29.この私が男に飢えているわけがない
私たちは、魔物にかけられた呪いを解くために、理想郷ミラージュを目指して移動を開始した。
行く先々で魔物と対峙することになるも、今の私は戦力外のため、ブラン様、ジェード様、ノワール様の三人で戦ってもらうことになってしまった。
「すまないな。セイラが抜けた分、前衛が脆くなってしまっている」
ブラン様は額の汗を拭いながら言った。
後衛の二人に敵を近づけまいと、一人でヘイトを引き受けてくれている。
「ブランはよくやってくれてるよ。今まではセイラが敵の気を引いてくれてたから、相手はこっちに見向きもしなかったけど、それがないと突進してくるんだな」
「今までの陣形では厳しいかも。三人とももっと後ろに下がって、ブランも斬撃での遠距離攻撃に切り替えたほうがいいかもしれない。それか、ブランの防御上昇に全振りするか」
私が抜けてしまったせいで、三人に迷惑をかけてしまったことが申し訳ない。
けれども、今までそれなりに自分が役に立っていたことがわかったのも、ちょっぴり嬉しい。
「そう言えば、セイラの精霊たちに前衛を頼めないのか? なんだっけ? キラキラ⋯⋯」
「キリリとキララだ。試してみよう」
ブラン様は麻の袋から私のバングルを取り出した。
昨日まで身に着けていた服と装備は、今の身体にはサイズが合わないから、袋に入れて保管してもらっている。
「あの時、魚を倒すのを手伝ってくれたクマたち?」
「そうだ。キリリとキララ、セイラの一大事なんだ。このままだと理想郷にたどり着くのに時間がかかってしまう。手伝ってはもらえないだろうか?」
ブラン様が声をかけると、キリリとキララはテディベアの姿で出てきてくれた。
「もちろんだ」
「いいよ!」
二人は快諾してくれた。
キリリとキララが大きなクマの姿で前衛を張ってくれるようになってからは、サクサクと魔物退治が進むようになった。
普段からもっと二人に、手伝ってもらってもいいのかも⋯⋯
その後は、山の麓にあった民家の住民にラセットと馬車を預かってもらい、徒歩で山を登ることになった。
私はヒグマの姿のキリリの背中に乗せてもらっている。
「なぁ、お前らは動物の言葉はわかんないのか? 猫になったご主人様がなんて言ってんのか分かれば、便利なんだけどな」
ジェード様はキリリとキララに尋ねた。
「本来ならわかるはずだが、セイラは何を言っているのか、よくわからないんだ」
「ねぇ、セイラちゃん?」
「ニャー」
キリリとキララに向かって鳴き声を出す。
「うん。ニャーって言ってるように聞こえるんだよね⋯⋯」
キリリとキララは困ったように頭をかいた。
「そっか。んじゃあ、セイラにはもう少し辛抱してもらうか」
ジェード様は私を心配して、そう言ってくれてるんだろう。
けれども昨日の今日で、実は会話を理解できていると知られたくなかった私は、キリリとキララに対してもニャーとしか話さないようにしていた。
騙してごめんなさい⋯⋯
山の中を三日ほど移動し、ブラン様の案内でハーピーの住む理想郷、ミラージュにたどり着いた。
それは山間部にある高低差が激しい村だった。
木の上に枝を重ねて作られた、巨大な鳥の巣のような家がたくさんある。
温泉は複数あるのか、村のあちこちから、湯気が上がっているのが見える。
「あらあら、お坊ちゃま!」
バサバサと羽ばたく音が上空から聞こえてきたかと思ったら、一人のハーピーが私たちを出迎えてくれた。
ハーピーは人間と鳥の特徴を合わせ持った生き物で、腕から先は鳥の翼が、太ももから下は鳥の脚が生えていて、鋭い爪がある。
胸の辺りは柔らかそうな鳥の毛が生えていて隠れているけど、腰にはくびれもあって全体的にセクシーな印象だ。
「アンバー、久しいな。こちらは私の仲間たちだ。皆、こちらが族長のアンバーだ」
ブラン様が私たちのことをアンバーさんに紹介してくれる。
「なになに?」
「まぁ! かわいらしい男の子たちね!」
わらわらとハーピーたちが集まってきて、私たちの周りを飛び始める。
「どの子がタイプー?」
「私はエルフの子かな」
「あたしは黒髪の子」
「やだ〜私もよ!」
「お坊ちゃまも素敵だけど、さすがに手を出したらだめよねぇ」
「みんな順番に食べちゃいたいわ」
どうやらお色気ムンムンの美人なお姉様たちが、男性陣を物色し始めたらしい。
「見て、なんだか可愛らしい猫ちゃんがいるわよ」
「まぁ! ちょっと! 美味しそうじゃないの!」
「あれは頂いてもいいのかしら?」
今度は私のことを見ている。
この場合は食糧として見られているような⋯⋯
恐怖で震えが止まらない。
「おいおい、やっぱり俺たちを食う気だぞ!」
「ジェードが思ってる食うとは別の意味だと思うけど」
「みんな、待ってくれ! ここに来たのは、私たちの仲間を助けるためなんだ!」
ブラン様はハーピーたちを見上げながら叫ぶと、キリリの背中で震えていた私を抱き上げた。
アンバーさんが地面に降り立ち、私のことを覗き込んでくる。
「この子は元々は人間だったの? そうね、変身の呪いに効くのは⋯⋯真珠の湯ね」
アンバーさんはそう言ったかと思うと、いきなり私のことをガシッと足で掴んで羽ばたいた。
急上昇して、一気にブラン様たちと地面が遠ざかる。
耳元で割れるような風の音が激しく響く。
「ンギャー!」
こんな高い所を生身で、しかも掴まれた状態で飛ぶことになるなんて、怖すぎる。
絶対に落とさないでくださいと心の中で祈る。
鳥に連れ去られる小動物の気持ちが理解できた。
上から見下ろすと、温泉のお湯はそれぞれ色が違うみたいだ。
緑や青、黒、茶色⋯⋯
そして私が連れて来られたのは、乳白色の温泉だった。
アンバーさんは私の身体を離し、お湯にチャポンと落とした。
次の瞬間。
――ボン
身体が弾けて大きくなるような感覚がした。
「ぷはーっ、ありがとうございます! 復活しました!」
無事に元の人間の姿に戻ることができた。
キリリとキララに装備一式を持ってきてもらい、全て着用する。
村の入り口の客人用の旅館で待ってくれているという三人の元へ向かった。
その建物は和風の造りをしていた。
石畳の玄関から入り、木の板の廊下を歩く。
そして襖を開けると、中で三人が寛いでいた。
「ありがとうございました! ご迷惑をおかけいたしました!」
三人の前に座り、深々と頭を下げる。
「セイラ! 本当によかった! 私たちを庇ったがために、申し訳なかった」
「セイラちゃん、ごめんね。ありがとう」
「心配したんだぞ。ニャーニャー言いやがって」
ブラン様、ノワール様、ジェード様は安心したように笑ってくれた。
「では今日はもう遅いですから、ゆっくりしていってくださいね。この建物の浴場も温泉ですから、旅の疲れを癒してください」
私たちのお世話をしてくれるハーピーの方は、部屋に食事を運び、布団を敷いてくれた。
ちなみに食事は一つの部屋でとるものの、寝室は男性用と女性用に分かれている。
食事が終わった私は一度寝室に戻り、入浴の準備をした。
野営続きなのと、猫になったせいか身体もあちこち痛い。
さっきも温泉に浸かったとは言え、ゆっくりは出来なかったから楽しみだな。
浮ついた気分のまま、赤いのれんをくぐった。
脱衣所でまずは装備を外す。
これがなかなか数が多いから時間がかかる。
扉の向こうの温泉からは、水の音とブラン様とジェード様とノワール様の声が響いてくる。
三人も温泉に入ってるんだ。
声が近いから、そんなに広くない温泉なのかな。
よくある竹で出来た壁で仕切られているような、簡素な造りなのかもしれない。
さぁ、あとは服を脱いだらやっと入れる。
タンクトップを脱ごうとバンザイしかけた時、なぜか温泉側の扉がガラガラと音を立てて開いた。
大量に流れ込んでくる湯けむりとともに、目に飛び込んで来たのは⋯⋯裸の男たちだった。
「ええ! どうしてみなさんがここにいるんですか? こっちは女湯ですよ? 混浴なんですか? 中で繋がってるんですか?」
大急ぎで脱ぎかけの服を元に戻す。
「はぁ? どっからどう見てもここは男湯だろうが! お前、そこの入り口から入って来たんじゃないのかよ!」
ジェード様は脱衣所の入り口を指さす。
その指の先を目で追うも、どう見ても赤いのれんがかかっている。
「女湯ですよ? 赤なんですから!」
「⋯⋯⋯⋯セイラ、赤は男湯なんだ」
ブラン様は私から目を逸らしながら言う。
⋯⋯⋯⋯そうだった。
この国はトイレもお風呂も、男性が赤、女性が青なんだった。
「申し訳ございません! すぐに出ていきますから! あと、大丈夫です。何も見えてません! 湯けむりで隠れてますから!」
私に見えたのは上半身のみ。
みなさん結構いい身体をしてらっしゃる⋯⋯じゃなくて
どうしよう。私も早く装備を着ないと。
「服をちゃんと着てるなら、装備は手で持って出たら?」
ノワール様は落ち着いた声で助言してくれる。
「はい! 確かに! ありがとうございます! ではこれで失礼いたします! もう、本当に大丈夫ですから!」
混乱した私は自分でも何を言っているのか、わからない。
「何が大丈夫なんだよ! 飢えた獣はセイラ、お前だ!」
私を激しく追求するジェード様の声が、脱衣所内に響き渡ったのだった。