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極光の遥か  作者: 砂原翠
9/15

毒見

 王宮に戻り、刺客への対処に関して各方面への指示を出すと、俺はユリウスの寝室へ向かった。ノックをしながら「俺だ」と言うと、「入れ」と静かな返事が聞こえる。ドアを開けると、暗い室内にユリウスの影が浮かび上がっていた。

 窓から差し込んだ月光が、ベッドに座るユリウスの輪郭を仄明るく照らしている。俺はつかつかと歩み寄り、ベッドの脇にしゃがみ込んだ。月明かりと同じ、銀色の双眸が微笑む。

「おかえり。疲れたろう」

「ああ。だが、革新派と平民の労働団体の協力は取り付けた」

「流石だ。よかった」

 暗闇に慣れた目が、ユリウスの微細な表情を捉え出す。また少し痩せたのではないか、やつれたのではないかと心配が泡のように弾ける。

「なあ、ユリウス」

「ん?」

「前にあんたを殺すって言ったの、あれやめにするわ」

 一息に言う。病がユリウスを殺す直前に、俺にとどめを刺す。それが影武者として生きる以外の道を断たれた俺が、ユリウスに提案した交換条件だった。

 ぽかりと口を開けてたっぷりと間抜け面を晒し、ようやくユリウスが応える。

「は? いや、あんなにこだわっていただろう。何故だ」

「だってあんたを殺しても何にもなんねーもん」

「お前の気は晴れるんじゃないのか」

「どうせもっと胸糞悪くなるだけだろ。それに、もういいんだよ。あんたの不作為を許したわけじゃないけど、だからって罪や罰で縛ろうとするのは違う気がする」

 復讐として提示した条件だった。けれど、人ひとりの命は王座より重いと豪語しながらユリウスを殺そうとするのは、矛盾でしかない。無理に貫けば、歪みが大きくなるだけだ。

 それに俺はもう目前の病弱な男に、一瞬でも長く生きて欲しいと願うようになってしまっていた。

 ユリウスの声に戸惑いが滲む。

「それじゃあ、私だけがお前の人生を奪うことになるじゃないか」

 きっと、ユリウスの心には幾重にも巻かれた鎖でがんじがらめになっている。きっと何本かは俺が巻き、今でも彼を苛んでいる。その鎖を緩めたり、外したりするのが正しいことなのか分からない。それでも。

「そんなことねーよ。二人で未来を創るんだろ」

 鎖で繋がれた冷たい関係から始まった。けれど、同じ未来を目指している。

 軋む心を引き摺りながら、共に歩いていけるのはユリウスしかいない。

 月光を背負い、ユリウスが笑う。

「ああ。──ありがとう」

「どういたしまして」

 俺は立ち上がり、ユリウスのベッドに腰を下ろした。

「だけどそのためには、暗殺犯の正体を突き止めねーとな」

「また、何かあったのか」

 ユリウスの顔にさっと影が落ちる。俺は頷き、ヒュットネン家の屋敷での一部始終を説明した。

「これで俺たちの命が狙われているということがはっきりした。犯人を捕まえるために、どんな些細な情報も共有しておきたい。だから俺たちの間で、隠し事はもうなしにしようぜ」

 俺の提案にユリウスはしばし逡巡し、迷いを断つように口を開いた。

「では、私からも言いたいことがある。……これからは、できる限り私と一緒に食事をとってくれ。お前には味気ないだろうが、これからは私の療養食を一緒に食べよう」

「何でだ?」

「ここ数日、立て続けに毒見役が体調を崩している。おそらく、お前の食事に毒が盛られている」

 俺は瞠目し、身を乗り出した。ベッドが鈍い音を立てる。

「毒見なんていたのか?」

「ああ。黙っていて悪かった。だが、王という役割には必要なことなのだ」

 王制が円滑に機能するためには、民に犠牲が強いられる現状がある。

「今なら分かるよ。そんなことをなくすために、俺たちがいるんだ」

「そうだな」

 ユリウスは首肯し、布団の上で指を組む。

「キウル家が代表とする穏健派、ヒュットネン家が代表する革新派の協力は取り付けた。残る評議会の勢力は保守派だけだな」

「穏健派と革新派だけで過半数は取れないのか?」

「どの派閥にも所属していない勢力もある。念を入れておきたい」

「了解。それで、保守派って誰がいるんだ?」

 俺の問いに、ユリウスの視線が俺を射抜いた。その口元は、僅かに笑みを象っている。

「保守派の中心となる家門は、ヘルレヴィ家だ。ヘルレヴィ卿は軍事大臣も務めているが、レオがもっとよく知る人物がいるだろう」

 ヘルレヴィ? 聞き覚えのある名前に記憶を辿る。

「あ、レベッカ?」

「そう。ヘルレヴィ卿の息女、レベッカ嬢は秘書官としてお前を支えてくれている。話を持ち掛けるには、もってこいの人物じゃないか?」

 確かに、顔見知りで気さくな彼女ならば、話もしやすいだろう。安堵に気持ちが上向いたとき、ドアをノックする音が聞こえた。続いて響いたのはシルヴァの落ち着いた声だった。

「お食事が届きました」

「入れ」

 シルヴァから手渡された盆には、深緑色したスープが鎮座している。湯気と共に香ってくるのは、青臭い薬草の匂いだった。

 一瞬、国王用の豪華な食事が脳裏をよぎったが、俺は覚悟を決めスプーンを口に運んだ。

「うげー、クソ不味いな」

 薬草独特の苦みに、思わず忌憚の欠片もない感想が飛び出したが、ユリウスの方も「うむ。何度食べてもこの味には慣れん」と眉を顰めていた。

 きつい匂いにまみれながら笑い合うと、夜の冷気にかじかんだ指がほどけていく。

「まあ、健康にはよさそうだよな」

「ああ。滋養強壮にはもってこいだ」

 慰め合いながら食べていると、不思議と苦味が薄らいでくる。鼻も舌もとっくに麻痺してしまったが、視界だけは夜に馴染み、月明かりの眩しさが目に滲んだ。


 たおやかな指先が、凶悪なほどに分厚い書類の束を差し出す。

「陛下。こちらが北部の治水事業に関する計画書です」

「ああ、ありがとう」

 書類を受け取ると、レベッカがにこやかに会釈する。緩やかに波打つ髪が揺れた。すると、ふわりと甘い香りが鼻腔を擽った。刹那、盛大に腹の虫が鳴いた。

 執務室に響き渡った地を這う音に、レベッカが瞬きを落とす。俺は耐え切れず机に突っ伏した。

「甘いものが恋しい」

「え?」

「甘くて美味そうな匂いがする」

「香水のことですか?」

 レベッカが首の後ろに手を差し入れ、柔らかな髪をするりと靡かせた。熟れた果実に似た芳しい香りが宙に舞う。

「外国から来た行商人から買った香水です。南方の果実の匂いを調合しているそうです。確かに、嗅いでいるとお腹が空いてきますよね」

「もうずっと甘いものを食べてないんだ」

「あら、健康のためですか?」

 苦々しい顔で俺は頷く。ユリウスと同じ食事をするようになってまだ三日程だが、薬草の凄まじい味が舌に染み付いてしまっていた。

 王の影武者になって初めの内は豪奢な食事に毎回感動していたが、近頃は派手な味付けに飽きを感じていた。それなのに、失ってしまえば遠く輝かしく思えてくる。柔らかく食べ応えのある肉、狐色の焼き目を纏った香ばしいパンが食べたい。本音を言えば、薬草の苦みを忘れさせてくれる暴力的に甘い菓子が欲しい。

 縋るように香水の匂いを噛み締める俺に、レベッカが笑う。

「我慢のし過ぎもお体に障りますわ。少しくらい、羽目を外してはどうでしょう」

 彼女はふっくらと薄紅色に染まった頬に手を当てる。

「うちの料理人の焼き菓子が絶品で、いつもつい食べ過ぎてしまうんです。だから頬もこんなに丸くなってしまって」

「焼き菓子……」

 呟くだけで、口内に唾液が溢れる。

「今度ぜひお持ちしますわ。陛下のお口にも合えばよろしいのですが」

 軽やかな笑みと共にレベッカが首を傾げる。またほんのりと魅惑的な香りが広がり、思考力を根こそぎ奪われそうになる。

 俺は首を横に振り、何とか正気を保って言う。

「そればらばちょうどいい。レベッカに相談したいことがあったんだ。予定が合えば、一緒に晩餐でもどうだ?」

 花がほころぶように、レベッカが相好を崩す。薔薇色の唇が、楽しげな声を紡いだ。

「光栄ですわ。飛び切り美味しいお菓子をうんと用意いたしますね」

「楽しみにしている」

 言ったそばから、脳内は焼き菓子の想像で溢れ、舌が砂糖を求めてじんと痺れる。計画書を読まなければならないというのに、全く頭が働かない。顰め面で目頭を押さえていると、ひんやりとした指先が俺の眉間に触れた。レベッカの指だ。

「食べてしまいたい」

「は?」

 蠱惑的な双眸から目が離せない。星が弾けたように、潤んで光を抱いた瞳。

「食事って、最大の理解だと思いますの。噛み砕いて、味わって、自分の血肉に変えて。そんなに陛下から求められる甘味が羨ましい」

 俺の息が言葉になる前に、レベッカはぱっと指を離した。

「ご無礼をお許しください。失礼いたしますわ」

 彼女はぱっと踵を返し、凛とした足取りで執務室を退出する。室内に漂う香水の残り香は、酷く空腹を刺激して、俺は髪を掻き毟った。

 立ち上がり、窓を開け放つ。吹き込む風を浴びていると、熱をもった頬が冷めていくのが分かった。町並みの向こうにそびえ立つ山脈の冠雪を眺めていると次第に鼓動が落ち着いていき、俺は席に戻り計画書へと目を滑らせた。

拙作をお読みくださり、ありがとうございます。

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