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極光の遥か  作者: 砂原翠
13/15

真の夢

「陛下が刺された!」

 どこからか聞こえた声に、ようやく俺は状況を理解し、ナイフの刺さった腹を見た。血が衣服を赤く染める。傷口を目視し鉄の匂いを嗅ぐと、痛みが更にがなりたてる。

 悲鳴と共に人の波がさっと引き、俺の前に返り血を浴びた一人の少女が残された。

 乱れた髪、汚れた肌、破れた服。みすぼらしい容姿に浮浪児として生きてきたことが見て取れる。吊り上がった双眸に、暗い絶望と深い憎しみが燃えていた。

「ふざけんな」

 掠れた声で少女は言った。

「あたしが今まで、どんな思いをしてきたか分かる? 弱いガキの女の奴隷が、奴隷主に何をされてきたか分かる? 口に出すのも悍ましい経験を、あたしが幾つしてきたと思うの」

 次第に大きくなる痛みに、思わず膝をつく。見上げた少女の顔は逆光に塗り潰され、頬が濡れているように見えた。

「何が今更、解放よ、自由よ、平等よ……。そんなもので何が元通りになるというの。砕け散ったものを前に、何の意味があるというの」

 視界が霞む。思考が薄れる。けれど俺は渾身の力で微笑んだ。

「会いたかった」

 少女が一歩後ずさる。構わずに俺は手を伸ばした。

「ずっと、あんたに会いたくて、俺は王になったんだ」

 口に出してから、ああそうだったのだと思い至る。

「俺の声がやっと、あんたまで届いて、あんたの声がやっと、俺まで届いた。それが嬉しい」

 指先が、少女の手に触れる。

「会いに来てくれて、ありがとう。生まれてきてくれて、生き抜いてくれてありがとう」

「……いっそ、死んでしまえた方が楽だった」

「生き抜いてくれ」

 骨と皮しかない、冷たい手だった。ユリウスの手に似ていると思った。そう思うだけで優しい気持ちになる。返り血で濡れた手を、そっと俺の手で温める。

「自由と平等の上を歩んで、生き抜いてくれ。砕けた破片に血を流しても、あんたに踏まれるために敷いた道だ、あんたの血で汚してくれ」

「今まで散々苦しんできて、どうしてこれ以上苦しまなければならないの」

 少女の瞳から雫が零れた。拭いてやりたかったが、既に俺の手も汚れていた。

「苦難の中を生き抜いた、誇り高いあんたに相応しい道は、それ以外にないからだ。あんたの足に馴染むまで、何度も何度も踏み固めてくれ」

 彼女は俺と同じた。俺だって、全ての元凶である王を殺すことに固執した。それ以外のよりよい道を選べたのは、多くの出会いが俺を変えたからだ。人生の先に希望を信じられたのは、それを指し示してくれた人がいたからだ。

 俺は、彼女に伝えられるだろうか。言葉を交わしたのも初めてなのに、きちんと届いてくれるだろうか。

 願いを込めて手を握る。

「血濡れの道は、いつかきっと光の道になる。それを信じて、歩み続けてくれ」

 少女は薄く唇を開いた。彼女の声が音を紡ぐ前に、視界が歪んで揺らいだ。地面に体を打ちつけられ、倒れたのだと気付いた。

「陛下」

 シルヴァが駆け寄り、俺を抱き起した。

「すぐに医者を」

「塔に連れて行ってくれ」

「しかし……」

「頼む」

 シルヴァの顔が葛藤に染まる。けれどそれも一瞬で、彼女は表情を引き締めると、いつもと同じ凛とした声で「傷口を押さえていてください」と言い放ち、俺を抱え上げた。毅然とした足取りが塔へと駆ける。

 シルヴァが蹴破るように扉を開くと、ユリウスがベッドから跳ね起きた。

「レオ?」

 シルヴァに抱かれた血塗れの俺を見て、ユリウスが瞠目する。

「レオ!」

 ぐったりと弛緩した俺の体躯を、シルヴァがベッドに横たえる。痛みをこらえ天井を睨んでいると、ユリウスが俺の顔を覗き込んだ。

「私のせいだ……」

 震える声音に、ほんの少し痛みを忘れた。緩い息を吐き、口角を上げる。

「違う。俺のあんたも最善を目指したんだ」

 ぐしゃりと顔を歪めるユリウスに、俺は「寒い」と手を差し出した。血に汚れた手を躊躇いもなくユリウスは握り締める。その手の平の薄さと冷たさに「俺より冷たいんじゃないか」と笑えた。

 傷口から命が流れ出していく。不意にユリウスと同衾した記憶が蘇った。こいつと同じ布団で寝るのは二度とごめんだと思ったのになあ、と思うと力が抜けた。素直な言葉が唇から滑り出る。

「俺は世界を憎んでいた。いつも理不尽で不条理だ。醜い人間も、無力な自分も嫌いだった。あんたが民を愛してくれって言ったときも、馬鹿じゃねーのってどこか思ってた。育ちのいい、おめでたい奴だって」

 ユリウスが頬に光が伝う。外見はこんなに似ているのに、正反対の二人なんだと改めて感じる。

「だけどあんたと過ごしていると、そういう荒んだ気持ちが薄れていった。あんたが世界を、民を愛しているからだと思った。あんたの傍にいて、ようやく俺も民を愛するってことが分かってきた気がする」

 乾いた指先をきつく握った。秘めた感情が舌を苦く刺激する。

「でも本当は、俺はあんたから一番に愛されたかった。平等に向けられる民への愛じゃなく、俺だけを特別に。俺はあんたに、悪い王様になって欲しかった。こんな醜い思いが、俺の夢だ」

 一息に言い切って、怖くて目を瞑った。何が返ってくるのか、または黙殺されるのか。しかし、頭上から降ってきたのは酷く優しい響きだった。

「ならば私はもっと醜い。等しい愛を説きながら、私がそれを真っ先に破ったのだから」

 恐る恐る目を開く。

 涙が宝石の粒のように光っていた。細い髪も、銀色の双眸も、柔らかい顔立ちも、全て俺の知らないものだった。初めて見るユリウスが、そこにはいた。

「だが私はもう王ではない。愛しているよ。レオを一等特別に」

 冷えていく胸に、暖かな灯が宿る。

 本当は、逃げてきたのだ。愛とか夢とか、そういう幸福の匂いのするものから。

 大切なものができては、全て失ってきた。

 けれど初めて、掴もうと手を伸ばした。その手を強く握り返された。

「俺もだ。夢が叶った」

 ユリウスと過ごした日々は楽しくて、幸福と呼ぶに相応しかった。

「あんたも夢を叶えろ。残りの人生は、自分のために生きてくれ」

 彼が小さな震えを飲み込んだ。笑って頷いた片割れを見届け、静かな安堵が胸を浸した。

 これでもう大丈夫。やっとユリウスは自分の人生を歩んでいける──

 もっとユリウスを目に焼き付けていたいのに、強烈な眠気が俺を包んだ。意識が泥濘に浸かっていく。その先はただひたすらに生温い闇だった。

拙作をお読みくださり、ありがとうございます。

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