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神を信じなくなった少女は涙を流す

「……御馳走様でした」


 感謝の心から、つい習慣で祈りの形に手を組むジーナ。それが終わると椀を片付けようと立ち上がる。


「オババ様、これはどこで洗うのですか?」

「ああ、いいよあたしがやっとくから」

「でも……」


 遠慮するジーナに、オババはこう言った。


「じゃあ代わりに明日の朝ご飯を作るのを手伝っておくれ。そんなに気に入ったなら明日も肉を入れてあげるよ」

「良いのですか?」


 表情の乏しかったジーナの顔がぱあっと明るいものに変わる。オババもつられて笑ってしまう。


「あんたは可愛いねえ」

「え……」


 今まで「可愛い」など、王宮の女官達のおべっかでしか言われたことの無いジーナは動揺した。


「? どうかしたかい?」

「いいえ、その、可愛いなんて」

「おや、照れてるのかい? ホントに可愛いったら! なぁマルコもそう思うだろ?」


 オババに急に矛先を向けられたマルコはプイと顔を向こうにそむける。今まで数々の女に気軽に言っていた筈の「可愛い」の一言を何故か素直に言えず、憎まれ口を叩いた。


「……ああ、そうだな。骨をもらった犬みてぇだ」

「女の子に向かってなんて事を言うんだい! このバカモン!」

「あてっ」

(……犬)


 ジーナは少しだけしょんぼりとし、次いで自分が意地汚く粥を食べまくったからか、と考え顔を赤くする。だが、ディラン王子にいつも言われていた「貧相で陰気な女」よりは遥かにマシだと思った。


(犬は確かにかわいいもの)


 気を取り直し、顔を上げる。と、オババに小突かれるマルコの向こう側、木の壁に一枚の絵が貼られているのが目に入った。


 そこに墨一色で描かれていたのは半人半馬の精悍な男の姿。長い髪と豊かな髭をなびかせ、裸の逞しい上半身には弓矢を持ち、腰から下は馬の身体が付いている。大きな鷲か鷹と思われる鳥が彼のそばで翼を広げていた。思わず絵をじっと見つめるジーナにマルコが声をかけた。


「ん? これが気になるか? これは俺たちの神様の絵だよ」

「!」


 少しやわらいでいたジーナの顔つきが厳しく悲壮なものに戻り、マルコを見た。


「この世に神は、いません」

「えっ!?」


 オババも驚いてはいたが、マルコの方がもっと驚いた。先ほどテオから彼女が身に着けている衣服の意味を聞いていたからだ。


「神はいないって……おいジーナ、お前、王国の教会の人間じゃないのか!?」

「私は……」


 ジーナは何と説明しようか悩み、口ごもる。適切な言葉が出てこないのだ。


「……私は、神を信じなくなりました。私は、もう聖女ではありません……」


 本当は、もっともっと言いたいことがある。自分が今まで信じてきたものを、必死で努力して手に入れたものを、それを失わないよう更に努力を続けたことを。なのにそれらを全部名ばかりの婚約者に否定されて、棄てられて、手に入れたものすら失ったことを。


「わ、わたしは、もう、力がなくなってしまって」


 彼女の声と銀の瞳が揺れ、みるみるうちに涙が盛り上がった。それを見たマルコの心も揺れる。立ち上がり、ジーナを抱きしめた。


「わかった。とても辛いことがあったんだな。もう大丈夫だ」

「あ……あ……」


 彼に優しく抱きしめられ、さっき見ていた優しい夢の中と同じ温もりと匂いを感じたジーナはほっと身体の力が抜ける。もう、大声で泣いてもいいのだ。激しい感情を表に出しても、咎める人も力を奪う神もいないのだとわかって。


「あ……わあああああ、わああああん……!」


 少女はマルコの腕の中で思いきり泣いた。マルコは、ただ「大丈夫だ」と言いながら、彼女が落ち着くまでずっと背中を撫でていた。オババも涙ぐみながら横に来て、ジーナの頭を撫でてくれた。

 その後夕食を終えたテオがマルコの家を訪れ、両目から川のように涙を流し続けるジーナを見て仰天し、三人でまたジーナを慰める事になる。


 しばらくしてジーナは落ち着くと、少しずつ自分の事情を話し出す。語彙が少ない彼女は上手く話せない事もあったが、三人が「焦らないで」「無理するな」「大丈夫だ」と優しく言ってくれたので、何とかできるだけ詳しく伝えようと努めた。ひと通り話し終えると、三人の目がそれぞれ夜行性の動物のように光る。


「……とんでもねぇな、オイ。女の子を荒野に置き去りにするだなんて」


 いつも陽気で優しいテオが珍しく物騒な表情をしている。まだ小さな自分の娘が、もしも将来ジーナのような目に遭ったら……と考えたのだろう。


「それもあるけど、教会の奴らもなかなか酷いねぇ。ジーナひとりに負担を押し付けてたようなものじゃないか! まだ小さい子に無理ばかりさせて!」


 オババも目をギョロりとさせ、今にも呪いの儀式でも始めそうだ。


「いいや、一番許せねえのはやっぱりクソバカ王子だ。そいつをひっ捕えて縄で縛って荒野に転がさないと気が済まねぇ……!!」


 マルコは胡座をかいた膝を握りしめている。全身から怒りと殺気が噴出しているのが目に見えるようだ。ディラン王子と今のマルコが対峙したなら、王子はそれこそ魔物に出会ったように怯えるに違いない。三人の様子をちょっぴり恐いと思いながらも、ジーナは嬉しくなった。


(あの人たちが誰かに怒っているのを喜ぶなんて、本当はいけないことかも、しれないけど)


 それでも、自分のために彼らが怒ってくれているのが嬉しかったのだ。ジーナの心の中がほんのりと温かくなる。


「ジーナ、あんた今まで良く頑張ったね。もう大丈夫だ。うちで良かったらずっとここに居ていいんだよ」

「……え?」


 オババの言葉にジーナは銀の眼を丸くした。マルコもテオも賛成する。


「そうだな。まあ王宮に比べたら朝陽と夕陽以外は綺麗な物もない場所だけどな」

「うんうん。そりゃあいい。オババ様の子になれよ。元々マルコもオババ様に引き取られたそうだしな」

「いいの……ですか?」


 オババはニカリ! と笑った。


「大歓迎だよ! あんたみたいな可愛い娘ができたら嬉しいに決まってる!」

「あ、ありがとうございます……」


 ジーナの顔が歪み、また涙がぽろりと零れる。だがそれは喜びの涙だった。彼女は顔をくしゃくしゃにしながら頭を下げる。オババはまたジーナを抱き寄せた。それを微笑ましくマルコと見ていたテオがふと気づく。


「そうだ。そういう事なら名前を変えた方が良いな!」

「え!?」


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― 新着の感想 ―
[良い点] 本当は、もっともっと言いたいことがある。自分が今まで信じてきたものを、必死で努力して手に入れたものを、それを失わないよう更に努力を続けたことを→ジーナの今までの人生を思うと、私まで悲しくな…
2023/12/16 01:18 退会済み
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