水が降ってきた。
「きゃ! なに!?」
振り返ると、セルリアン様に言い寄っていた六人組が立っていた。
「あんた。優しいセルリアン様に、ちょっと気にかけてもらったからって、調子に乗ってるみたいね」
「読み書きも出来ない馬鹿のくせに」
「水でも被って反省しなさい!」
女の子たちは意地悪な顔でクスクス笑っている。
酷い。どうしてこんなことを、されないといけないんだろう。
ずぶ濡れになった身体が冷えて、あまりの寒さに震え出す。
「あのね。教えてあげる。セルリアン様があんたに構うのは、ヌガー先生が頼んだからなの。セルリアン様は、ヌガー先生のことを尊敬してるから逆らえないのよ。何より、あんたといれば、他の女の子に話しかけられないからって、あんたの存在を利用してるだけなの」
リーダーの女の子は言った。
そうなんだ。セルリアン様はヌガー先生の頼みを断りきれずに⋯⋯
しかも、虫除け代わりに利用されてただけか。
⋯⋯って、それをこの子たちから言われるのも、なんだか癪だけど⋯⋯
「何よ、その生意気な目は! まだ反省が足りないようね! もうセルリアン様には近づかないこと。それが理解できるまで、何度でもわからせてやるわよ!」
女の子たちは、また私に水をかけようとした。
「いやです! セルリアン様に近づかないなんて出来ません! だって私は、セルリアン様のことが好きなんだもん!」
負けるもんか。そっちが魔法を使ってくるなら、私だって何かスキルを使ってやる。
けど、全然使い方がわからない。
どうしよう。このままじゃ一方的にやられちゃう。
威勢だけで乗り切ろうとした時、水色のクリオネのような生き物が、空中を泳いでいることに気付いた。
他にも、クラゲや熱帯魚みたいな生き物もいる。
かわいい。
「なんなのコレ。気持ち悪い」
女の子たちは生き物を手で振り払う。
すると生き物は怒って大量の水を吹きかけた。
「きゃー! 服が濡れちゃったじゃない!」
「何すんのよ、このクラゲ!」
「牽制だけに留めておこうかと思いきや、自ら攻撃をしかけてくるとは。僕の精霊たちは皆、人懐こく純粋な心を持っているが、害なす者には容赦しない。これに懲りたら、幼稚な行いは止めることだ。これ以上、セイラ君に手出しをするようならば、気の毒だが、君たちの家を水に沈める。僕にはそれが可能だということを覚えておくように」
セルリアン様⋯⋯助けに来てくれたんだ⋯⋯
「ふんっ! もう良いわよ!」
「まさかセルリアン様が、こんなにも凶暴な男だとは知らなかったわ!」
「行きましょう!」
女の子たちは、負け惜しみを言いながら、倉庫を出ていった。
「セルリアン様! 助けて頂き、ありがとうございました!」
「セイラ君、申し訳ないことをした。僕が彼女たちを野放しにしていたのが悪かったんだ。こんなにも濡れて⋯⋯風邪をひいては困る。部屋に戻って着替えるまで、これを使うといい」
セルリアン様は羽織っていたケープを脱いで、肩にかけてくれた。
洗濯洗剤のアクアソープのような、いい匂いがふわっと香ってくる。
「ありがとうございます! セルリアン様って、ヒーローみたいに強くて格好良くて、優しいですね! 私、セルリアン様のことが好きです!」
「そうか。僕も君のことが好きだ」
「え? でもさっき迷惑って⋯⋯」
「それは、ボルドが君に迷惑をかけるから言ったんだ。なるほど。君は勘違いをして逃げたと言うわけか。それならいい。君は僕のことが好きで、僕は君のことが好きだ。何も問題ない」
セルリアン様は照れたように言ったあと、手を握ってくれた。
それから七年間、ずっと両想いで過ごしてきた私たちに別れの時が訪れた。
私が十三歳、セルリアン様が十五歳になった年のこと。
セルリアン様はアカデミーを卒業し、故郷に帰ることになった。
ちょうどその頃、世界に魔王が現れた。
「セルリアン様⋯⋯私、心配です。いくらセルリアン様が強いからって、よりにもよって、魔王に一番近い街に帰るなんて⋯⋯」
「セイラ君、心配をかけてすまない。しかし、僕の強さは、こういう異常事態でこそ、発揮しなくてはならない。そうでなければ、高みを目指し続ける意味がない」
「そうですけど⋯⋯」
嫌だ。行って欲しくない。
ただでさえ、毎日会えなくなるのは寂しいのに、危険な役目を果たさないといけないなんて。
私はセルリアン様に抱きついた。
「お願いです。ちゃんと送り出しますから、今だけ本音を言わせてください。行かないで、寂しい、怖い、一緒にいたい」
「僕も君と離れたくない。側にいたい」
セルリアン様はそっとキスしてくれた。
それから二年間は手紙のやりとりが続いた。
晴れてアカデミーを卒業した私は、何度かリヴィエーラを訪れたけど、依然として魔王の勢いは留まることを知らず、セルリアン様が解放されることはなかった。
それからさらに六年後のことだった。
魔王討伐に立ち上がったモント王太子殿下の従者として、私とセルリアン様が神託で選ばれたのは。
無事に魔王を討伐し、英雄と称されるようになった私たちは、すぐに結婚した。
精霊たちに見守られながら、静かに二人きりの結婚式を挙げた。
そして今日は、セルリアン様と私の一回目の結婚記念日だ。
セルリアン様と精霊たちが作ってくれた料理を食べた後、ベッドの上でくつろぎながら昔話をしている。
「こうやって振り返ってみると、懐かしいですね。未だにボルド様たちには茶化されますよ? あのセルリアンが、一番に結婚するなんて〜!って」
「それは自分でも時々信じられない。しかし、僕はセイラ君の前では肩の力を抜いて、ありのままの自分でいられる。あの時の出会いは、運命だったのだろう」
セルリアン様は手帳を取り出して、ページの間に挟まっていた1枚の紙を広げた。
それは、私が字を覚えた直後に初めて書いた手紙だった。
「え〜! こんなのよく取ってありましたね! 当時はめちゃめちゃ丁寧に、綺麗な字で書いたつもりだったのに、下手っぴです!」
これは予想外だ。恥ずかしい⋯⋯
「顔を赤くして⋯⋯照れているというのか。そんな姿も愛らしいが」
セルリアン様は、私の頬に手を添えてじっと見つめて来た。
「そうですよ! もう! 見ないでください!」
あまりにも優しい目をされるもんだから、ついつい直視出来ずに、逸らしてしまう。
「この手紙は僕の宝物だ。どんな宝石よりも価値がある」
「うぅ。まさかセルリアン様に、そんなことを言われる日が来るなんて⋯⋯」
「今までも言葉にしてきたつもりだったが、伝わっていなかったということか。では何度でも伝えるとしよう。君はかけがえのない存在だ。愛してる」
セルリアン様は、指を絡めるように手を握ってくれた。
私たちの左手の薬指には、水色がかった銀色の指輪が輝いている。
指を絡めたままキスされ、そっとベッドに横たえられた。
見つめられながら髪を撫でられる。
またセルリアン様の顔が近づいてくる。
「待って、外してあげます」
私は手を伸ばしてそっとメガネを外した。
セルリアン様は頷いたあと、再びキスしてくれた。
その瞬間、赤い光に包まれた。