53.新しい恋でもしない限りこの傷が癒えるわけがない※
ジェード様が森に帰っていった日の夜。
ベッドに横になって考え事をしていた。
あんなに辛そうなジェード様は初めて見た。
さすがにグランアルブから離れて暮らす期間が、長すぎたのかもしれない。
まだ旅の疲れも癒えないままだっただろうから。
回復したとしても、私といることでまた同じことを繰り返すなら、ジェード様の身体が心配だ。
エルフと人間が一緒になるのって難しいんだな。
やっぱりエルフは森で暮らさないといけない。
砂川さんもそう言ってた。
寂しいな。もうすでに依存気味だったのかも。
ついこの前までジェード様はここにいた。
ブラン様に失恋して心に空いた穴を、ジェード様は埋めようとしてくれたけど、なんだかますます穴が広がったような気がする。
あの様子だと、しばらくジェード様とは会えないんだろうな。
この寂しさに耐えられるほど強くない自分が、こんな中途半端な気持ちのままで、茨の道を突き進めるのか⋯⋯
ぐちゃぐちゃの頭の中を整理しようと必死な時、ノワール様が訪ねて来た。
「ノワール様。お疲れ様でした」
「うん。お疲れ」
彼は返事をすると、いつかの時みたいに、流れるようにベッドに腰かけた。
「あの⋯⋯どうされましたか?」
「ようやく俺の出番かなと思って。祝賀会の夜以来、ずっとジェードに先を越されてたから。けど昨日今日の様子だと、まだ俺にもチャンスがある気がした」
熱のこもった真剣な眼差しを向けられ、一瞬息が止まりそうになる。
「セイラちゃんは、ジェードが帰って寂しい?」
「そりゃ寂しいですよ。もうすぐボルド様とセルリアン様も帰っちゃうんでしょうか。ノワール様は残られるんですよね?」
「うん。俺は王室専属の神官になることにした。そんな経験は二度と出来ないって、父上にも後押しされたから」
「そうですか」
しばし沈黙が流れた後に、ノワール様はこちらに手を伸ばした。
慰めるような優しい手つきで頭を撫でられる。
「ジェードは、セイラちゃんの心の傷を癒せたのかな」
「そうですね⋯⋯支えになってもらえたのは間違いないですけど、真剣に向き合おうと、すればするほど悩みも増えるし、こうして居なくなられると、今まで以上に寂しくなったと思います。けど今の私にはエネルギーがなくて。そもそも、失恋の傷を男性に癒してもらおうという、他力本願な考え自体がよくない気がします」
失恋から立ち直るためには、新しい恋を始めるのがいいって、何度も聞いたことがあるけど、今の私みたいな受け身な姿勢って、正直何様なんだろうって思ったりもする。
昨日の写真撮影の時も、ジェード様じゃなくて、ブラン様のことを意識しちゃったし⋯⋯
「セイラちゃんって真面目だし、甘え下手だよね。辛いときくらい、難しく考えずに頼ればいいのに。それは子どもの頃から? 癖がついてるのかな」
「そうなんですかね⋯⋯」
確かに私は子どもの頃から、お母さんにも頼れなかったし、そういう癖がついてるのかもしれない。
相手の負担度とか、労力に見合ったものを自分が返せるかとか、そんなことを考えずに甘えた経験はないかもしれない。
「二人がどんな会話をしたのかは知らないけど、一緒に来いって言われたとか? 自分はまだそこまでの覚悟がないのに、優しくされた⋯⋯だから悩んじゃった? それなら納得」
なんでだろう。
この人には全てがお見通しなのかな。
ノワール様はいつも静かにみんなの会話を聞いて、反応を観察してることが多いし、戦闘中もみんなの動きを見て、仲間が何を求めているか察して補助をするから?
「そんなセイラちゃんは、俺と向き合うのにもエネルギーを使っちゃう? 甘えられない?」
そっと肩を抱き寄せられる。
「俺は何もいらない。今すぐ好きになって欲しいとも言わない。けど、辛い時に頼れる存在でありたい。側で君を癒やすのは俺がいい」
「ノワール様⋯⋯」
「セイラちゃん、好きだよ。俺なら寂しい思いはさせない。君が行きたい場所にも、どこにだってついていける。セイラちゃんが望むなら、ずっと一緒にいられる」
じっと見つめられたあと、静かにベッドに押し倒された。
見返りは要らないって本当かな。
ずっと一緒にいてくれるって本当かな。
ノワール様といればこの傷は癒える?
「毎晩、ジェードとここで何してたの? もうキス位はした?」
耳元で低い声が響く。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯そう。したんだ」
黙っているとまた心を読まれたみたい。
射抜くような黒い瞳を見つめ返していると、吸い込まれそうになる。
彼はその隙を見逃さなかったのか。
頭を抱えるようにしてキスされた。
溢れ出る色気に飲み込まれて、鼓動が速くなって息も上がって苦しい。
キスをしたら楽になれるって本能は言うけど、実際はもっと苦しくなる。
沼みたいに、はまっていく。
「例の魔法は使ってないんですよね」
「セイラちゃんがそれで素直になれるなら使おうか? 楽になれると思うけど」
キスが止まない。考える間も与えられない。
あまりの心地良さに、身体から力が抜けて、このままだと流されてしまいそう。
でも、それの何がいけないんだっけ?
ノワール様のことは、何度もドキドキさせられるくらい好きなんだし、恐らく相性もいい。
こんなにも情熱的に愛してくれるなら、何も問題ない気がする。
それなのに私は、無意識にノワール様の胸を押し返していた。
「怖い? 嫌?」
「怖くないですし、正直嫌じゃないです。けど私はついこの間まで、ここでジェード様とキスしてて、このまま好きになれるのかなとか思ってて。それで今からこのまま流されたら、今度はノワール様を好きになりそうな気もして⋯⋯こんな根無し草みたいな自分が怖くて、嫌いになりそうです。私みたいな不誠実な女は、止めといた方が良いですよ。こんなにフラフラして、すぐに浮気するかもしれません」
ブラン様のことがまだ忘れられないくせに、優しくされたらあっちにフラフラ、こっちにフラフラ⋯⋯
落ち着いて考えないと、もう訳がわからなくなりそう。
「セイラちゃんはそんなことする子じゃないよ。けどぐいぐい行き過ぎたかな。ブランが抜けた今、誰に遠慮する必要があるの?って思ってた。セイラちゃんが嫌じゃなければ、ガンガン押すつもりだった。今日のジェードは弱っててかわいそうだったけど、留守にするなら俺も黙ってないって宣言しといたし」
ノワール様は身体を起こした後、私の手を引っ張って起こしてくれた。
「じゃあさ。普通にデートしよ。今まで王都を楽しむヒマもなかったでしょ?」
こうして雰囲気は一転し、次の休日は王都観光をすることになった。