58.私たち二人に乗り越えられない試練などあるわけがない
夜。使用人たちの噂話と、お世継ぎを設けることへのプレッシャーから逃げ出したかった私は、庭園のガゼボのベンチでうたた寝をしていた。
そこに現れたのはブラン様⋯⋯
これは夢なのかな。
ブラン様の金色の髪が、月明かりに照らされながら、風に揺れている。
なんて美しいんだろう。
ブラン様は、寝転がったまま言葉を失っている私の目の前にひざまずいた。
「セイラ、まだ暖かい季節とは言え、こんな所で寝ていては身体に障るだろう?」
ブラン様は心配そうに言った。
ただうたた寝をしている人を注意するだけにしては、悲しそうな目で見つめながら⋯⋯
その視線に耐えられなくなり、ゆっくりと身体を起こし、目を逸らす。
「大丈夫ですよ。今までその辺で野宿してたくらい頑丈ですから。その時はもっと気温も低くて薄着でしたし」
言い訳をしてみるも、ブラン様はそのまま私を見つめている。
「そういうのやめてくださいよ。お腹に赤ちゃんがいるかもしれないからって? もうこの身体は私のものじゃなくって、お世継ぎを産むための大事な大事な身体ですもんね」
ブラン様は辛そうな表情をするだけで、返事をしてくれない。
「ねぇブラン様、あんな状態のモント殿下の子どもをどうやって授かれって言うんですか? モント殿下にも想い人がいるのをご存知ですか? 私たちって人間ですよね? 機械じゃないんですよ。それなのに王宮中の人たちがあれこれ噂してますよ。ブラン様から言ってもらえませんかね。『セイラ・アラバストロ』は耳が異常に良いから、噂話をするなら控え室でしないと機嫌を損ねて、コウノトリも来ませんよって」
これじゃまるで八つ当たりだ。
こんなことしても仕方ないのに。
ブラン様は表情を歪ませながら私を見ている。
「ブラン様、ごめんなさい。言い過ぎました。そんな顔しないでください。とにかく、私はあなたにそういうことを言われるのが一番辛いんですよ。ブラン様にだけは⋯⋯」
堪えきれずに涙が溢れて出てくる。
そう言えば神託を聞いたあの日から、一度も泣いてなかった気がする。
辛い。胸が押し潰されるみたい。
こんな運命を受け入れないといけないなんて、悔しい。
この場を立ち去ろうと立ち上がると、後ろから抱きしめられた。
「離してください。そういう中途半端な慰めが一番辛いです。ご自身でもおっしゃってましたよね」
「セイラ、すまない。忘れてくれと君には言いながら、俺はなんて矛盾だらけなんだ」
耳元で苦しそうな声が聞こえる。
今この瞬間は、私たちは同じ気持ちだと、そう思っていいのかな。
でもその事になんの意味があるの?
「セイラ⋯⋯好きだ。愛してる。本当は今すぐ君を連れて逃げ出したい。例え神のお告げだったとしても、相手が兄上だったとしても、こんなことは受け入れられない。絶対に嫌なんだ⋯⋯」
「ブラン様⋯⋯」
後ろを振り返ると、そのまま頬に手を添えられてキスされた。
その瞬間、胸が締めつけられて、痺れるような甘さが広がった。
こんな感覚は初めて知った。
これが好きな人とするキス?
もっとこの人の温もりが欲しい。
首の後ろに腕を回して、逃さないように捕まえて、自分からもキスした。
全ての想いをぶつけるように激しく求める。
もう後の事なんてどうでもいいや。
天罰が下っても、牢屋に放り込まれてもいい。
今、この瞬間、愛しいこの人と離れたくない。
唇が離れると、愛おしそうに見つめられた。
本当はこの人の優しい眼差しを、声を、笑顔を全部自分だけのものにしたい。
「ブラン様、私はもう、どうなったっていいです。ブラン様と一緒にいられるのなら、どんな罰でも受けます。私が愛してるのは、一緒にいたいのは、あなただけなんです」
「俺もセイラを愛してる。君さえ側にいてくれるなら、俺は何を失ったって構わない」
私を見つめる彼の金色の瞳が揺れている。
愛する人に、こんなにも強く想われているなんて、どれだけ幸せな事なんだろう。
このまま時間が止まればいいのに。
再び抱き合い、唇が重なると、不思議なことが起こった。
ずっとチカチカと点滅していた指輪が、激しく光り出す。
「⋯⋯⋯⋯え? なんですかこれ」
「⋯⋯⋯⋯いったい何が起こっているんだ?」
先ほどまで燃え上がるように禁断の愛を語り合っていた二人が、冷静になりキョトンとしていると、光は徐々に大きな球体になって、指輪から離れ、ゆっくりと建物の方に向かっていった。
あの部屋は⋯⋯モント殿下のお部屋?
「なんだかわかりませんが、行っちゃいました! 追いかけましょう!」
戸惑うブラン様の手を引いて、全速力で走った。
「モント殿下! 失礼します! 窓からすごい光が入って来ませんでしたか?」
ノックをして部屋に飛び込む。
大きな光の球は、眠っているモント殿下の胸の辺りにフワフワと浮いていた。
それから、ゆっくりとその身体に入っていく。
「なんなんだこれは⋯⋯」
ブラン様が言葉を失っていると、モント殿下はゆっくりと身体を起こした。
「ブラン⋯⋯セイラさん⋯⋯」
モント殿下が言葉を発した。
その瞳には光が宿っていて、間違いなく視線も合っている。
少し困ったような顔で微笑む姿は、ブラン様とそっくりだ。
「兄上!」
「ええ! モント殿下! 気がつきましたか!?」
二人してベッドに駆け寄り、すぐ側にしゃがむ。
「ブラン、このような頼りない兄ですまなかった。幼い頃から私の分の役目や期待を一身に背負う中、魔王討伐という大儀をよく成し遂げてくれた」
モント殿下はブラン様の頭を撫でた。
「セイラさん、いつも甲斐甲斐しく世話をしてくれて、旅の話を聞かせてくれてありがとう。君の優しい人柄は私にも伝わって来た。それに先ほどの光⋯⋯ブランとセイラさんが互いを想い合う、あたたかな愛情が、私を癒してくれたんだ」
モント殿下は優しく微笑みかけてくれた。
殿下には、ちゃんと私の言葉が伝わってたんだ。
「ブラン、セイラさん。今から君たちに伝えなければいけない事がある。私は自分の罪を償い、あるべき形へと戻さなければならない」
モント殿下はそう言うと、頭元の引き出しから手帳を取り出した。
「私はこの国の王位継承者ではないんだ」
モント殿下は手帳を開いて見せてくれた。
いつも私がパーティーメンバーのみなさんと見せ合っていたあの手帳。
そこに書いてあった役職は⋯⋯
「無属性の神官」
王じゃない。どうして?
「兄上、これは、いったい⋯⋯」
「見たままだよ。私は神官なんだ。王じゃない。この事実を隠していたこと、それが私の罪だ。ずっと私は、これがエラーか何かだと思っていた。ただでさえ病弱な私が、こんな異常な人間だと知られたら居場所がなくなると思い、隠し通してきたんだ。しかし、ブランとセイラさんが魔王を⋯⋯ナーダ様を浄化したあの日、ナーダ様が私のもとに会いに来てくださった。そこで知ったんだ。昔からこの一族には無属性の神官が存在していたこと、その全員が病弱で、人生のほとんどをベッドの上で過ごし、生涯を終えていたこと、それはいわばナーダ様が生み出した呪いだと言うことを」
ナーダ様は、王族の中でも神に一番近い者に語りかけ続けていたと言っていた。
それがモント殿下や若くして亡くなった王弟たち⋯⋯
「物心ついた時から何をしていても、ずっと小さな女の子の苦しそうな悲鳴が聞こえて来るんだ。言葉にならない叫びだ。ナーダ様の存在は知られていなかったから、それでみんな心が壊れていったようだ」
幼いナーダ様は、自分の想いを上手く言葉にして人間に伝えることが出来なかった。
そのせいで、この一族とすれ違い続けてしまったのかもしれない。
「だからブラン、この国の王位継承者は君なんだ。そしてその隣にいるのはセイラさん、君なんだ」
モント殿下は私たちの頭を撫でながら言った。
モント殿下の意識が回復したことは、すぐに両陛下へ伝えられ、私たちにしてくれた話を両陛下にもされたそうだ。
その後、王太子の座は正式にブラン様に譲渡されることになった。
その際、モント殿下の手によって、王太子の証であるブローチが、ブラン様の左胸に付けられた。
ブローチは金色の王冠に、透明な宝石があしらわれた、二連チェーンのデザインの物だ。
モント殿下は、しばらくの間リハビリを受けた後に、初の『無属性の大神官』としてイーリスへと旅立たれた。