42.あなた以外に弱みを見せられるわけがない
マリンちゃんに、頭からハーブティーをかけられた私は、急いで彼女の部屋を出た。
幸いハーブティーは、そこまで熱くはなかったので、怪我はせずに済んだ。
部屋の外にいたスマルトくんは、私の姿を見て言葉を失っていた。
私はスマルトくんに、マリンちゃんが私の協力を望んでいないこと、もう薬草取りは手伝えないことを伝えた。
スマルトくんは、マリンちゃんからも、一度その話をされたことがあったけど、それじゃ花が手に入らないと言って突っぱねてしまい、マリンちゃんを怒らせたことがあると話してくれた。
きっとマリンちゃんは、夜明けの花を届けてもらうことが一番大事なんじゃなくて、スマルトくんに側にいて欲しいんだろうな。
最後に、このことは大事にしたくないこと、薬草取りの際は、魔物に気をつけることを伝えてから帰った。
そして、宿泊施設の浴場で大急ぎで身体を洗い、証拠を隠滅してから、午後の合同訓練に挑んだんだけど⋯⋯
「セイラ、どうして何も言ってくれなかったんだ? そのような酷い目に遭ったというのに、黙って無かったことにする気だったのか?」
ブラン様は私の両肩に手を置いて、諭すように言った。
どうやら街の誰かが話してしまったらしい。
まぁ全身お茶まみれで、地面にもボタボタ滴らせながら歩いてたら目立つか。
「だって、私が悪いんですもん」
「仮にそうだったとしてもだ」
ブラン様は心配してくれてるんだろうけど、こんな悲しい出来事を、どうやって自分から話せると言うのか。
ジェード様、ノワール様、ボルド様も、心配そうにこちらを見ている。
居心地が悪くて口をつぐんでいると、セルリアン様が部屋に入ってきた。
「スマルトと、マリンの母親から話を聞いた。セイラ君、すまなかった」
セルリアン様は私に向かって頭を下げた。
「どうしてセルリアン様が謝るんですか? 私が勝手にやったことです。訓練のついでだったとは言え、踏み込みすぎたんです」
むしろ、その時間をもっと別のことに使うべきだと、怒られてもおかしくないのに
「声を失ったあの子と、それを支えるスマルト⋯⋯二人の問題は、僕たち周囲の大人も認識していた。にも関わらず、今日まで何も出来ずにいた。もっと早い段階で、誰かが支えてやるべきだった」
セルリアン様は深刻そうに言ったあと、ブラン様たち四人に、事の経緯を話してくれた。
「なんだお前。毎日朝早くから訓練しながら、人助けまでしてたのか? しかし、いくら病気で不安定とは言え、そのクソガキの行動はまずいだろ」
「セイラちゃんは、怪我は無かったって言うけど、少し肌が赤くなってる。軽い火傷だよ」
ノワール様は回復魔法を使ってくれる。
「これは暴行罪に該当する。通常なら罰金刑もしくは未成年用の更生施設に入って貰うことになるだろう。彼女が病を抱えているという事情は汲まれるだろうが、セイラが神託に選ばれた、国の重要人物だということが加味されれば⋯⋯」
「ちょっと待ってください! こんなの、私の中では火傷の内に入りませんって。熱々の温泉に入った直後って、一時的に身体が赤くなるじゃないですか? あれと似たようなものですよ。それか、さっきお風呂に入った時に、匂いが取れないからって、こすっちゃったか。とにかく、私はこれ以上話を大きくしたくないんです。全然気にしてませんから」
「そうは言ってもだな⋯⋯」
ブラン様は納得いってなさそうだった。
「そんなことよりも、訓練をしましょう! 今日はバーミリオンが敵役をしてくれるんですよね? これはこれは、強そうなドラゴンがいますよ!」
建物の外で待機しているバーミリオンは、私が窓から手を伸ばすと、嬉しそうに頭を擦りつけてきた。
その日の夕方。
ブラン様が私の部屋を訪ねて来た。
「セイラ、少し外で話せないか?」
⋯⋯⋯⋯なんの話だろう?
深刻な雰囲気に、少し身構えてしまうけど、無言で頷き部屋を出た。
俯きながらブラン様の後ろをついて歩く。
さっきのこと、叱られちゃうのかな。
ブラン様が私を連れて来たのは、街で一番高い橋の上だった。
この橋は学校や図書館など、この時間は閉鎖されている施設に繋がっているからか、誰も歩いている人はいない。
柵にもたれながら下を見下ろす。
本当に静かな街だな。
街全体が同じ素材の石で出来ているからか、この街自体が、彫刻か何かの作品みたいに見える。
「セイラ、俯いていないで、あれを見てくれ」
ブラン様は地平線を指さした。
「⋯⋯わぁ⋯⋯きれい⋯⋯」
橋から見えたのは、カラフルな夕焼け空だった。
地平線付近はオレンジ、その少し上は水色、真上は濃い青とピンクが混ざり合って見える。
「この街から見える空は、神のキャンバスと呼ばれているんだ」
「素敵な表現ですね。本当に、誰かが絵の具で描いたみたいです」
色んな色が溶け合っているような、幻想的な空だ。
「この景色を君と⋯⋯セイラと見たかった」
ブラン様は地平線を見つめながら言った。
彼の髪や瞳が夕陽に照らされ、輝いて見える。
きれいだな。いつまでもずっと眺めていたい。
この空も、この横顔も⋯⋯
けれども、この素敵な景色が見られる時間は、わずか数分らしい。
すぐに夕陽が沈んで、空が暗くなってきた。
完全に日が沈むと、ブラン様は口を開いた。
「先ほどは、きつい物言いをして、すまなかった」
ブラン様は私に向かって頭を下げる。
「ちょっと待ってくださいよ! 全然きついなんて思ってませんでしたから! 反省するのは私なんです」
私がお節介を焼いて、スマルトくんと行動を共にしてしまったせいで、マリンちゃんを傷つけてしまった。
それに、心配してくれた、ブラン様たちのことだって⋯⋯
「セイラは全然気にしていないと言ったが、そんなはずないだろう。優しい君だから、そう言っただけで。親身になろうとしていた相手に、敵意を向けられれば、誰だって傷つくはずだ」
ブラン様は頭を撫でてくれた。
どうしよう⋯⋯せっかく我慢してたのに、泣きそう。
「正直、私、何やってんだろうって思います。あんな子どもに⋯⋯しかも、闘病中の子に、嫌な思いをさせちゃって。でも本当に心配だっただけなんです。けどそういうの、あの子にとっては迷惑でしかなかったんです。私の自己満足だったんです。そりゃショックですよ。傷つきましたよ。でもこんなのは昔からですから。よく分からない内に嫌な思いをさせて、させられて。気付いたら一人になってて、寂しくて⋯⋯⋯⋯」
いつの間にか本音を話していた。
ブラン様は相槌をうちながら、静かに話を聞いてくれている。
いよいよ涙が零れそうという時、強く抱きしめられた。
あぁ。温かいな。
私は子供の頃から、ずっとずーっと誰かに⋯⋯⋯⋯この人に、こうしてもらいたかったみたい。
甘えることを許してもらえた安心感で、ますます感情が高ぶって、涙が溢れてくる。
「やっと話してくれた。君はいつも我慢し過ぎなんだ。前にも伝えただろう? 君を守りたいんだって。だから、どうか俺にだけは、辛いことも苦しいことも、全て打ち明けてくれ。俺はいつだって君の味方だ。もちろん、彼らも」
ブラン様はさらに力強く抱きしめてくれた。
その言葉は、温かく溶けるように心の傷を癒してくれた。
それは、ついさっきついた傷だけじゃなくて、古傷でさえも⋯⋯
こんな私のことも、ありのまま受け止めて、守ってくれるその温もりに、しばらく身を委ねた。
気持ちが落ち着いて来た頃、ブラン様は抱きしめる腕を緩めて、涙を指で拭ってくれた。
愛おしそうに微笑みながら⋯⋯
「ありがとうございました。では、今度はブラン様の番です。ブラン様も最近、何か抱えてらっしゃいますよね? 立ち場上、言えないこともあるかもしれませんが、私だってあなたを支えたいです」
最近のブラン様は、一日最低2回は騎士団支部に顔を出しているみたいだ。
そんなこと、今までは、なかったのに。
「そうか。セイラにはお見通しだったのか」
ブラン様は柵にもたれ、夜空を見上げた。
「兄上の体調が、生まれつき優れないことは、国民も知るところだが、最近はさらに調子が悪いらしい。これまでも、数日間眠りっぱなしのことも少なくなかったが、とうとう目覚めなくなったそうだ⋯⋯続報を知りたくて、ついつい騎士団の元に赴いてしまう。何かあれば伝えると言ってくれているんだが⋯⋯」
ブラン様のお兄様⋯⋯モント王太子殿下が⋯⋯
「アラバストロ家は、代々病弱な家系なんだ。叔父上もそうだった」
セピア様の歴史の授業でも習った。
国王陛下の弟さんや、先王の弟さんも、早くに亡くなったって⋯⋯
「それはどういった病気なんでしょうか? その⋯⋯ブラン様は大丈夫なんですか?」
遺伝性の病気か何かなんだとしたら、彼もいつか同じ病気を発症する可能性だってあるはず。
「不安にさせたな。私は今のところ問題ないようだ」
ブラン様は前半の質問には答えてくれなかった。
「そうですか。立ち入ったことをお聞きして、申し訳ありませんでした。でも、これからも詳しい事情や内容は言えなかったとしても、あなたの感情にだけは寄り添いたいです」
私はあくまでも、一国民だ。
この人の全てを知りたいなんて、おこがましいことは思わない。
けど、今、何を感じているのかは知りたい。
私がそれを少しでも癒せるなら力になりたい。
「セイラ、ありがとう⋯⋯正直言うと不安だ。恐ろしい気持ちがする。早く兄上に会いたい」
ブラン様は再び私を抱きしめて、本音を話してくれた。
表向きの顔と本来の顔を使い分けないといけないこの人の心に、この日は少しだけ触れられた気がした。