House of tragedy
目を覚ました時、わたしは知らない場所にいた。
暗くて分かりにくいが、どこかの建物の廊下らしい。わたしは絨毯の上で横になっていたようだ。
眠る前の記憶が曖昧だ。ここが何処なのか、どうしてここに居るのか、何も分からない。
不安だ。叫び出したくなる衝動に駆られた。けれど、それは得策ではないだろうという思考が走る。なにしろ、こんな場所に寝転ぶ事を自分の意思で決めたとは到底思えないからだ。
誰かに連れて来られたに違いない。その目的や手段が分からぬままに声を張り上げれば、目覚めた事に気付かれて、何をされるか分かったものではない。
闇の中、手探りで進むべき道を探しながら歩いていく。すると、奇妙な事に気が付いた。
音がしないのだ。
風の音や建物が軋む音だけではない。わたし自身の足音や呼吸音すら聞こえてこない。
恐ろしい。ここはあまりにも得体が知れない。わたしは体を震わせると、逃げ込むように目の前の扉のノブを回して中に入った。そして、後悔した。
ランプの淡い光に照らされた室内には惨状が広がっていた。死体があった。一つや二つではない。そして、そのどれもが凄惨な死に方をしている。
椅子に縛り付けられた状態で頭部の皮を剥がされた死体がある。
テーブルの上に磔にされている死体は腹を裂かれていて、その内臓で何かのアートでも作ろうとしたかのような弄られ方をされている。
飾り棚の上には生首が置かれている。恐ろしい事に脳が見えるよう頭頂部が抉られ、ガラスか水晶らしき円盤が嵌め込まれている。
天井から逆さに吊られた死体の下にはポリバケツが置かれ、そこには血液や汚物が溜まっていた。
足元にも膝下と腕を切断され、首輪とリードを付けられている死体があり、危うく転びそうになった。
なんとも惨たらしい光景だ。わたしは死体を一つ一つ観察しながら、胸の奥にふつふつと沸き立つ感情を自覚した。
これは怒りだ。わたしをこんなにも恐ろしい目に合わせ、恐らくは嘲笑っているであろう者に対する憤りがわたしの拳を硬く握らせている。足元に転がる犬人間を蹴り飛ばし、少しだけ憂さを晴らすと、わたしは部屋を出た。
相変わらずの暗闇だけど、死体を観察している内に慣れてきたようだ。ぼんやりとだけど、廊下の輪郭が分かるようになって来た。
何処に向かうべきなのか分からないけれど、とにかく歩を進めた。体が鉛のように重く感じる。オカルト地味た発想が脳裏を過ぎり、そんな筈はないと頭を振りながら別の部屋のドアノブに手を掛けた。
そこは青白い蛍光灯で照らされていた。食堂のようだ。まだ、少しだけ温かい料理が並んでいる。そう言えば、さっきの部屋の死体もまだ少し温かった。
あの惨状が突発的な事故によって引き起こされたものである筈がない。悍ましき悪意と殺意を持って、犯人は彼らを弄び、斬殺したのだ。
許し難き蛮行だ。そして、その矛先は恐らくわたしにも向けられている事だろう。そう考えた時、腸が煮えくり返った。
わたしには殺されなければいけない理由など無いと胸を張って言える。
もはや、恐怖は無かった。延々と沸き起こる怒りの感情に背中を押されながら、わたしは片っ端から扉を開け続けた。
どこだ? 出てこい!
許さない。必ず代償を払わせる。わたしが受けた恐怖と屈辱を味あわせてやる。
そう意気込み、いくつかの扉を開いた後、地下へ通じる階段を見つけた。
階段を降りていくと、どうにも息苦しさを感じた。まるで黄泉路を進んでいるかのようだ。
階段を降りきった先には重い鉄扉があった。扉を開くと、その先には赤い光が広がっていた。
天井から吊り下げられている電灯が真紅に染められているようだ。
悪趣味にも程がある。この館の主はイカれているのだろう。
出てこい!
近くのテーブルに置かれたガラス製の灰皿を呼び鈴代わりにテーブルに打ち付け音を鳴らした。
すると、どこかで物音がした。そのまま灰皿を持って向かうと、鉄格子があった。ダイヤル式の鍵が掛けられている。合わせるべき数字など分かる筈がないと思いながらも触ってみると、少しダイヤルを回したら開いてしまった。壊れていたのかもしれない。
鉄格子の中に入っていくと、そこには生きた人間がいた。一人や二人ではない。蹲った状態の男女が五人いる。五人は口々に何かを叫んでいるようだが、どうにも雑音のようにしか聞こえない。
どうでもいい。わたしに恐怖を味あわせた罪を贖わせるだけだ。
わたしは灰皿を近くの男の肩に叩きつけた。小気味よい感触に頬が緩む。男はイモムシのように床で悶え始めた。わたしはその男の腕や足を踏みつけた。そして、腹を何度も蹴りつけた。腹を蹴った時の弾力が気に入り、わたしは更に蹴った。すると、男はわたしの足にしがみついて来た。
汚い。気色が悪い。わたしは灰皿を男の頭部に何度も打ち付けた。やっと離れた。けれど、男の頭から飛び出た血でわたしの服が汚れてしまった。
怒りのあまり、叫び声をあげてしまった。なんて汚らわしい。
虫けらの分際で巫山戯るな!
頭を踏みつけるだけでは足りない。灰皿を叩きつけて、腹が破けるまで蹴り続けた。それでも怒りは収まらない。
わたしはこんなにも清廉潔白で素晴らしい人間なのに、どうしてこんな目に合わされなければならないんだ。あまりにもひど過ぎる。
これが人間のやる事か!?
隣の女も、老婆も幼子も、みんながわたしを見て笑っている。
許されて良い事ではない。
わたしはいつだって頑張って来た。誰よりも賢明に生きて来た。わたしは誰よりも尊ばれるべき存在なのだ。
殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやる。
ただ殺すだけでは足りない。
眼球を抉り出し、耳を削ぎ、舌を引き千切り、背中に罪状を刻みながら殺す。
動かなくなった男の腹からこぼれ落ちた臓物を喰わせ、生きた状態で背中を切り裂き、臓物を取り出して殺す。
わたしが受けた屈辱や恐怖はこんなものではない。ああ、可哀想なわたし。どうして、誰も優しくしてくれないんだろう。助けてくれないのだろう。また、怒りがこみ上げて来た。
許せない。許せない。許せない。許せない。許せない……、
階段を上がっていくと、目眩がした。そして、廊下に出ると立っていられなくなった。
◆
目を覚ました時、わたしは知らない場所にいた。
暗くて分かりにくいが、どっこかの建物の廊下らしい。わたしは絨毯の上で横になっていたようだ。
眠る前の記憶が曖昧だ。ここが何処なのか、どうしてここに居るのか、何も分からない。
不安だ。叫び出したくなる衝動に駆られた。けれど、それは得策ではないだろうという思考が走る。なにしろ、こんな場所に寝転ぶ事を自分の意思で決めたとは到底思えないからだ。
誰かに連れて来られたに違いない。その目的や手段が分からぬままに声を張り上げれば、目覚めた事に気付かれて、何をされるか分かったものではない。
闇の中、手探りで進むべき道を探しながら歩いていく。すると、奇妙な事に気が付いた。
音がしないのだ。
風の音や建物が軋む音だけではない。わたし自身の足音や呼吸音すら聞こえてこない。
恐ろしい。ここはあまりにも得体が知れない。わたしは体を震わせると、逃げ込むように目の前の扉のノブを回して中に入った。
そこには階段があった。喉に乾きを覚えながら降りていく。すると、赤い部屋に出くわした。
恐ろしい。何もかもが真っ赤に染まっている。
部屋には鉄格子があった。その先には通路があり、その奥には別の部屋があった。
そして、そこには死体があった。
ああ、そんな……。
そこには惨たらしく殺された家族の遺体があった。
妻は背中を切り裂かれ、娘は目玉や耳がなく、孫までもが死んでいる。
わたしは絶叫した。
酷い。あまりにも酷過ぎる。これは悪魔の所業だ。
年端もいかない子供を殺す事など、心ある人間に出来る事ではない。
わたしは深い悲しみを抱いた。そして、怒りと共に正義の心を燃やした。
ここには邪悪の権化が潜んでいる。この館の主として、邪悪を討たねばならない。
そう決意して、第一歩を踏み出すと、地面に転がっていた物のせいで転びそうになった。
わたしは大事な一歩目を邪魔され、とても腹が立った。目と耳のない気色の悪い死体を蹴り飛ばし、さっさと部屋を出た。そして、地下からの階段を登り切ると、まるで警察のような服を着た男がいた。
「……せ、生存者だ! こちら、マイルズ巡査長です。生存者を確認! 老人が一名!」
突然、男が喋り始めた。けれど、何を言っているのかが聞き取れない。
怪しい。この男は何故、ここにいる? そもそも、ここはどこだ?
不安に駆られた。わたしはこの男に拉致されたのではないか? だとすれば、身を守らなければいけない。
「大丈夫ですか? あなた、全身血まみれじゃないですか! 怪我をされているのですか!?」
男が掴みかかって来た。わたしは咄嗟にその男の腕を掴み、背後の階段へ突き落とした。
危なかった。なんとも恐ろしい。わたしは休もうと自室へ向かった。
けれど、途中で腹が空いてきた。
ミリアはどこだ? サーシャはどこだ?
ミリア? サーシャ? 誰の事だ? わたしは唐突に頭を過った二人の女に首を傾げた。
それよりも腹が減った。食堂に向かおう。そう思って振り向くと、足を滑らせて転んでしまった。
◆
目を覚ました時、わたしは知らない場所にいた。