40.中級盗賊が超越級精霊術師に勝てるわけがない
この日の午後、初めての六人での合同訓練があった。
まずはここで、セルリアン様と手帳を見せ合うことになったんだけど⋯⋯
セルリアン様は水属性の精霊術師、等級は超越級。
スキルは⋯⋯何も書いていない。
代わりにセルリアン様と仲良しの、いわゆる『契約関係』にある精霊の名前がずらりと書いてある。
なるほど。
つまり、何が出来るのかは、この手帳を見ても分からないと。
剣のマークのページには、討伐した魔物の数や結界の維持日数や強度のランク、そして神殿の攻略について記載されていた。
ハートマークのページは⋯⋯これはすごい。
目が合った、名前を呼ばれたなんて言う、恋愛要素のないエピソードなのは仕方ないとして、そのどれもが恐怖だとか戦慄だとか言う、不穏なワードが付いてくる。
ちなみに昨日の私のことは⋯⋯『忍び寄る魔の手〜笑顔で犯行、盗むぞハート〜』
「はぁ〜」
重症すぎて思わずため息が出る。
果たしてこんな人との連携なんて、上手くいくのか⋯⋯
「いつも手帳交換で、ギャーギャー騒いでるセイラが、ため息ついてんぞ」
「やはり超越級の手帳というのは、一味違うのだろうか⋯⋯」
ジェード様とブラン様がコソコソと話している。
そしてなぜか、私の手帳を熟読するセルリアン様の手が震え出した。
まさか、ハートマークのページを見られた?
クリップは外されてなさそうだけど⋯⋯
人のページを見ておいて、自分の心配をするとは、我ながら良くないことだと思うけど、そうも言ってられない。
「セイラちゃん、大丈夫だよ。セルリアンがあのページを見ないかどうか、ちゃんと見守っておいた」
「あんなの見たら、次は失神じゃ済まないよね〜」
ノワール様とボルド様は、セルリアン様の身を案じている様子。
⋯⋯⋯⋯ではなぜ彼は震えているのか。
「あり得ない。こんなことはあり得ない」
「え? なんですか?」
「魔王討伐の日が目前に迫っていると言うのに、君はまだ中級⋯⋯今まで何をしていたら、こんなことになるのか。男をたぶらかすことにかまけて、鍛錬を怠ったということなのか⋯⋯」
セルリアン様は白目を剥いてしまった。
「私たちとは違って、セイラはこの世界に来てからまだ日が浅いんだぞ? 初級から、この速さで中級になったことを、褒めるべきだろう」
「そうだぞ。表記は中級でも、こいつは行く先々で役に立ってんだ。よくやってる」
「セイラちゃんは鍛錬だって頑張ってた。俺が保証する」
「セイラちゃんが居なかったら、バーミリオンは、もっと大変な事になってただろうから、こんなに早く到着出来てなかったはずだよ〜?」
みなさんが口々に庇ってくれる。
そんな風に思って貰えていたなんて。
「⋯⋯分かった。ならば僕がやるしかない」
セルリアン様は俯いたまま、何かを決心したように言った。
「皆がそこまで言うなら、信用するとしよう。しかし、僕は信用したわけではない。盗賊の女。今から僕と対人戦闘訓練だ。君の実力を試すと同時に、上級に上がれるよう、訓練をする。等級差が大きければ大きいほど、昇格への近道となるはずだ」
こうして、あれよあれよと言う間に、セルリアン様との訓練が始まった。
場所は街から遠く離れた湿原。
足元の地面にはいくつも水溜りがあり、芝生のような短い草が生えている。
風を遮るものは何も無いけど、一切、風を感じられない。
一定の距離を取って、セルリアン様と向かい合う。
ブラン様、ジェード様、ノワール様、ボルド様は、離れた所で見守ってくれている。
「どんな手を使っても構わない。僕のことを魔王だと思って、討つ気でかかって来ることだ」
セルリアン様は仁王立ちしている。
さて、どういう作戦で行くか⋯⋯
セルリアン様は、これは私を上級に昇格させるための訓練だと言った。
つまり、瞬殺を繰り返すのでは無意味だから、ネチネチといたぶるつもりのはず。
本気を出さず、私を見下している今の状況を、有効活用しない手はない。
セルリアン様は後衛職だから、近接攻撃は、ある程度有効なはず。
特に捕縛と状態異常付与は、積極的に使って行きたいところ。
けど精霊たちにどんな事が出来るのか、ほとんど分からない。
水属性と聖属性はお互いに有利不利が無いから、単純な火力勝負⋯⋯
「お願いします!」
どうしよう。
結局思いついた作戦は、なんとか近づいて捕縛し、短剣で攻撃だ。
まずは少しずつ近づいてみる。
セルリアン様は何もせずに、仁王立ちしたままだ。
そのまま距離を詰めていくと、セルリアン様は数珠を取り出そうと懐を探り出した。
今だ! たぶんこの距離が私が接近するまでに、セルリアン様が精霊を呼んで間に合うと思ってる距離だ。
全速力で近づいて、短剣を逆手に構えた。
そのまま首を狙うと見せかけて、捕縛のスキルを使う。
けれども精霊が作り出す結界で防がれてしまった。
今回セルリアン様が呼んだ精霊は、球体タイプの一体だけみたいだ。
「中級の盗賊というのは、そんなものなのか。弱すぎる。僕はそんな君に、友人たちの命やこの国の命運を任せることは出来ない」
セルリアン様は冷たい声で言った。
正論すぎてぐうの音も出ない⋯⋯もう一回。
今度も同じように徐々に距離を詰める。
結界は張られたままだ。
結界に向かって両手に持った短剣で、何度も斬りかかる。
やっぱ割れないか。
「君はまさか、結界が何なのか、理解していないと言うのか?」
セルリアン様は呆れたように言う。
ここで私は、とあるスキルを試すことにした。
略奪を起動して、セルリアン様に手をかざす。
やっぱり。これなら結界の中にいるセルリアン様にも触れられる。
そのまま数珠を探る。
触れた。奪える。
そう思ったけど、セルリアン様は結界を解いて、攻撃に全振りしてきた。
セルリアン様の周囲から、大量の水が波のように溢れ出してくる。
結局この攻撃を避けるために、また距離を取ることになった。
けど今のは収穫だ。
攻撃をする時は、結界を解かないといけないらしい。
あと気になるのは地面の水溜りだ。
水属性の精霊にとって、この環境は快適なはず。
水溜りを消すことが出来たら、火力も抑えられたりして?
「それが君の本気なのか? 今の僕は魔王だぞ? 出し惜しみをして、敗れるのか?」
出し惜しみ⋯⋯そうか。
セルリアン様には精霊がいるように、私にだって仲間がいる。
バングルに向かって話しかけ、作戦を伝える。
「パステル! お願い!」
呼びかけるとパステルは、大きく膨らんだ状態で姿を現した。
まずは足元の水溜りを順番に凍らせてくれる。
「なるほど。幻獣カーバンクルか。ようやく勝負になりそうだ」
セルリアン様は感心したように頷いた。
周囲の水溜りを凍らせ終わったパステルは、セルリアン様の頭上を飛び始める。
よし。作戦通り。
これでセルリアン様は目の前の私と、空のパステルの両方を警戒しないといけなくなった。
後はこちらのタイミングで仕掛ける。
「聖なる者たちよ! その秘めたる力を今こそ解き放て!」
自信満々、声高らかに叫ぶ。
しかし、バングルからの反応はない。
「あれ? こんな時に⋯⋯どうしてだろう⋯⋯」
バングルをいじくって確認する。
「何をしているんだ? 君も精霊が使えると聞いたが⋯⋯」
セルリアン様は心配そうに私の方を見ている。
かかった。
これは演技だ。
セルリアン様はクールだけど、本当は良い人なんだろう。
狼狽える私に気を取られ、頭上に危険が迫っているのが見えていない様子。
「あれは⋯⋯⋯⋯クマが降ってきたというのか?」
私が三人に伝えた作戦は、テディベアの姿のキリリとキララに、パステルのもふもふの毛の中に隠れてもらい、合図をしたらヒグマとホッキョクグマの姿に変身して、出てきてもらうというものだ。
ここからは手数で押す。
セルリアン様はキリリとキララに気づいて、急いで避ける。
略奪を警戒してか、結界は使わないらしい。
セルリアン様の走る速度は、普通の人間の速さだから、私に比べたら遅い。
一気に距離を詰めて捕縛を使う⋯⋯しかしこれは想定内だったのか避けられてしまった。
けど今のセルリアン様は、普通の丸腰の人間と変わらない状態。
足元が悪い中を逃げることしか出来ないでいる。
さらにこの隙に略奪で、数珠を奪う⋯⋯これも想定内なのか避けられた。
そして最後の作戦。
ローブを脱ぎ去り放り投げる。
「おい。盗賊の女。どこに行った」
宙を舞うローブに意識を取られたのか、セルリアン様は私を見失った。
背後に回り、全力で飛びかかる。
勢いのままにその身体を押し倒し、短剣を顔の横の地面に突き刺した。
「どうです? これは私の勝ちですよね! 魔王様?」
やった。勝てた。
もう息も上がって限界寸前だ。
「ね? セルリアン様! あれ? セルリアン様?」
私の下敷きになった彼は、目を見開いたまま固まっている。
「あり得ない。こんなことはあり得ない」
さっきと同じ言葉を繰り返すセルリアン様。
「あり得ないって、さすがにこれは認めて頂いてもいいのでは?」
これがノーカウントになるなら、さすがに抗議したい気分だ。
「僕は今、呼吸を乱した女に押し倒されている。いったい、どういう状態なんだ。これがアッシュの見ていた世界⋯⋯」
セルリアン様は、わけの分からないことをブツブツとつぶやく。
「何でも良いですから、敗北を宣言してください!
」
さすがに今の状況は、セルリアン様にとっては刺激が強すぎたみたいだ。
いつまでも判定を下してくれないのも困るので、体勢を元に戻そうと四つん這いになったその時。
「いやぁ!」
凍った地面に手を滑らせてしまった。
そのままセルリアン様の方に、再び倒れ込んでしまい⋯⋯
ちゅ。
頬にキスしてしまった。
「ごごごごめんなさい! 申し訳ありません! わざとじゃないんです!」
何とか体勢を元に戻そうとするも、ツルツルと滑ってなかなか身体が安定しない。
「アッシュ、君は二ヶ月間もこんな試練に耐えながら、この女の稽古をつけていたと言うのか。盗賊の女、僕の負けだ。君が上級になるまで、僕の身が⋯⋯もたない⋯⋯」
セルリアン様はそう言い残して、再び意識を失った。