24.聖職者なのに神を信じないわけがない
作戦決行の夜。
今から私たちは、大神殿の最深部に侵入する。
宿屋を出た私たち三人は、昨日私とノワール様が出会った塔で彼と合流した。
「入口から堂々と入るのは厳しいから、地下水路から入るのが安定だと思う」
ノワール様の案内で川岸にやってきた。
階段を下り舗装された道を進む。
川から繋がる水路の両端には整備用なのか、人が歩ける道があるので、腰の高さの柵さえ乗り越えれば、一切濡れずに中に入ることができた。
暗視と探知のスキルを起動し、ランタンを持つノワール様の隣を歩く。
ここから大神殿の地下まで、三十分ほど歩く必要があるらしい。
「こういう緊張しているときって、煙草を吸いたくなるものですか? 効果が切れると、落ち着かなかったりするんでしょうか?」
「一応さっき吸って来たから多分大丈夫。もともとそんなに吸うタイプじゃなかったけど、さすがにこう色々起こると、不安になって吸いたくなるかな」
「そもそも神官って、煙草を吸っても良いんですか?」
「大神殿の中は禁煙だけど、余暇時間なら別に問題ない。神官だって一人の人間だから、何かに依存しないと戦えない時だってある。神はそんな弱い俺たちのことを責めたりはしない」
「なるほど。それに、お身体に負担がかかっても、自分で治せちゃいますもんね」
「老いたくない。病に侵されたくない。愛する人の側にいたい⋯⋯そんな欲求は持っていて当たり前。神は神官に禁欲を求めているわけではない。問題になるのは、自分を満たすためだけに取られた行動。惹かれ合う者同士が愛し合うのは、神に背く行為でも何でもないけど、娼婦で欲を満たすのは話が違うってこと」
⋯⋯なるほど。
なんとなく神様が言いたいことがわかった気がする。
「ノワール様は、いつから大神殿にいるんですか?」
「十五歳の頃から。神官はその歳から大神殿で修行して、二十代になると自分の故郷の教会に戻る。俺は両親も神官で、ここの生まれだから、おそらくずっとここに残る」
「ノワールの父君と母君は共に優秀な神官で、父君は現在、闇属性の大神官を務めているんだ。ノワール自身も幼い頃から優秀で、仮に地方の出身だったとしても、大神殿が手放さなかっただろう。地方の出身者でも優秀な者は、大神官を目指すためにここに残る習わしだから」
ブラン様が説明してくれる。
「それはすごいですね。ちなみにお父様からは今回の騒動について、情報は得られなかったんでしょうか?」
「父上はもう何ヶ月も家に戻らないから会話すらままならない。恐らくこの騒動の対応に追われているんだと思う。そういった問題に家族を巻き込む人じゃないから、一人で抱え込んでるのかもしれない。神事の際には祭壇に上がる姿を見るから、健在なのは間違いない」
「そうですか。では今日の作戦でも、ノワール様のお父様に遭遇する可能性もありますね」
ノワール様のお父様が味方になってくれるなら、作戦の成功率は高くなるはずだけど。
「ぶっちゃけ神官の中で、普段から神をまるっきり信じてない奴らって、どれくらいいるんだ?」
ジェード様がノワール様に質問する。
「心の中は誰にも分からないけど、神を信じないと公言している神官とは出会ったことがない。神の存在が揺らげば、全員が各神から祝福を受けて生まれ、与えられた力を用いて暮らしている現状と矛盾が生じる。ただ、国民の中には、生まれつき自分の将来を決められている人生に、納得が行かない層は存在する。そういう人たちが、今この街に起きている異変や、未だ魔王が健在なことを受けて、神や王族への不信感を募らせやすいと俺は考えてる。神を信じることは、神に選ばれた王族を信じることと同じだから」
「確かに俺も魔法使い以外の役職だったら、俺がやりたいことはこれじゃないって、怒ってただろうな」
前の世界では、ある程度自分がやりたいことを選べる人生だったけど、この世界の人は、神様が適切だと判断した役割を割り当てられるんだもんな。
私は盗賊を受け入れているけど、そうじゃない人は反抗心が芽生えるかもしれない。
それは、神官も例外じゃないんだ。
「そうこうしている内に着いた。ここからはセイラちゃんが頼り。あっそうそう」
ノワール様は私のペンダントを持ち上げて、黒い宝石にキスをした。
「闇の女神フォンセ様の御加護があらんことを」
ノワール様が祈りを捧げてくれたことで、宝石が光出す。
さらに、私の身体も黒っぽく光りだした。
どうやら能力上昇のバフをかけてもらったらしい。
「俺が君を守るから。頑張ろうね、セイラちゃん」
ノワール様は優しく微笑みかけてくれた。
さて。まずは地図作成のスキルを使って、みなさんに一枚ずつ地図を配る。
大神殿の構造は、地上五階、地下三階建てで、この場所は地下一階付近。
この壁の向こうからは大神殿の建物内だ。
熱源感知と透視を使って、壁の向こうに人がいないか探る。
透視のスキルは、鍵穴位の大きさの範囲しか見えないから慎重に⋯⋯大丈夫っぽい。
「ジェード様、この壁の向こう側に移動できますか?」
「おぅ。そこの排水口経由で風が通りそうだから行けるぞ」
ジェード様が魔法を使うと風が巻き起こり、一瞬で壁の向こうへ移動できた。
青白い灯りに照らされた、薄暗い広い部屋だ。
両端の壁際を水が流れている。
この水がさっきの水路を通って、川まで流れてるのかな。
「ここは水属性の神官の修行部屋だと思う。中に入ったのは初めてだけど。他にも後、四属性、それぞれの部屋がある。俺たちの弱点の部屋を通らないようにしないと」
四人の弱点にならないのは、後は木属性だけか。
私が探知と隠密のスキルを使いながら先行し、三人に合図を送りながら進んだ。
地下二階に降りれる階段を見つけた所で、再び打ち合わせを行う。
「下に降りるルートはここしか無さそうですね。私が先に行って安全確認をしてから、ジェード様の魔法で、三人で降りて来てもらうのが安全な気がします。熱源感知と透視を使った感じだと、人はたくさんいますけど、動きは無さそうです。座り仕事をしているのか、祈りを捧げているのか、よくわかりませんが⋯⋯」
「ここから先は大神官以上の位じゃないと入れないから、俺もどんな部屋があるのかは知らない。恐らく、地下二階が大神官と教皇聖下の執務室で、地下三階の大広間は、祭壇か何かがあるんだと思う。こんな曖昧な情報しか無いけど、セイラちゃん大丈夫? 行けそう?」
たぶんここからが本番だ。
ノワール様から、先ほどまでとは比べ物にならないくらいの緊張感が伝わってくる。
「大丈夫です。行ってみます。ひとまず地下三階へのルートまでは確認してきます」
「気をつけて。無理はせずに、危ないと思ったら引き返すんだ」
「最悪、身バレ覚悟なら、俺の魔法で逃げられるからな。通信は繋いだままにしとけ。助けが必要なら言えよ」
「はい。ありがとうございます」
三人を残し、隠密を起動しながら階段を下りた。
ノワール様のバフのお陰か、いつもより静かに早く動けるみたい。
先ほど誰もいないことが確認出来た部屋にすぐに隠れる。
熱源感知と透視を使って、各部屋の中を覗き込む。
すると、信じられないものが目に飛び込んできた。
「五大神官の方々が倒れてます。この階には他に人はいません。降りてきてください」
すぐにジェード様の魔法で三人が降りてきてくれた。
ノワール様は駆け出し、六つあるドアの内の黒いドアを開けた。
そこには黒いストラを首にかけた、黒髪の男性が倒れていた。
「父上!」
ノワール様はお父様に駆け寄った。
「ノワール⋯⋯どうしてここに⋯⋯」
「父上、何があったのですか? 誰がこのようなことを」
ノワール様はすぐにお父様に回復魔法を使う。
「他の大神官にやられたようだ。何者かが大神殿に妖魔を誘い込んだ。奴に皆は操られ、同士討ちさせられた。聖下の姿が見えない。危ない⋯⋯」
お父様は声を絞り出す。
教皇に危険が迫っている。
「地下三階に人の体温と、敵の気配を感じます。ここからではその姿は、はっきりとは見えませんが⋯⋯」
「よし、行こう」
ノワール様は立ち上がった。
長い階段を下るとそこは巨大な広間だった。
天井まで二階分くらいの高さがある。
床と壁に等間隔に明かりが灯っていて、ぼんやり室内が照らされている。
広間の奥には女が立っていた。
薄ピンク色の長髪は腰くらいまで長くて、つやつやと輝いている。
肌が白くて目が大きく、妖艶な笑みを浮かべている。
女の前には虹色のストラを首にかけた男性が倒れていた。
「聖下!」
ノワール様が叫ぶ。
「男ってバカよね。簡単に騙されるんだから。こんなにすぐに、教皇の所まで来れるなんて思わなかった」
妖魔は満足そうに微笑んだ。
魔物が喋ってる。
今まで会話出来ない動物の魔物とばかり戦ってきたけど、目の前にいるのは会話ができる魔物⋯⋯
神官たちに近づいた娼婦というのは、この女で間違いなさそうだ。
知性があると、こういうずる賢いことができるんだ。
「お前たちの目的は何だ? どうしてこの国を恐怖に陥れようとする? 魔王とは一体何者なんだ?」
ブラン様が妖魔に問う。
「私は瘴気から生まれた存在。だけど、誰にも指図されることなく、自分のやりたいようにやっているだけよ。私はただ、人間の恐怖心を貪りながら、男と戯れたいだけなの。だからこの街に目を付けた。この街には病人も多いし、ちょっと不安を煽るような噂を流したり、天気を弄ったりするだけで、みんな簡単に怖がってくれるんだもの」
この妖魔は魔王から生まれたにも関わらず、魔王の指揮下で動いているわけではない?
ただ自分の欲望を満たすためだけに、こんな事をしているの?
「聖下に何をした?」
「今はただ眠っているだけ。これから私の操り人形として、人間たちの前で一芝居うって貰おうかと思って」
ノワール様は妖魔を睨みつけている。
教皇を操り、国民の前で何か発言させることができれば、国民に恐怖心を植え付けることも容易いだろう。
何としても阻止しないと⋯⋯
「なにはともあれ、せっかくタイプ違いのイケメンが三人も来てくれたんだから、邪魔な女を始末してから、ゆっくりと楽しみましょう」
妖魔は舌なめずりをした。
次の瞬間、妖魔の目が妖しく光った。
「さぁ、三人でこの女を始末してちょうだい。私はここで見物させてもらうわ」
妖魔は大広間にある玉座に腰掛けた。
その言葉に恐る恐る後ろを振り返ると、かつて仲間だったブラン様、ジェード様、ノワール様は光を失った目で私のことを見ていた。