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極光の遥か  作者: 砂原翠
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自由

 夢を見た。そこではユリウスは王じゃなくて、俺も奴隷ではなかった。二人で旅をしていた。世界の美しさを一つも取り零さないように──


 痒い。ちろちろと揺れる光が瞼の表面を擽っている。我慢できずに目を開けると、視界がぼやけて何も判別できない。すると、よく知った声が耳に飛び込んできた。

「目が覚めましたか。おはようございます」

 身じろぎすると、腹部が激しく痛んだ。

「痛っ……え、アイラ?」

 乾いた喉から声を絞り出せば、声帯が引き攣れて咳き込んでしまう。そんな俺を見て、アイラは椅子から立ち上がり、水の入ったグラスを手渡した。

「レオ。あなたは死にました」

「は? 天国……?」

 ベッドから体を起こして辺りを見渡すが、豪奢な部屋は天国のイメージとは程遠い。ゆるりとアイラは首を横に振る。

「生憎、ここはキウル家の屋敷です」

「何でアイラの家にいるんだ?」

「王はあの日、凶刃に倒れたことになっています。あなたを匿って治療するために、キウル家で保護させていただきました」

 受け取ったグラスを呷る。冷えた水が喉を潤し、生き返る心地がした。アイラはベッド脇の椅子に腰掛け、泰然と溜め息を吐いた。

「ヒュットネン様は恐ろしいお方ね。あなたの死を捏造し、早逝の賢王を英雄化して、新政権がその意志を継いだとして高い支持率を集めています。国民はラッセ・カートラ大統領に夢中です」

「どうしてそんなことを……?」

「さあ? 都合よく利用したかったのかもしれませんし、好意的に解釈すればあなたを政治のしがらみから自由にしたかったと思うこともできます」

「自由」

 口にすれば、甘い響きに舌が痺れた。

「アイラも今、自由なのか?」

「身分制の廃止のせいで、元貴族たちは皆、苦難を強いられていますわ。領地も没収され、生き残りのために試行錯誤しております」

 悪戯に笑うアイラは、幼い見た目に相応の無邪気さを秘めていた。

「ですので、私は時代に取り残されないために大学に入って学問を修めることにしました。自由に好きなことをしていますわ」

 アイラはベッドに歩み寄り、空になったグラスを俺の手からするりと抜き取った。

「あなたは二週間ほど意識を失っていましたが、幸い内臓をそこまで痛めていないようです。医者が言うには、もう動いて構わないそうですよ」

 グラスの縁に残った水滴が、一瞬眩く窓からの陽光を反射する。

「影武者はもう必要ありません。あなたはもう、ただのレオです。レオはこれから何がしたいのですか?」

 突然のことに呆気に取られ、何も返答ができずにいると、アイラは気にする素振りもなく部屋を後にした。見知らぬ部屋に一人残され、俺は着せられていた寝間着をそっと脱いだ。腹に巻かれている包帯と滲んだ血を確認し、寝間着を再び整える。

 自由になりたいと泣いていたアイラが好きなことをしていると言う。それだけで尽力した甲斐があったと思う。けれど、あなたは自由だと告げられても実感が沸かない。痛みを確かめるように腹をさする。想像通りの疼痛に安堵する自分がいた。

 纏まらない思考に放心していたが、ノックの音に中断させられる。盆を手に入室してきた人物に、俺は目を瞠った。

「シルヴァ」

「目が覚めて何よりです、レオ」

 シルヴァは高く結った髪を颯爽と靡かせながらベッドへ近寄り、湯気を纏った椀を俺に差し出した。

「食欲がないんだ」

「栄養をつけないと回復できないぞ。薬草スープよりは美味しいはずだ」

 彼女の言葉に、深緑色の療養食を思い出し、口元がほころんだ。椀を受け取り、とろみのついた白いスープを口に運べば、ミルクの風味が舌を慰める。

「本当だ。千倍美味い」

 温かなスープが胸の氷を融かしていく。俺はアイラに聞けなかった問いをシルヴァにぶつけた。

「なあ、ユリウスはどこにいるんだ?」

 彼女はベッドの横に立ったまま、静かに声を落とした。

「お前が言ったのだろう。夢を叶えろと」

 最も恐れた答えを受け取り、息が止まるような、それでいてやっと息が吸えるような心地がした。漠然とした不安が、ひとつの現実として俺の前に姿を現す。

「北に向かったのか。一人で」

 俺の言葉が、ユリウスを死地に向かわせたのではと怯え、アイラに確かめることができなかった。シルヴァは武骨な手を胸に押し当てた。

「お供させてくださいと申し出たが、断られてしまった。もう王ではないから護衛騎士は要らないと」

 切ない微笑みに、心臓を貫かれる。

「レオ。お前ももう影武者ではない」

 ──レオはこれから何がしたいのですか?

 アイラの問いが蘇る。

 俺がユリウスを行かせた。それが彼にとってどんな意味を持つのかを知りながら。

 ユリウスに追いつきたい。

「なあ、シルヴァ。あいつがオーロラを信じていたのは、王宮が北方との繋がりを持っていたからじゃないのか」

 国民の間では、オーロラは夢物語だと思われていた。それなのに、ユリウスがオーロラの存在を強く信じていたのは、きっと根拠があったからだろう。

 シルヴァが椅子に腰掛けた。伸びた背筋に、同じ高さで目線が交わる。

「北方の民族との交易航路を開拓途中だった。事業は新政府に引き継がれるはずだ」

「俺も連れて行ってくれ」

「ユリウス様はレオに、自分の人生を生きてくれと仰っていた」

 影武者として生きた年月を思い返す。ユリウスの人生に間借りしたような生活だったが、あれも紛うことなき俺の人生だった。

「自分のために、行きたいんだ」

 俺の言葉にシルヴァは目を閉じた。一瞬の無防備な表情に怯んだ俺を、彼女は眼光で縫い留めた。

「お前のせいで、民は賢王を失った」

 俺の喉が小さく鳴る。構わずに彼女は続ける。

「北へ向かい、ユリウス様は残り短い寿命を縮められただろう。もしかすると既に、道中命を落とされているかもしれない」

 正しすぎる詰問に俺は俯いた。両手の中の、温かなスープの湯気が目に染みる。けれど、俺にとどめを刺すはずだった声は、切れ味を落とした。

「だが、あの方が夢を掴むために背中を押すことは、お前にしかできなかった」

 顔を上げると、シルヴァが深く頭を下げていた。

「ありがとう、レオ」

 いつ如何なる時も毅然とした護衛騎士であった彼女がこうべを垂れるのを初めて見た。

 彼女はすっと起立し、「準備ができたら門まで来てくれ」と言った。

 スープを飲み干し、アイラに手伝ってもらって支度を整え、キウル家の門まで辿り着くと、馬車が用意されていた。よく見ると車を引いているのは馬ではなく、毛深い鹿のような獣だった。

「ヒュットネン様には無理を言った」

 シルヴァは車のドアを開け、俺を促した。乗り込む間際、彼女に問い掛ける。

「俺は、間違っていたのだろうか」

 何が、とは彼女は訊かなかった。ただ「人生に正解はない。きっと間違いもないのだろう」と囁いた。

 当然のことだ。自分で決めるしかないのだ。決断を委ねようとした自分を恥じ、「行ってくる」と宣言すれば、シルヴァは勢いよくドアを閉めた。ややあって獣が進み始める。振動が腹に響き、痛みが迷いを断ち切った。

拙作をお読みくださり、ありがとうございます。

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