102.復讐のために人を傷つけていいわけがない
沼に飲み込まれて、ブラン様と離ればなれになってしまった私は、気がついたらどこか室内にいた。
床には真っ赤なカーペットが敷かれていて、図書館みたいに本棚がたくさんあるけど、屋根が低いから、どこかの民家の書斎なのかも知れない。
目の前には真っ黒なケルベロスが、普通の犬みたいに丸まって座っていた。
三つある頭の内の一つと目が合ったけど、敵意は無いらしい。
「ウォーーン!」
ケルベロスが誰かに語りかけるように鳴くと、ドアが開いた。
入って来たのは、幻獣研究家のサフィールさんだった。
「セイラさん、僕の家にようこそ」
穏やかに微笑むサフィールさんに、ケルベロスは駆け寄り、懐いたように体を擦り寄せる。
彼の家と言うことは、ここは、王家と無縁仏のお墓があるカームの街なんだろう。
ブルムの街の花畑で暴れ、アッシュ様を襲おうとしたケルベロスの飼い主は、サフィールさんだったんだ。
「あなたがこの戦を起こしているんですか?」
「そうだよ。国王と王子たちを殺し、僕たちがこの国のトップに君臨する。もうあんな奴らに、この国を任せることは出来ないから」
サフィールさんは恐ろしい事を言いながら、ケルベロスの三つの頭を順番に撫でる。
その後、手の平を自分の顔の前にかざした。
手の平に覆われていた顔があらわになると、サフィールさんの姿が変わっていた。
ブラン様とモント様と同じ色の金髪金眼⋯⋯やっぱり犯人は王族の血を引いていたんだ。
「あなたは何者なんですか? どうして王族の血を引いているのに、隠れていたんですか?」
「サフィールは偽名で、僕の本当の名はサフェード。王子たちとは再従兄弟の関係なんだ」
再従兄弟と言うことは、ブラン様たちの祖父の弟の孫?
先王の弟は、ナーダ様の呪いで若くして亡くなっている。
隠し子がいたんだ。
「隠れていた理由は、僕たちが王族の血を引く反乱分子だから。決して身分を明かしてはいけない⋯⋯それが母からの教えだった。けれども、僕たちは気づいてしまった。どうせ反乱分子として弾圧されるくらいなら、本当に反乱を起こしてしまったほうがマシだと」
サフェードさんは、語り始めた。
「当時使用人をしていた祖母は、祖父の身の回りの世話を担当していたそうだ。病気がちな祖父をずっと側で熱心に看病し、世話をする内に二人は愛し合うようになった。後に授かった子が僕たちの母だ。しかし、子を身籠った事に気づく前に、祖父は亡くなり、祖母は王宮勤めを辞め、祖父が眠るこの街に隠れ住み、母を産んだ」
そんなことがあったんだ。
だから王室は、サフェードさんの存在を把握出来なかった。
「母は無属性の幻獣使いだった。ここにいるケルベロスも元々は母の相棒だったんだ。母は素性を隠し、決して裕福とは言えない暮らしをしていた。父親はどこの誰かは知らないけど、僕たちが物心ついた時から、母はそれでも幸せそうにしてたんだ。けれどもある日、地獄に叩き落されることになった。この世界に魔王が現れたんだ」
サフェードさんは拳を握りしめ、俯いた。
「魔王の瘴気の影響で、街の周囲は魔物で溢れた。街の人たちが次々と襲われ、母は相棒のコイツと共に助けに入ったんだ。けれども、母は重傷を負った。神官たちに助けを求めようと思ったけれど、そうすれば無属性だと、ばれてしまう。王族の生き残りがいたと知られたら、僕たちがどんな目に遭うか分からないからと、治療を受けなかったんだ」
サフェードさんのお母さんは、助けを求めたら、サフェードさんが王室に連れて行かれるか、消されるかもしれないって思って、守ろうとしたんだ。
「そのせいで母はこんな状態になってしまった」
サフェードさんは、ダイヤのように白く輝く宝石がついた指輪を取り出した。
その指輪を私の目に近づけてくる。
目を凝らして見ると、宝石の中に、小さな人が横たわっているのが見えた。
「この方が⋯⋯お母様⋯⋯?」
「そう。瀕死の母に呪いをかけ、宝石の中に封印した。この指輪は祖母が祖父から贈られたものらしい。母は今も生きてはいるが、取り出しても助かるかは分からない。もうずっとこのままだ」
サフェードさんはその指輪を、大切そうにケースに仕舞い込んだ。
「事情は分かりました。けれどもそれで王族を恨むのは、少し飛躍しすぎではありませんか? 今の王室が、あなたに酷いことをするとは、私には思えませんし⋯⋯」
「僕たちだって、何度もこの運命を受け入れようと思ったんだ。けれども彼ら王族は、魔王討伐に踏み切ることなく、八年間も問題を放置した。そんな無能たちが、今更魔王を討ち取った英雄として称えられ、妻を娶り順風満帆に暮らしている。僕たちの時間はあの日で止まったままなのに」
「魔王が現れた時、ブラン様はまだ十五歳ですよ? モント様は病に伏せておられましたし、陛下だって戦えるほどお若くはありませんでした。私たちはきちんと神託に従い、旅立ちました。あと、先ほどから僕たちと仰っているのは、どなたの事でしょうか?」
ブルムやセイルの街で聞いた声は二人分だから、共犯者ってこと?
「僕たちは双子なんだ。君も弟に会った事があるはずだよ? 慰霊祭の夜、英雄たちの様子を下見していた彼に」
サフェードさんは手帳を取り出し、古びた写真を見せてくれた。
「僕たちはお金がなかったから、写真なんて撮ったのは、成人祝いのこの時が最初で最後なんだ。彼が僕のたった一人の家族のビアンコだ」
見せてもらった写真には、サフェードさんとそっくりな見た目の男の人が写っていた。
真ん中の椅子に座り、微笑んでいるのはお母さんだ。
写真を差し出す彼の指の爪は、ガタガタになっている。
「初めてお会いしたのは、サフェードさんだったんですね」
そう問うと、サフェードさんは頷いた。
「あなたとビアンコさんの役職は何ですか?」
「僕が魔術師で、彼は幻獣使い。だから、初めて君と会ったあの日は僕が行った。ビアンコが行けば、アーヴァンクが反応してしまうからね。そして彼は今、王子と英雄たちを仕留めようと、幻獣の群れを操っているよ」
「そんな⋯⋯」
「最初はね。事故に見せかけて、君たち王族を殺害しようとしたんだ。それが一番簡単だと思ったからね。けれども神託の事を耳にしたことで、君を生かす必要が出て来た。だから君たち二人の問題につけ込んで、ユニコーンを使って不安を煽り、呪いが蓄積して発動するまで、ハーブティーを継続摂取するように仕向けた。あのリストにある薬草を摂取しようと思ったら、ブランドは限られるから、先回りして呪いを込めたんだ」
サフェードさんは自分の爪を撫でながら話した。
その爪が呪いの代償だったのかな。
「ブルムの街に私たちが来る事を知ったのは、どうやったんですか?」
「幻獣使いは、彼らの気配を辿れるんだよね。だからビアンコが、君たちの幻獣カーバンクルとケルピーの気配を辿った」
つまり、メイドさんたちは無実ってことだ。
「質問は以上かな? まぁ、安心してもらって構わないよ。さっきも言った通り、君の事は殺しはしないから。君にはこれから僕の妻となって、世継ぎを産んでもらう役目があるからね」
サフェードさんは私の顎を持ち上げる。
「何を言ってるんですか? そんなの嫌に決まってるじゃないですか」
「話によると、君は神に選ばれた女性。しかし、子の父親については言及されていなかった⋯⋯そうだね?」
「それはそうですけど、だからって!」
「ならば、僕が父親でも問題ないでしょ? アラバストロ家は代々、男系男子が王位を継承して来たけど、王子たちがいなくなれば関係ないんだから」
「いやです! 離してください!」
サフェードさんの腕を掴んで抵抗しようとする。
けれども私の握力が弱っているからか、全く動かせない。
まさかあの神託は、こんな恐ろしい未来のことを示していたの?
だから、私は今日までお世継ぎを授かれなかったの?
「無駄な抵抗はせずに受け入れた方が楽だと思うよ。ビアンコは、子どもを産ませた後の君を幻獣に変えて、服従させようとしているようだし。そうなったら何をさせられるか分かったもんじゃないよ。もし、僕をその気にさせることが出来れば、そうならないように守ってあげる」
サフェードさんは私の刻印をそっと撫でた。
「痛い! 止めて!」
サフェードさんは苦しむ私を、満足そうに見つめている。
「あなたたちは、人間を幻獣に変えて、人を襲わせて傷つけて⋯⋯いくら王族の血を引いていても、そんなことをする人間には誰も従いませんから! あなたたちはこの国を恐怖に陥れるだけで、平和を守れるとは思えません!」
「僕たちもそこまで非情じゃない。民間人は一人も傷つけていないんだ。幻獣に変えたのは騎士たちだけ。彼らは元来、王族に命を捧げ、従うのが使命なんだから、僕たちに従うのは当たり前でしょ? 騎士って、幻獣になっても強いんだよね。力もあるし、従順だし。あの時は英雄アッシュは手に入らなかったけど、この戦いが終われば、王子以外の英雄たちは、幻獣として兵力に加えるから、僕たちはこの国の平和を守れるね」
サフェードさんは嬉しそうに語る。
だから強い騎士たちが集中して狙われたんだ。
けれども、騎士だからって王族の好きにしていいなんて、そんな考えには同意出来ない。
「それが母を元に戻し、こいつの無念を晴らす唯一の方法なんだ。だから君も協力してね」
サフェードさんは、優しい目でケルベロスを見つめながら頭を撫でる。
この二人の間には、強い絆があるのが伝わってくる。
初めて会った時の状況から、ケルベロスは操られているんだと思い込んでいたけど、そうじゃなかった。
ケルベロスは、サフェードさんのお母さんがあんな状態になったことで、王族を恨んで、恨みを晴らそうとしている。
その復讐にサフェードさんとビアンコさんが協力しているんだ。
どんな理由があろうと、人を傷つけるなんて許せない。
「じゃあ、僕たちは自分の役目を果たそうか」
サフェードさんはそう言うと、私を床に押し倒した。