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極光の遥か  作者: 砂原翠
10/15

正体

 塔から出ると、横殴りの風に髪を煽られた。鈍色の空は雲が風に押し流され、庭の木々が枝をしならせ葉を打ち鳴らしている。シルヴァのマントが空気を叩いてはためいた。

「陛下」

 彼女の声に促され前を見ると、灰色の世界に鮮やかな色が飛び込んだ。そこには、深紅のドレスに身を包んだレベッカがいた。真正面から風を浴び、髪や衣服を靡かせ、その胸元に大きな花束を抱えていた。

 赤、白、黄、薄紅、橙。色とりどりの花が強風に踊るのを抱き留め、彼女は微笑み駆け寄ってくる。

「お招きありがとうございます、陛下」

「悪天候の中、すまない」

「とんでもありません。こんなに強い風、久々で楽しかったですわ」

 愛らしく目を細め、レベッカは腕に下げた大きなバスケットを掲げてみせる。

「たくさんのお菓子をお持ちしましたわ。心行くまでお召し上がりください」

「楽しみだ」

 宮殿の大広間には、長机に純白のクロスが掛けられ、所狭しと豪華な料理で埋め尽くされていた。皿と皿の隙間には燭台が並べられ、蝋燭の炎が食事を照り映えさせる。レベッカはシルヴァに優しく声を掛けた。

「花瓶をいただけるかしら。食卓が華やぐと思いまして」

「すぐに用意させましょう」

 花束をシルヴァに預け、レベッカはテーブルに菓子を並べていく。腕の良い料理人が作ったというだけあって、どれも見た目に繊細な技巧が凝らされ、ふわりと甘やかな香りを纏っている。

 テーブルの短辺に当たる一番奥の席に俺は腰掛け、隣の長辺にレベッカが座る。彼女は皿のクッキーを一つ手に取った。一口で頬張り、「んー、美味しい」と幸せそうに表情を緩ませる。

「陛下もどうぞ、お食べください」

 レベッカの美しい指先がクッキーを摘まみ、俺に差し出す。

「デザートから食べるのか?」

「お作法を気になさります? ずっと甘味を我慢されていたのでしょう? 一番欲しいものから召し上がればよいではありませんか」

 長い睫毛が蝶のように羽ばたき、誘惑する。彼女の甘い言葉に従ってしまいたいという欲望を、俺は跳ね退けた。

「料理に毒が入っていることを知っているから、食べたくないだけでは?」

 大広間の窓に白く閃光が走る。一拍遅れて雷鳴が轟いた。

 雨粒が窓を叩く。外は暗く曇り、土砂降りが王宮を包む。

 花瓶を抱えたシルヴァが戻ってくる。鮮やかな薔薇が食台の中央に咲き誇った。

 弾ける雨音を、艶やかなレベッカの声が上塗りする。

「おままごとは終わりなんですの? 残念。とっても幼稚で愉快でしたのに」

 悪びれる様子もなく、レベッカは楽しげに笑みを浮かべる。左手でフォークを掴み、彼女は椅子を立った。ドレスの裾を翻し、レベッカは椅子に上る。高みからこちらを見下ろす彼女に、俺は言う。

「ヒュットネン邸で俺たちを襲った刺客の雇い主が分かったと、ハンヌから連絡があった。どうやらそいつは、ヘルレヴィ家に多大な借金をしていたらしいな」

 レベッカは片足をテーブルに掛ける。鋭いピンヒールが蝋燭の炎を反射して橙に光る。

「ヘルレヴィ家を訪れていた行商人が、俺が落石に遭った前日、復路にあの崖を通っていたらしいな。その時に何か細工をさせたんじゃないか?」

 深紅のドレスを大胆に揺らし、レベッカは食台の上に立った。花瓶が薙ぎ倒され、中の水がテーブルクロスを流れ、床に零れる。水音は雨音に掻き消され、聞こえない。

「何よりあんたは、俺の予定を全て把握していた。犯行を行うのは簡単だっただろうな」

 彼女は屈み、花瓶から飛び出した薔薇を数本、右手で掴んだ。背筋を伸ばしたレベッカは、右腕を俺に向けて突き出し、花を散らす。

「どれも状況証拠でしかないのではありませんの?」

 己の言葉を自嘲し、レベッカは乱暴な仕草でテーブルの上に腰を下ろした。食器が甲高い音を鳴らし、燭台が倒れる。

「ふふ。まあいいですわ。せっかく手を掛けて舞台を整えたのに、種明かしなんて無粋で興醒めですもの」

 そう言うや否や、彼女は食台から滑りおりた。ドレスがテーブルクロスを巻き添えにし、全てがテーブルから落下する。豪勢な食事が宙を舞い、無残に床へと散らばっていく。

 倒れた蝋燭の火が点いたテーブルクロスを右手で掴んで引き摺りながら、汚れた深紅のドレスでレベッカはこちらに歩み寄る。ヒールの下敷きになった料理がぐちゃりと潰れ、踏まれた皿は呆気なくぱきりと割れ、破片が飛ぶ。

 俺の目前に迫ったレベッカに、シルヴァが剣を抜き首元に刀身をひたりと添える。レベッカは足を止め、「わたくしを殺すんですの?」と唇を歪めた。

「今更命など惜しくありませんが、こんな大っぴらに家臣へ手を掛けるなんて、幾ら国王でも許されるかしら?」

「殺さない」

 席に座ったまま、俺はレベッカを見据えた。テーブルクロスを燃やす小火が段々と広がっていく。

 自由になりたいと崩れ落ちたアイラの姿。ハンヌ、ラッセと三人で交わした汗ばんだ握手。そして、ユリウスの言葉が脳裏に去来する。

 ──私の代わりに、等しく民を愛してくれ。

 愛さなければならない。

「理由を教えてくれ。どうして俺を殺そうとした」

 落雷。そしてそれを凌ぐほどの哄笑がレベッカの細い喉から溢れた。

「理由? 理由なんて知って何になりますの? 同情したら罪が軽くなるのかしら?」

 首に当てられた刃が柔い肌を浅く傷付け、鮮血が流れる。

「物乞いの孤児として育ち、親の愛に飢えていたから自暴自棄になったんですの」

 外界の嵐が窓を揺らし、窓枠が軋む。

「いいえ、嘘です。高貴な地位に上り詰めた私と、努力もしない下層民を等価の存在にしようなんて、許せないじゃないですか」

 料理の汚れで色付いたテーブルクロスを胸元に押し付ける。

「嘘です。本当は、この国を思えばの行動なのです。伝統的な階層を破壊すれば、混乱に満ちた時代が来ますわ。わたくしは平和を守りたかったのです」

 迫真の演技を振り撒き、くつくつとレベッカは笑う。

 一閃。白い光が視界を奪う。続けて爆音が炸裂する。

 ようやく視覚を取り戻したとき、レベッカは左腕を垂直に掲げていた。それはまるで、フォークの切っ先を天に突き立てるような動作。

「もちろん、嘘に決まっています」

 その笑みはあまりに無垢で無邪気だった。

「楽しいことが大好きだからですわ」

 レベッカは左手をぱっと開いた。シルヴァの肩が僅かに揺れる。放されたフォークは銀の直線を描き床へと落下し、澄んだ音を奏でた。

「こんなクソつまらん世界を生きるには、うっとりするほど険しい困難が必要でしょう。退屈は大罪ですもの」

 空いた手が彼女の愛らしい曲線の頬を包む。

「困難はデカければデカいほど楽しいじゃありませんか」

 テーブルクロスを大胆に放り投げると、レベッカは右手を前に伸ばし、人差し指で俺を真っすぐに指す。

「強気な方の顔が、敗北に歪むのを見たかったのです。でも、脅威と呼ぶには物足りなかったと言わざるを得ません」

 レベッカは両腕をだらりと下げた。

「ああ、本当につまんない。もっと全部滅茶苦茶にして、ぶっ壊してやりたかったのに。こんなどうでもいい幕引きなんて」

 美しい顔を伏せた彼女に、絶望が沸き起こる。

 理解不能過ぎる。そんな理由で他者を傷付けたのか。

 落石に潰された遺体。刺客に刺され、虫の息になっていた従者。毒を盛られて臥せっているという毒見役。

 許せない。怒りが燃え盛る。けれど俺は感情を抑え、立ち上がった。

「俺は、俺の民を誰一人として殺さない」

「あらそう。殊勝な心掛けですこと。笑えるほど下らないですが」

 嘲笑する声音に神経を逆なでされる。耐えろ。ここで逆上すれば、彼女の思うつぼだ。

 俺が今までの人生の中で虐げてきた命。王の影武者をする中で犠牲にしてきた命。その上に俺は立っている。

 忘れるな。何のために俺は今、ここにいる。

 アイラやハンヌ、ラッセから手渡された信頼。ユリウスから託された願い。

 ──私の代わりに、等しく民を愛してくれ。愛を捧げ、民に尽くしてくれ。

 ユリウスなら、レベッカを否定し、排除することはないだろう。

 レベッカのしたことを許すことはできない。けれど、今本当に優先されるべきは彼女の断罪や処刑ではない。

 愛。なんて、俺には分からない。ずっと、分からないままだ。

 けれど、ユリウスが民を愛するのを間近で見てきた。真摯に向き合い、冷静に問題に対処し、答えのない問いにも真剣に思い煩う。その誠実とひたむきな努力を俺は知っている。

 愛するためには、彼女を理解不能だと遠ざけるのではなく、手を伸ばすことのできる同じ地平に立たなければならない。

「俺も、今のこの国はクソつまんねーと思ってる」

 レベッカが顔を上げた。

「まあ、気が合いますわね」

「何でだと思う?」

「うーん、王様が無能だからかしら?」

 妖艶に微笑む彼女から目を逸らす。騙されてはいけない。彼女は敵ではない。ロイヴァス王国の民だ。

「天秤が傾き過ぎているからだ」

 怪訝な顔をしているレベッカと、再び目を合わせる。今度はこちらから、ゆっくりと歩み寄る。

「この国を動かしているのは一部の貴族だけだ。つまり、あんたの敵がそんだけだからだ。だけど、全ての民を平等にしたら、どうだ。全員があんたの敵になる。すっげえ楽しいと思わないか」

 至近距離でレベッカと向き合う。彼女を完全に理解することはできない。けれど、包摂して同じ未来を目指すことはできる。俺はそれを、愛と呼びたい。

 俺の言葉に、レベッカはにやりと唇を吊り上げた。

「最ッ高ですね」

 シルヴァに目配せをすると、彼女は躊躇いつつも剣を引く。レベッカはにこやかに一歩踏み出し、俺の手を取った。

「ヘルレヴィ家はわたくしが説得いたしますわ。ですので、そっちの説得は上手くやってください」

 急な接近に面食らっていると、彼女は袖口に隠し持っていたデザートナイフを握り締め、俺の首元めがけて突き出した。

「陛下!」シルヴァの声が飛び込む。

 一瞬。俺は彼女の手首を掴み、すんでのところで凶行を押し留めた。

 俺が目を瞠り肩で息をしていると、湿った囁き声が落とされる。

「敵は手強いほど燃えますわ」

 レベッカがナイフを床に落とす。そしてくるりと踵を返し、立ち込めた煙に目を眇め「酷い匂い」と呟いた。

 彼女はつかつかと歩いていき、勢いよく窓を開いた。風雨が流れ込み、可憐な容貌を乱す。

 火を纏ったテーブルクロスを掴み、レベッカは窓へと走り出した。

「は?」

 彼女は窓に足を掛け、外へと飛び出した。応接間は一階だが、庭へはそれなりの高さがある。驚いて窓際へと駆け寄った俺に、嵐の中、こちらへ手を振るレベッカの姿が映った。

「陛下! 今日は本当に楽しかったですわ! もっともっと楽しい世の中にしましょうね!」

 大粒の雨に打たれ、テーブルクロスの炎は見る見るうちに萎んでいく。

 ずぶ濡れになったレベッカが、顔に貼りついた髪を掻き上げる。

「言い忘れましたが、毒を盛ったのはわたくしではありませんわ」

「知っている。それはそうと、罪はちゃんと償ってもらうぞ」

「もちろん、己の行動の責任くらい取りますわ」

 強風がテーブルクロスと深紅のドレスを靡かせる。彗星のような笑みを残し、レベッカは去って行った。

 料理が散乱し、焦げて煤けた床を見てシルヴァが閉口する。俺は深く息をつき、雨に濡れた額を拭った。

拙作をお読みくださり、ありがとうございます。

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