第19話 気分が抑えられませんでした
開会式も終わり、午前の部は100m走などの個人種目を中心にスケジュールが進んでいく。
まずは男子の100m走、俺の番が来ると周囲のクラスメイトの声援が聞こえた。
「時庭ー! 頑張れ!」
「時庭君! 頑張って!」
声援の中には杏の声も聞こえる。
「豊ー! ファイトー!」
そしてクラスメイトの他にも、離れたところから白花とじいちゃんの応援が聞こえた。
「豊ー! 頑張れー!」
俺を呼びながら大きく手を振る白花の隣でじいちゃんも続く。
「1位だったら、今月の小遣いアップだぞ!」
――この戦い、絶対に負けるわけにはいかない!
最近では覚えに無いほど気合いが入ったまま位置に着き、合図の空砲を待つ。
余程集中できているのか、先程まで聞こえていた周囲の声が聞こえない。
いや、むしろ好都合……今はスタートの合図の音だけに集中だ。
雑念を払い、とても長く感じるこの数秒間、神経を研ぎ澄ましていると合図の空砲が鳴った――。
レーンについていた俺を含めた走者達が一斉に前へ第1歩を蹴り出す。
最初の1歩目から2歩目、3歩目と足の回転速度をどんどん上げていき、スタートしてから40メートル程でトップスピードに乗った俺が感じるのは自分の呼吸音と力強く地面を蹴る際に靴の裏で擦れる砂利の音だけだ。
この心地の良い空間の中、周辺視野で左右を確認すると先程まで並走していた他の走者は、いつのまにか姿が見えなくなっていた。
ゴールまで残り20メートル……10メートルと迫り、同時にスタートした走者の中で俺は誰よりも速くゴールの白線を通過する。
1位でゴールした俺を呼びながら、観覧スペースにいる白花はその場で両手を上にあげ、飛び跳ねながら喜んでいた。
「やったぁ! 豊すごーい!」
そんな白花は他の観客や俺の周りにいたクラスメイト……主に男子の注目の的になる。
「なんだよあの可愛さ……」
「見ているだけで心が洗われていく! きっと愚かな私達を神自らが清めに来てくださったんだ!」
「豊、お前! 前世でどんな徳を積んだら杏ちゃんとあの美少女の2人と仲良くなれるんだよ!?」
周囲が視線を白花に送る最中、東だけは俺に嫉妬に近い感情をぶつけてきているのは無視しておこう。
その後も何事も無く体育祭は進み、午前の部最後の種目である借り物競走が始まる。
ランダムにちりばめられたお題が書かれた紙を1枚選んで、紙に記された物を会場の誰かから借りてゴールするというお馴染みのルールの競技だ。
しかし体育祭などでは認知度のかなり高いこの種目は、俺の学校では去年まで体育祭のプログラムに入った事は無く、多くの生徒の要望があって今年から新たに加えられたらしい。
気になるのは、どのようなお題が出てくるのかだが……先に競技へ挑んでいるクラスメイトの様子を伺ってみる。
「誰か! 『釣竿』持ってないか!?」
「こっちは『フライパン』だ……って見つかる訳ねぇだろ!」
「おい! この『彼氏or彼女』って書いた奴誰だ!? 先日振られたばかりの俺がぶっ飛ばしてやる!」
……どうやら、明らかに攻略不可能なお題も混ざっているらしい。
俺の1つ前の順番で待機している杏も思わず苦笑いをしながら、こちらに振り向き話しかけてきた。
「あはは……面白そうなお題もあるみたいだね……。そうだ豊、ハチマキとTシャツだったら豊の貸してね」
「いや、もしTシャツだったら俺上半身裸になるんだけど……」
「だって女子からは借りられないし、ほかの男子からは気が引けるし」
「俺は気が引けないってのかよ!」
「あっもう出番だから行ってくるね! 1位だったらご褒美頂戴!」
俺に全くメリットの無い約束を強引に交わして杏はスタート位置に着いた。
程なくして合図の空砲が鳴り、杏を含めた数人の生徒がお題の紙が置いてある机の元まで一斉に駆け出す。
それぞれ紙を手に取って開き、内容を確認すると各々《おのおの》が散り散りになって記されたお題の物を探し始めた。
頼む! 杏のお題はどうか俺には関係のない物であってくれ!
そんな俺の願いは意地の悪い神に届いたのか、お題を確認した杏は迷わず俺の方へと向かってきた。
「豊! ちょっと来て!」
「Tシャツか!?」
「違うよ! 豊自身を貸して!」
「はぁ!? 一体どんなお題なんだよ?」
「時間無いから、説明してる暇ないよ! ほら来て!」
杏は俺の手を引っ張って走り出し、また手を引かれた俺も待機していた場所を抜け出す。
杏と共にゴールへ向かう途中、周囲の視線がかなり痛い……。
何度も言うが杏はこの学校で、皆の憧れの的なのだ。
そんな女性と全校生徒の目の前で手を繋ごうものなら、俺に集まる視線は嫉妬や妬みから来るものばかり。
校内で俺と杏は仲が良いのは有名らしいが……これは耐えきれない。
そもそも俺は男で運動能力は彼女より長けている。手を繋いでいなくても彼女についていくことは容易だ。
「杏!着いていくから、手を離してくれ!」
「……」
聞こえていないのか、杏は返事をしない。
こうしている間にも、刺すような目線を感じる。
白花といい、杏といい……なんだか今日はこんなことばっかりだ。
結局杏に手を引かれたまま、ゴールにたどり着き、杏が係員にお題の書いた紙を渡す。
「はい、では波里さんのお題は……自分の事を1番理解してくれている人ですね! 連れてきたこの人で間違いないですか?」
係員の質問に杏は即答する。
「はい!」
「わかりました! では波里さん1着でゴールです!」
「やったぁ! 1位だよ豊!」
「そりゃよかったけど、よくこのお題で俺を連れてきたな……」
杏のお題はいわば自分が1番信頼している人物だ。そんな大役に異性である俺を選んだら、また根も葉もない噂をされかねない。
「え? だって、豊以外に誰がいるの?」
俺の心配も虚しく、杏は本気で疑問を感じているようだ。
「いつも一緒にいる女の友達とかいるだろ?」
「私の事を1番知っているのは、豊だよ?」
キョトンとした顔でリアクションしづらい言葉を平気で言う杏に何も言い返せなくなる。
「時庭くーん! 位置に着いてください!」
杏に返すべき言葉を探していると、スタート位置で係員が俺を呼んだ。
そうだった……抜け出してしまったが俺の順番は杏のグループの後、こんな悠長に話している暇は無い。
「豊、呼ばれてるよ! 頑張ってね!」
杏に背中を押され、俺は急いでスタート位置まで戻ると係員が空砲を上空に向ける。
「それじゃあ行きます! 位置について……よーい!」
そう言って、俺達の準備が整ったのを確認した係員は空に向かって空砲を響かせた。
空砲の音と共に先程の杏同様、お題の書かれた紙の元に辿り着いた俺は1番手前にある紙を手に取って内容を確認する。
お題は……「家族」。今日はじいちゃんも来てるし、俺には難しくないお題だ。
すぐさまじいちゃんのいる観覧スペースへと向かい、じいちゃんを呼ぶ。
「じいちゃん!」
しかし、じいちゃんの返事は聞こえず、姿も見えない。
どこに行ったんだ? さっきまで白花と一緒にいたはずなんだが……。
いくら見渡しても、観覧スペースにいるのは白花と観客だけでじいちゃんは、やはりいない。
「白花、じいちゃんどこに行ったか知らないか?」
「え、えーと……源さんなら、さっき何処かに行っちゃったよ?」
「くっそ〜1番肝心な時に〜!」
俺の家族はじいちゃんだけだ。じいちゃんがこの場に居なければ俺はゴールする事はできず時間制限で強制的に失格になってしまう。
こうしている間にも時間は刻一刻と過ぎていく。「駄目か」という諦めの言葉が頭をよぎった時、俺の手を誰かがギュッと握った。
瞬時に握られた手から腕、肩、顔という順番でその人物が誰なのかを確認する。
俺の手を握っているのは白花だった――。
「白花?」
何故、彼女が手を握っているのか……その理由をすぐ理解できず、情けない声でただ白花の名前を呼ぶことしかできない俺に対して、彼女が少しぎこちなさそうに口を開く。
「私じゃ……駄目かな?」
その言葉で彼女が何故、俺の手を握ったのか理解をした。
じいちゃんが居ない今、ゴールできる手段が無い俺に白花が家族役を買ってくれると言うのだ。
しかし、白花は家族ではない。
ただ時庭家で預かっているだけの赤の他人なのだ。
「私ってお前は……」
俺が「家族ではない」そう言おうした時、 言葉を遮るように白花が口を挟む。
「やっぱり今の無し! 私じゃ駄目だよね!」
握っていた俺の手を離し、いつもの笑顔を見せる白花。
しかし、俺は見逃さなかった……いや、見逃せなかったという方が正しいのだろう。
手を離したときの刹那に見えた彼女の寂しそうな表情を。
——その顔はずるい。俺は自ら白花の手を掴んで観覧スペースから引っ張り出す。
「……はぁ、そんな顔すんなよ。ほら、行くぞ!」
「えっ? でも私……」
困惑しながらも俺が何を求めているかを理解した白花の表情はまだ浮かない。
「いいから、来い! クラスの奴らにお前は遠い親戚って説明してるし、大丈夫だろ!」
白花の返事も聞かずに俺は観覧スペースから彼女を連れ出す。
「でも……でも!」
共にゴールに向かって走っているこの間も、まだ煮え切らないような言葉を口にする彼女に俺は頭の中に浮かんだアイデアをそのまま言葉にした。
「……じゃあこうしよう! お前の名前は白花! お前が本当の自分を思い出すまで、白花と名付けた俺達が家族だ!」
俺が言い終わるのと同時に2人でゴールラインを通過した。
確認のため係員にお題が書かれた紙を渡す。
「……はい! 時庭さんのお題、『家族』ですね? それで連れてきたこの方が……ご家族でお間違い無いですか?」
「はい、間違いありません。俺の家族です」
係員の問いに俺は迷いなく即答する。
「わかりました! では、ゴールとさせて頂きます!」
ゴールの判定を貰った俺は白花の方を振り向く。
「ありがとな、おかげで助かった」
俺の礼に白花は言葉を返さず、下へ俯いていた。
まずい、強引に連れてきたから怒ったか? それともどこか痛めた?
「わ、悪い! もしかして……」
俺は何が問題だったのかもわからず、とりあえず白花に謝罪の言葉を伝えようとするが、全て言い終える前に、俺の言葉はとある驚きで声無き声へと変わる。
先程まで目の前にいた月白色の髪の少女は、両手を広げ足を大きく1歩蹴り出し、俺との距離を一瞬で縮めると、そのまま背中に腕を回した。
この感覚は覚えがある。これを白花にやられるのは3人で恵花ガーデンに行った時以来だろうか……。
周囲の声が聞こえる。
「え、なになに!? 何してるの!?」
「おい! あいつなんなんだ? さっきは波里さんと手を繋いでいたよな!?」
多くの人が動揺するのも無理も無い。
こんな大勢の目がある中で白花は俺に抱きついているのだから。
完全にやってくれた……。皆には、どう説明すればいいんだよ?
まずはこの現状を何とかしなければ……。
白花を体から離そうとした瞬間、俺の胸に顔を埋めていた彼女は口を開く。
「私ね……豊の事、好き!」




