59.盗賊の女に王太子妃がつとまるわけがない
神託により王太子妃に任命された私は、ブラン様が正式に王太子になったことにより、ハッピーエンド状態を迎えていた。
当然、ブラン様の婚約者探しのパーティーも中止になった。
そして今日から私は隣の部屋――ブラン様の妃用の部屋に引っ越すことになった。
王都に帰還してから、ここで三部屋目⋯⋯
しかし、いまだかつて、こんなにも幸せな引っ越しが、存在しただろうか。
踊らないとやっていられないくらい、ウキウキな気分だ。
部屋の真ん中で天井を見上げながら、くるくる回転していると、後ろのドアが開いた。
「セイラ、この部屋の使い心地はどうだ?」
入って来たのはブラン様だった。
「わ! そうでした! そのドアは、ブラン様のお部屋と繋がっていたんでしたね!」
ブラン様は、廊下側のドアではなく、寝室のドアから入って来た。
おかしな挙動を見られたことも恥ずかしいけど、なんだかとっても夫婦っぽい⋯⋯
しかも、こんな風に二人きりになるのは、あの日の晩、庭園で想いをぶつけ合った日以来だ。
なんだか一気に顔が火照って来たような⋯⋯
「どうしたんだ? 顔が赤くなってきたが⋯⋯まさか、熱があるんじゃないだろうな?」
ブラン様はスタスタと近づいて来て、私のおでこに手を当てた。
「違います! その⋯⋯これからずっと、ブラン様のお側にいられると思ったら、嬉しくて、ドキドキしちゃって⋯⋯」
ブラン様の顔を直視出来ずに俯きながら答える。
モジモジしていると、ぎゅっと抱きしめられた。
「セイラ、君はなんて愛おしいんだ。もっとその可愛らしい表情を見せてくれ」
頬に手を添えられ、上を向かされ、至近距離で見つめられる。
ブラン様の金色の瞳が私を見つめている。
どうしよう。こんな経験は初めてだ。
このままだと心臓が爆発する。
そのまま見つめ合っていると、優しくキスされた。
胸に甘さが広がる。
何度も繰り返す内に、胸が締めつけられて、どんどん愛おしさが増していく。
これが両想いのキスなんだ⋯⋯
「もう二人を阻むものは何もない。これからはいつだって側にいる。愛してる」
ブラン様はおでこにキスをしてくれたあと、自分の部屋へと戻っていった。
甘すぎて、どうしたらいいのか分からない。
こんな調子で妃がつとまるのか⋯⋯逆に不安になってきた。
そしてその不安は、セピア様からの妃教育でも、さらに増長されることになる。
「五大公爵家のスカーレット家、ウッドハウス家、ターコイズ家、サンフラワー家、チャコール家に関する情報は、必ず押さえてくださいませ。セイラ様はこの度、ターコイズ家のご令嬢アクア様主催のお茶会に参加されると、お聞きしております。幸いなことに、セイラ様よりも位が高いお方は、両陛下とブラン様、モント様以外に存在しません。今度のお茶会でもセイラ様の位が一番高いのですから、堂々としていてくださいませ。しかし、少しでもボロが出ますと、王室が笑い者にされてしまいますので、くれぐれも油断されませぬよう、念押しさせて頂きます」
「お茶会ですか⋯⋯頑張ります⋯⋯」
王太子妃となると、当然こういった付き合いが必須になってくる。
祝賀会で、貴族の雰囲気は何となく理解したから、正直、居心地の良い世界を期待しない方が良いかもしれない。
とにかく、ブラン様の顔に泥を塗らないように、しっかりしなくては⋯⋯
この日からは、毎日、お茶会のマナーを叩き込んでもらった。
そして迎えたお茶会当日。
会場となるターコイズ家のお屋敷は、王都の北の湖のほとりにあった。
メイドのマロンさんと一緒に、王室のロイヤルブルーの馬車に揺られて、お屋敷にたどり着いた。
本当はパステルで、ひとっ飛びの方が速いんだけど、形式上、仕方ないし、マロンさんを上空に連れ出すわけにもいかない。
到着したお屋敷は、白い壁に水色の屋根が特徴的な、綺麗な建物だった。
湖の水面が太陽の光に照らされて、キラキラ光っているのが見える。
馬車を降りると、ターコイズ家の使用人の方々に出迎えられて、庭に案内された。
「セイラ妃殿下、このような遠いところまでお越し頂き、ありがとうございます」
庭の入り口で出迎えてくれたのは、ターコイズ公爵と夫人、今回のお茶会の主催者であるアクア嬢だ。
ちなみにターコイズ公爵家は、上下水道の整備に大きく貢献した事が評価され、今の地位に上り詰めたそうだ。
「お招き頂きありがとうございます。今日の日を楽しみにしておりました」
セピア様に習った通りにご挨拶する。
使用人に案内され、庭に入ると、長いテーブルには白いテーブルクロスがかけられていて、イスがずらりと並んでいた。
先に到着していた他の参加者のご令嬢たちからも挨拶される。
五大公爵家のご令嬢たちに加えて、侯爵家と伯爵家のご令嬢が十名ほど。
事前にしっかり情報を頭に叩き込んで来たけど、急に話しかけて来られると、処理が追いつかない。
なんとか挨拶を乗り切り、私に用意されていた席に座る。
それは上座だけど⋯⋯いわゆるお誕生日席だった。
ここには、アクア嬢が座るべきでは⋯⋯
「みなさま、本日はお忙しい中、ご参加頂きありがとうございます。この日のために、有名ティーブランドの紅茶や、老舗のお菓子を取り寄せましたの。楽しんで頂けると嬉しいですわ」
アクア嬢が挨拶すると、使用人たちが、紅茶とお菓子を用意してくれた。
そして目の前にあるお菓子は⋯⋯なにこれ。
どうやって食べるんだろう?
セピア様から習ったのは、こういうお茶会で出るお菓子の定番、ケーキ、マカロン、クッキーの食べ方だ。
今回ご対面しているお菓子は、キャラメル位の大きさのもので、オレンジや赤、黄色などカラフルなゼリーが、透明なオブラートに包まれているように見える。
「新鮮な果物を使ったゼリーですわ。どうぞみなさま、召し上がってくださいませ」
アクア嬢は微笑んでいる。
さてどうしよう。
これってそのまま行っちゃって良いんですか〜それとも剥いちゃう感じですか〜?
と軽いノリで聞けたら良いんだけど、どうやら、そういうわけには、いかないらしい。
しかもみなさん、一番位が高いらしい私が、口をつけるのをじっと待っているから、盗み見ることも出来ない。
元の世界ならば、これは剥かなくて良いはずだ。
でも、もしこれがフィルムだったら、ヤバい人だよね。
だったら剥いちゃおうか?
ちょっとわたくし、こういうのは剥いちゃうタイプなんですの。オホホとかって言って。
駄目だ。決まらない。
どうかお救いください。ルーチェ様、ブラン様、セピア様⋯⋯
心の中で祈っていると、湖の方からポチャンと水音がして、赤子位の大きさの精霊が現れた。
精霊が空中をスキップすると、足をついた場所に水溜りでもあるかのように、波紋が広がっていく。
その精霊は、私の膝の上に座って、しばらく寛いだあと、お菓子をつまみ、口の中に入れてくれた。
「まぁ! なんと微笑ましい!」
ご令嬢たちが小さく歓声をあげる。
なるほど。このまま食べて良いんだね。
きっとこの子はセルリアン様の精霊で、ブレスレットをつけている私を、助けに来てくれたんだ。
ほっと一安心したところで、みなさんも同じようにお菓子を食べ始めた。
「ちっ! 卑しい生まれのくせに」
アクア嬢のつぶやきが聞こえた気がした。
その後、お茶会は一見和やかな雰囲気で進行していった。
五大公爵家はガチガチに固まっていて、話が盛り上がっている。
私は近くに座っていた侯爵家のご令嬢と話をしていた。
美味しい紅茶をたくさん頂いた私は、お手洗いに立った。
手を洗い、身なりを整えていると、話し声が聞こえてくる。
「⋯⋯⋯⋯英雄扱いされていますけど、実際は、五人の殿方の後ろに、隠れていただけに決まってますわ」
「きっと殿方のお世話係だったのでしょう。昔、王都でも、髪色がピンクの娼婦が、幅を利かせていたとか」
「最近、貴族の家に出没するという泥棒とも、何か関係があるかもしれませんわね」
「どうしてあんな女が王太子妃に。陛下もブラン殿下も見る目がなさ過ぎます⋯⋯」
「まだ正式に婚約したわけではありませんし? いびり倒せば泣いて逃げ出すんじゃありません?」
どうやら五大公爵家のご令嬢たちが、噂話をしているらしい。
「セイラ様? どうされましたか?」
マロンさんは私の顔を心配そうに見ている。
「ちょっと噂話が聞こえてきたので、行ってきます!」
私は会場に戻って、ご令嬢たちの方へ歩いて行った。
「セイラ妃殿下、楽しんでいただけてますでしょうか?」
アクア嬢は微笑む。
残りの四人の公爵令嬢たちも、何事もなかったかのように微笑んでいる。
「あの⋯⋯すみません。みなさんのお家とは今後も良好なお付き合いを続けていきたいので、正直にお伝えするんですけど⋯⋯全部聞こえちゃってるんですよね。私、伝説級の盗賊なもので、耳が良いんです。それで、私の事はどうだって良いんですけど、他の英雄のみなさんや、王室を貶す発言は止めて欲しいです」
淡々と伝えるとご令嬢たちの表情が曇る。
「何のことでしょう? ねぇ、みなさま?」
口ではそう言うものの、内心焦っている様子。
私はそれ以上の事は言わずに、自分の席に戻った。