【1】
ふと思う時がある。今この瞬間が実は現実ではなく、幻想や夢の中なのではないか、と。
楽しい瞬間、幸せな瞬間、嬉しい瞬間。あるいはつらい瞬間、苦しい瞬間、悲しい瞬間。
今感じているこの瞬間が、全て嘘なのではないか、と。
幽体離脱をしているような、第三者の目線で自分を見ているような、その感覚は現実と夢の区別がつかなくなる瞬間だ。
「さぁ本日の大目玉!数十年続いている本オークションでもなかなか手に入らない大目玉ですよ!この場にいるみなさんはなんて幸運なんでしょう!この機会を逃すと金輪際お目に掛かることはほとんど無理ですよ!」
キーン、と耳に響く機械を通した大きな声、それに呼応するように盛り上がるたくさんの歓声。
「さて、その商品はなんと……高位の証である“銀髪のエルフ”です!」
その声と共に、真っ暗だった視界が一気に明るくなった。目元を覆っていた布が乱暴に外されたらしい。
突き刺さるような光に目を細め、痛みを伴う枷に繋がれた手首をぼんやりと見上げた。少し鬱血しているのがわかる。
その視線を正面───会場へと向けると、目元のみの仮面をした大勢の“人間”が私を見ていた。
その異様な光景と、私を見る好奇な視線にゾクリと背中が震え上る。
「それでは早速始めましょう!今回は大目玉ということもありますので、少しお高い10万バルから始めます!」
ぶわっと沸き立つ会場、みるみるうちに釣り上がっていく“私の値段”。
これは本当に現実なのだろうか。夢や幻想なら早く目を覚まさなければ。早くしないと“買われて”しまう。
いや、夢なら買われない。きっと買われる直前で目が覚めるはず。崖から落ちそうになった瞬間に目が覚めるあの時みたいに。夢見は悪いが覚めないよりましだ。
「おーっと!29万バルから一気に上がって35万バル!このオークション初の最高金額です!」
自分の値段が聞いたこともない額までどんどん上がっていく。自分に価値がつけられるということがこんなにも不快だとは知らなかった。
魔力を、羽を、と思っても一切力が出ない。使えない。
「さぁ35万バルより上はいらっしゃらないですか?滅多にお目に掛かれない“銀髪のエルフ”が35万バルで決まってしまいますよ!」
その額に、さっきとは打って変わって静まり返る会場。ドッドッと脈打つ私の鼓動だけがやけに響いているように聞こえる。
お願い、早く覚めて。早く、早く早く早く────。
「いないようなので最終カウントに入りましょう!10!9!」
夢はいつ覚める?いつ崖から落ちる?
「8!7!6!」
視界が霞む。何も見えない。
「5!4!」
呼吸が苦しい。息ができない。
「3!2!」
『闇オークション』と『エルフ狩り』。いつか聞いた噂で存在は知っていた。
そもそも私たちエルフ族とこのシルヴェルト国は、約150年前に停戦協定を結んだ。共に生活をするようになり、やっと双方が落ち着いてきたのがここ数十年のこと。
しかし、一部の人間によって度々起こされているこのような事件により、また少しずつ関係性が崩れてきているのだ。
私が住んでいた街は、空に浮かぶアルフヘイムに近い関係で人間とエルフ族が同じくらいの割合で共に暮らしていた。
その街の住民は種族関係なく生活し、エルフと人間との間に産まれるハーフエルフもたくさんいた。内戦なんて一度も起きたことがなかった。
そんな平和な街で、悪夢が起きたのだ。
皆が寝静まった夜、僅かに感じた風たちの異変に私は飛び起きた。初めて感じるただならぬ違和感に急いで家の外へ飛び出す。
深夜の街には人の影はない。しかし、やはり風たちの様子がおかしい。
「どうしたの?何をそんなに騒いでいるの?」
次の瞬間、この街では聞くはずのない悲鳴が響き渡った。耳をつんざくようなその悲痛な声にヒュッと息を飲む。
最悪な事態が頭を過ぎりながらもそんなはずは無いと言い聞かせ、悲鳴の聞こえた方へと最速で飛んだ。
しかし、そこで目にしたものは。
「な、んで……」
この街で、流れるはずのない血が流れていた。しかも倒れているのはまだ幼い人間の子供で。
「誰がこんな……っ!だめ、息をして!」
子供を抱き上げたがもう息はなかった。どんどん体温が下がっていく感覚と血の生温い感触に呼吸が苦しくなる。
何故?こんな幼い子供がどうして?誰が?
「ッ、誰か……っ」
助けを呼ぼうと顔を上げた瞬間、後頭部に強い衝撃を受けた。グラリと脳が揺れて視界が徐々に暗くなっていくと、私の意識はそこでプツリと途絶えた。
次に気が付いた時には鎖に繋がれ口も塞がれ、檻の中にいた。
そうか、私はエルフ狩りにあったのか。あの子は囮。最初から異変に敏感なエルフ族が狙われた。まんまと罠にかかったのが、私。
そしてそのためだけに犠牲になったのが、あの幼い子供。
絶望した、何故こんなことになったのかと。何故あの子が犠牲にならなければいけなかったのかと。
あの子の代わりに私が。そう思うも、もう手遅れなのだ。あの子は助からなかった、助けられなかった。なのに私はまだ生きてここにいる。何もかも手遅れなのだ。
これは夢じゃない。いつまで待っても覚めることのない、現実だ。
「いち────」
「1000万バル」
最後のカウント数に差し掛かった瞬間、静まり返った会場に凛と透き通るような声が響いた。
ギュッと強く閉じていた目をゆっくりと開き、思わずその声の主を探す。
この綺麗な声は、一体誰だろう。
「……はい?」
流石の司会者もその額に耳を疑ったらしい。虚ろな意識でもあり得ない額だということは容易にわかった。
「聞こえなかったか?1000万バルだ」
静まり返っていた会場は途端に騒がしくなった。高揚の声、批判の声、様々な声色に耳が壊れそうになる。
「えー……っと、お客様?そこまで賭けなくても落札できますよ?」
「賭け金の上限は決まっていないだろう?」
耳障りの良い声が徐々に近付いてくると、黒いマントを羽織り他の人間と同じような仮面をした男が、堂々とステージに登ってきた。
「何か問題でも?」と挑発するように発言した男の口元は、ニヒルに弧を描いている。
「そ、そうは言いましても、流石に額が……、」
「不満か?じゃあ2000万バル出そう」
「な……っ、に、にせん……!?」
男は驚愕する司会者を素通りし、私の前に跪いた。ビクリと肩を揺らした私に脱いだマントを掛けると、先程と打って変わった優しい声色で。
「必ず助けるから、もう少し我慢してくれ」
そう、小さく呟いた。
何が起こっているのかまるでわからずにいる私を他所に、「なかなか頑丈だな」と呟きながら私の手首と足首に繋がれた鎖を確認する。
簡単には外せないことがわかったのか、先に私の口を塞いでいる布を優しく外してくれた。
「っ、……誰?何が目的?」
「まぁまぁ、そんな怖い顔をするな。悪いようにはしない」
な?と向けられる笑顔から悪意は感じられない。しかしこの状況でそれを信じるには、少し無理がある。
腰の剣だってこの男がどの程度扱えるかもわからない。どう見たって数でも負けている。
しかし、そう思って見た剣の紋章に、一瞬にして血の気が引いた。
胸元にも、見覚えのある紋章。
嗚呼、そういうことか、この男は────。
「冗談だろう!?馬鹿げてる!そんな高額、王族ならまだしも貴族が出せるはずがない!」
騒ぎ立てる司会者と客席。しかしそんなのはもうどうでもいい。
「あぁ、だから出せるんだろう?」
このオーディションも、この司会者も、この客も、みんな終わりだ。
「え、ど、どういう……っ」
みるみると顔が青ざめていく司会者にその男は剣の紋章を突き付け、客席にも聞こえるようにまたあの凛とした声を出した。
「我はシルヴェルト王国第一王子、アラン・シルヴェルト!この闇オークションを摘発する!」
事を把握した客らは一斉に席を立ち逃げ始めた。
が、どこかに身を潜めていたらしい王族の兵らしき者達が入口を塞いでおり、会場は既に包囲されていた。
舞台の裏からも、関係者であろう人間が兵たちによって出てくる。
「な、何故こんなところに王族が……っ」
「随分前からこのオークションの噂は耳に入ってきてたんだが、なかなか実態を掴めなくてな」
手間取ったよ、と笑いながら言っているが、ここから見える横顔からは感情が読み取れない。
司会者含めた関係者は兵たちによって拘束され、客席の貴族たちは兵に囲まれ動けずにいた。きっと順次連行されて審議されるのだろう。
いくつか兵に指示を出した男は私の元へ来ると、関係者から奪ったらしい鍵で手錠と足枷を外してくれた。
やっと解放された手足首は赤黒く痣ができている。消えるのに時間がかかりそうだ。
「酷い痣だな……、すぐに冷やすものを持って来させ、」
「……っ」
と、立ち上がろうとした私を支えようと不意に伸びてきた男の手を、思わず振り払ってしまった。ずっと同じ体勢だったからか脚に力が入らず、振り払った勢いも余って再び座り込む。
(……やって、しまった………)
振り払ったことへの罪悪感と気まずさに耐え切れず、小さく「も、申し訳ございません……」と呟く。
これは王族に対しての態度じゃないと、切られることも覚悟した方が良いだろうか。
恐る恐る男を見上げると、男は顎に手を当て私をじっと見ていた。その視線と立ち上がれない状況に非常に居心地が悪い。
沈黙が続く間も、客席では兵たちにより次々と貴族たちが連行されているのが見える。
「殿下、大方の連行が終わります。早めの撤退を」
「あぁ、わかった」
その声に我に返ったように返事をした男────基、殿下。兵に表に馬を回すよう指示をしている。
やっと外れた視線にホッと胸を撫で下ろし、脚を確認する。もう大丈夫そうだ。
そんな安堵も束の間で、「おい」という呼びかけが自分に向けられているものなのは容易に理解できた。体が無駄に跳ねる。
「お前、どうやってここに連れてこられたか覚えてるか?」
そう言って、私に目線を合わせようと膝をつく。
まさか王族が膝をつくとは思っておらず、視線を合わせる前に俯いてしまった。床には男が着けていたであろうマスクが落ちている。
「嫌なら、無理に話さなくていい」
少しだけトーンの上がった心地良い声色が耳に響く、と同時に、忘れかけていた血の色が頭を過った。
既に息の無い冷たくなり始めた子供の体温、ドロっとした血の感触と鉄の匂い、後頭部に走った激しい衝撃。
「………っ」
猛烈な吐き気に襲われ口を塞いだ。男が何やら言っているが聞こえず、そこで私は意識を手放したのだった。