この男、何なんですの?!
わたくしマルティーナ・グランデは、先日八歳になったばかりの公爵令嬢だ。
現在私は、人生で初めて人に怒鳴られていた。
それも誰だか分からない妙な格好をした男に。
一一一一この男、何なんですの?!
実はこのグランデ公爵家の庭には、立ち入り禁止の小さな一画がある。
大昔の戦争で強力な摩力が発生したらしく、今もその場所には魔力だまりが出来ている。魔力だまりになっている場所は空間が歪んでいて、その場所に入ったものは神隠しの如く消えてしまうと言われていた。魔力だまりは目では見えないが、その一画だけ草木が一本たりとも生えてこないので、真実味を帯びている。
両親や周りの大人達からはその庭へ近づいてはダメよ、と言われ続けていた。ダメだと言われると余計に行きたくなるのが子供の心理というものだ。
マルティーナは五歳の時に初めて周りの目を盗み、その立ち入り禁止の庭へと向かった。
その庭に辿り着くまでの間、誰かに見つかってしまわないだろうかとドキドキしながら進むのは、全ての危険なものから守られ刺激の無い日常を過ごすマルティーナにとって、興奮という名の初めての感情が全身を満たし歓喜した。
そして草木の生えていない地へ、恐る恐る石を投げてみる。投げた石は消えもせず、草の生えていない地面に転がっただけだった。もう一度と、今度はポケットに入っていたお気に入りの髪留めを投げてみるが、石同様に消える事はなかった。怖いもの見たさで期待していた分残念な気持ちになり、髪留めを拾ってションボリと来た道を引き返してからは一度も訪れていなかった。
その数ヶ月後、贔屓にしている王都の商人が珍しく生き物を持ってやって来た。「国外では最近、犬を飼う事が金持ちのステイタスなんですよ〜」と、お母様に取り入っている場面に偶然マルティーナが通りかかる。
色々な種類の犬がゲージに入っていたが、マルティーナが横を通る時に同じゲージに入っていた二匹の子犬と目が合った。
薄い金色の綺麗な毛並みの子犬がパタパタと尻尾を振ってマルティーナに愛想を振りまいてくる。
な…なんて可愛らしいのかしら!!
すぐお母様におねだりをして、二匹共飼うことにした。
屋敷の一室で放し飼いにして、最初の頃は餌をあげたり一緒に遊んでいたりしたが、マルティーナが六歳を迎えて王家や貴族のお茶会に参加しだしてからは、それも徐々に減っていった。
そして七歳になった頃、王家主催のお茶会に参加した時に、二つ年上の公爵令嬢であるエヴァーミリアン様と偶然犬の話になったのだ。
彼女も昔犬を飼っていたらしく、よく公園へ散歩をしていたと話していた。
犬の名前は“タラコ”というらしく、何ともよく分からないネーミングセンスだったが、マルティーナは犬が外を散歩するものだと知らなかったし、犬に名前を付けていない事にも気付かされた。
犬の名前は何ですか?と聞かれた時に、まさか二年も飼っていて名前を付けていないだなんて思われたくなくて、咄嗟に持っている紅茶を自身のドレスにかけて話を誤魔化してしまった。
そのままお茶会を退出したのだが、その時にマルティーナの侍女でもないエヴァーミリアン様が、濡らしたハンカチで丁寧にドレスの染みを拭いてくれたのだ。
そして彼女の弟であり、マルティーナと同い年のルーク様に帰りのエスコートをしてもらい、その気遣いに感動してしまった。
家に帰って早速犬の名前をつけようと思ったが、マルティーナにもネーミングセンスが無いのか中々思い浮かばない。
ひとまず、教えてもらった外での散歩を試してみようと思い、侍女を数人呼んで二匹を屋敷の庭で散歩させようと思った。
いきなり外の世界に出られたからか、二匹の犬は思いっきり駆け出してしまい、それには侍女達も追いつけなかった。
あっと言う間に二匹は庭の奥へと消えてしまう。
さ……散歩って、どうやるんですの?!!
焦った侍女の一人が執事に報告をしたらしく、屋敷の使用人を総動員して犬を探す事態にまでなってしまった。
こんな事になるなんて……!!
エヴァーミリアン様はどうやって散歩していたのか後日お礼と共に聞きに行こう。
そう思い、マルティーナも使用人と共に犬を探したが、公爵家の広大な庭の中で見つけるのは至難の業だ。
夕方になり日も傾いてきた頃、使用人の一人が一匹を確保したらしく、マルティーナは一緒に探していた侍女と屋敷へ戻った。
犬は兄妹でオスの方が見つかったみたいだ。
「ありがとう……」
久しぶりに使用人に感謝を伝えた気がする。
お礼を言われた使用人は目をパチクリしていた。
マルティーナは見つかった犬に抱きついて、その温かさを感じて涙がジワリと出てきた。
生まれて此の方、マルティーナは何かを一生懸命に取り組んだ事が無く、必死に探しても探しても見つからない状況に疲れと焦りを感じていた。ましてや自分の行動が発端で屋敷中が大騒動になってしまい、怖くて怖くてたまらなかった。その事もあってか、見つかった事に対してマルティーナは余計に安堵したのだ。
だが、あと一匹……。
日が沈んで夜になってしまったので、幼いマルティーナは外へ出してもらえない。
使用人達の捜索は深夜にまで及んだ。
結局、次の日の午後になっても犬は見つからなく、使用人の仕事も押していたので、捜索は少人数で行われる事になった。
もし見つからなかったら……
一匹見つかった安堵から、何だかんだ言っても見つかるだろうと高を括っていたマルティーナは、この時に事の重大さを初めて感じたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
徐々に恋愛系に持っていくつもりですが、少し遠いかもしれないです(汗)