106.私の王子様がウワキなんてするわけがない
待望の妊娠が判明し、私とブラン様はしばらくの間、お花畑モードだった。
「うふふっ! ブラン様! 私たちの赤ちゃんが来てくれましたね!」
「あぁ! まるで天にも昇るような気分だ! セイラ、ありがとう! 愛してる!」
「私もです! ブラン様ぁ〜!」
満面の笑みで抱き合う。
とは言え、このことはまだ公表出来ないので、両陛下と私の専属メイドさんたちと、一部の聖職者のみに知らされることになった。
あれからひと月が経ち、妊娠3ヶ月の頃。
つわりの症状に悩まされ、ほぼ寝たきり状態となっていた。
妊娠すれば、微笑みながらお腹をさすり我が子に語りかける⋯⋯
そんなうきうきハッピーライフに突入すると勘違いしていたけど、現実はそう甘くはないらしい。
「セイラ、苦しいな⋯⋯よく耐えてくれている。私はなんて無力なんだ⋯⋯」
ブラン様はお仕事の合間に、励ましたり背中をさすったりしに来てくれるので、絶望と戦う荒んだ心が癒される。
健康体の私でもこれだけ苦しいのに、持病がありながら私を産んだお母さんは、どれだけ大変だったんだろう。
最近は食事は全く喉を通らず、水分を摂るのも気合いが必要。
寝ようが座ろうが、歩こうが楽しいことを考えようが、何をしていても気持ち悪いし、頭が痛くて、モヤがかかったように思考が停止する⋯⋯
一日に最低でも三回は、戻すためにトイレに駆け込む始末だ。
しかも、それでも楽にならないという、恐ろしい毎日の繰り返し。
赤ちゃんのためには栄養が必要だと言うけど、口に入れてもすぐに出てきちゃうし、こんな事で大丈夫なのかな。
「セイラちゃん、辛いね。きれいさっぱり治してあげられたら良いんだけど、その原因となる物質は、胎児にとっては必要だとされているから、取り除けないんだよね」
ノワール様はベッドでうずくまる私に、回復魔法をかけてくれる。
「消化器のただれくらいなら、治してあげられるから」
「ありがとうございます⋯⋯それだけでもかなり楽になります」
これが元いた世界だったら、魔法なんてないから、もっと大変だったはず。
入院したり、点滴に通ったり⋯⋯仕事や家事育児をしながら耐えている人もいるんだから。
こうやって好きなだけ横になって、治療までしてもらえるのはありがたいことだ。
ちなみにノワール様は、魔王討伐前夜以降は、完全に禁煙しているそう。
こちらの世界でも、赤ちゃんに酒・タバコがNGなのは変わらない。
「あと二ヶ月もすれば治まるらしいから」
「ええ!! あと二ヶ月も!?」
「⋯⋯⋯⋯ごめんね。ショックだったよね」
「いえいえ、ノワール様が謝る事では⋯⋯」
初めての経験に戸惑いながらも、修行のような日々を乗り切った。
そして妊娠5ヶ月。
いわゆる安定期に入ったので、国民のみなさんにも、この喜ばしい事実が公表されることになった。
ノワール様の話の通り、つわりはかなりマシになった。
けれども、お腹の張りが強くて、時々痛みもある。
これは安静が必要な状態らしく、食事とトイレ、お風呂以外はベッドで寝たきり状態だ。
ちょっとバルコニーに出て空気を吸うとか、そんな単純な事も出来ないのが苦しい。
けど悪いことばかりではない。
最近は、お腹の中で赤ちゃんが、ピクピク動いているのが分かるようになってきた。
「ほら、ブラン様! 今のです!」
「確かに動いたような⋯⋯これは全神経を集中させないと気づかないな」
ブラン様は真剣な表情で、胎動を感じ取ろうとしている。
「⋯⋯⋯⋯けれども、あまり触っていると冷えてしまうな。今日はこれくらいにしておこう」
ブラン様は私のお腹にキスしたあと、服を整えてお布団をかけてくれた。
それから、おでこにもキスしてくれる。
「お休みセイラ。愛している」
「私も愛しています。お休みなさい」
この夜は寄り添いながら同じ布団で眠った。
翌週。
この日は国王陛下の生誕記念日だった。
貴族を集めてパーティーを開く事になっており、私も当然、参加するはずだったんだけど、安静を言い渡されてベッドで休んでいる。
「あ〜欠席しちゃいました。でも、我が子の安全が最優先! 無理は禁物!」
「そうですよ、セイラ様! こんな時くらい、ゆっくりなさらないと! セイラ様と御子様の健康こそ、最高の誕生日プレゼントのはずです!」
「パーティーで出るお料理の中で、火が通ったものをお持ちしますからね」
「きっと今ごろ、セイラ様のご懐妊の事で、会場は大盛り上がりですよ!」
マロンさん、シナモンさん、グレナさんが励ましてくれる。
みなさんが、この子の誕生を喜んでくれていると嬉しいな。
この国の未来を担う子だもんね。
シナモンさんがお料理を持ってきてくれたので、ベッドの上で食べる。
妊娠中は、お刺身などの生モノも、お酒も、お楽しみ程度のジャンクフードやスイーツも全てNG。
これはなかなか辛い。
食事を終えて、お腹に手を当てながら横になっていると、正装したブラン様が入って来た。
「あれ? どうされました? まだパーティーの途中では⋯⋯?」
その言葉に困ったように微笑むブラン様。
「皆が祝福してくれるんだが、セイラ達に会いたくなってしまって⋯⋯居ても立ってもいられずに、抜け出してきたと言うわけだ」
「ブラン様⋯⋯」
これほどまでに愛されているのかと感動する。
陛下としては、愛しのブラン様が会場を抜けてしまって、寂しいかもしれない。
けど、その子煩悩の特性は、無事に受け継がれているらしいので、許して欲しい。
「セイラ⋯⋯」
メイドさんたちがまだ片付けをしてくれていると言うのに、ブラン様は私のことを抱き締めてくれた。
しかしここでなぜか、センサーが反応する。
それは探知ではなく、女の勘。
ブラン様の身体から香る、嗅ぎ慣れない香水の香り。
身体を少し離して見ると、真っ白なシャツの襟元に、真っ赤な口紅で付けられたキスマークがあった。
「ギャー! この浮気者!!」
妊娠を期に不安定になったメンタルが暴走し、ブラン様に襲いかかる。
胸ぐらをつかみ、力いっぱい前後に揺さぶる。
「セイラ! いったい、どうしたと言うんだ!?」
狼狽えるブラン様。
「セイラ様! いけません! 安静に!」
マロンさんの言葉で我に返る。
そうだった。頭に血が登ってしまったけど、私は安静にしないといけない身。
すぐにベッドに横になる。
「セイラ、私は浮気なんかしていない! どうしてそんな勘違いをしてしまったんだ?」
「ではその襟元のキスマークについて、ご説明願えますか? 余程接近しないと、そんな所には付きませんよね?」
私の言葉にメイドさんたちの目つきが鋭くなった。
ブラン様の顔とキスマークを交互に見つめ、女の敵を見るかのような冷たい視線を送っている。
「ちょっと待ってくれ! 本当に知らないんだ! 君たちまでそんな目で見ないでくれ!」
ブラン様は必死に言い訳を続ける。
「⋯⋯⋯⋯分かった。ダンスパーティーだ。その時に何人かのご令嬢がつまづき、私の方に倒れ込んできたのを支えたから、どこかのタイミングで付いたんだ」
徐々に青ざめていくブラン様。
なんだって?
私以外にもラッキースケベを発動する女性が、何人もいたって?
「あり得ないです。それはわざとに違いありません! 私への宣戦布告です! 絶対に許しません!」
今まで散々ラッキースケベで周囲に迷惑をかけてきた自分のことは棚に上げ、嫉妬心が湧き上がっていく。
「うわーん! 酷いです! 私は毎日こんなに頑張ってるのに! 辛いこといっぱいなのに! 楽しいことも我慢してるのに!」
涙が決壊し、ボロボロと零れ落ちていく。
めんどくさい女まっしぐらだけど、ホルモンの効力は、微量でも人格を変えてしまうというのだから、たちが悪い。
「愛してるって言って欲しい! 頑張ってるねって言って欲しい!」
「あぁ、愛している。苦しく不便な思いをしながらも、二人の宝物を守ってくれてありがとう。セイラは本当によく頑張っている」
ブラン様は私が落ち着くまで、何度も言ってくれたのだった。