64.人見知りが世界を救うなんてことがあるわけがない
雪下ろしを終えた私たちは、夜になったこともあり、宿泊施設で休むことになった。
突然、王都の北に現れた妖怪と交戦して、休む間もなく雪下ろし⋯⋯
正直もうクタクタだ。
空は厚い雲に覆われていて、月も星も見えないし、雪が降ってても、ロマンチックさの欠片もなく、暗い雰囲気が漂っている。
それにこの寒さ。
この世界でも、前の世界でも、経験したことがないレベルだ。
屋内だけど、毛皮のローブを着た上から、さらに毛布も被る。
それでも震えていると、小さいノックの後、ブラン様が静かに入って来た。
「セイラ、もう寝たか?」
「いえ、疲労が溜まっているはずなのに、寒すぎてなかなか眠れず⋯⋯」
「そんな気がしたんだ。温まるまで一緒にいよう」
ブラン様はそっと布団に入って来て、正面から抱きしめてくれた。
あー温かい。まるで温泉に浸かっているような気分だ。
「ありがとうございます。あったかいです」
「そうか。なら、もうしばらく、こうしていよう」
優しく頭を撫でて貰えると疲れが癒されていく。
「けど、ブラン様もお疲れでしょう?」
お返しにと頭を撫でると、満足そうに微笑んでくれる。
これは可愛くて、癖になりそう⋯⋯
「まぁ、さすがに色々あり過ぎたな。セイラだって驚いただろう? 結婚式という、人生の一大イベントを控えているというのに」
「はい。こういうのって、ある日突然訪れるものなんですね。けどまぁ、今こそ私たちの力を発揮する時と言いますか、こんな時のために、私たちはいると言いますか⋯⋯」
「そう言ってくれると助かる。きっと無事にこの困難を乗り越え、世界を救うことができる。俺が必ず君を守るから、安心してお休み」
ブラン様はおでこにキスしてくれた後、私が眠るまで優しく温めてくれた。
翌朝。
ブラン様とアッシュ様とセルリアン様と共に、神殿とその周囲の海の様子を見に行くことにした。
神殿はリヴィエーラの北西端に位置していた。
本来ならここからも、海がよく見えるらしいんだけど、吹雪のため視界は不良。
海に近づいても、表面が氷に覆われていて、海中の状況は分からない。
海底にあるアズール王国には、人間の頭と上半身と、魚の下半身を持つ、人魚族が住んでいるらしい。
人魚の女性をマーメイドと呼び、男性をマーマンと呼ぶそうだ。
「マーメイドとマーマンって、海面が凍っていても、生活出来るんでしょうか?」
「海水さえ凍っていなければ希望はある。この辺りの海は、暖流と寒流がぶつかり合うところで、マーメイドたちにとって最適な海水温らしい。ちなみに魚のエサとなるプランクトンが豊富だから、食糧も豊富だそうだ。海水温が極端に下がっていなければ無事だろうし、最悪、泳いで避難することも可能なはずだが⋯⋯」
ブラン様の言葉に希望が持てる。
雪が降ったからって、海水まで全部凍るなんてことはまず考えにくい。
ちなみにブラン様は幼い頃、何度かシアン女王と会ったことがあるから、そういった事情にも詳しいんだとか。
シアン女王は、それはそれは美しい乙女の姿だそうだけど、人生の大先輩らしい。
海の観察はここまでにして、次に神殿へと向かった。
神殿の入り口は、確かに口を開けたみたいに開いてるけど、私たちの背丈より大きい氷の塊で塞がれている。
アッシュ様が、剣で氷の塊を刺したり、叩いたりしてみるけど、細かい氷の粒が弾け飛ぶくらいで、砕ける様子はない。
「このまま続けても、刃がやられるだけで厳しいだろう」
「僕の精霊たちでも溶かせそうにない。お手上げ状態だ」
セルリアン様はため息をついた。
アッシュ様の魔法も試したし、先にこの雪をなんとかしないといけないってことなのかな。
私たちは落胆しながら街に戻った。
ここからは一旦それぞれ別行動となり、街の異変の正体を探ることになった。
ブラン様、アッシュ様、セルリアン様は、精霊術師たちへの聞き込みを、私はパステルの背中に乗って、探知スキルを駆使しながら空から異変を探す。
イーリスの時みたいに、雪雲の中に何かがいる様子はない。
きれいに、この湿原の上空だけに、雪雲がとどまっている様子は、バーミリオンが、パステルの額の宝石を持ち出した時のオーロラに、ある意味似ている。
そのまま上空から見回りを続ける。
アッシュ様は、例の黒髪の女性に聞き込みをしているみたい。
というより、女性の方がアッシュ様に声をかけたように見えた。
なんとなく気になり、成り行きを注視する。
女性は林の方を指さしながら、アッシュ様に何かを訴えている。
アッシュ様は女性について行くことにしたらしい。
ブラン様とセルリアン様もそれぞれ聞き込み中。
私はアッシュ様と女性を追うことにした。
あれ? 一瞬で見失っちゃった。
少し前に、一際強く吹雪いたかと思ったら、もう二人の姿は見えなくなった。
確かに林の方に歩いて行ったよね。
空からは見つけられないので、地面に降りることにした。
辺りを見回していると、姿は見えないけど声が聞こえてきた。
「ここに見慣れない生き物がいたんです。私、怖くなっちゃって⋯⋯」
「その生き物の特徴は? 何匹位いたのか解りますか?」
こっちの方からだ。
雪が積もる道を、パステルに乗って走ること1〜2分。
望遠を使うと、開けた場所に二人の姿が見えた。
いつの間にか追い越してしまっていたみたい。
しかし様子が変だ。
アッシュ様は女性に迫られ、高い木を背に追い込まれている。
女性は両手でアッシュ様の頬を包み込むようにしている。
『出先での恋の冒険』
いつかボルド様が言っていた単語が頭に浮かぶ。
なるほど。始まりはこんな風に⋯⋯じゃなくて。
このままここにいては、師匠の気まずいシーンを目撃してしまう。
けど、今は国家の一大事だと言うのに、アッシュ様はそんなことするのかな。
少しずつ近づきながら、事の成り行きを見守っていると、アッシュ様が抵抗しているのが分かった。
「魔物の話が終わったのなら失礼します」
アッシュ様は丁寧に断ろうとしているけど、女性は引き下がらない。
助けに行くか。
パステルに乗って一気に距離を詰める。
女性はアッシュ様へのアプローチを続けるも、アッシュ様が頑なに断ることで、徐々に機嫌が悪くなる。
「この世界の男たちはどうなってるの? 全然私のことを見てくれない⋯⋯」
女性は泣き出してしまったんだろうか?
顔を両手で覆って俯いている。
アッシュ様は困惑気味だ。
「どうして⋯⋯どうして⋯⋯」
女性の声は怒りに震えている。
その時、また一際強い風が吹いた。
さっきまで反応がなかった探知が反応し始める。
「アッシュ様! 危ない!」
アッシュ様は飛び退いて女性から距離を取る。
そこをパステルで駆け抜けて拾い上げた。
吹雪が吹き荒れる中、アッシュ様は魔法の花火を打ち上げる。
ブラン様とセルリアン様に異常を知らせるためだ。
猛烈な吹雪が収まると、女性の姿が変わっていた。
解かれた美しい黒髪は、胸の下くらいまで長くて、風になびいている。
服装は白装束⋯⋯間違いない。雪女だ。
十分に距離を取って対峙する。
「セイラ! アッシュ! 大丈夫か? あれはなんなんだ?」
「あの魔物⋯⋯妖怪が雪を操っていたということか」
ブラン様とセルリアン様は、すぐに駆けつけてくれた。
「あれは雪女です! 美しい女性の姿をしていて、男性を誘惑し、精気を吸い取るだとか、凍死させるとか、食い殺すとか言われています! 一連の異常の犯人と見て、間違いないです!」
さて。どうやって倒すか⋯⋯
作戦を考えていると、雪女は、すすり泣きをした。
「男を誘惑して精気を吸い取る? そうよ。私だって、そうするつもりだったのよ。でもここの男たちはみんなおかしいの。声をかけても、誰も目すら合わせてくれない。やっと私の目を見てくれる男が現れたと思ったら、あっさりと拒絶されたわ」
そうか。この街の人は、みんな人見知りだから、美女に話しかけられても、反応が薄かった。
そして、やっとまともに話を聞いてくれそうなアッシュ様も、鉄壁の守りだったと。
どうやら雪女は、降り立つ場所の選択を間違えたらしい。
これがガランスだったら、ちやほやされたかもしれない。
こちらとしては不幸中の幸いだ。
「それと、あんたがセルリアンなんでしょ? そこらにいた鼻垂れ小僧に聞いたら、一番女に弱いのはあんただって。美女とは目が合うだけで気絶するとか。けどこの男も全くの無反応⋯⋯私の自尊心は、もうズタズタなのよ!」
雪女の涙の訴え⋯⋯
だんだん気の毒に思えてきた。
「幸いなことに、僕は伝説級に昇格する過程で、美しい女性への免疫を獲得した。故に、君程度の女性に心を奪われることはない」
セルリアン様は、追い打ちをかけるように冷静に言い放った。
へぇ。伝説級になると、苦手なことまで克服出来るんだ。
私もカエルとか蜘蛛とかの免疫を、獲得できてるのかな。
セルリアン様の残酷な言葉に、雪女は固まってしまった。
「許さない⋯⋯許さない!」
狂ったように叫ぶと、雪女の顔が変わった。
目と口が吊り上がり、牙と角が生えてくる。
「ギャー! 出たー! 化け物!」
恐ろしい姿に変わった雪女は、髪を振り乱しながら猛烈な吹雪を浴びせて来る。
すかさずパステルが、氷の壁を作って守ってくれた。
その隙にアッシュ様が保護魔法をかけてくれる。
「これで凍傷は無効だが、長くはもたないぞ」
これはすごい。冷え切った身体が一瞬でぽかぽかしてくる。
「直ぐにケリをつけよう。アッシュ、僕に魔力の増強を」
バフをかけてもらったセルリアン様は、無数の精霊たちを呼び寄せた。
精霊たちの力によって、まるでここが海だったかのように、辺り一面が水に覆われる。
高い波が起こり、雪女めがけて流れていく。
圧倒的物量。重たそうな波は、吹雪を飲み込みながら雪女に迫る。
「水で私に勝てると思ってるの!?」
雪女は手をかざして、迫りくる水を凍らせた。
水しぶきが凍ったものが、こちらにも降りかかってくるのを、ブラン様が盾で守ってくれる。
確かにこの雪女は、海一面を凍らせたほどの実力者だ。
けれども、精霊たちが生み出す波が、次々と押し寄せて、雪女が作った氷を飲み込む。
激しい攻防に、氷がどんどん大きくなって、見上げるほどの高い壁のようになっていく。
あまりの激しさに目を奪われている内に、精霊たちが雪女を中心に輪を作って並んでいた。
結界を張ろうとしてるんだ。
徐々にその範囲が狭まり、張られた結界内が水で満たされた。
雪女は、そのことに気付かず力を使ったらしい。
自分が創り出した氷に囚われ、やがて動かなくなった。
雪女の身体が塵になって消えると、静かに雪が止んだ。
目の前の氷山のような氷の塊が、じんわりと溶けていく。
「⋯⋯セルリアン様って、本当にすごい精霊術師なんですね。私、こんなの初めて見ました」
林の中に海を創り、全てを飲み込むような大波を起こす⋯⋯
「アッシュのバフと、僕の精霊たちの力があれば、これくらいは当然のこと。これでようやく神殿に向かえるというわけだ」
セルリアン様はメガネをクイッと押し上げ、歩き出した。