第55話 アンナ視点⑦
「ヴェリーヌス島行きの港が見えてきたな」
「ああ、そうだなあ……でもなんかごろごろ音が鳴ってる気がするが」
「雷だな。どうせここまで降っては来ないだろう」
御者達の話し声と何か光を感じた時。いきなり荷車のような罪人用の馬車ごと私は吹き飛ばされた。
え? 何?! と思った刹那、私は勢いよく硬い地面に叩きつけられる。それは御者や護衛の者達も同じだったようで彼らの驚き混じりの悲鳴が聞こえた。
「うわあああっ?!」
そしてさああああ……と小雨か極々小さなあられが降ってきた。私の身体にもそれらはぽつぽつと落ちてくる。なんとか身体を起こすが周囲にいた人達に目覚める気配は感じられない。もしかして死んじゃってる?
馬車を引く馬は自力で立ち上がった後、そのままかぽかぽと前へと歩いていく。私はその様子を止めようとする気にはなれなかった。だって身体中が痛いし。
「……雷?」
なるほど。馬車に雷が落ちて吹き飛ばされたのか。すると目の前の馬車から何か焦げ臭いにおいと火が発生した。
雷で火災が発生したのね。
「……!」
逃げなきゃ。ここから逃げないと火事に巻き込まれる。私は軋む身体を引きずるようにして後方へと逃れた。
「はあっ……はあっはあっ」
その後はとにかく逃げて逃げて……逃げ続けた。途中で転んだり何かにぶつかったりもしたけど、気が遠くなるまで逃げ続けた。
「……ここ、どこまで来たかしら……」
そこからはあてもなく歩き続けた。喉の渇きにも気づかないくらい。
そして私は気が付いたら……見知らぬ建物の天井が視界に入っていた。木造りの粗末な天井。平民の家である事は一目見て分かった。
「あら、お気づきになりましたか?」
左側からまた見知らぬ女性の声が聞こえて来る。首を傾けたらそこには若い少女が立っていた。
癖のある茶色い長髪を2つに分けてまん丸にして束ねている。そして赤い瞳に顔にはそばかすと平民のような服装を着ていた。
「あなたは?」
「私はティナ。あなたの名前をお聞かせくださる?」
アンナ。と言おうとした所で声が出なくなった。頭の中で適当に名前を考えて、それを口に出す。
平民の割には言葉遣いはしっかりしてるのね。ご両親の教育がちゃんと行き届いているのかしら。それとも没落貴族?
「アーミアよ。あなたが私をここまで連れてきてくれたの?」
「正確には、私の両親ですわね」
「ご両親は?」
「今、お医者様を呼びに行っていますわ。もうそろそろお戻りになるかと」
げっ、それはまずい! と思ったけど、身体中がとにかく痛い。これじゃあだめだ。
「あなた、身体中傷だらけでぼろぼろだったのですよ? 何かあったのですか?」
「あーー……」
移送中だったなんて言える訳が無い。ゆっくりと起き上がって自分の腕を見てみるとあちこちに包帯が巻かれてあるのが見えた。
「ごめんなさい。言いたくないの」
「そうでしたか。こちらこそごめんなさい」
「いや、大丈夫よ。包帯巻いてくれてありがと」
「どういたしまして」
なぜだろう。見知らぬ平民の家にいるせいか、今の私の心はとても凪いでいる。でも……はたしてこれでいいのかという思いだってある。
確かにメアリー様の言う通り、彼女を陥れようとしても幸せは得られなかった。フローディアス侯爵家の広々とした屋敷に住めたくらい。
だけど……このまま穏やかに暮らすと言うのは……我慢ならない。そう考えて炎を燃やす自分もいる。
「こちらです……!」
「おやおや、どうかなさいましたか?」
おいぼれの医者がよぼよぼと歩きながら部屋へ入って来た。
「ああ、その……転んでしまって」
「ふむふむ、応急手当は済んでいるようですな。他に痛い個所はありますかな?」
医者は私の身体を触る事無く目視のみで診察している。食い入るように見つめているが、果たしてそれで診察していると言えるのだろうか?
「まあ、全身が痛いわね。鈍い感じの痛みかしら」
「そうですか。では痛み止めの薬を処方いたしましょう。しばらくは安静になさってくださいな」
「ありがとう」
久しぶりにすんなりとありがとう。の言葉が言えた気がする。診察が終わるとティナの両親が私の元へと近寄って来た。
「あの、あなた、お名前はなんていうのですか?」
「この方はアーミアと言うそうですわよ、お母様。あっアーミアさん。こちら私の両親になりますわ」
ティナが母親に私を紹介してくれた。母親はティナよりかは明るい色の茶髪をしている。ふくよかな身体つきで少し地味な顔つきだ。
父親は白髪交じりの短髪で、ややがっしりした身体つきの人物だ。顔や身体のあちこちに傷があるという事は猟師か山仕事をしている人物だろうか?
「あら、そう。アーミアさん。初めまして」
「こちらこそ初めまして……」
「アーミアさん、この家は狭いが……良かったら自分の家に帰った方がいいんじゃあないのか?」
ティナの父親からそう指摘されると言い返す言葉が出てこなかった。そうね。平民の家は狭いものね。よそ者の私へかける情けがある余裕なんてないでしょう。
「わかりました。なら……ここから出ていくわ。ご心配おかけして申し訳ないわね」
「ちょ、ちょっと待ってください! せめて今日くらいはここにいた方がよろしいと存じます!」
ここでティナがそう大きな声を出した。あら、この子は優しいのね。
「ティナがそう言うのなら……」
「それにあなた、今日はナナがお給金を持って帰ってくる日じゃない。お金は大丈夫よ」
「そうだな」
それから体感で40分後。部屋の外がばたばたとあわただしく動き始める。誰か来たみたい。
「ナナ! 帰って来たのね……!」
「ただいま戻りました。お給金はボーナスもついてたくさんもらったわ……! でも誰か1人、王宮のメイドとして働いてもらえる人物を紹介しなくちゃいけなくなって……」
「お姉様! おかえりなさい……! 今日からしばらくはお休みね……!」
「ティナ、久しぶり! 元気にしているようで何よりだわ!」
ナナという人物はティナの姉のようだ。そしてナナはティナと共にこちらの部屋へと入って来た。
「お姉様、実はけが人を看病しているの。アーミアさんとおっしゃってね」
「そうなの? あ、申し遅れました。初めてお目にかかります。ナナと申します。ティナは私の妹です」
「こちらこそはじめまして。アーミアよ」
そういえば彼女は王宮のメイドがどうとか言っていたな。王宮、それすなわちメアリー様が幸せを満喫している場所。このナナの声を聴いた瞬間、私は私の人生を決めた。
「ねえ、ナナって言うのよね?」
「ええ、そうだけれど……」
「私、アーミアって言うの。王宮へ紹介してくれないかしら?」
私からの申し出に対し、ナナは驚きの表情を見せる。
「ええっ?! で、でも明日には向かわないといけないのですよ……?」
「それでもかまわないわぁ。だって王宮に行けるんだもの。中々無いわよ、王宮のメイドとして働けるだなんて」
「た、確かに……そうだけれど……」
「お願い! 私を王宮へ連れて行って……!」
結果、私は王宮のメイドとして紹介してくれる事となった。ああ、でも何度か捕まっているから顔がバレてしまうわね。お化粧だけではどうにもならない部分だってある。なら……。
「ちょっとそれ、貸してくれる?」
ベッドから起き上がった私は、身体中を襲う鈍い痛みに耐えながらティナとナナの父親が腰に付けていたナイフを奪い取るようにして借りる。そしてそれを額に当てて思いっきり切り裂いた。
これなら……私だと分からないはず。
「えっ……!」
ティナ達は目をかっ開いてあり得ないとでもいう風な顔つきをしている。




