65.聖騎士なのに背徳者になるわけがない
雪女が消滅し、雪が止んだリヴィエーラは、本来の気温に戻り始めていた。
私たち四人はというと、再び神殿を訪れている。
神殿の入り口には、相変わらず巨大な氷の塊があったけど、今度は、セルリアン様の精霊たちが創り出す水をかけることで、簡単に溶けた。
「では、まずは地図作成ですね」
完成した地図をブラン様、アッシュ様、セルリアン様に配る。
構造は地上一階地下六階建てだ。
「以前に僕が攻略した時とは構造が異なるようだ。深さが増している。僕がヒュドール様の水瓶を手に入れたのは、地下三階だったはず。神殿というのは、やはり人知を超えている」
入る度に構造が変わるなんて、さすが神様が用意した試練だ。
この神殿は、中央の大きな部屋が、地下六階まで繋がる吹き抜け構造になっていて、正面と左右に合計三つの小部屋がある。
これは最下層以外の全ての階で、同じ間取りだ。
地図だけ見ると、中心部分の吹き抜けの穴に落ちてしまえば、地下六階まで転落という大惨事になるように思えた。
けれども、実際に神殿に入ってみると、吹き抜け部分が、水で満たされていることが分かった。
「吹き抜け部分を潜れば、最下層にたどり着けるようだが、僕たちには不可能だ。まずはセオリー通りに、小部屋を探索するとしよう」
セルリアン様は先陣を切って奥に進んで行った。
三つの小部屋を順番に回ってみると、全ての部屋に怪しげなレバーがあった。
「このレバーは何でしょうか? 当たり外れがあるのか、順番があるのか、同時に下げればいいのか⋯⋯」
どれもファンタジーRPGあるあるパターンだ。
「判断が難しいな。特にヒントになりそうなものも見当たらないし、順番に下げてみるのは、どうだろうか?」
ブラン様の意見に全員が賛成したので、まずは右の部屋のレバーを下げてみる。
⋯⋯特に反応なしか。
次に正面の部屋のレバーだ。
⋯⋯こちらも反応なし。
最後に左の部屋のレバーを下ろす。
すると地響きが聞こえて来て、吹き抜け部分を満たしていた水に、渦が巻き起こったかと思ったら、水位が下がった。
「水に飛び込めば、地下一階の探索ができるな」
「一度降りたら簡単には戻れないですね⋯⋯」
戸惑う私をよそに、アッシュ様はあっさりと飛び込んだ。
それも美しいフォームで。
続いてブラン様もセルリアン様も飛び込んでいく。
三人はすぐに足場に泳ぎ着いた。
みなさん、濡れた髪をかき上げる姿がセクシー⋯⋯なんて考えている場合じゃなくて。
これ、飛び込むのは、ちょっと怖いな。
高い所からの着地は慣れっこだけど、泳ぎはそんなに得意じゃないんだよね。
戸惑っている私を三人は見守っている。
「すみません! 降ります! すぐに降りますよ!」
息を整えて覚悟を決めなければ。
「セイラ君、君は、飛び込むことを怖がっているように見える」
セルリアン様はそう指摘した後、精霊を呼んでくれた。
レインコートを着た子どものような、青白く輝く精霊だ。
その子は私の周りを飛んだあと、大きく息を吸い込み、長く息を吹いた。
すると、水の玉が、風船が膨らむみたいに大きくなって、私の身体を包んだ。
水の玉はそのままゆっくりと下降し、みなさんがいる足場に降ろしてくれた。
「セルリアン様! 精霊さん! ありがとうございます!」
その優しさに感動だ。
「精霊マーブルだ。彼にはこの神殿にいる間、君についていてもらうとしよう」
「良いんですか!? それは心強いです! マーブルのお陰で怖くなかったよ! よろしくね!」
感謝を伝えると、マーブルはその場で宙返りをした。
「そういえば、ターコイズ公爵家のお茶会に参加した時にも、セルリアン様の精霊が助けてくれたんです!」
「あの近くの湖にいたのなら、恐らく精霊プドルだろう。彼女は人間が好きで、よくパーティーやお茶会に潜り込んでいるらしい。おそらく君たちの結婚式にも参列するだろう」
「そうなんですか! それだったら嬉しいです!」
話をしながら、地下一階の三部屋を確認する。
一つ上のフロアと同じようにレバーがあった。
さっきまでここは水で満たされていたから、レバーが濡れている。
「またレバーを下ろせば良いんでしょうか?」
「このまま水を抜いて、どんどん下に降りて行く仕組みなのかもしれないな」
ブラン様はそう言って右の部屋のレバーを下ろした。
すると、上の方からバシャバシャと水の音が聞こえてきた。
「まずい。再びここが水没するぞ。すぐに吹き抜けに戻れ!」
アッシュ様の声に走り出す。
吹き抜けの足場から上を見上げると、天井に空いた穴から大量の水が流れ込んで来た。
なるほど。失敗のレバーを下げると、水が満たされてやり直しになるんだ。
「すまない」
ブラン様は顔の前で手を合わせる。
「この作業を繰り返しながら、どれが当たりかを探るような仕掛けなんでしょうね」
それからも私たちは、トライアンドエラーで、なんとか地下六階までたどり着いた。
ここまで降りたら、あとは部屋が三つ続いているだけだ。
正面のドアは水門のようになっていて、横には水車があった。
精霊たちに水を出してもらって水車を回すと、水門は開いた。
そして進んだ部屋は⋯⋯ミラーハウスだった。
「なんなんだこれは⋯⋯」
「奇妙な部屋だ」
「気分が悪い」
部屋の中に鏡が張り巡らされていて、自分やみなさんが、何人もいるように見えるという、不思議な状態になっている。
透視を使えばいいかと思ったけど、出口の方向は分かったものの、そこに至るルートは自力で見つけるしかないらしい。
手を前に突き出して、感覚を探りながら進む。
鏡の無い空間に進むのが正解のはず。
地道に進んでは、行き止まりに迷い込んで戻るを繰り返す。
「鏡を破壊しながら進んだ方が手っ取り早い」
なんと、アッシュ様は鏡を砕くことで、このややこしい世界をただの迷路に変えようとしてるらしい。
一緒に冒険をすることで初めて知った。
アッシュ様って意外と大胆?
粉々になった鏡の道を進むと、次の部屋への扉があった。
広さから推測するに、恐らくここがボス部屋だ。
互いの顔を見て頷き合ったあと、扉を開けた。
部屋の中央には2メートルをゆうに超える、大きな岩のようなものが鎮座していた。
あれは何?
じっと観察していると、まぶたが開かれ目玉が二つ現れた。
これはガマガエルの妖怪⋯⋯『大ガマ』だ。
茶色がかった灰色の体に、ぶつぶつのイボが特徴的で、右手には槍を持っている。
「ギャー! 伝説級なのに! 免疫獲得出来てませーん!」
大ガマは、ぴょんぴょん飛び跳ねながら、私たちを槍で突き刺そうとしてくる。
ひとまず、私とブラン様が前、アッシュ様とセルリアン様が後ろの陣形を組む。
ブラン様が盾で槍の攻撃を受け流す。
セルリアン様が、その隙に、水での攻撃を仕掛けるも、効いていないどころか、喜んでいるようにも見える。
アッシュ様は、バフをかけてくれたあと、剣を構えて前に出て来た。
「セルリアンでは相性が悪くて仕留められない。ここは俺たち三人がやるしかない」
アッシュ様は素早く大ガマに斬りかかろうとするも、跳ねて逃げられる。
続いて私も一撃必殺を狙うけど、簡単に避けられてしまう。
「三人で同時に斬りかかろう!」
ブラン様の合図で三方向から狙う。
けれども、真上に飛び跳ねられて、危うく相討ちになるところだった。
動きを止められれば良いんだけど。
捕縛出来るかな。
私はもう一度近づいて捕縛のスキルを使った。
けどすぐに避けられる。
駄目だ、速すぎる。
私とブラン様が攻撃を受け止めている隙に、アッシュ様はもう一度後ろに下がった。
詠唱が聞こえるから魔法を使うみたい。
「目をつぶれ!」
アッシュ様の声に、戦闘中だけど目をつぶる。
すると、フラッシュのような激しい光を感じた。
どうやら聖属性の魔法を使って、目眩ましをしてくれたみたい。
大ガマは目をやられたのか、動きが止まっている。
今だ。
私はもう一度捕縛を使った。
今度は成功だ。縄でぐるぐる巻きにする。
そこにブラン様が斬りかかった。
「ゲロォーー」
大ガマは、最後の悪あがきで、こちらに向かって舌を出した。
これに当たると精気を吸われてしまう。
空中で無理に避けようとしたから、バランスを崩す。
まずい。着地の体勢が取れない。
そこにアッシュ様がフォローに来てくれた。
落下する私を抱きとめようとしてくれている。
けれども、私の身体に勢いがついているせいで、アッシュ様も倒れてしまった。
仰向けに倒れるアッシュ様の上に、私も倒れ込む。
「アッシュ様、ありがとうございます! お怪我はありませんか?」
反応がないアッシュ様を見ると⋯⋯
私の胸が、むちっと顔を塞いでいた。
「すみません! すぐにどきますから!」
「そうか。俺は今日、死ぬのか。これからは騎士として、二人の幸せを守るだけだと誓ったはずなのに、俺はいつからこんな、欲にまみれ、汚れた人間に⋯⋯あぁ、ルーチェ様⋯⋯」
アッシュ様は左手で目元を覆った。
「えー! 今日が命日ってなんですか!? アッシュ様は、汚れてなんかいませんよ? 立派な聖騎士です! 泣かせちゃって、ごめんなさい!」
落ち込むアッシュ様を一生懸命慰める。
しかし、先ほどから背中に、殺気混じりの視線を感じる。
恐る恐る振り返ると⋯⋯ブラン様が、見たことも無いような冷めた目で、アッシュ様を見ていた。
「ブラン様! 背徳者には裁きを!」
アッシュ様は、突然騎士モードに戻って、ブラン様の前にひれ伏した。
「いやいやこの場合、裁きを受けるのは私ですから!」
こうしてアッシュ様に対して、初のラッキースケベを発動してしまったのだった。
ブラン様が大ガマを倒してくれたので、残す部屋はあと一部屋となった。
「雪の街、たわわに実る、ガマガエル。か⋯⋯」
アッシュ様は、さっきのことがよっぽどショックだったのか、俳句のような何かをつぶやきながら、トボトボ歩いている。
「それにしても、カエルが苦手なのは治ってなかったみたいです。セルリアン様は、伝説級になってから、美女の免疫がついたと言っていましたが、私の場合は、つかなかったみたいで⋯⋯」
セルリアン様に話しかけると、不思議そうに首を傾げられた。
「先程の雪女との話なら、伝説級になって免疫を獲得したのではなく、伝説級になる過程で獲得したと僕は言ったはずだ。それはつまりセイラ君、君のお陰ということになる。僕は、君ほど美しい女性を今まで見たことがない。魔王を討伐するにあたり、君と行動を共にし、押し倒され、頬に口づけされるという経験を得た⋯⋯そして、現在に至っては、信頼関係を築くことが出来ている。そのことによって、美しい女性への免疫も獲得したと言うことのようだ」
「⋯⋯⋯⋯はぁ。そうでしたか⋯⋯⋯⋯」
淡々と語るセルリアン様⋯⋯なんだか、ものすごいことを言われたような気がするのは、気のせい?
恋愛初級のこの男性は、そのことにすら気づいていない様子。
「そうか。私はセイラと婚約してからさらに、セイラが美しく見えて、可愛くて可愛くて、狂おしいほどに感じたが、これは婚約者の欲目ではなくて、第三者から見てもそうだと言うことなのか」
ブラン様は妙に納得したような表情をしている。
現在このパーティーには、ツッコミ役が不足しているらしい。
私はもう、どんな表情をしていればいいのか分からなかった。
最後の部屋に入ると、中央には祭壇があった。
祭壇の直ぐ側の球体は透明⋯⋯ブラン様の色だ。
ブラン様が祭壇に近づくと、球体が光り出す。
眩しい輝きが収まると、祭壇の上に剣が刺さっていた。
鑑定スキルで名前を確認する。
「新生の剣という名前です」
「新生の剣⋯⋯新しく生まれ変わるという意味だろうか」
ブラン様は剣を手に取った。
剣身にも金色の装飾が施されている、きらびやかな剣だ。
いったいどうやって使うのか、どんな性能があるのかは、まだ分からない。
ブラン様が祭壇を離れようとすると、もう一度球体が光った。
今度は宝箱が三つも現れた。
ブラン様は戸惑いながら中身を確認する。
一つ目は透明な宝石が埋め込まれた、金色のバングルだ。
「私のものとお揃いみたいです」
「セイラが、精霊や幻獣を飼うのに使うバングルか」
これが贈り物にあると言うことは、これから使い道があるんだろう。
二つ目の宝箱の中身は、人の顔くらいの大きさの卵。
「ケルピーの卵だそうです。それはなんですか?」
「ケルピーと言えば、幻獣の水馬のことだと考えるのが自然だ。馬の上半身に、魚の下半身を持つ。しかし、卵生だったとは知らなかった」
セルリアン様が解説してくれた。
「なるほど、水馬。その子が生まれたら、そのバングルに入ってもらうんでしょうね。ブラン様にも、幻獣のお友だちが出来そうで、良かったですね!」
「あぁ、そうだな」
ブラン様は可愛い想像をしているのか、少し照れたような顔をしていた。
そして最後の宝箱の中身は、透明な液体が入ったビンだった。
卵を抱きかかえているブラン様に代わり、ビンを取り出し、ラベルを確認する。
「説明書きによると、キャップ一杯(一回10ミリリットル)飲用で、24時間水中での呼吸が可能とのことです。これで海に入れるってことですね!」
ナーダ様からの贈り物は大サービスだ。
それに加えて、この日、アッシュ様は特級に昇格した。
これから私たちは、いよいよ海に潜ることになった。