第30話 待ちに待った日がやってきました
北海道らしくない炎天下の真夏日。照りつける日差しの下を走る車の中、窓に流れる景色を眺めながら白花はかれこれ10分間で5回同じ事を聞いていた。
「もう着く?」
彼女の言葉に運転席でハンドルを握っている、じいちゃんが答える。
「もうそろだな。そこを曲がれば見えてくるぞ」
今日は白花が楽しみにしていた海へ行く日。本来なら、電車やバスを乗り継いで向かう予定だったが偶然にもじいちゃんが近くで用事があった為、送迎をしてくれることとなった。
車内は助手席に俺、後部座席には白花と杏が乗っている。
「白花ちゃん、2分前も同じこと言ってたよ?」
「だって楽しみなんだもん! 着いたら早く着替えて遊ぼうね、杏!」
「その前に、ちゃんと日焼け止め塗らないと駄目だからね?」
「はーい」
2人の会話を助手席で聞いている俺も表には出さないが、少しわくわくしている。
海なんて何年ぶりだろう? 確か、小さい頃に父さんと母さんに連れられて行ったのが最後だったと思うが……。
「そろそろ左側に見えてくるぞ」
じいちゃんがそう言ったすぐ後、車は最後の角を曲がり、民家が徐々に少なくなった狭い2車線を走らせていると助手席側、つまり俺が座っている方の窓には見渡す限りの水平線が見えた。
圧巻の光景に俺は思わず声を漏らす。
「おー!」
俺の真後ろに座っている杏も、俺と同じ景色を見てはしゃぎ始める。
「すごーい! 海だぁ!」
杏が海に反応した直後、彼女の隣に座っていたおそらく俺達の中で最もこの眺めを楽しみにしていたであろう白花が杏の方まで身を乗り出した。
「見せて見せて!」
「うわ! 白花ちゃん苦しい……」
白花は杏側の窓に1、2センチ程まで顔を近づけ、外を眺めているが彼女自身の体で杏を抑えつけてしまっていることには気づかず、目に映る海に夢中なようだ。
「わぁ……! 凄い凄い!」
「白花、気持ちはわかるが杏が苦しそうだからその辺にしとけ」
「あっごめん杏」
白花が元の場所に戻って程なくすると、車は海水浴場の駐車場に着く。
先に後部座席の車を降りて行った彼女達についていく前に、俺はここまで送ってくれたじいちゃんに礼を言った。
「ありがとう、じいちゃん」
「おう、じゃあ後で迎えに来るからな。楽しんで来い」
じいちゃんと別れ、俺は海岸に着くと先に行っていた白花がはしゃいでいる。
「海だぁ! ほんとに海だよ豊、杏!」
目をキラキラさせながら白花は波打ち際へと走りだし、サンダルを脱いで足だけを海につけた。
「思ったより冷たい!」
足をバシャバシャとさせている白花を見ていると、俺の隣にいる杏が声をかけてくる。
「そういえば、豊と海来るの初めてだよね」
「確かにそうだな。海だけは一緒に行ったことなかったかもな」
再び果てしない水平線を見つめながら、恵花市では決して感じることのできない、潮の香りが乗った風と永遠と聞いていられる波の音が心地良い。早起きをして、眠たい目を擦りながら準備をした甲斐があった。
すると、余程この光景に心動かされたのか、無意識に口が動き、声が出る。
「杏……綺麗だな」
杏は顔を赤らめて驚いた。
「え……? あ、あぁ! 海のことか」
「他になにがあるんだよ? 俺が素直な気持ちを言葉にしたらおかしいか?」
そう言うと、杏は頬を膨らませて不機嫌な顔で何かを考える素振りを見せ、顔を赤らめたまま、切り返す。
「じゃ、じゃあ私の事はどう思う? 豊の素直な気持ち聞かせてよ」
「はぁ!? どうって……」
杏の質問はどういう意味だ? 幼馴染として? それとも……異性として?
言葉に詰まっていると、杏が再び口を開く。
「……なんてね! いきなり変な質問しちゃってごめんね!」
「い、いや大丈夫だけど……」
杏は俺にとっては物心つく前から一緒にいる幼馴染――そう、幼馴染のはず。彼女にとって俺も同じ……はずだ。
何とも言えない空気の中、未だに海ではしゃいでいる白花が俺達を呼ぶ。
「豊、杏入らないの~? 私早く泳ぎたい! もう水着に着替えようよ!」
白花はその場でTシャツを上に捲って脱ごうとした。
「ば、馬鹿! ちゃんと更衣室で着替えろ!」
「白花ちゃん! ちょっとまったぁぁ!」
杏が血相を変えて白花の元へ走っていった——。
白花が公衆の面前で裸になるのを寸前で阻止した後、杏と一緒にちゃんと更衣室で水着に着替えている間、一足先に着替えを終えた俺は2人を待っていた。
改めて見ると、流石短い北海道の夏。海水浴に来ている人達も多い。
「豊ー! お待たせー!」
後ろから聞こえた声に振り向くと、思わず胸の鼓動が高鳴る。
「どうかな?」
目の前には水着に着替えた白花と杏がいた。
白花はその美しい髪色と合わせたように、王道の様な白いビキニスタイル。一方で杏は黒のフレアトップを身に着け、高校生とは思えない魅力を出している。
この日の為に新調してきた2人の水着姿は……正直言って眼福だ。
「……良いと思う」
目を逸らしながら、精一杯の言葉を出す俺を見て杏がニヤリと笑った。
「あ、豊照れてる! 私達の水着姿に見惚れちゃった?」
「う、うるせーな」
「否定しないってことは、見惚れてたってことだね?」
図星を突かれていると、杏の隣にいた白花が俺の目の前まで迫ってくる。
「豊、私の水着もどう?」
約30センチ程の距離まで接近した白花。水着という布面積の少ない物を纏う彼女に対して目の焦点は無意識にも彼女の胸のあたりを集中してしまう。
恵幸神社で裸の白花に初めて会った時から薄々思っていた――こいつ、どこがとは言わないが……でかい。
視線を他の場所に移せないでいると頭上に強烈な一撃を喰らった。
「痛っ! あ、杏!?」
どうやら謎の攻撃の正体は杏の手刀。
「……スケベ豊。ほら白花ちゃん、泳ぎに行くよ!」
「待ってよ杏!」
海へ走り出した杏を白花が追いかけていく。
どうやら俺が白花の、どの個所を見ていたのか杏にバレたらしい。
俺を置いて2人は海に入り、どんどんと進んで行く。
「冷たい!」
腹の辺りまで海水に浸かった白花が北海道ならではの水温の低さに脇を締めながら、体を縮こめていた。
白花と杏に遅れつつ、俺も海に入る——確かに、少し冷たいな……。
少しずつ水温に体を慣らしながら、2人に追いつく杏が俺に気づく。
「あっ豊やっと来た!」
水温にはすっかり慣れた様子の杏の横で、白花は少し震えていた。
「うぅ……ちべたい」
「白花ちゃん、まだ慣れないの? そういう時は思い切って全身で海に入って泳ぐといいよ。こんなふうに!」
杏はそう言うと、白花に手本を見せるように水面へ飛び込んでは綺麗なフォームで泳ぎ始めた。
そんな、すいすいと泳ぐ杏を真似るように白花は両手の甲を胸の前で合わせて海に飛び込む直前の動作をとる。
「よし、私だって……えい!」
勢い良く飛び込み、水飛沫を上げる白花。学校で体育の成績も良い彼女のことだ、きっと魚のように優雅に泳ぐのだろう。
元気良く水を掻いて蹴る彼女を思い浮かべていた……しかし、その姿は一向に見られない。
「……?」
飛び込んだはずの白花が浮かんでこない。
嫌な予感がする……。
「……おい、まさか!」
「し、白花ちゃん?」
杏も俺と同じ考えに至ったようだ。
そして、俺達の嫌な予感は的中する――白花が飛び込んだ場所からぶくぶくと泡が上がっきた。
「お、おい! 白花!?」
すぐさま白花が沈んでいるであろう場所へ潜る。
こいつ、泳げなかったのかよ!




