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極光の遥か  作者: 砂原翠
11/15

黒幕

 先の嵐の後、急激に気温が冷え込み、ロイヴァス王国に秋がやってきた。山々は紅や黄金色に染まり空は薄青に澄んでいく中、評議会が開廷し、俺は憲法原案を提出した。

 審議は熾烈を極め、特に身分制の廃止が焦点となり、喧々諤々の議論が続いている。

 午後の審議を終え、俺はユリウスの待つ塔へと帰ってきた。

「おかえり。今日も疲れたろう」

 珍しくユリウスはベッドから起き、椅子に腰掛けていた。まだ日没前だというのに、今朝からの濃霧のせいで部屋は仄暗い。普段なら窓から見えていた秋の明媚な風景も、霧に覆い隠されてしまっていた。

「起きていて大丈夫なのか」

「ああ。新しい薬を飲み始めてから、少し体が楽だ」

 俺はベッドに座り、煌々と燃える暖炉を眺めた。そうか。ユリウスの調子が良くなっているのか。炎の熱気に、かじかんだ体がほどける。

 ユリウスは膝の上で手の平をさすった。

「ここまで来たな」

「まだ終わってないだろ」

「ああ」

 俯いたユリウスの横顔に、影が落ちる。

「なあ、レオの親はどんな人だったんだ」

「親? 知らねーよ。物心ついたときにはもういなかったんだから」

「そうか……至らぬ政のせいで辛い思いをさせたな」

「別に。奴隷仲間は多かったし、毎日が無我夢中で、くよくよする暇なかった。そういうあんたはどうなんだよ?」

 俺の問いに、ユリウスが顔を上げた。その表情に綯い交ぜになった感情を突き止めることができないまま、再びそのかんばせは伏せられる。

「父上は……正しい方だった。いつでも間違わない……悩まない……。いや、父上の選択こそが正しいと信じたかっただけかもしれないな」

 独り言のような寂しさを纏った声だった。

「母上は、厳しい方だ。いつも母上には試されているような……挑まれているような……そんな心地がしていた。母上に失望されたらお終いのように思っていた」

 暖炉で火花が爆ぜる。外に満ちた霧が、室内の空気まで圧迫してくる気がした。

「ユリウス……」

 気遣う声音を跳ね退け、彼は言う。

「私は弱い。私は愚かだ。迷い、悩み、間違える」

「間違えない人間などいないだろ」

「王は、間違えてはいけない。預かっているのは、民の命だからだ」

 ユリウスの瞳に燃える炎が映っていた。あまりに壮絶なその色に、俺は息を飲む。そして、気圧された心を振り払うように、声を張り上げた。

「抱え込むな。俺がいるだろ」

 やっとユリウスがこちらを見た。

「ああ、そうだな。私は一人ではない」

 柔らかい弧を描いた双眸に、俺は胸を撫で下ろす。そのとき、ノックの音が部屋に響き渡った。

「ユリウス。入りますよ」

 聞き覚えのある鋭い声。ユリウスが静かに「どうぞ」と応えた。

 ドアを潜る、凛とした所作の壮年の女性。ユリウスの面影を感じる端正な顔付き。けれどロイヴァス王母ヘリュの表情は、息子と似つかぬほど冷たく研ぎ澄まされていた。

「母上。こちらにお座りください」

 ユリウスが立ち上がり、椅子を譲ろうとする。けれどヘリュは決然と首を振る。

「あなたはこの国の主なのですから、あなたが座りなさい。母は立ったままで構いません」

 息子が再び椅子に腰掛けるのを見届ると、彼女は冷徹な一瞥で俺を射抜いた。

「下賤の者は席を外しなさい」

 一瞬慄いた俺の代わりに、ユリウスが堂々と言う。

「母上。彼も当事者です。同席させてください」

「……好きにしなさい。それで、話とは何です」

 炎の中で薪が割れる乾いた音が弾けた。

「母上。どうしてレオを殺そうとしたのですか」

 俺はざっと血の気が失せるのを感じた。いよいよ決着をつける時が来たのだと、もう逃げられないのだということが突き付けられる。

 疑念のきっかけは、キウル邸を去る直前に零された、アイラの問い掛けだった。

 ──ヘリュ様は、この件についてどこまでご承知なのですか。

 ──何かあるのか?

 躊躇いを押し殺すように、アイラは指先で唇を押さえた。

 ──つい先日、ヘリュ様に陛下のご動向について詰問を受けたのです。近々お会いする予定があることをお伝えしたのですが……。どうやら他の貴族にも聞いて回っておられるという話を耳にしまして。

 王母は、俺の存在を快く思っていない。それは初対面から感じていたことだが、不信感がそこまで大きく募っていたのだと胸に迫った。

 そして俺への服毒未遂を知らされた日、ユリウスは絞り出すように言った。

 ──なあ、王を殺そうと思えば、塔にいる時を狙うのが一番理に適っていると思わないか。私の病状を隠すため、塔の内部に出入りできるものはごく少数。入口さえ突破してしまえば、シルヴァくらいしか妨げる者はない。現に、私が以前暗殺未遂に遭ったのも、塔の中でだった。

 ──何が言いたい?

 ──レオが危険な目に遭うのはいつも決まって塔の外。キウル邸やヒュットネン邸を訪れているとき、食堂で食事をしているとき。療養食には毒は盛られない。

 そう語るユリウスの歪んだ顔と震える声を、俺は忘れない。

 ──暗殺者はユリウスを殺したいのではなく、レオを殺そうとしている。

 ヘリュは美しい姿勢のまま、眉一つ動かさず声を紡ぐ。

「影武者を立てるなど、王を舐めているとしか思えません」

 彼女の言葉の強さと正しさに、ユリウスは押し黙った。

「影武者を通した借り物の言葉で、本当に国を統治できるとお思いか? 正統な王とは思えない。本当に情けない。王の自覚があるのですか」

 暖炉に暖められた室温が、彼女が呼吸する度に奪われていく。

「あなたは病弱に生まれ、病床に伏すことも多いですが、それでも病に侵された体で王として表に出るべきなのです。不安や不興を買うこともあるでしょうし、敵も増えたでしょう。それでも、あなたは自分自身の心と体で王になるべきだったのです」

 正論に見下ろされ、ユリウスは喘ぐように喉を鳴らした。

「影武者を立てたのは、私の問題でしょう。どうしてレオを害そうとするのです」

「いいえ、この男と出会わなければ、あなたは完璧な王だったのです。双子のような顔面を持った人間さえいなければ、あなたは楽な方へ流されることなどなかった。だから、ヘルレヴィ嬢の力を借りて抹殺しようとしたのです」

 堂々とした所作で、ヘリュは一歩前に進み出た。

「あなたの政策にとやかく言うつもりはありません。王とは愚民を導くもの。例え破滅に向かう道だろうと、わたくしは従うだけです」

 聞く者全てを叩き潰す気迫で、彼女は告げる。

「しかし、今のあなたには王の資格がありません。だからといって、あなたの代わりもいない。心を入れ替えて励みなさい」

 沈黙が落ちる。濃霧が部屋に充満しているような重苦しさ。暖炉の火に煽られ、王母の足元から伸びた黒々とした影を睨み付け、ユリウスが口を開く。

「どうして言葉で話してくださらなかったのです。いきなり殺そうとするなんて……」

「説得など意味があるものですか。他者の言葉で意見を曲げる者に、王の資格などない」 

 影武者の計画を打ち明けたとき、ヘリュは確かに言った。

 ──母はあなたの意見に従います。

 彼女は王に従う。けれど、一切納得などしていなかったのだ。

「あなたに現実を理解させるのも母の役目ですから」

 俺は思わずベッドから立ち上がった。

「聞いていれば、酷いじゃないか。俺が影武者を務めている間も、ユリウスは立派な王だった。一番近くで俺が見てきた。こいつの努力を否定するなよ」

 それまで俺のことが一切目に入らないかのように振舞っていたヘリュは、憤怒の形相で俺を見た。

「王でもない者が王の資格を語るなど片腹痛い」

「母上!」

 ユリウスの怒声が空気を切り裂いた。椅子に座したまま、ユリウスは母を見据える。

「本当は、私の王の資格を誰よりも疑っておられるのが母上なのではないのですか」

 眉根を寄せるヘリュに、ユリウスは畳み掛ける。

「国民を不利益から遠ざけることこそが、王の役目。だから私が前に立つ必要はなく、極論、私が王でなくてもいいと思っています。けれどそれが自分の理想と異なるから、母上は息子に王の資格があるのか疑い、その不安をレオのせいにして安堵したかっただけではないのですか」

 部屋に満ちた透明な霧が晴れていく。俺はやっと息が吸えた。

 ずっと、恐れていた。口に出せば自分の罪が明確に形を持ち、目を逸らせなくなる気がして誰にも言えなかった。

 俺は、自分の願いのために、ユリウスの人生を奪っているのではないのか。

 俺がいなくても、ユリウスは国民のために憲法を完成させただろう。アイラ、ハンヌ、ラッセ、レベッカ。彼等の誰もが、例えユリウスが病床に伏せていたとしても、ユリウスの言葉に耳を貸し、協力したに違いない。

 ユリウスに似た容貌と、健康な肉体を持っていたというだけで、俺はユリウスの努力の成果を掠め取っているだけではないのか。そんな恐れが消えなかった。

 だから、ヘリュの言葉は俺の怯えのど真ん中を貫いた。けれど、貫かれた痛みをユリウスの凛々しい声が包む。

「レオは学もなく粗暴ですが、私と共に王として立つに相応しい英知と資質を持っています。民のために彼は必要です。それを奪う権利は、王母であろうとない」

 誰よりも民を愛しているユリウス。彼から民を、そして民から彼を奪っているのではないかという迷い。それをユリウスが打ち砕いてくれた。無防備にそれを信じてもいいのか分からない。それでもきっと、俺がここにいる意味はある。

 暖炉の火がヘリュの肌を照らす。眉間と口元に刻まれた深い皺が、自分にも他人にも厳しく生きてきたのであろう彼女の人生を物語っていた。

「わたくしはあなたの父上を、あるべき王の姿と信じ、支えてきました。強権をもって臣下を従え、民を律し、導く。あなたの姿は理想からあまりにも遠い」

 小さく落とされた溜め息は、苦笑に似ていた。

「自らの王を信じていなかったのはこのわたくしです。信じる道をお行きなさい」

「ありがとうございます。私が頼りないばかりに、母上にはご心労をお掛けしました」

 ユリウスは椅子に座ったまま鷹揚に言うと、起立し母を見据えた。

「けれど、母上の選択は決定的に誤っておりました」

 ヘリュが僅かに緩ませた空気を真正面から拒絶する、冷めた目線だった。

「自分の欲求を叶えるためだけに殺人を企て、他人まで巻き添えにした。許されることではありません。ヘルレヴィ嬢と共に法の下で裁きを受け、罪を償ってください」

 風。あるはずのない、清涼な風を感じる。

「母上が奪おうとしたレオの命の重さは、私の命の重さと等しいのです。母上がそう思えなかったのは、社会の瑕疵でもあります。だから私は、社会を変える」

 ユリウスは全てを背負おうとする。王座から国の隅々まで、手を伸ばし続ける。

「母上は、王位が父から私に移ろうと、変わらず政を支え続けてくださいました。だからこそ、母上は新しい社会の価値観を受け入れる強さをお持ちだと信じています」

 ゆっくりと歩き出したユリウスは、ヘリュの横を通り過ぎ、入り口に立つとドアを開けた。

「しかるべき手続きの後、しかるべき者を迎えに行かせます。本日は、お引き取りを」

 唇を引き結んでユリウスの言葉を聞いていたヘリュは、深く一礼した。そのまま、一言も発することなく、彼女は部屋を後にした。

 鼻腔を煙たい匂いが擽る。見ると、暖炉の薪が燃え尽き白くなっていた。俺は窓を開け、空気を室内に招き込んだ。湿った風がふわりと俺を抱き込み、その奥のユリウスへと向かった。

 ただ真っ直ぐに佇むユリウスが酷く頼りなく見えて、俺は部屋の空気が全て入れ替わるまで窓際でじっと息を殺して待った。

拙作をお読みくださり、ありがとうございます。

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