第二部
もっとも、滅多にこういうところに来ない、よそ者には多少の新鮮さもある。だが、ここで暮らす人々にとっては、これがもう意識することもないほどの景色なのだろう。
建物の前を通って、市場の方へ護岸沿いに歩いていく。売り物にはならない、打ち捨てられた、異形の魚が、よどんだ目で青い空をにらんでいた。下唇を突き出して、文句を言いたいが、言うべき言葉を持たないものの悲しさか、力を持たない目と相まって、刑事を憂鬱にさせる。
その近くには、カニが生乾きの姿をさらしている。千年近く昔に、この地方で起こった大きな戦争の、敗者の怨念を抱いた顔を、その甲羅に浮かばせて、その人の顔は泣いているようにも、唸っているようにも見える。話は聞いていたが、見るのは初めてだ。
刑事という仕事をしていると、人の怨念に触れる機会は多い。この事件だって、はっきりとはわからないものの、じわじわと染み出る隠しようのない嫌な気配が、のしかかってくるようだ。
被害者の身元がはっきりした後だった。被害者の検死に関する鑑識の報告で、同僚たちがざわつくのが聞こえてきた。
「末期癌?」
「そうらしい。もう誰かが手を下さなくても、すぐに死んでもおかしくないほどに進行していたそうだ。」
「犯人は遠くから見ているだけでよかったのだな」
「知らなかったのかもしれないぞ」
「誰か、病院の方聞き込み行ってくれや」
その声に応じて、二人ほど出て行った。
刑事は今、そのやり取りを反芻するように思い出していた。刑事は今から、被害者の親族に会いに行くのだ。そして、言いたくはない報告をしなければならない。
港を抜けて、潮風にさらされた古い街の中の通りを抜けてゆく。決して広い道ではない。自動車がかろうじて二台すり抜けて、通れるかどうかと言うくらいの道だが、よく見ると、ここはどうやら街の中心地のようでもある。目立った派手さはないが、土地柄か、製氷店や、その他の雑貨屋などが並んでいて、ここはさしずめ商店街というところか。普通の民家に、これもまた潮に褪せた看板をつけただけの店構えに、ガラスの大きな引き戸が正面にある。そのどれもが閉まっていて、奥に棚と、わずかばかりの商品が見えた。開けっ放しだと、塩まみれになるのかもしれない。
中には看板だけがそのままで、どう見ても商売はしていなさそうな家もある。ずっとかかったままになっているホーロー看板。正面の大きなガラス戸だけは、民家離れしているが、商売道具はなく、代わりに、いすやテーブルが置いてあって、応接になっているもの、ざるに広げた小さなエビなどを干している台、或いは車庫として、年代物の車、中には博物館クラスの三輪トラックなどが何時のころから置かれているのか、そうした歴史的な遺物などに交じって、日々の生活で使われているものなどが置いてあるだけの家が、いまだに店を構えている家の間に挟まっているので、商店街としては歯抜けの状態なのだ。
ところで、親族は被害者の病気の事は知っていたのだろうか。仮に知っていたとして、どれほどの事を知っていたのだろう。
病院からの聞き込みから帰ってきた刑事たちの報告によると、もうすでに、従来のやり方では治療が出来ないほどに進行しており、本人の希望で、そのほかの新しい方法を試すこともなく、ただ痛み止めだけを処方するだけにとどまっていたという。
知人がほとんどいない人間だった。一人暮らしで、在宅ワークをしていた可能性はある。通常では考えられないほどの高スペックのパソコンは、だから、おそらく彼のすべてが入っていたのだと考えられた。刑事としては例のハッキングの件が気にはなってはいたものの、捜査としては後回しにされていた。おそらくこれくらいの高スペックのパソコンが有れば、あのハッカーの仕事が出来るであろうという印象は持ったが、それどまりであった。
一方で実社会との接点がほとんどなく、孤独死をしたとしても、発見されるのはかなり経ってからという事件は増えている。この被害者もその一人になるところだったのだ。スマートウォッチを操作してなければ、今でも、まだそのままだったろう。
この被害者はどういう生活をしていたのだろうか。刑事は改めて、考えてみた。事件発生以降、時折考えてみるが、想像が出来そうで、出来ないのだった。一つには被害者の部屋に被害者の趣味を表すものが全くなかったことだ。生活の場というよりはモデルルームのようだった。これがミニマリストという奴だろうか、とも考えてみた。
或いは彼の病状がそのようにさせたのかもしれない。病状の進行に伴って、徐々に処分していったか、いやこれは違うなと思った。ある時点で、一斉に処分したのかもしれない。
そして、生活のほとんどが電脳の世界で完結していたのだろうか。以前の職場での評価からしても、それは給料に現れていて、凄腕であることは間違いなく、かなりコンピューターに精通した人間であることだけが、わかっている確かな事なのだった。
石積みの擁壁沿いに坂を上がっていく。商店街は急に途切れてしまい、目の前には田畑が広がっていた。擁壁と道の間には水路が切ってある。小さな水路だが、流れる水の量は多い。澄んだ水が水底の鮮やかな水草を揺らして、ところどころで岩に当たってしぶきをあげる。水草は水のある時はこうして沈んで、水草になり、干上がると水上に出るのだろう。
刑事の足音に驚いたカニが、こそこそと這いまわっては陰に隠れた。そして耳を澄ますと、時折水中に落ちてゆく水音が、流れの音に混ざって小さく響いた。
水路には木々が覆いかぶさっていて、これは広葉樹のようだが、水中の落ち葉の堆積層は薄い。おそらく流れとともに、流れて行ってしまうのだろう。だから、水がこれほどまでに澄んでいるのだ。
この水は山に蓄えられた水であると思われた。山は、針葉樹の植林のない広葉樹の森であり、木漏れ日の広がる地面は、下草と、苔に、落ち葉に覆われている。このスポンジのような地面が常に水を含んで、それがあふれてこの水路になっているのだ。
島の水はこうして賄われていると思われた。この水は海に流れ込んで、おそらく漁場にもいい影響を与える事だろう。そう考えると、この島の生活も悪くないと思えてきた。
被害者はこの島を出て、満足のいく生活を送れただろうか。かつて、店舗だった、商売をたたんでしまった土間のテーブルで話に興じる老人たちを、横目で見ながら過ごした少年時代は、どうだったろう?
陳腐なほどに有りがちだが、いつかこの島から出て行って、と心に思っただろうか?それとも、実際のところ、出て行ったのは嫌々で仕方がなかったのか。ブランド品の、とどのつまりが、高級なお仕着せを着た連中に囲まれて、どういった思いだったのだろう。
坂道を上がり切ると、丘の上に大きな柿の木が何本か植わっている。その奥の日本家屋が、被害者の育った家だった。家の傍迄、山が迫っていて、その境にも溝が切ってあるが、この溝は勾配があまりついていない。落ち葉が溝の底に分厚い層をなしていて、覗き込むと、イモリがその黒い尾をひらひらさせながら、泳いでいた。
正面から近付いて行ったが、家の横から何やら人の気配がする。家の壁と、迫りくる山の崖に挟まれた狭い隙間に井戸が掘ってあり、その上には屋根が付きだしている。その場所で老婆がしゃがみ込んで魚をさばいていた。
「こんにちは」
そう刑事が声をかけると、老婆は作業の手を止めた。ふくよかな、人のよさそうな老婆は、下からしばらく刑事を見ていたが、やがて掛け声とともに立ち上がると、反り返って背中を伸ばした。
「なにか?」
刑事は手帳を見せて自己紹介をする。老婆は目を見開いて、刑事の次の言葉を待っている。こんなことは滅多にあるものではない。近所に関することなのか、それとも身内の誰かに関することなのか。うかつなことは言えないではないか。ドラマや小説ではよく見る光景だが、わが身に降りかかってみると、身の置き所に困るといったところで、どうにもこうにも対応に困ってしまっている様だ。
一方で刑事はこの手の反応には慣れている。いきなり刑事が尋ねてきて、身構えないでいられる人間なんて、ほとんどいない。たとえ、わが身に何も覚えがなくても、何処からどういった話が出てくるのだろうと、頭の中はフル回転しているはずだ。
しかし、これがただの聞き込みならば、刑事の方だって、余計なことは考えないで、本題だけに集中して居られる。それが、被害者家族への告知となると、話は別だ、頭の中でありとあらゆる可能性を計算して、対応を考えなくてはいけない。その後で、少しばかり、いや出来るだけ、被害者に関することを聞き出さなくてはいけないのだ。
刑事は被害者の名前を告げた。
「孫ですが・・・」と老婆が応える。
「残念ですが、事件の被害に遭いまして、お亡くなりになりました」
「・・・」
老婆は、その場にへたり込んでしまった。じっと前を見つめたまま、声も出ないようだ。
刑事は黙ってしばらくその場に立っていたが、やがて老婆の方へ回り込んだ。処理中の魚が、ワタを半分出したままになっている。刑事はその場にしゃがみこむと、ナイフを片手に魚をさばき出した。目の前の大皿には三枚におろされた切り身が置いてあった。
手早くワタを出し、頭とひれを落とし、皮を剥いで、骨際に刃を入れて、いとも簡単に身を離していく。その流れるような作業の光景をぼんやりと見ていた老婆が、思わず口を開いた。
「板前でもしていたのかい?」
「いえ」と刑事「生まれもっての器用な質なのですよ」
言いながら、皿に切り身を乗せ、その皿を持ち上げた。
「冷蔵庫は何処です?」
老婆はゆっくりと立ち上がった。いったんは躊躇したが、思い直して、刑事を先導したまま、家の正面に回り込んで玄関の方へ歩いていく。勝手口はあるのだろうが、刑事が一緒なので、玄関から入ることにしたようだった。
玄関の横、正面に物干し竿のようなものが数本並んでいるのが刑事の目に入った。だが、物干し竿にしては、形が違うようだし、きゃしゃな造りだった。その視線に気が付いたのか、老婆が説明してくれる。
「あれで、素麺を干すのですよ。はたと呼んでいます」
刑事は一度目にしたことが有った。乾いた寒い日に、青い空をバックにして、風にたなびく細い、何本もの白い糸。それらが等間隔で並んでいるのだ。売っているのは切った後だが、切る前の素麺は、思いのほか長い。その時は素麺自体の意外な整合性とも言うべきその美しい姿に気を取られて、干している道具までは気が利かなかった。また以前見た時は大掛かりな作業だったが、ここには何台もあるわけではなかった。
「自家用ですか?」
「そうです。なんでも自分ちで作ってしまうんだよ。ここらはね。こんにゃくとかね」
そうなのだ。被害者のあの生活ぶりからは想像もできなかった。彼もまた、少年時代に青く澄んだ寒空の中で、風に震えるあの白い糸の群れを見たのだろう。
玄関を入ると、土間が切ってあって、土間にはかまどの後が残っていた。今はもう使われてはいないようだ。灰などはきれいに取り除かれており、代わりに蜘蛛が巣を張っている。隅に狭い空間があり、土間の上に低い木の床が張られて、現在の台所になっている。そこに後付けのキッチンと冷蔵庫が見えた。老婆が指さすままに、皿を冷蔵庫に入れ、振り返ると、老婆が框に腰をかけている。
本来の床は、現代の建築様式に比較すると、かなり高さが有って、土間と床面の段差は腰くらいまであるだろうか、その段差が大きいので、それを解消するべく床と土間の間に一段木の板が張ってある。そこの框に腰掛けているのだ。昔ならば、框から台所の土間に直接降りるようだったところに、現在は土間の上に低い板の間がこしらえてあるので、框は中途半端な高さになっている。老婆がかけるには丁度いいが、刑事には低すぎた。だが、刑事はあえてそこに、窮屈そうに老婆と並んで腰掛けることにした。足が余って、前に延びる。
「ここは涼しくてね」刑事の足をじっと見ていた老婆が、おもむろに語りだした。
「いい風がね、通るんだ。この後ろの戸を開けて、玄関を開けて、北側の窓を開けると、家の中を風がよく通ってね。ここはその丁度いい通り道だ」
この玄関はいわゆる鬼門線を外れている。鬼門というのは、北東の方向である。昔中国で北東から蛮族が攻めてきたから、これは悪い方角だとか、北東は十二支で言えば、丑寅の方角であるとか、いわれは諸説あるが、定かではない。丑寅は角と、寅柄のパンツであり。それは鬼を表すのだという事らしい。それを逆の南西迄真っすぐに引いた線を、こちらを裏鬼門と呼び、両方を避けるようにして、玄関とトイレ、或いはキッチンを外して間取りを引くのは、現代でも真剣に取りざたされるが、根拠などはない。基本となる方位の取り方ですら、磁北と真北では違うので、これは磁極が地軸に対してずれているからなのだが、様々なのだ。だから、間取りの診断に神社などを訪れると、行く先々で違う事を言われてなかなか決められなくなってしまう。そのくらいのものなのだ。時間と金と精神の無駄使いである。
しかし、これは風の通り道だという説もある。現在の間取り診断では鬼門線は家の中心からそれぞれの方向に引いていくのだが、その昔は居間からその線を引いたのだ。居間に向かって吹く風の、その風上に異臭を放つトイレや、火の元や、砂を舞い上げる土間や、灰をまき散らすかまどがあっては具合が悪かろうというわけなのである。
それに従って言えば、この家は玄関から入った風が北側の窓に抜けるという。居間を介さずに通り抜けて、たとえ土間の砂が舞い上がろうと、窓から出て行くというわけである。
しかし、これは刑事にはよくわからない。玄関は空きっぱなしだったが、後ろの戸は閉まっているし、風は通っていない。だが、老婆の顔には風が感じられているのだろう。少し目を細めた。
「こうして、よくここに座っていたよ。若い時からいつもここが私の場所だった。その頃はまだ土間のまま。かまどはまだ使ったものだ。それがいちいちつっかけに履き替えるのは面倒だろうと、爺さんが板の間を張ってくれて、それでもずっとここに座っていたよ。なんてったって、ここが一番だもの。とにかく、裸足で直接台所に降りられるのは嬉しかったなあ。二人ともまだ若かった。爺さんもとにかく元気で、漁から帰ってくるなり、製材所から板を運んできて、床を張り出したものだった。なんでも漁の途中で急に思いついたんだそうだ。思い立ったら即行動の人なんだよ。待ってろ、なんて言うとさ、ニコニコしながら、作業してたね。で、床を張り終わってもまだ元気で、結局その日のうちに板にニス迄塗ってしまったんだけれどね、ニスを塗る前に、せっかくだからここで飯を食おうって、この上でね、二人してご飯を頂いたんだよ」
そこで老婆はちょっと言葉を切った。本題に入るまでに、回り道をする人と言うのは居るものだ。きっとその間に、考えをまとめているのだろう。だから、刑事は待っている。急かすようなことはしてはいけない。老婆の頭の中では、数多の思いが今急激に整理されており、ばらばらに散らかっている事柄の端緒を探しているのだ。
次に口を開いた時には、話は時代が変わっている。これについてゆくのだ。
「私がここで座っていると、必ずあの子がやってきては、こうして並んで座ったものだ。今のあんたが座っているように。口数の少ない子だったけど、生き物が好きでね。良くバケツやなんかに、カニとか魚なんかを取って来ては、私に見せてくれたよ。そんなときも口数は少なくてね、はにかみながら、黙って見せてくれるんだよ。私はその様子がおかしくてね、だってほら、子供なんて、普通は、あることない事一生懸命に話続けるだろう?」
そこでまた老婆は口を閉じると、唸り声をあげながら、ゆっくりと立ち上がった。立ち上がることに、全力を尽くして立ち上がる人のように。立ってしまうと、少しその場にとどまっていて、何のために立ち上がったのか、暫く考えているようだったが台所に向かい、薬缶に水を入れて、火をかけた。静かな空間に、水道をひねる音、水が薬缶に跳ね返る音、水道を閉める音、コンロに着火するときの点火音などが順番に響いて、火の音が、ひっそりと広がった。いや、実際は火の音なんてしていなかったのかもしれない。
山で鳥が鳴いていて、それが実はずっと鳴いていたに違いないのだという事に気が付いたのは、この静寂のせいだった。
「コーヒーで良いかい?」
薬缶から湯気が上がりだしたころに、そう老婆が尋ねてきた。コーヒーには何を入れるのかと言うお決まりのやり取りの後、水屋から食器と共に袋に入った小さな菓子を出してきた。半透明の袋からのぞき見えるそれは、この辺りならどこでも買う事の出来る、昔からある地方菓子で、柑橘のクリームを挟んだブッセなのだった。それをコーヒーと共に盆に載せて運んでくる。もう体の筋肉が言う事を聞かなくなってきているので、盆に載せるカップをそっと置くことが出来なくなっている。大きく音を立てながら、その作業を終えると、自分と刑事の間に、その盆を置いて、また唸り声と共に座った。
コーヒーのソーサーにわずかばかり、コーヒーがこぼれてしまっていた。
「お茶の時間はこうして、コーヒーを頂きながら、このお菓子をね。あの子は変わった子だったよ。小学生の三年生にもなると、ブラックコーヒーで良いなんて言いながら、ここに座って、一緒に飲んだものだ。ジュースも買ってあったんだがね、低学年で早々とジュースは卒業してしまった。食べ物だって、大人が食べるようなものが好きでね。爺さんがしし唐や、玉ねぎのさらしたのなんか食べていると、横目で見ながらね、食べていい?なんて聞くんだよ」
ここで老婆はさもおかしそうに笑った。
「小学生なんて、小さな子供だよ。それが、爺さんと並んで、しし唐の辛いのにあたって、一緒に顔をゆがめながらも、吐き出さないように我慢してさ、必死で飲み下しているんだよ。で、何といったと思う?」
刑事は、老婆の笑顔につられて、笑顔で少し首を傾けた。
「これはこれで美味しいってさ」噴き出しながらそう言った。
刑事はこの家庭については、当然ながら、調べてきている。被害者の両親は早くに亡くなっていた。被害者がまだ、幼稚園くらいのころである。父は漁師だったが、船舶同士の事故で亡くなっていた。母親は偶然にも、その同じ年に急性の病気で亡くなっている。
同じ村の中に住んでいた被害者の家族は、老婆の息子であるところの父を亡くすと、暫くして体調を崩した母親と被害者で、この老婆の家に移ってきた。それ以降、被害者はずっとここで過ごしたのだ。老婆の夫、いわゆる爺さんは一昨年亡くなっている。これはもう寿命とでも言うべきところだが、ここにきて孫を失って、この人生もいよいよ終わろうかと言う時に、老婆は天涯孤独となってしまっていた。
その重圧が、小さな体にのしかかるようで、背を丸めた。この年齢でそうした境遇になるというのは、先の希望がないままに、その辛さから逸らしてくれるものもほとんどなく、ただ淡々と生きていくというのはどういう感じなのだろうか?刑事は老婆の観察を通してそれを読み取ろうとしたが、不可能だった。
聞こえてきた音は、熱いコーヒーを息で冷ましたのか、それともため息なのか、判断が付きかねた。老婆は両手でカップを支えて、寒い季節ではなかったが、小さな体でカップから暖を取るような姿勢でコーヒーを飲み続けた。
「優秀な方だったみたいですね」
暫くして、刑事は声をかけた。
「そうだね。黙って一人で、コツコツやるのが性に合うようだったよ。なんでもね。やりだすと、いつまでも夢中でやっていたね。まだ小さな子供のころだったか、百科事典を爺さんが買ってきてね。生き物が好きだったから、色々な生き物のカラーの絵がきれいについたやつだよ。暫くは、その絵を一つ一つ食い入るように見ていたけどね。その絵のところを過ぎると、後は字ばかりになるだろう。私には全然分からなかったけれど、動物の研究なんかが、そのまま載っているんだよ。とても子供向けじゃあないんだけれどね。そこを、ぎっしりと小さな字が詰まったそのページを、じっと見ているんだよ。私も読んでみたが、お世辞にも面白い内容には思えなかった。大学の偉い先生たちが、同じく偉い先生に向けて書いたものだよ。誰かを楽しませようとして書いたものじゃない。でもあの子はそれがいたく気に入ったようで、ずっと見ていたよ。ある時はさ、海からハゼを取ってきて、それを瓶に入れてさ、絵を描いていたんだが、その絵を事典の絵と比べてね、ひれの長さがどうも違うなんて言い出して、これは何故なんだろうってね・・・。そんな子だったよ」
そう言いながら、老婆は甘い思い出に浸っていた。その間は、老婆はこの場にはいない。当時に帰って、楽しかった思い出を追体験しているのだ。刑事は、時が流れるままに黙って座っていた。それを邪魔することは、出来なかった。追体験のオーラはこちら迄流れてきて、科学では説明しがたいことを、いろいろと教えてくれる。
「そう言えば、こういう事もあったねえ・・・」
老婆は先を続けた。刑事がその家から出てきたころには、もう目の前の海に日が沈みかけていた。波頭が日の名残を受けて、ゆらゆらと、きらめき揺れている。気丈にも老婆は、刑事がいる間は、ずっとしゃべり続けて、取り乱すことはなかった。そのほとんどが被害者の生い立ちに関することだったが、それはこの家を出て行くまでのエピソードしかなかった。家を出た後は、忙しかったのだろう。音信が途絶えがちになり、近頃は、手紙の返信すら帰ってこないことが多かったそうだ。しかしながら、彼の病気の事を考えると、これは仕方がないように思えた。
刑事はこの話が出た時に、老婆に孫の病気の事を告げた。暫く老婆は黙っていたが、喉の奥から絞り出すように一言、「重ね重ねだねえ・・」とだけ言った。
そういう訳で、最後に会ったのが、島を出る時だそうだから、爺さんの葬式には出なかったらしい。となると、たった一人の孫が亡くなったというのに、老婆が泣かなかったというのは、しばらく離れていて、情が浅かったのかもしれないと思った。
いくら血のつながった孫で、自分と一緒に生活を共にしたからといっても、すべての人がその間柄に深い情のつながりが有るなんてことはないのだ。親子や親族や、兄弟に於いての愛情なんてものは、幻想にすぎない。あればいいが、デフォルトの状態で、すべての人が同じだけの深い愛情を持っているなんてことは、近代になって誰かの作り上げた理想にすぎないのである。それは異常や欠損ではなく、普通の事なのだ。ずっと営んできた、生物としてのヒトの在り様である。
被害者の人となりは理解できたが、犯罪に巻き込まれるきっかけはここにはないように思われた。
刑事は港まで降りてきて、今晩の目的地である島の民宿を目指したが、なんとなく胸騒ぎがして、またもと来た道を戻り始めた。再び家の前に来ると、やはり玄関は開けっ放しで、暗がりのまま、明かりのついてない台所が見えた。老婆はまだその場所に座っており、外からは確認しにくかったが、小さく丸まって震えているようにも見えた。何かのデジタルの表示だけが、闇の中でただ一つ青く光って、その明かりだけが視界の頼りだった。声は聞こえず、その様子から予想されるような嗚咽らしきものもなく、ただ暗がりの中で岩のようにじっとしているのだった。
刑事は少し離れて、庭にあった素麺を干すはたの土台に置かれている岩に、静かに腰を掛けた。老婆からは死角になっていて、背中だけが見えるその位置から、黙ってじっと観察している。日はすっかり沈んでしまっていて、海上に漁火がちらほらと見えだしたころになると、老婆はまたゆっくりと立ち上がり、闇の中ではあったが、デジタル表示の明かりを頼りにしているのだろう、手慣れた様子で、二人分のコーヒーカップを、大きな音を立てながら、かたづけ始めた。そして手を付けることなく置かれたままの、菓子をまた同じ水屋に戻し、足を引きずるように奥の部屋へと消えていった。
消えゆくその背中を見ながら、やはり情が薄いなんてことはないのだと思いなおした。小さく丸まったあの背中は、引きずったあの足は、荷物の重さに耐えている姿だ。大切なものを失って、代わりに荷物をしょい込むことになるのだ。これから何をするにも、当分の間、いや死ぬまでかも知れないが、荷物の重さを体に感じながら、生きてゆかなくてはならない。
刑事は闇の中で、暗い家の中の気配を感じながら、じっと座っていたが、ようやく部屋に明かりのついたのを認めると、それをきっかけにして立ち上がり、また再び坂の上に立った。漁火が数を増やしていた。潮風はあくまでも穏やかで、数ある海の様々な表情のうちのほんの一部だけを見せていた。
この島で一つしかない民宿に宿をとっていた。ここで一泊して、明日は地元の友人たちや知人に当たる。それから本土に渡り、地方都市の郊外にある大学へと向かう予定だった。
民宿の主人も、年齢的には被害者よりも少し年長と言ったところだったが、小学生時代は同じ学校で過ごし、彼が卒業して中学に入ったころは、主人はもうすでに高校生になっていたので、小学生時代の彼の事しか知らないし、その後は噂でしかないと断ったうえで、語り始めた。
「優秀、優秀でしたよ。成績はずば抜けていましたね。一番なんですが、その一番がダントツってことです。二位以下を大きく引き離している。まあ、最もこういう小さな島だから、大きな都会に行けば、どうだったかわかりませんが。少なくとも、この地方じゃ一番だった。どうして都会の大きな大学に進学しなかったのか不思議でしたが、家計的なことやなんかで、気を使っていたみたいです。大学へは毎日本土まで連絡船で通っていました。休みの日には祖父の仕事を手伝ったりしていましたね。だから、家と大学の往復だけで精一杯だったんじゃないかなあ。普段はね・・・。長い休みに入っても、誰かと一緒に遊びに行くような感じじゃなかったですね。まあ、そういったことを望むようなタイプでもなかったですし。誰かと一緒にいる印象は無くて、いつも一人だったなあ・・・。ああ、いや、でも不愛想と言う意味ではなくてね。話しかければ、それなりにきちんと返事が帰ってくるんですがね、まあ、話しかけられても、彼と同じレベルで話の出来る人間はここら辺にはいなかったでしょうがね。いつも何かを考えているような感じだったなあ。心ここにあらずってやつですよ。先生は、最初分からずに、話聞いていますか?なんて注意するのですがね、きちんと聞いているんですよ。まあ、聞いている以上でしたね。何もかも把握していましたよ」
主人はそう喋りながら、食事の用意をしている。刑事は黙ってそれを聞きながら作業を眺めていた。そうするうちに目の前に塩の塊が、どんと音を立てて置かれた。かなり重量があるようだ。その隣に木槌を置いて。
「ここらは鯛が有名でね。今は桜鯛と言って、美味いよ。先ずは塩釜」
言いながら、刺身と、土なべなどを手早く並べてゆく。土鍋の蓋を取ると、湯気がわっと上がって、これもまた飯の上に、鯛がそのまま載っている。鯛めしというやつなのだろう。最後にぎりぎり旬の三つ葉を散らしたすまし汁。
「豪勢だね」
刑事が思わずそう言うと、主人はそう言われることに慣れているのだろう。これはきっと客との通常のやり取りなのかもしれないが、本藍らしき、まだ香りの立つ前掛けを外して、シンプルなシャツと、デニムだけになった主人は、几帳面だが、素早い手つきでそれを器用に畳みながら、ニヤリと笑う。
「うちはいつだってこんな感じなんですよ」
どの料理も塩加減が的確で、主人の腕の良さを感じさせた。どこかの料理人の言葉だが、レシピ通りに作っても俺の料理は誰にもマネが出来ない、それは塩加減が絶妙だからだ、と言ったそうだ。確かに、その言葉をほうふつとさせた。理想の濃度は決まっているから、計算は出来るだろうし、用意もできるだろうが、調理法によって素材そのものに吸収される量が違ってくるわけだから、やはりここは技と言うべきなのだろう。
「なかなかいい塩加減だね。どの料理もとても美味しいよ」
刑事はそのままを口にする。言われた主人は嬉しそうにはにかんだ。
「大阪の老舗で修業しましてね。独立して、同じ大阪に店を出したのですが、ほら、例の伝染病で、それまではそこそこいい線いっていたんですが、客足が減り始めると、大阪だととてもじゃないが地代が払えなくてね。立ち上げの時の経費も回収しきれてなかったのも痛かったな」 当時を思い出したのだろう。苦虫を噛み潰したような顔で、でも、基本の笑顔は絶やさない。一瞬遠い目をしたが、すぐに現実に戻ってくる。
「なるほど、道理で腕がいいわけだ。大変だったね」
「まあ、あの時にはね、どこもかしこも大変でしたから。でもここなら、地代は要らないし、道具は持ってくるだけだし。食材はね、ここらにある物で作るんだけれど、なんてことはない。けっこうね。良いものがあるんだなあ」
「でも、腕がいいから。それが第一の資本だね。この腕ならどこでだって客は呼べるだろう?ここでしか手に入らないもので料理を作るとしたら、わざわざここまで食べにくる価値があるってものだよ」
「ありがたいお言葉ですね。実際のところ、そういったお客さんは増えていましてね。まだまだ大半は釣船との協業ですがね。友人に釣り船を出している人間が多くて、泊まりの客なんかを好意で回してくれるので、助かっていますよ」
「しかし、釣り船の連中は自分のところでも泊りをやっているだろう?」
「そこが有り難い所でね。お客さんの中には、少しぐらい余分に金を払っても、いいものを食べたいという人たちが居るんですよ。釣り船の連中は調理に拘らないですからね、簡単なもので済まそうとする。めんどくさいからって言いながら、そうした人たちをこっちに回してくれるんです。まあ、照れ隠しですね。皆幼馴染ですよ。助かってます」
「なるほどね。この味なら、たとえ良い釣果が出なくとも、満足できるし、次の釣行にはここに来たいというきっかけになるね。そういった意味では、協業だね。ウィンウィンだ。お互い様なんだね。地元の良さだ」
「それにね。実は一番いいのは、のんびりと出来る事だったりするんですよ。民宿はここら辺では年間の半分しか営業できませんからね。となると、自ずと半分は休みでしょ。大阪にいた時は休みがなくてね。収入は確かに少なくなったけれど、そのほとんどは家賃でしょ。それに、飲み歩いたりだとか、都会に住むと、いい格好もしなければならないし、だから、まあ、そういうわけで、実のところ、無駄金を使う事はここら辺じゃかえって難しいですからね。それなりにやって行けるんですよ。だったらあのペースは何だったんだろうって、不思議に思いますよね」
そう言って笑う主人は、半分気の抜けたような、半分がっかりしたような、何とも、ありとあらゆる気分の入り混じった表情でそう語った。しかしその肩の力の抜け方は、ある種の人間を羨ましがらせるかもしれない。
刑事は先日訪れた3Ⅾプリンターのあの職場を思い出していた。996ともいわれる彼らは9時から9時まで働いて、それを週に6日間続けるのである。しかも用事が有れば、時間や場所にお構いなく連絡がくる。だから、携帯は手放せないし、少しの間、携帯から離れて居ようものなら、例えば、泳ぎに行ったりとか、そういう事だが、そんな時は泳ぎの途中で電話が気になって、頻繁に連絡の確認をする始末だったりする。その多くは何も連絡などないわけだが、着信履歴など残って居ようものならば、舌打ちをして、リゾート地の能天気に騒がしいビーチを横目にしながら、こちらから電話をかける羽目になってしまう。自分だけのゆったりした時間などないに等しいのだ。
それは時間なのか精神上なのかは別にして、倍以上働いて、倍以上の値段の服を着る。ただそれだけのことである。或いは、倍以上の車なのかも知れないし、家、時計、靴、食事という事なのかもしれないが。それがどうしたという事なのである。
確かに気分は上がるだろう。しかし、倍以上の服が倍以上の機能を備えているというわけでは、一概には言えないし、倍以上それを着る人間をよく見せてくれるというのも、これまた何とも言い難いではないか。所詮大切なのは中身であり、そうした中身の持ち主ならば、どこに居たって、何を着ていたって、それなりに存在感を持つものである。
そうした世界に一度も居たことがないならば、そうしたことを経験してみたい気持ちが起きるのは無理もない。また、そのような世界に慣れてしまえば、そのことが当たり前になってしまえば、そこから転落すると想像するのは恐ろしい事だし、どうあってもその地位を保ちたいと願うし、努力もするだろう。
しかし、ある位置に到達したとして、上には上がいる。今までが貧しくて、欲しいものも買えなくて、なんとなく惨めな気分を味わって、やっと念願の場所にたどり着いたと思ったら、やっと念願のものを手に入れることが出来たと思ったら、今まで目に入らなかったものが目に入るようになる。それは今自分が持っているものよりもさらに良いものであり、それを持っている人である。すると、無くなったはずの惨めな気分はまたやってくる。終わることはない無限のループだ。本人は毎日が代り映えのないラットレースから逃れたと思っているが、実は乗り換えたと思っているファストトラックがさらに大きなラットレースのコースなのだ。
走り続けなければならない。もっと早く走って、人を追い抜いていかなければならない、と思っていたのが、実は歩いても良いのだと気が付き、歩いてみると案外これが良かったという人々を横目にしながら、走ることをやめられないそうした人たちだ。
一方で、野心。これがその人のきっかけになっている人だっているだろう。物欲ではなく、誰かに認めてもらいたい気持ち。承認の欲求で突き動かされている人は、報酬がそのきっかけになる人とはまた別の話だ。しかし、それは混ざり合わされているもので、どちらか一方だけと言うわけではない。身に着けているものが、対外的にアピールする効果を求めて購入されることだって多い。そのバランスがどちらに多く振り分けられているのか、その場その場で変動するこれらのバランスは、時や何らかのきっかけで容易に変わってしまうものだ。
仕事外にそのきっかけがある場合は、例えば、旅行に行きたいとか、子供にいい教育を受けさせてやりたいとか、そうした場合は報酬へのフォーカスが強まるし、社内に尊敬する人がいるとか、同じ業界に好敵手がいるとかいう場合、もしくはもっと大きく世間一般に自分と言う人物を印象付けたいといったような場合は、報酬の占める割合は下がったりもするが、報酬自体がその人自身の評価だと考えている人もいるので、人それぞれだが、管理する側は、より高い生産性を求めるがために、これらを最大限に利用しようとするし、その洗礼を受けて、それが条件付けされてしまったような人間は、疑心無くそこで必要以上に頑張ってしまうものなのだ。
根源的な見方をすれば、元々動物は給餌行動のために一日の大半を費やしていたのだ。それがいつのころからか、仕事と呼ばれるものに変わっていったわけで、それを踏まえるならば、必要なだけの食料が手に入れば、それで一日のノルマとも言うべき行動は終了である。それが基本の生き方だとすれば、仕事なぞは必要最低限のことがリターンとして得られるならば、それでいいという事が言える。しかしそれ以上に何かをするというのは、これらの見方からは外れていると言えるだろう。
だったら、とナマケモノ、或いは合理主義者は言うだろう。ちなみにこの二つは似た者同士だ。合理主義者もナマケモノも、あることを、無駄なく最低限の動きで成し遂げたいと思っている。その彼の問いかけは、上げ膳据え膳で何もしなくても生きていかれるならばそれが理想では?という事なのだ。ひと時に集中して働いて、早めにリタイアして、その理想を達成するというのは、必要以上の仕事量に対するある種の動機付けになるのではないかと。
しかしそれは、あくまでも上げ膳据え膳の状態が理想にかなっているという前提でのことだ。たまにはいいだろう。しかし動物というものは、その状態があまりに長く続くと、精神に破綻をきたすものらしい。
動物園にいる様々な動物。上げ膳据え膳で、天敵もいない。厳しい環境もない。理想の環境だ。しかし、狭い所に閉じ込められて、出られないというのは不幸ではないかと、一日中好奇の目にさらされてストレスではないかと、言う人がいるかもしれない。正にその通りだ。実際に動物の中には精神を病んでしまう個体もいる。同じところをくるくると回り続けて、落ち着きなく動き回る彼ら。
しかし、それは解決できるのだという。食事を上げ膳据え膳にしない。食事を得るためにはある仕事をしなければならないように、仕掛けをする。食事を隠してしまって、探さなければいけないようにする。ゲーム形式にして、それに勝てないと食事が得られないようにする。それだけのことで、動物たちの異常行動は収まってしまうという。
この動物の事例が示唆することに、ある教訓が含まれているとは、思わないだろうか?給餌行動が仕事にとってかわったと言える現在、その負荷は、皮肉な話だが、理想と現実の間にありがちな矛盾として存在する。それは必要なことなのだ。
だったら、ずっと続けなければならないのなら、マイペースで良いではないか。
しかし世の中には、それでも仕事をしない人というのもいる。仕事というのは、この場合雇用関係に留まるものではない。それでも、ある種の貴族であったり、定年後の人たちはそうであったりするわけだが、こういう人たちはその負荷を遊びに求める。ゴルフをしたり、ゲートボールをしてみたりする。体を使い、気を遣い、ある物事をやり遂げる。だったら、仕事で良いではないか?というのは合理主義者の考え方だ。
日本に米国一のハンバーガーチェーンを導入したある社長は、ゴルフをしない。彼は朝に新聞配達をする。朝から走って、体を鍛えて、おまけにお金も儲かってしまう。ゴルフにわざわざお金を使って、健康増進という同じ目的のために体を鍛える必要などないのだという。もっとも彼は自己の精神のためにそうしているのであって、その仕事で得た給金が必要だという事ではない。給金は、同じ新聞配達所に居る学生たちに配ってしまうという。税金の事もあって面倒くさいからだと、彼は言うが、単なる照れ隠しにしか聞こえない。
何事も主体的にすべきだ。攻めて、すべきなのだ。そうすれば、遊びも仕事も一緒である。
「明日の朝はね、蒟蒻を召し上がっていただきますよ」
主人の言葉で刑事の考察は中断された。
「とても美味しかったですよ。明日も楽しみだな」
我に返った刑事はそう礼を言って、席を立った。
朝になり、刑事が朝食に二階の部屋から降りてくると、なるほどこれまたいい香りがする。味噌を焦がす香りと、何かわからないが、とても濃厚な独特の出汁の香り、ポン酢の香りが入り混じっている。そこにふわりと飯を炊く香りが混じるのである。
蒟蒻は田楽にされており、一部は刺身で供されている。ポン酢の入った小鉢の脇にはゆで上げた小さな魚が入っている。
「玉筋魚です。漁港で上がったばかりの奴を、先程釜揚げにしてあります。小鉢のポン酢でお召し上がりください」
「このポン酢は香りが他のと違うね」
「自家製です。スダチがこの辺りは良く採れますから。今の時期はハウスですけれどね。でもしぼりたては格別です」
大いに関心を示してその言葉を聞きながらも刑事は、先ずは蒟蒻に手を付けた。前日に主人がわざわざ蒟蒻を・・と言うくらいだから、これを先にいただくのが礼儀と言うものだ。
「弾力が違うね。何と言うか・・・」
「違うでしょう?わかりますか?嬉しいなあ。これはね芋から直接作ったやつなんですよ」
「普通はそうじゃないのかい?蒟蒻は芋から作るんだろ?」
「普通はですね。粉から作るんですよ。いったん粉にした方が保存がきくもんで、だから芋から作る蒟蒻は産地特有のぜいたく品なんです。芋は傷みやすいんで、新鮮でないといけません。だからこれを食べられるのは産地の特権です」
「へえ、そうだったんだ。ところで、何か特別な出汁の香りがするねえ」
「蝦蛄で出汁を取った味噌汁です」
「へえ、珍しいね。初めてだよ」
「身がね、ちょっと小ぶりのしかなかったんですが、具材としても使っています。たっぷりの野菜と一緒に煮込むといい具合になるんですよ」
刑事はみそ汁を試してみた。暫く蝦蛄の身の独特の弾力を楽しんでから、言った。
「うん、これは新鮮だね。エビでもないし、カニでもないんだなあ」
格別に贅沢な品と言うのではない。どれもが地元で普通に採れるものなのだろう。それを丁寧に処理してあり、そこに主人のセンスと、手間のかけ方が相まって、これらの料理をプロのもの、それも一流のプロのものにしている。
「盛り付けも良いね。私はこういったことはよくわからないが、なんていうか、いい意味での気遣いを感じるよ」
これに主人はとても嬉しそうな顔をする。なぜかほっとしたようだ。
「ありがとうございます。刑事さん、なんだか言う事が鋭いんで、実は緊張していました。料理の専門家みたいなんだもん。いきなり塩加減から入ってきたときはドキッとしましたよ。美味しいとは言われても、そこまで具体的に言われたことはありませんから」
これには刑事が少し戸惑ったようだった。
「いやあ、エラそうなことを言って申し訳なかったね。どれもとても美味しかったですよ。ごちそうさまでした」
そう言いながら、箸をきちんとおいて、手を合わせる。
主人の口を軽くするつもりで、多少思ったことを思うがままに並べてみたが、かえって緊張を強いてしまったようだ。これからは慎重に発言しよう。
食後の習慣であるトイレを済ませると、民宿を出て、島の中心部へ向かう。港を中心にして、徒歩でもなんとかなる距離に、あらゆるものが集中している。公共の交通機関は小さな巡回バスがあるだけで、タクシーは本土から呼ばなければ来ないようになっている。しかしその必要はほとんど生じないようだった。巡回バスは、少し離れたところにある島の総合病院や役場、小学校と中学校が同じ場所に並んである学校などをつないでぐるぐる回っている。乗っているのは主に老人のみで、小学生や中学生は歩いて通うし、それ以外の人たちは軽トラックですべてを済ます。この島にある車の大半が軽トラックなのではあるまいか。今も軽トラックの荷台に犬を乗せて、トラックが通り過ぎて行った。
白くて大きな犬は、慣れた様子で、風に目を細めながら、刑事の方をじっと見ている。決して非難するでもなく、威嚇するでもなく、恐れもしない。はたまた好奇心があるようにも見えない。ただそれは見ているだけなのだ。その表情から感情は読み取れない。日常に飽きているでもなく、ある意味達観したようなその様子に、刑事はただ感服するのだった。あの表情で、目前に座られたら、その心理を読むことは不可能だろう。
「まあ、犬だしな・・・」独りごちる。
しかし、犬は自分を人間だと思っている。だから本来、感情もそれなりに人間的なのだ。集団に入ると、犬は自分の順位を決めてしまう。目上の立場の人には従順だし、おべっかもする。目下の人間には言う事を聞かなかったりもするが、優しい個体に限ってはその存在を保護しようとする。もちろん目上の存在が危機に陥ったら、それはそれで守ろうとするのだろうが、目下のものに対しては普段からの保護者を自任してしまうのだ。その思いは表情として出てくるものだ。
運転する老人と、その大きな白い犬の関係性は読み取れない。それは犬があまりに無表情だからなのだろう。彼は老人の家来なのかもしれず、老人は単に彼の運転手に過ぎないのかもしれず、一切読み取れないがままに、それは走りすぎて行った。
民宿は海の近くにあった。そこから今、刑事は街の中心に向かっている。軽トラックもまた、街の中心部へ向かって小さくなって、見えなくなった。その間、犬は不動の姿勢で、刑事を見つめ続けた。
町の入り口に神社がある。大きな二本のクスノキが入り口を覆うように立っており、ちょうど門の上でアーチを作っている。鳥居はそのアーチの中に埋もれてしまっているが、これを伐採する気はないのであろう。そのアーチから覗き見た向こうに、さらに大きなクスノキが一本立っていて、そのわきに本殿はある。門の横に石柱が立っており、神社の名前を刻んである。戎神社と読めた。
小さな島の神社ではあるが、立派な構えだ。この構えをずっと維持していかなければならなかったという事を思えば、自ずと島の住民との強いつながりが有ったに違いなく、果たして少年時代に、被害者はここで遊んだかもしれない。また、祭りなどを通じて、ここを起点とする人間関係があったとも考えられ、刑事は中に進んでいった。
神社の中は、なるほど管理が行き届いている様だった。掃除が隅々までなされていて、地面に箒の後が付いている。観光地の神社もかくやと言うぐらいに清浄に保たれていた。クスノキは何人もの人間が繋がって抱えなければならないほどに太い幹を持ち、その高さは本殿の屋根をはるかに超えて、敷地全体を緑の屋根で包んでいる。
背後から砂利を踏む足音がして、刑事は振り向いた。喉に小さなヘッドフォンくらいの機械をまいた老人が立っている。
「おはようございます。大きなクスノキですね」
「もっと大きなものも他所ではあるようです。なんでも八畳間がそのまま入る大きさだそうで、まあ、八畳と言っても、都会のマンションにあるような小さな畳じゃないですよ。ここら辺の田舎にある旧家の大きな畳の八畳です」
関東間の畳と本間では畳一畳分ほども違ってくる。関東間の八畳を本間にすると、約七畳にしかならない。正確に言うと、それ以下なのである。
老人の声にはほのかに違和感がある。刑事はこれが人工喉頭を通した声であることに気が付いている。首に巻いた小さな機械がそうなのだろう。そう言えば、最近の人工喉頭は性能が上がっているとのことだ。昔は手持ちで喉に当てて発音した。聞き取りにくくて、機械のような、いや、まさに機械の声だった。
老人はここの宮司だった。刑事は自分も自己紹介をして、被害者の里で昔の話を聞きたいのだと、率直に言った。
老人は少しショックだったようだった。暫く黙って考え込んでいるようだったが、大きく息を吐き出し、気を取り直すと、話をし出した。
「クスノキはよく神社なんかに植えられているでしょう?どうしてだかご存じですか?」
老人は大きな幹に手をやって、上を見上げた。この時期、朝の太陽は優しい光しかもっていない。夏の木漏れ日のような強烈な陰影は生まれずに、老人の顔はその優しさでもってある種の斑を伴って、明るくなる。その柔らかさはルノワールやモネの絵をほうふつとさせた。
一方でクスノキは光を降り注ぐ中継点となることで、その様子も含めて、まさに御神木と呼ぶにふさわしい。この状態で他所に生えていて、そう感じた人が多いから、ここに植えられたのか、また、元々ここに生えていて、それを称えるためにここに神社を建てたのか?
「わかりません」そう答える。あくまでも老人の考えが聞きたかった。
「昔はこれから薬を採ったんですよ。樟脳、が主な使い方で、虫よけですね。それ以外にも、痛み止めなんかにも使われたそうです。葉を乾かしてね、風呂なんかに浮かべて、それに入ると、肩こり、腰痛なんかが楽になるそうです」老人は言いながら幹を撫で始めた。そう言えば、強心剤のカンフルはこの木が由来だったと、刑事は記憶を引き出す。
「だから、昔は集落のある所には、その目的でもって植えられておりました。神社の場合は、こういった主たる御神木としての見栄えもともかくとして、実用も兼ねてその敷地に植えられたのだと、聞いております。ただこの木は大きくなりますでしょ?集落の中では邪魔になります故、神社の中なら広さもありますし、クスノキは自分が好きなように大きくなれますので・・・」
なるほど鳥居が埋もれても、それはクスノキの自由なのだ。
老人はそれだけ言うと、刑事の方に体を回して正面を向いた。その手を本殿横の事務所の方に差し出して、
「あちらへどうぞ」と言うと、先に立って歩きだした。
事務所は玄関の板間を過ぎると、右手が続きの和室になっている。手前が六畳間で奥が八畳間。八畳間の方に押し入れと床の間がある。また、玄関から真っすぐに廊下が有ってそれを挟んだ左手が手前から納戸、水屋、突き当たりがトイレとなっている様だ。祭りのときなどは、ここでみんなが集まってにぎやかになるのだろう。
老人は刑事を和室に通して、座卓に座るように促すと、水屋に引っ込み、茶などの用意をし始めた。食器が当たる音が聞こえる。窓の外では様々な鳥が集まって鳴いていた。
しばらくして、盆に載せた茶と茶菓子をもって老人が姿を見せた。茶たくに乗せた湯飲みを静かに座卓へ置いて、その左側に菓子を並べる。菓子は上生菓子だが、練り切りではない、薯蕷饅頭のようだ。白い肌に、薄い青で一部だけ色が着けてある。季節に合った菓子だ。茶は薄く淹れてあった。刑事はその姿を見ながら違和感を覚える。
「気が付きましたか?」と、老人。「四肢共に人口の義手義足なのですよ」
動きは実になめらか。精巧に作られていて、普通に見ただけでは気が付く人はほとんどいないだろう。
「あちこち切ったおかげで、なんだか濃いお茶が飲めなくなりましてね。薄いのだが、お口に合うかどうか。昔はね、練りきりで濃いお茶を頂くのが楽しみでしたがね。薄いお茶にはこっちの方が良いように思えて・・・」
老人はそう言うと、添えられた黒文字で薯蕷饅頭を切り始めた。刑事もそれに続いて、まんじゅうを切り、口に放り込んだ。糖度を押さえた漉し餡が薄皮に馴染んで、これなら薄い茶に合うだろう。
薯蕷と言うのは山芋の事だ。この芋はいわば膨らし粉の代わりなのだ。生地の本体は粉であるために、比較的あっさりとしている。これに対して、練りきりと言うのは白あんをさらに炊き詰めて、砂糖などを加えて作るので濃厚な甘さがある。出来上がったものは固い粘土のようで、これに色付けをして、手の温度で柔らかくしつつ、練ってから、成形をする。季節の上生菓子のほとんどはこの練りきりが使われているといっていい。色と形が比較的に自由なのである。ケーキではこれがシュガーペーストになるだろうか。そのほとんどが手作業で作られ、上生菓子として銘を付けられる。
花弁などは一つ一つが手で専用の道具を使って付けられる。ぼかしも異なる二色を重ね合わせて、指先で伸ばす。金団と呼ばれる、細かい棒状のものが散らしてある物も、通しで棒状に押し出した練りきりを少しずつ手でバランスよく、散らしてゆくのだ。押し出すのは指先である。あとで崩れないように、ある程度、硬いものを押し出すので、たくさん作ると指先が痛くなってくる。
材料がすべてそろった状態からでも、成形に大いに手間が要り、時間がかかる菓子なのである。
色だって、簡単ではない。元は白あんから作られるだけあって、白いのだ。それに色粉で着色をする。硬い大きな塊に、色粉は一旦水溶液状で濃縮されているので、一滴一滴ずつこれに混ぜ込んでゆき、思った色に近づけてゆく。薄いとまた一滴追加して、均一になるまで練り込む。濃いと白を足して練り込む。斑が均一になり、全体としての色がその姿を現すのは、練り込みが終わった後なので、腕がしびれるほど練り込んで初めて色が出来上がるのである。
もちろん最初から、様々な色があるわけではない。基本は赤、黄色、青、緑と言った具合で、それ以外の繊細な色を出したい場合は混ぜていくわけだが、これが一筋縄でいかない。思った色を思ったように出せるようになるまでは、経験とセンス、そして練りきりの硬さに負けない腕力、途中で投げ出さない意志の力、何よりも思った色を作り出そうという執念が必要なのだ。
刑事は以前この作業を、説明を受けながら、間近で見ていたことがある。菓子造りは力作業なのだと、改めて感じたものだった。
「でもね」老人の話は続く「かえって器用になりましたよ。さっきみたいにお茶を出しても以前ならこぼしそうになったものだが、内蔵されている錘のおかげで、安定したものです。お茶を持つとね、先ず頭でね、水平に持っていこうと考えるでしょ。その命令が自分の腕だと、何処かでこんがらがってしまって、腕の方は言う事を聞かないんですな。だから以前なら茶たくは茶たく、湯飲みは湯飲みで別々に置いておりました」
言いながら、茶たくごと湯飲みを持ち上げて、左右に動かしてみる。
「ほらね、こぼれない。見事な物でしょう?いっそのこと、身体全体を交換してもいいくらいなんですが、それはまだまだなのだそうです。これだけ出来れば、何でもできるような気がするのですが、実際のところ人間の身体というやつは、複雑な物なんですね」
老人は黒文字に刺した薯蕷饅頭を口に放り込んだ。違和感はない。
「本当は、こういう軽いやつじゃなくて、もっと濃厚なものが食べられると良いと思いますよ。焼肉とかね。少々硬くとも、バリバリ嚙み締めて、筋なんてものともしない、そういったことが出来るならね。で、たらふく食べても、次の日はケロッとしてる」
そう言いながら、笑った。
「戎さんって、なんだかご存じですか?」
饅頭を食べ終わって、お茶をすすりながら、いきなり話題を変えた。
「いいえ」と、刑事。
何でもかんでも、知っていることを知っていますというものではない。人は大体が教えることに快感を得るものだ。これからいろいろと話を聞こうと思っている人に対しては、尚更気分よくあって欲しいものだ。
「日本の国を生んだ神様が居るんですな。イザナミ、イザナギと呼ばれております。その神様は夫婦なのですが、子供を作る時に女性の方から先に声をかけたので、生まれた子供が不具だったそうです。ひどい話ですな。日本は卑弥呼さんが居たくらいだから、そういう偏見はないものだと、思っていたのですが、この辺りは何となく別の文化圏のかおりがします。或いは単なるこじつけともいえる。ともかく、生まれた子供が不具だった。それが何でも、手足のない肉の塊だったとか・・・」
老人は話し過ぎて、声が枯れてきたようだった。最後の方は声がかすれていた。いったん、話をやめて、お茶を再びすすった。
「その子供をですね、とにかく異説は有りますが、淡路島の近くの離れ小島のどこかから、
船に乗せて流したんですな。それが西宮に流れ着いて、そこにえびす神社の総本山があるという訳なんです」
刑事にはこの話の終着点は最初からおよそ見当がついている。それもあって知らないふりをしたのだ。その通りに老人は語った。
「手足のない神様を祀った神社の宮司が同じように手足がないというのは、なんとなく奇縁があるというものでしょ?えびすと言う文字は、うちは戎ですが、これはよそ者と言ったところの意味合いですな。元は槍と関係のある漢字ですから、槍を持った異国の蛮族と言うところが由来なのですよ。一方で蛭子と言う書き方は、元来の意味に近いです。なんせヒルコですからね。この音だけでぬらぬらした肉の塊が想像できてしまう」
老人は漢字を空に書きながら説明した。老人はこの奇縁について、自分なりに意識するところが大きかったのだろう。ある特別な興味をもって、このことに関して様々に調べていたし、思うところも多かったのだ。
「それにしてもね、最初の神様の子供が奇形の子供だったなんて話は、変だと思いませんか?」
「どういうことですか?」
「いやね、普通は自分の住んでいる国なんだから、愛着があるでしょう?その国を生んだ神様なんてものは心理的には、なんていうかとてもえらい人物に仕立て上げたいですよね。実際にキリスト教の創造主なんて、決して間違いを犯さない、絶対的な存在でしょう?その思し召しを理解できないのは人間の愚かさゆえに、と言った具合ですしね。で、キリスト教ではありていに言えば、諸説は無視してね、神様の子供はキリストですよね。人間の母体を借りて、人間の姿で生まれてくるわけだ。マリアの最初の子供が、奇形だったなんて話はあり得ないわけです」
老人の声枯れは、すっかり収まっていた。あの声枯れは、話の導入に付き物の緊張感が生み出したものだったのだろう。手足のない肉の塊、と言う言葉の持つ、老人自身に対する重さともいえた。
「ところがね」
老人はそのまま話を続ける。この話はきっと村中の人が知っているに違いない。おそらく他所から滅多にヒトの来ないこの島では、刑事のような人物は貴重で、いい話相手という事なのだろう。
「イザナギ、イザナミは違うわけです。完全じゃあない。やってはいけないことを誘惑に負けてやってしまう。その思し召しは人の理解の出来るところなのです。ただね、こういった話はほかの国にもあるんですよ。宗教的な教えではなくてね、伝説と言うか、物語ですな。最初の二人が産んだ子供が、奇形だという話です。この最初の二人は、洪水で生き残った二人という事になっています。夫婦ではなく、きょうだいや親子なのですが、二人しかいないので、仕方なく近親相姦のリスクを冒して、その種族を増やすんですな」
人類は一度、徹底的に絶滅寸前までにその数を減らしたことがある。7万年前の最終氷河期のスタートと時期が重なるが、おそらくはその影響なのだろう。同時にこの時期に人間の脳は躍進的な進化を遂げているらしい。より複雑な想像力の獲得であろうとは言われている。
ヒトというのは一つの会話の中に二つの対象が出てきたとしても平気なのだ。誰それは誰それよりも、足が速いとか、背が高いとか、そういった種類の会話である。それが例えば、誰それは足が速い、という事なら理解できるが、誰それよりもとなると、理解が出来ないという症例が発生することがある。その分野を取り仕切る脳の部分があるわけだが、そこはいわゆる想像力を司る分野なのだが、どうやらそこが病気になると、そういう風になるらしい。
その脳の分野がどうして、この時代にならないと、発達しなかったのかわかるのは、絵などの文化的な遺産がこの時代以前には発見されないからだ。
それがその時期に必要な能力だったのかどうかはわからない。ただ、強烈な、この場合は氷河期という外的要因が、種に働きかけてなんらかの変化を促すのは良くあることである。
ともあれ、その数は二千人ほどだったとも言われるし、二万人ほどだったとも言われている。とにかく、遺伝子の濃さが、人類が非常に多数を誇るにもかかわらず、その遺伝子におけるお互いの差異の無さがとても小さくあることが、この事実を証明するようだ。大洋を挟んだ海の向こうの人の方が、隣山同士のサル達よりもはるかに近縁だということらしい。
だからほとんど、人類は皆兄弟と言うのは、まんざらでもなさそうだ。しかし、だからと言ってそれが互いの仲の良さに反映するとは限らない。兄弟だからこそ忌憚なく、いがみ合えるという事もある。兄弟のロックバンド、兄弟のスニーカーメーカー・・・。
それはさておき、最終氷期が一万年前まで続いたことを考えると、この間で人類が大いにその数を増やしたとは考えられず、やはり繁栄のきっかけは、雪解けとともにあっただろうというのは、予測できることでもある。
そこで、先ほどの伝説に立ち返るわけだ。氷期の終わりは、温暖化を意味し、温暖化は、水位の上昇を意味する。今まで住んでいた水辺の集落が徐々に沈んでいくというのは、集落と言うものがやはりこの時代になって初めて作られたという事を考えると、ショックだったであろうし、強烈な印象を残したに違いない。
段々と気候が穏やかになってきて、農業が安定して出来るようになると、集落を作っても、その方が、都合がいい。そうした最先端の希望の象徴が、水嵩を増してくる湖や、或いは低地に流れ込んでくる海の水などで沈んで行くのだ。家も、畑もである。
これらは半ば恨み節として、大いにその後語られたであろうし、より話を印象付けるため、緩慢な水害は洪水と、その物語の驚異的な効果をより高めるために言い換えられたであろう。この時に先だって獲得していた想像力が活躍したことはたしかである。
それはより大げさな話になり、海辺の小さな村が、沖合に浮かぶ大陸となったかもしれないし、当時最先端の農耕は、もっと別の言葉で最先端の文明だと説明されたかもしれない。
ともかく、人々はただ単に緩慢な水位の変化に押されて、別の場所に移っただけの事だったろうが、外からその集落を久々に訪れた人にとっては、そこの人たちが滅んでしまったように思えて、絶滅話がでっち上げられたとしても、無理はないように思う。
ただ、集落と言っても、初期のころはその農業生産性に合わせた、小さな集団なのだ。移動した先で、生き残りだと言い換えられて、そこで奇形の子供を産んだとしても、元々集団の遺伝的差異はほとんどないのであって、そういった集団では比較的に多かった事例だったであろう。
そうした話が印象的な出来事として、口伝で伝わる中で、つぎはぎされ、都合の良いように言い換えられたりして、似通った部分が残ったというのは、納得できる話ではないか。
「イザナギ、イザナミが人間臭いというのは、この生みの時だけではなくてですね・・」
すっかり興に乗った老人が、さらに話を続ける。これは最後まで聞かなくてはならないだろう。このような事を切り捨てる刑事もいるが、彼はそうではない。人間への理解が事件を解決するのだ。それは多様性という事である。人の数だけ考え方があり、やり方がある。時間ですら同じではない。ある人には長く。ある人には短いのだ。そのことを忘れて、紋切り型に、あるいは他人の価値観をもってして人間を見てしまうと、失敗するものだ。
「イザナミが火の子供を産んで、死んでしまった後に、黄泉の国までイザナギが会いに行くのですが、ここでイザナミから、私を覗いてはいけませんと言われたのにもかかわらず、覗いてしまうんですな。実に神様らしくない行いです。このおかげで、死人たちから追いかけられてしまうんですよ。イザナギは命からがら逃げだすんですが、黄泉の国から出てきたら、身体には黄泉の国の汚れ物がたくさんついている。それを洗うんですが、その時の洗いカスから天照大神なんかが生まれているのですよ」
「天照大神と言うのは天皇の先祖と呼ばれている神様ですよね。太陽神だ」
「面白いでしょう?イザナミの死の原因となった火の子供は、イザナギによって殺されておりますし、一番偉そうな太陽神が、黄泉の国の汚れ物が綺麗になる過程で生まれているのですよ」
「理屈が合わないように思います」
「でしょう。いずれも所詮は人間の生み出したものなのです。天照大神は後代になって大日如来と同一視されてしまいますから。すべてはご都合なのですよ」
「ご都合ですか・・・」
「その通りです。理屈が合わないのは、わざとです。理屈が有れば、反論が出来るでしょう。理屈の合わないところに反論は出来ないようになっておりますからな」
そうなのだ。反証可能と言うのはいつの時代も科学的かどうかの境目だった。科学とは真実を見極めるための道具だ。それが使えないようにしてあるのは、真実ではないという事だ。それをわざとそのようにしてあると考えるのも、一つの見方であろう。
「と言っても、私たちは記紀からそれを考察するしかないのですが、時代の雰囲気まではわかりませんね。単におおらかで、娯楽として、こちらの方が面白いだろうと、こんな話にしてしまえと、で、政府の方もそのまま載せてしまえと言った具合だったのかもしれません。それもわからない。後世の人がああでもない、こうでもないなんて意味付けするなんて、これはもう趣味の範囲ならば許されるでしょうが、だからと言って、これを学問にしてしまう事は出来ませんね。まあ、歩み寄り方次第でしょうが」
「真実はわからない、或いは人の数だけあるのだから、それぞれの意見を尊重して、一つに絞り込むようなことはしないという事ですか?」
「そうですね。人の世の争いなんて、自分は正しい、あいつは間違っているというところが全てです。ですからね、国の正史がこれだけ支離滅裂で、荒唐無稽だと、平和なもんですよ。こいつをとらまえて、議論のしようなんてないじゃないですか。おまけにこいつにはその含む意図すら感じられないでしょう?仏典なんてのは、これに対して大変厄介でしてね、理屈っぽく書いてある物だから、喧々諤々でしょう?しかも理屈が、方便として単なる嘘だったりもするから余計です。真実は得てして、単純だが、これには言葉足らずなことが往々で、それもまた、争いの元です。南無阿弥陀仏で悪人すら救われるという言葉は、裏を返されて、悪いことをしても、南無阿弥陀仏を唱えればいいと言った風に悪用されておりますな。極めれば、かなり深い言葉なのだが、言葉足らずなのですよ。これを極めるためには、ある程度以上の素養が必要となるのですが、そこに至るまでが難しい。罪作りなわけですよ」
宮司は、これもまた日ごろのうっ憤なのか、神社への対抗心なのか、仏教への思いを一気に語った。キリスト教などは、いくらでも悪口は言えそうなのだが、言わないところを見ると、比較的遠い関係なのが幸いして、そこまでの対抗心はなさそうである。
「そうですね。これだけ人間臭いと、権威付けもできないし。含意もなさそうだ。純粋な娯楽としてならストンと落ちるものがありますね」
「例の被害者の男性ですがね、小さなころはここでよく遊んでいました」
話は急に切り替わった。別に驚きはしない。老人と言うものはこんなものだ。まるで、その瞬間瞬間にだけ生きているように、今の人物そのものが、前の時間に存在していた人物との関連性が無いように思われるような、脳の機能が突然に切り替わったような、そんな気を起こされる。若い人はびっくりするようだが、刑事くらい経験を積むと、それを待ち望んでいる自分がいることに気が付くものだ。
「私もまだ若かったですね。もうすでにそのころ手足は有りませんでした。今の義肢のように出来のいいもんじゃあありません。動きだって、ぎこちなかった。子供たちはそれを見て、二種類に分かれる。ふざけて騒ぎ立てる連中と、黙ってみないふりをする連中です。でも、彼だけは違ったなあ。どちらでもないんですね。じっと、食い入るように見つめ続けているんですよ。」
「随分と好奇心が旺盛だったとか」
「そうですね。そのようなところはありました。今私がした話ね。あれも、聞きたがった。人口声帯も今しているような聞きよいものじゃない。聞きづらいものです。それでもね、我慢強く耳を傾けていましたね。いや、耳を傾けているどころじゃないな。じっと、こちらを見てね、きらきらする目だった。良い聞き手ですよ。話しているほうも嬉しくなるような」
「聞きながら、それについて話はされましたか?」
「そうですね。みんな創られたんだ、って言っていましたね。何気ない一言なんですが、気持ちがこもっていましてね。どういう意味だい?って聞きましたら、創る方に意思は有っても、創られるほうに意思はないんだね、ってそんなような意味の事を、言いましてね・・」
「随分と大人びたことを言いますね。選択の自由なく創造されるという意味でしょうか?」
老人はこの質問には答えなかった。前もって自分の言いたいことを、頭の中にしまっておいて、それを表すことに集中している。
「体は子供でしたがね。頭脳の方は、すっかり出来上がっているのですよ。向き合って話していると、最初は子供に対する話し方なんですが、そのうちにすっかり、大人を相手しているような気持ちにさせられました。決して偉そうな物言いをするわけではありません。言葉使いも丁寧だし、礼儀正しい子供でしたが、時折不思議な事を言うんですな。その後でこのようなことも言っていましたよ。もし戎さんに付けてあげられるような義肢が有れば、流されずに済んだかな?ってね」
「ほう」この驚嘆は、その後の老人の言葉が説明している。
「あれにはどっきりさせられましたよ。私の目の前で、義肢とかそういった言葉を普通に違和感なく出す事の出来る人なんて、お医者さんくらいでしたからね。それをさらりと言ってのけられて、どっきりしたのはその自然さですな。彼にとっては特別なものではないんですよ」
被害者の特異ぶりが刑事の関心を引く。そのような人物はやはり、人間関係は狭いものだ。その点に関しては民宿の主人からも得ていたものの、もう一度確認してみる。
「友人関係はどうでしたか?」
「友人と一緒にいるところはほとんど見なかったなあ。でも、ここにはよく来ていましたよ。大きくなってからもね、相変わらず一人だったけれど。あれは彼がもう島を出て、本土の大学に行っていた頃だったか、私の義肢が良いのに変わりましてね。それでも今の奴と比べたら、お話にはなりませんがね。それを熱心に見ていましたね。壊れたら、ここを直したらいいんだなんて、ぶつぶつ言いながらね。もうそのころには、彼の言う事は難しくてね、覚えていないんだな。理解できなくてね。その時は、ほう、なんて相槌を打つんだが、後で思い出そうとしてもさっぱり思い出せないんですよ。納得して聞いていないんだなあ、これが」
島での人間関係は、何処でも同じようなものだった。常に何らかの好奇心を持ち、それを満たすことに、集中していたようだった。彼を多少なりとも刺激できる人間は、ここではあの宮司しかいない様だった。だから、人間関係は自ずと薄くなり、彼の周囲に濃厚な感情は存在しなかった。刑事は本部に報告を入れると、島を出て、本土の大学へと向かった。