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極光の遥か  作者: 砂原翠
2/15

願い

「まさか、ここまでとは……」

 汚れを落とし、外見を整えた俺を見て、長髪を一つに束ねた鋭い眉の護衛騎士──シルヴァは呟いた。

 姿見の前に座らされ、撫でつけられた髪や煤一つない肌を見ても、これが自分だという実感はない。しかしこの部屋の主、酷く豪奢なベッドからこちらを眺めるロイヴァス国王──ユリウスと双子のように似ていることは分かる。

 連れて来られた王宮は、四角形に御殿が囲んだ中央に、大きな塔がそびえ立っていた。塔の一階に王の寝所があり、中はきらびやかな調度品で整えられているが、どこか閑散とした印象を受けた。

 大きな枕に背中を預け、ユリウスは優雅に微笑む。

「ああ、大事なことを聞くのを忘れていた。お前、名前は?」

「レオ」

 俺の全財産より高価であろう鏡から目を背け、俺はユリウスに向き合った。

「つーか、あんたは何で平民の格好で貧民街なんかうろついてたんだよ」

「王宮の、それも寝床に張り付いていては、見えないものが多すぎるからな」

 ユリウスはそう言ってベッドから体を起こそうとし、胸を押さえて咳き込んだ。俺は立ち上がり、ベッドの前まで歩み寄る。

 嗄れた声で咳払いし、ユリウスは俺を見上げた。

「この段になって言うのは甚だ不誠実だとは分かっているが、王が病に臥せっているということは国の安泰を揺るがす機密事項で、知ったからにはお前はもう逃げられない」

 呆れて俺は肩を落とす。

「本当に今更だな」

「誠に申し訳ない。つまり、私はお前に借りが一つある。ああ、影武者になるのは借りではないぞ。お前の願いでもあるのだからな」

「うるせえな、分かってるから本題を言え」

 ユリウスを見下ろしたまま言い放てば、シルヴァが我慢ならないという様子で口を挟んだ。

「おい、口を慎め」

「シルヴァ、構わぬ」

 護衛騎士を諌めると、ユリウスはベッドに背を倒した。投げやりな様子で仰向けになりながら、彼は絞り出すように言った。

「借りがあるのは気分が悪いから、私もお前に一つ貸し付けてやろう。望みを言え」

「それが人にものを頼む態度かよ」

 思わず笑ってしまう。こいつ、どれだけプライド高いんだよ。笑った吐息のまま、一気に声を吐き出す。

「じゃあ、あんたの命をくれ」

 仰向けのまま、銀の瞳が怪訝な色を帯び、こちらへ動く。片手で掻き上げた髪をぐしゃりと握り潰し、ユリウスは体を起こした。

「悪いが、私の命は私だけのものではないのだ。等しく民のものでもあるから、差し出すことはできない」

「そんなことは知ってる。あんた、そう長くないんだろ。だから、病があんたを殺す直前で良い、俺にとどめを刺させてくれ」

 ──王を殺す。

 その誓いはまだ俺の中にあった。

 多少形は歪んだが、成し遂げなければ俺は永遠にあいつを葬れない気がした。

 けれど、あっけのない調子でユリウスは首肯した。

「はあ、そんなことで良いのか」

「そんなことって、分かってんのか。死因、他殺になるんだぞ」

 意地の悪い顔でにやりと笑い、ユリウスは歌うように言う。

「病死も他殺も恐ろしさは大して変わらん。これから私はお前の人生全てを奪うんだ、最期くらいはお前にやろう」

 これは恐ろしい契約だと、脳裏の片隅で警鐘が鳴る。湧き上がった震えを噛み潰し、俺は吐き捨てた。

「どうも。じゃあ、ありがたく予約しとくわ」

 ユリウスがこちらに手を差し伸べた。その手を取ると、ひやりと冷たい感触がする。薄く肉体労働を知らない王族の手。酷く頼りない手のひらが、何故か禍々しいものに感じられて、胃の内側が竦んだ。


 ソファーに腰掛けた王母は凄まじい形相で俺を見た。

「──影武者?」

「そうです、母上。レオがいれば行うことのできる政務の幅も広がりますし、王が姿を晒すことで国民も安心するでしょう」

「それが、あなたの選択なのね? 本当にそれで後悔しないの?」

 ユリウスの母──ロイヴァス王母ヘリュは柳眉を吊り上げ、息子に問うた。

「ええ。この選択が民のためになると信じています」

 息子と揃いの銀色の双眸が眇められると、染み一つない薄い肌がたわみ、小皺に影が落ちる。ヘリュは俺を一瞥し、言葉を飲み込むように唇を引き結んだ。

 影武者の件を知る者はなるべく少ない方が良い、と言ったのはユリウスだった。俺と王と護衛騎士、そして王母だ。

『母ちゃんに言う必要あるのか?』俺が問えば、『私を産み育てた人だ。流石に隠し通せないだろう』とのことだった。

 だがいざ打ち明けるためにユリウスの寝室へ呼び寄せたものの、険しい顔つきで押し黙ったヘリュに、俺の心は砕けそうだった。

 必死に愛想笑いを作り、俺はヘリュの前に歩み出た。

「あー、心配する気持ちは分かるが、あんたの息子はしっかりしてるし、頼りないだろうが俺も努力する。だから信じて任せてくれよ」

「……あなた、王族への口の利き方も知りませんの?」

 冷たく、撥ねつけるような口調だった。言い返そうと口を開きかけた俺に目配せをし、ベッドの上からユリウスは母を諭す。

「母上、お許しください。人間は皆対等であるというのがレオの信条なのです」

「何と不敬な……!」

 俺は大きく舌打ちを漏らし、ユリウスのベッドの端に腰を下ろした。面倒臭え。自分の母親くらい自分で説得しろ。

 ユリウスはため息を一つ落とし、身を乗り出す。

「母上。私には彼が必要なのです。健康な心身と鋭い知性を持ち合わせている。私も、彼の考えが正しいと思うのです」

「わたくしたち王族と、彼のような下層民が対等であると、本当にそう思っているの?」

「ええ。一日のほとんどをベッドで過ごさなければならない私と、自分の足で自由にどこへでも行ける彼の命は等価であると思っておりますよ」

 ヘリュの顔が歪む。ユリウスは優しく微笑んだ。

「私たちは二人なら、きっと今まで届かなかった願いも成し遂げられる。そんな気がするのです。母上に安心していただけるよう、彼のことはこれから鍛えます。だからどうが、私を信じてください」

 長く長く息を吐き、ヘリュは目頭を長い指で押さえた。

「分かりました。では、母はあなたの意見に従います。けれど、王宮はあなたの足を掬う機会を窺っている貴族で溢れています。それを肝に銘じておくのですよ」

「はい。しかと受け止めました」

 王母が部屋を去ると、俺はベッドに仰向けに倒れ込んだ。

「何か、ややこしそうな人だな、お前の母ちゃん」

「魔窟の王宮で生き抜けば、誰だってややこしくなる。そういえばお前、両親はいるのか」

「いねーよ。いや、いるのかもしんねーが、知らねえ。元奴隷だったら、そんな奴はごまんといる」

「──そうか。では、学はどのくらいある」

「少しだけだ。読むのはできるが、書くのはそんなに。計算は簡単なものなら」

「ほう。誰か教師がいたのか」

 脳裏に蘇るのはあいつの姿だ。知恵をつけないと自立した市民になれないと、いつも小難しい本を朗読していた。

「別に。つーか、さっき言ってた鍛えるって何のことだ?」

 ユリウスは腕を組み、眉根を寄せた。白い眉間に皺が寄る。

「全てだ。学問に教養、社交やマナーから政治まで何もかも足りない。鍛えるぞ。覚悟しろ」

 俺はベッドの上で体を転がし、ユリウスの方を向き、肘を立てて頭を支えた。

「あんたが教えるのか?」

「一流の教師を呼ぶこともできるが、身代わりのことを知る者はできるだけ少ない方がいい」

「王様に教えられるのか?」

「まあ、私は世間知らずの死に損ないだが、お前よりは知識がある」

 ちらりとユリウスが目配せすると、部屋の隅に控えていたシルヴァが机の上に積また大量の本を抱え、歩み寄ってくる。俺は悪い予感に半笑いのまま上体を起こすと、膝にどさりと置かれた本の重みに膝が軋んだ。

拙作をお読みくださり、ありがとうございます。

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