69.幼少期の心の傷が簡単に癒えるわけがない
地底を暴れまわる雷獣を撃破した私たちは、ドワーフたちに丁重にもてなされた。
しかし、まだ一箇所向かうべき場所があるので、食事をご馳走になった後は、早々に休ませてもらうことにした。
翌朝、ドワーフたちと別れ、ブリックにまたがり再びガランスに戻って来た。
上空を覆っていた雷雲は消え、空は晴れ渡っている。
「あ〜! 地上の光と空気! 私にはこれが一番合ってます!」
地底の洞窟も、宝石の輝きが美しかったけど、やっぱりこの環境がしっくりくる。
ガランスの街は、一部の建物が落雷で損傷してしまったものの、みんなで手分けして修繕したようで、それぞれの家に帰宅することができたそうだ。
ここからはバーミリオンに乗って、ヴェールの森を目指す。
「バーミリオンよろしくね!」
「ゴーー! ゴーー!」
バーミリオンは元気よく返事をした後、私たちを乗せて空へ飛び立った。
「ヴェールの森の異変は、黒い霧と疫病、後は謎の鳴き声を出す、羽ばたく生き物でしたよね?」
「あぁ。黒い霧と謎の生き物は分からないが、実は二十年ほど前にも、ヴェールの森では疫病が流行ったんだ。森に新たに住み着いた野生動物が持ち込んだ菌が原因だと結論づけられたが、特効薬も見つからず、一部のエルフが命を落とした。その中にはジェードの父君と母君も⋯⋯」
ブラン様は辛そうに語った。
そうか。ジェード様のご両親は、その時の疫病で亡くなったんだ。
「当時、両親が発症したからと、息子であるジェードも、長い間、森の外れに隔離されていたらしい。ジェード自身や他のエルフたちを守るために仕方なかったとは言え、幼いジェードにとっては、辛い経験だっただろう。両親が亡くなり、疫病が終息した後も、しばらくは他のエルフたちから爪弾きにされて、森に居場所がなかったそうだ。族長はよく気にかけてくれていたようだが、そんな頃、人さらいにまで遭ったと聞いた」
アッシュ様は、言葉に詰まったブラン様に代わり、そう付け加えた。
ジェード様が、今までに断片的に語ってくれた過去が、ようやく繋がった。
私が出会ってからの大人になった彼は、過去の話をなんてこと無いように語っていたけど、本当はどれだけ辛かったことか。
幼い日のジェード様は、どれだけ胸を痛めたことか。
「そんなことがあったんですね。今のジェード様の状態が心配です。もちろん感染しているかどうかもですが、トラウマが呼び覚まされて、苦しんでいるかもしれません」
今は、ジェード様と他のエルフたちの無事を祈ることしか出来なかった。
ガランスからヴェールの森に向かう途中、王都の上空を通過し、遠くの方にイーリスも見えた。
「大きな異変は無さそうに見える。後はこの問題さえ解決できれば、元通りということだろう」
セルリアン様は言霊の力を信じているかのように、はっきりとした口調で言った。
ライズを抜け、ヴェールの森に近づくと、確かにそこは黒い霧に覆われていた。
森の入り口で、騎士たちが野営しているのが見えたので、近くに着陸する。
「君たちは何か困っているのか? 中の状況はどうなっている?」
ブラン様が騎士たちに駆け寄る。
「あぁ! ブラン王太子殿下! 我々は王都から来たヴェールの森への応援部隊なのですが、この通り、霧が深くて、中に入れないのです! ライズの騎士たちが偵察に入りましたが、誰も戻ってこず⋯⋯」
蝶の鱗粉の時と似たような状況みたいだ。
「この霧が疫病の原因だとすると、無策に突っ込めば、感染者が増えるだけになる。まずは浄化から取りかかるべきだろう」
セルリアン様は精霊たちを呼んだ。
精霊たちが撒き散らす光の粉で、黒い霧が少しずつ、本来の白さを取り戻して行く。
「おぉ⋯⋯さすが伝説級精霊術師様⋯⋯」
「こんなのは初めて見たぞ」
騎士たちは小さく歓声を上げる。
「エルフの魔法使いや精霊術師たちの中に、動ける者がいたとしたら、黒い霧の浄化や結界の維持が可能なはずだ。無事を信じて進むしかあるまい。セルリアンは、この森全体を浄化することは可能なのか?」
アッシュ様はセルリアン様の顔を見た。
「この森全体の浄化には、僕とアッシュの二人三脚で取り組んだとしても、不眠不休で一週間近くかかる。それではエルフたちがもたないとなると、結界を張りながら進み、グランアルブに近づくのが一番現実的という結論になる」
セルリアン様は答えた。
騎士たちから、マスクをもらって装着し、私たちは森の中に入った。
バーミリオンは、ここでお留守番だ。
セルリアン様は複数の精霊に指示を出して、小さな結界を何個もつなぎ、道のようにしてくれた。
次の結界内が浄化できれば、前に進むと言った具合で、安全に移動することができた。
黒い霧の中、その作業を繰り返して進むうちに、別の結界にぶち当たった。
セルリアン様の水色の結界とは色が違う。
黄緑がかっているから、恐らくエルフが張った結界だ。
セルリアン様の精霊が結界に穴を空け、私たちがいる結界と繋いでくれた。
中に入ると巨大なグランアルブが見えた。
エルフたちが張った結界は、その半分くらいまでの高さしか、保護出来ていないように見える。
その様が、蝶の鱗粉の時よりも深刻な状況と言うことを物語っている。
急いでグランアルブの根元に向かう。
たくさんのエルフたちが、根っこを枕にするようにして横たわっていた。
お年寄りはおらず、若者や子どもばかり二十人ほどだ。
みんな発熱しているのか、顔が赤く、呼吸が乱れている。
そして何よりも特徴的なのは、全身に赤い発疹が出来ているということだ。
族長のジャスパーさんは、緊迫した表情で精霊たちに指示を出して、看病を手伝ってもらっているみたい。
「ジェード! ジェードはいないか!?」
ブラン様は叫んだ。
その声に反応して大きな風が巻き起こった。
「ジェード様⋯⋯」
「おぅ。みんな、ありがとうな」
風が収まると、そこには力なく笑うジェード様がいた。
「ジェード! 君は無事なんだな?」
「俺はガキの頃も感染しなかったからな。免疫がついてんだろ。あの時と症状がおんなじだって、年寄りたちは大騒ぎだ」
ジェード様の顔は疲れ切っていた。
思わず抱きしめたくなるくらい。
「ジェード⋯⋯」
ボルド様はジェード様に近づく。
「おい! 触んなよ!」
ジェード様はその手が触れる前に飛び退いた。
「え⋯⋯」
ショックを受けたようなボルド様。
じゃれ合うのは二人のいつもの挨拶だから⋯⋯
「とは言え、万が一俺が感染してたとしたら、お前まで感染すんだろ。絶対に触んな」
ジェード様は目を伏せながら言った。
「あぁ〜そうだよね。ごめんごめん」
ボルド様は真剣な表情で謝った。
「症状は高熱と発疹、感染経路は身体への接触。感染者は今のところ、そこに転がってる奴らだけだ。回復した奴はまだいない。あとの連中は結界維持の担当以外は、山小屋と泉の付近に避難してる。自力で食事や便所が出来ない奴らの世話は、ジジイの精霊たちがやってくれてる。精霊には感染しないからな」
ジェード様は状況を説明してくれた。
「回復魔法をかけてみるか」
「僕も何か手伝おう」
アッシュ様は、病人たちの近くにひざまずいて魔法を使い、セルリアン様は、精霊に指示して病人に水を飲ませたり、身体を拭いたりし始めた。
「それで、謎の生き物の方はどうなっているんだ?」
「毎晩、夜中にヒョーヒョーつって、笛の音みたいな鳴き声が聞こえてくる。それと同時にバサバサ羽根の音が聞こえるから、鳥の魔物じゃないかって思うけど、この霧だし、誰も姿は見てない。病気をばら撒いたのは、そいつで間違いないだろ」
「もしかしたら鵺じゃないでしょうか? 頭が猫で胴体は鳥の姿をしているそうです。ヒョーヒョーという鳴き声が特徴で、鵺が現れると黒い煙が辺りを包み、病を引き起こすとか」
「なんでお前、そんなに詳しいんだ?」
「実は、私が元いた世界の妖怪という魔物が、各地に大量発生しているみたいで⋯⋯」
私はジェード様に今までの経緯を説明した。
まずは謎の生き物を討伐すべく、早速、今晩から張り込みをすることになった。
セルリアン様が、グランアルブの上部に結界を張って、浄化までしてくれたので、グランアルブの頂上で待機する。
前半はブラン様、アッシュ様、セルリアン様が下の横穴で休憩をとっていて、私とジェード様とボルド様が見張り役だ。
何も聞こえない静かな夜。
連日の疲れから眠たくなるけど、我慢我慢⋯⋯
「スピー⋯⋯スピー⋯⋯」
ボルド様は盾と武器を抱きかかえたまま、寝息を立てている。
ボルド様だって、ずっとガランスの街の人のお世話を続けていたから、心も身体も疲れてるよね。
「王都も、リヴィエーラも、ガランスも、大変だったんだってな。一緒に戦えなくて悪かったな」
斜め前に座っているジェード様は、前を向いたまま静かな声で言った。
「そんな。ジェード様だって、大変だったじゃないですか。ずっとエルフのみなさんを守って来たんですから、不安や気疲れもあるでしょう? 二十年前の疫病のことも聞きました」
「そっか。今振り返れば、あん時は地獄だったな。今回のことも正直怖いよ。また誰か居なくなるんじゃないかって。けど、あんな経験が二度もあってたまるかよ。ガキんちょたちにも、俺と同じ思いはさせらんないからな」
「そうですね。早く妖怪を倒しましょう。そうしたらすぐに、みなさん良くなります。また穏やかな森に戻りますから」
「んだな」
その後、しばらく沈黙が流れる。
「なぁ、セイラ。ノワールから聞いたんだけど、最後に会った時に話したこと、真剣に考えてくれてたんだってな。落ち込んでる時に悩ませて悪かったな。ノワールに、すんげぇ怒られた。あいつ、セイラのことになると怖えよ」
ジェード様は頭を下げた。
最後に会った時の話と言えば、ブラン様に失恋して、ジェード様に慰めてもらって、ライズで一緒に暮らそうと言われた話だ。
「そんな、謝らないでくださいよ。あの時、確かにジェード様は、私と真剣に向き合ってくれて、支えになってくれました。だから、私もそうしたかっただけです。それよりも、大事な話も、ずっと手紙でしか話せてなくて、すみませんでした」
今度は私がジェード様に頭を下げた。
「お前が謝んのは違うだろ。実はさ、ブランとはあれから一度会ったんだ。あいつ、セイラのことは必ず幸せにするからって、ブランに任せて良かったって、思わせられるようにするからって、律儀に言って来やがった。そんなの分かってんだよ。俺にはどうしたって敵わねぇよ」
ジェード様の周りに風が巻き起こる。
神秘的に光る髪と耳飾りが揺れて、キラキラと輝く。
「セイラ、幸せになれよ。結婚式、楽しみにしてるからな。お前らの幸せに水を差すような、こういうイベントは、とっとと終わらせちまおうぜ」
ジェード様は、こちらを振り返りながら、笑顔で言った。