表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
極光の遥か  作者: 砂原翠
15/15

【最終話】極光

 風景が白く移っていくと、車輪が外され橇に付け替えられた。橇に押し潰され雪が軋む音も、降りしきる雪花に吸い込まれていく。かじかんだ両手を手袋のままこすり合わせ、俺は雪景色を眺めた。

 ユリウスの母でさえ、俺たちのことを双子のようだと言った。本当の双子であったなら、離れていても通じ合うものがあっただろうか。俺はユリウスが今、生きているのか死んでいるのかさえ分からない。分からないことも恐ろしいが、真実を突き止めることは更に怖い。

 「夢を叶えろ」などと、どうして言ってしまったのか。叶って欲しいと願う気持ちは本物だが、現実的に彼の体力では難しいことも知っている。

 心の底では、ユリウスを自分だけのものにしたくて、誰の手にも届かない所へ追いやったのでは?

 もしくは、王としての彼を未だに許せず、己の手を汚さずにに殺そうとしたのでは?

 答えのない問いに頭を悩ませ、また無意識の混沌へと答えを求めてしまう。

 ユリウスを殺すのが本当の願いだったとするなら、ユリウスが死ねば俺は嬉しいのだろうか。

 リューリが死んだ後、俺は怒りに支配されて彼女の死をきちんと悼むことができなかった。その怒りが間違いだったとは思わないが、悲しみが俺の中で行き場を失い、彷徨っている気がしてならない。

 ──ユリウスを喪ったとき、俺はその悲しみに向き合えるだろうか。

 そこまで考えて、まだ死んでいると決まってはいないと自嘲する。自分の本心さえ分からないのだから、例え俺たちが双子だったとしても、ユリウスの運命なんて分かるはずがなかったのだ。揺れる座席で俺は瞼を閉じた。

 凍える夜を幾度か越え、橇は集落へと辿り着いた。時刻は深夜を迎え、満天の星が闇に反旗を翻す。御者に案内され、俺はひとつの天幕へと足を踏み入れた。

 天幕の中では焚火が燃えている。枯れ枝を集めた簡易なベッドには、毛皮の毛布が盛り上がっている。端をめくると、顔を赤くしたユリウスが横たわっていた。

 そっとユリウスの頬に触れた。寒さに慣れた手の平には焼けるように熱く感じる。長旅が体に障り、寝込んでしまったのだろう。

「ユリウス」

 呼び掛けると、瞼が震えた。銀色の双眸がゆっくりと姿を現す。掠れた声が言った。

「私のために来てくれたのか」

「自分のために来たんだよ」

「そうか、それならよかった」

 ユリウスは小さく笑った。その表情は熱に朦朧とし、体はぐったりとベッドに沈んでいる。

「オーロラは見たか」

 俺の問い掛けに、彼は小さく首を振る。

「まだだ」

「そうか。じゃあ、見に行こう」

 ユリウスを背中に担ごうとしたとき、何かかが床に転げ落ちた。拾い上げると、それは見覚えのあるナイフだった。

 俺が、ユリウスを刺そうとしたナイフだ。

「お守りだ」

 ユリウスは言った。

「道を違えることがないよう、戒めとして肌身離さず持っていたのだ」

 安物の錆びたナイフが、記憶にあるものより綺麗に磨かれていた。俺はそれをベッドの上に戻した。

「置いていこう」

 ユリウスを背負い、倒れないよう足を踏み締めながら雪道を行く。御者から、森を進んだ先の湖畔でよくオーロラが見えると聞いてあった。

 王を殺したいと思っていた。あの頃の俺にとって、奴隷制を放置し、リューリが死んでから奴隷制を廃止した王は不条理の象徴だった。俺は不条理に抗いたかった。

 だけど、抗いようのない不条理が目の前にある。死に直面しているユリウスに、俺ができることはあるだろうか。

 刺されて意識を失ったとき、死ぬかもしれないと思ったけど怖くなかった。それはきっと悲願が成就し、夢が叶って、心残りがなくなったからだ。

「あそこで、何かが光っている」

 耳元で、ユリウスが言う。夜空の端にぼんやりと見える淡い光を見て、俺は頷いた。

「行ってみよう」

 奴隷主から鞭で打たれ、死にゆくリューリを前に、俺は意思を曲げるよう説得することしかできなかった。彼女は最期まで気高かったが、誰にも認められない中で、苦しい思いをしなかっただろうか。俺は、彼女をちゃんと見送ることができなかった。

 ユリウスから死を遠ざけたい。苦悩を取り去り、幸せにしてやりたい。それができないならせめて、恐怖を感じさせずに逝かせてやりたい。

 雲のような光は段々と輝く帯になっていく。眩い光芒を追って、森を進む。しばらく行くと氷の張った広い湖に出た。ユリウスを背から降ろし、汗を拭って仰向けになる。

 全天に、いくつもの光の襞が躍る。輝く緑白色のカーテンが、裾を揺らし、星空にはためいている。緑色は次第に光を強め、下縁を白や薄紅色に移ろわせていく。

「美しい……」

 ユリウスは感嘆の声を漏らした。

「ありがとう、レオ。夢が叶った。お前があの日、私を見つけてくれて本当によかった」

 最悪の出会いだった。ユリウスを殺そうとして、失敗して。けれど、それが全ての始まりだった。

「俺と出会わなければ、あんたはもっと長生きできただろうさ」

 恥ずかしくてユリウスの顔を見ることができなかった。けれど、ここで照れていたら一生後悔する。そんな確信に押され隣を見ると、彼の双眸は美しい光に染まっていた。

「そうかも知れぬが、こんな幸福な人生はなかった。素晴らしい経験をし、絶景を見て、最愛の人に出会えた」

 ユリウスの頬を雫が伝う。その表情が崩れていくのを、俺は成す術なく眺めた。

「やはり死にたくない……。お前ともっと美しい景色を見たかった。お前ともっと楽しいことをしたかった。お前をもっと幸せにしたかった」

 いつもユリウスは人のことばかり考えていた。今でさえ、俺のことを気にしている。

 俺は十分愛された。次は俺が返す番だ。ユリウスに一番必要なものをあげたい。

 片肘をつき、半身をユリウスの方へ起こす。泣きたいけれど笑った。ユリウスを安心させるのが俺の役目だ。

「天国は、これより何倍も美しいに決まっている」

 ああ、俺はちゃんと笑えているだろうか。向かい合っているユリウスが泣いているから、鏡を見ているような心地になる。

「俺も俺で楽しく生きて、あんたに土産話を持っていくよ。だからそれを、楽しみに待っててくれ」

 透明な涙を落とし、ユリウスが笑った。

「じゃあ、先に天国へ行って、一番美しい場所を探しておくよ。また一緒に見よう。何度だって私を見つけておくれ」

 その笑顔がどうか、俺のためのものではありませんように。どうか彼の苦しみのほんの少しでも、引き受けてあげられますように。

「ああ。何度だって会いに行く」

「また新しい夢ができたな」

 ここからだって、まだ夢を見る。ユリウスが震える手を伸ばす。俺はその手を強く握った。

「叶えるよ、必ず」

 天から光が降り注ぐ。夜空に架かる光の橋。美しい道標。

 指先に微かに力がこもり、ゆっくりと抜けていく。冷たく温度が消え去るまで、俺は愛おしい片割れの手を握っていた。

ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。

また、少しでも心に残りましたら、ページ下部にある評価欄を

☆☆☆☆☆→★★★★★のように色を変えて評価していただけると、とても嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] とても胸に残るお話でした。 読ませていただきありがとうございます。
2023/11/07 16:20 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ