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極光の遥か  作者: 砂原翠
6/15

落石

「失礼。取り乱したわ」

 呼吸が整うと、アイラはあっさりと立ち上がり、涼しい顔でそう言ってのけた。その姿に幼い少女の面影はなく、家門を背負って立つ貴族そのものだった。

 俺たちは再びソファーに腰掛け向かい合う。アイラは指を組み、静かに切り出した。

「身分制と王制を廃すのですよね」

「ああ」

「国民に主権を持たせるなら、民衆の意見を取り入れる必要がありますわ。上から下賜された権利では民衆の自立心を阻害するでしょう。権利を勝ち取っていく過程にも関わりを持たせないと」

 驚いて、身を乗り出す。彼女は、俺たちの目的のために助言をくれているのだと気づく。

「ヒュットネン卿は商才で貴族になられた方。平民に近しい立場を取る貴族よ。各地で暴動を起こしている労働団体にも伝手があると聞くわ。きっと、力になってくださるでしょう」

 すくとアイラは起立し、姿勢を正して微笑んだ。

「キウル家は全面的にあなた方を支援いたします。ええと、何とお呼びすれば良いかしら?」

 俺も立ち上がり、笑顔で応える。

「レオ」

「ありがとう、レオ。陛下にもよろしくお伝えください」

「ああ。こちらこそ、ありがとう。アイラ」

 真っ直ぐな目線が、通じ合う。期待と信頼の色。喜びと共に、重いと思う。預かっているのは、彼女たちの人生なのだ。

 当たり前だ。俺は、俺たちは、この国の全員の人生を預かり、影響を与えようとしている。

 この重さを抱くことの畏れを忘れず、けれど怯えることなく受け入れたい。強くなりたい。これは、ユリウスがずっと背負ってきた重責だ。共に立ち向かえるほど強くなりたい。

 彼が寝室で息をしていること。それだけのことが、無性に心強かった。

 帰りの馬車の中で、俺はシルヴァに問い掛けた。

「なあ、あんたから見て、あの王様はどうなんだ」

 向かいに座った彼女は、俺の顔を一瞥し、目隠しの布で覆われた窓の方へと目を遣る。

「正直言うと、頼りない」

「はは……」

 乾いた笑いを落とすしかない。病弱で穏やかな性格のユリウスは、確かに頼りがいがあるとは言えないだろう。

 けれどシルヴァはそっと顎を引き、表情を和らげた。

「人の上に立つ者は、時に冷酷なまでの判断力が求められる。だがあのお方は、いざという時に情を捨てられない方だ」

 後れ毛を耳に掛け、シルヴァは口元に微笑みをのせる。

「だから掌握しきれない人心もあるだろうが、だからこそ民に慕われる方でもある」

 その言葉の柔らかさに、二人の重ねてきた年月が滲んでいた。

「……あのさ、あんたはどうしてユリウスの騎士に?」

 シルヴァの手が腰に帯びた剣へと伸びる。

「私の生家は代々騎士の家系で、初めは姉が近衛騎士を任じられていた。だが、眠る王を襲おうとした暗殺者と対峙し、殉職してな。私が繰り上がったというわけだ」

「暗殺……。ユリウスは、命を狙われているのか」

「病に侵された陛下は王座に相応しくないと考える勢力は、昔からある。あの方は誰よりも苛酷な道を歩んで来られた」

 彼女の声が微かに震えたが、それも一瞬のことで厳しく律せられた声が言う。

「近衛騎士になって最初の頃は、姉より優れた騎士であらねばならないという重圧しかなかった。だが、陛下と過ごすうちに劣等感など霧散した。陛下はこの国の全土を、歴史も未来も、民の全てをも視野に入れ、手を伸ばそうとされていた。そんな広い世界を前に、私は己を恥じる暇もなかったのだ」

 シルヴァはすっと、眼光を強めた。行儀よく揃えられたブーツの先が前に伸ばされ、俺の足先にぶつかる。

「私は陛下に従うだけだ。恐れ多くも進言する立場にはない。だから、陛下が王座を手放そうとすることに対し、とやかく言うつもりはない」

「だが、俺には言いたいことがあるんだろ」

「レオ」

 彼女は初めて俺の名前を呼んだ。

「私はあの方ほど王に相応しい方はいないと思っている。けれどお前は陛下から王位を奪い、ロイヴァス王国の仕組みを一新させようとしている。賢王を失い、おそらく一時的に政治は後退する」

 爪先が押し合う。どちらも退く意思はなかった。筋力で勝ったシルヴァに、俺の足は押し込められる。

「だから必ず、その犠牲に見合うものをこの国にもたらしてくれ。それだけがユリウス様の願いだと、私も知っている」

 俺は唾液を飲み込み、神妙に頷いた。

「必ず」

 その答えに満足したのか、シルヴァは顔色一つ変えなかったものの、揃えた足を引き姿勢を正した。彼女の視線は再び景色の見えない窓へと向かう。

 刹那だった。

 激しい揺れが馬車を襲った。体が前に投げ出され、頭を酷く打ち付けるすんでのところでシルヴァの胸に庇われた。彼女の体をクッションにしても殺しきれなかった衝撃が痛みとなって全身を襲う。

 ようやく振動が収まっても、痛みと痺れで体が麻痺し、シルヴァに引き摺られながらでないと、横転した馬車の中から這い出すことができなかった。

「嘘だろ……」

 外の光景に、俺たちは息を飲んだ。馬車は崖沿いを進んでいたところで、落石の被害に遭ったようだった。馬は大怪我をし、車体部分は今にも崖下に転げ落ちそうな箇所で何とか留まっている。騎馬や徒歩で護衛していた騎士たちも負傷し、数名は谷底へと投げ出されてしまったようで、辺りは凄惨な有様だった。

 ──暗殺者と対峙し、殉職してな。

 先刻のシルヴァの言葉が蘇って胸の底が冷えたが、事故の可能性も高いと気を引き締める。

 額から血を流したシルヴァが声を張り上げる。

「馬車が危険だ! 被害が広がる可能性がある。動ける者でまず車を起こせ! その後速やかに負傷者を救護しろ!」

 そして彼女は俺の背を押し、促した。

「崖下は危険です。陛下はひとまず私と安全な場所まで避難しましょう」

 気迫に圧され、俺は頷くことしかできず、導かれるままに足を動かした。負傷者の手当てと遺体の引き上げは夕刻まで掛かり、王宮に着く頃には夜が更けていた。それから諸々の処理を終え、指示を出し終え塔に戻れたのは、深夜を過ぎてからだった。

 ユリウスの寝室は暗く、起こすのが躊躇われ中には入らなかった。二階の自室に戻れば、扉の隙間から仄かな光が漏れていた。部屋に入ると、ユリウスが俺のベッドの上に腰掛けていた。

「あんた、寝てないと……」

 呆然と声を掛ければ、「今日はたくさん眠ったから体調が良いんだ」と微笑んだ。

「伝令の知らせを、母上から聞いた。大変な思いをしたな。疲れたろう」

 ユリウスの穏やかな声に張り詰めていた力が抜け、俺は彼の足元へと崩れるように座り込んだ。

「大丈夫か、レオ」

 焦ったユリウスの手がこちらに届く寸前、俺は声を張り上げた。

「俺は今日、命に優先順位をつけられ、一番に助けられた。死人や重症者もいる中で、真っ先に安全な場所につれていかれた。そこでもずっと付きっきりで守られていた。俺が平等を望んでいたのに、命の価値は等しいのに、俺がそれを踏み躙ってしまった」

 項垂れた俺の声は、情けのない告解のようだった。躊躇いがちに宙に留まっていたユリウスの手が俺の肩に置かれ、軽く揺すられる。

「それは違う。全て私の責任だ。私が不平等を放置していたために、お前に辛い思いをさせた。すまない」

 それは甘い誘惑だった。こいつに罪を全て被せてしまえば、楽に息ができる。自分の正当性を疑わずに済む。けれどそんな資格はないと分かっていた。俺は顔を上げる。

「でも俺も社会の一員だったんだ。俺も加担していた。言われるまで、疑問も抱かなかった。俺だって、加害者だったんだ」

 両手の平を目前に掲げる。労働と体罰に歪んだ手。

「何も考えず、こんなものを守っていたんだ。俺が世界の理不尽に加担したせいで、更に弱い立場の奴が踏まれ続けたんだ」

 病魔に侵された細い手が、俺の両手を包む。

「私とお前の責任の重さが同じわけない。私は為政者で、お前は奴隷だったんだ」

 分かっている。立場によって責任の軽重は異なる。それでもこの社会で生きる限り、誰もが無辜の民ではいられない。

 内側から切り裂かれるような痛みだった。けれど痛みは、両手に触れた体温と混ざり合った。痛いけれど、この痛みが俺を律してくれる。力になる。まだ、立ち上がれる。

 ユリウスが真っ直ぐに俺を見つめ、言った。

「自分が許せぬのなら、私たちは二人で責任を果たそう。過去は変えられない。今からできることをするのだ。そうだろう?」

「ああ。そうだな」

 力強く答えると、頬が少し緩む。笑って、俺は問うた。

「なあ、あんたは王じゃなくなるのが怖くないのか」

「じゃあレオは、王の影武者を辞めるのが怖いか」

「俺とあんたは違うだろ。あんたはずっと、王になるために生きてきたんじゃないのか」

 背後のテーブルに置かれたランプの明かりが揺れる。シーツの影が、朝焼けの海面のごとく波打った。

「お前が創りたいのは、誰もが王より偉い世界なんだろ。だったら、王じゃなくなった私は今より更に偉くなる。できることの幅も広がる。怖がることなんて何もないだろ」

 その声に、言葉に、あまりにも信頼が満ちていて、泣きたくないのに泣いてしまった。子どもをあやすように、とんとんとユリウスが俺の手を叩く。

「私のことが心配か。死に損ないの体で、王位さえも失って、路頭に迷うのが痛ましいか」

 嗚咽を噛み殺し、固く固く両手を握った。

「死に損ないなんて言うなよ。自分は全て悟っていますみたいな顔して、実際何も諦めていないんだから、もっと足掻けよ。必死に、本当の願いにしがみつけよ」

 優しい手が、濡れた頬を拭う。

「私はお前の方が心配だよ。悲願が叶った後、生きる意味を見失いはしないか。人生に、自分だけの夢を見出せるのか」

 そして俺たちは顔を見合わせ、子どものように笑い合った。

「何か俺たち、似たようなこと言ってるな」

「ああ、似た者同士だ」

 ひとしきり笑い終え、緩んだ表情でユリウスは言った。

「私を気に掛けてくれてありがとう。私という人間を大切に思ってくれてありがとう」

 その言葉に、王としか生きてこなかった人間の手触りがあった。シルヴァの言葉が、胸に過る。

 ──暗殺者と対峙し、殉職してな。

 口を開きかけ、固まる。ランプの明かりが天井に反射し、幻想的に揺らぐ。「オーロラを見たい」と語った痩せた体を思い出す。俺は口を閉じ、ベッドの上のユリウスの隣に腰を下ろした。

 ユリウスの肩に手を回し、背中からベッドに倒れ込む勢いで、彼を引き倒した。

「急に何をする」

「まあまあ、上見ろって。オーロラってこんな風なのかな」

 天井を指差せば、横でふっと笑う気配があった。

「まさか。こんなものより何倍も美しいに決まっている」

「そうか。じゃあ実物を見るのが楽しみだな」

「……ああ」

 飲み込んだ言葉が腹の底に溜まる。疲れ果てた一日に、気力も体力ももう残っていなかったが、隣で笑ってくれる人がいるだけで明日もまた起き上がれる気がした。暗い天井を照らす橙の柔い光を網膜の中に閉じ込めて、俺は瞼を下ろした。

拙作をお読みくださり、ありがとうございます。

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