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第九十七話:野望

「嘘だろう……? あの、ロンが……。お前の手の……、間者? それに、サイニー将軍の息子って……」

 

 告げられた驚愕の事実に、もうリュートはその舌すら満足には動かせなかった。だが、対峙する姑からは、あっけらかんと答えが返ってくる。

 

「嘘ではない。何なら、有翼の国に帰って、本人に訊いて来い。あの間延びした白々しい口調で、答えてくれるだろうよ。無論、『その通りなのネー』とな」

 

 そうまで言われても、信じられるわけがないのだ。

 ただの捕虜ではないと疑っていたとは言え。そんな、事が。

 

「おかしいじゃないか。百歩譲って、サイニー将軍の息子だったとして、だ。どうして、そんな男が、父親を裏切るような真似するんだ。それに将軍だって、ロンの事、一言も……」

「ああ、あれは、そういう親子なのだ。あの二人も色々と複雑だからな。親子であって、親子でないとでも言おうかな……」

「それでもおかしいだろう? 大体、何でサイニー将軍の息子がお前の間者なんだよ。お前とロンの間に、一体、何があるっていうんだ」

 

 次々と明らかになる事実に、流石のリュートの頭にも疑問ばかりが浮かぶ。

 たまたま出くわし、捕らえた捕虜。その男から、もたらされた騎竜技術。そして、その騎竜技術を用いて戦った、サイニー将軍との決戦。

 

「婿殿。貴様は、あの男の事を侮りすぎておるな。あれは、妾が認めた娘婿候補だぞ? 貴様なんぞより、よっぽど我が娘に相応しい、な」

 

 娘婿候補。そして、あの男の事を侮りすぎている、とは一体、何なのか。

 ……知りたい。知りたくて堪らない。

 本当に、この女とロンが、何を考えているのか。


 どうしようもない謎解きへの探求心が、リュートの反発心を凌駕し、自然、怒りの拳をその内へと収めさせていた。

 

「あの男はの、婿殿。丁度歳も近いし、同じ将軍職の子女であるということもあって、娘エリーヤの遊び相手として、よくグラナ邸に遊びに来ておった男じゃ。娘と一緒に、風呂も入っておった仲だ。うん? 嫉妬するな。子供同士の戯れじゃ、ははは」

 

 リュートにしてみれば、嫉妬どころか、笑えもしない。自分の妻が、他の男と風呂に入ろうが、床に入ろうが、どうでもいいとばかりに、先の話を尋ねる。

「つまり、エリーとロンは幼なじみ同士だったって事か?」

「そう。あの男はな、子供の頃から、エリーに惚れておる様子だったのだ。その為、奴が騎士となるまでも、娘見たさに、ちょくちょくと帝都のグラナ邸には顔を出しては、妾や娘と飯を食って帰りおった。だが、当のエリーはというと、ロンには見向きもせん様子だったがな……」

 

 その事実に、リュートは、……それは、まあ、そうだろうな、と納得する。

 何しろ、あの男の容姿の地味さは、半端ではない。加えて趣味が園芸という、見事な枯れっぷり。到底、あの派手好きなエリーのお眼鏡に適う相手ではないのだ。

 

 あの傲慢なお姫様のお眼鏡に適う相手と言ったら……。

 

 その答えを示すように、姑から、リュートに対して、じとり、と湿った眼差しが向けられる。

「まあ、あの娘は、困った事に男の趣味が悪いと言うか……。有り体に言えば、面食いという奴じゃ。のう、婿殿」

「……ん?」

 

 趣味が悪い、とは、確実に自分の事を言われているのだろう。

 リュートは、あまりにも面と向かって言われる悪態に、もう、言葉を返す気にもならない。

 

「あの娘はな、美形ちゃんに弱いのだ。それが、例え、異民族であろうが、なかろうが。あの有角の王子、ポイキオにしても美形だったろう? ……ま、貴様に関しては、顔だけで選んだだけではない節があるようだが、それは、また後で話してやるとして。ロンヴァルドの話だ。あれ、美形だと思うか」

 

 ……答えは、須く。

 

「いいや。多分、人が三人いれば、まず埋もれる顔だな、あれは」

「……だろう? 正直で、結構。あれは、何だ……。一つの才能だと思えるくらいに、……地味だ。しかし、まあ、妾としてはあの希有な才能を持った男を、内心では、是非に娘婿に、と思うておる。無論、今もな」

 

 そう言って、姑が現娘婿の首元を、つん、と付いてくるのは、さっさと婿の座から降りろ、という無言の圧力なのだろう。この姑、どうにもこの娘婿の事が気に入っているようで、気に入らないらしい。

 

「僕は別に婿の座なんて、欲しくて手に入れた訳じゃない。欲しけりゃ、いつでもロンにくれてやるから、話を進めろ。その……ロンが花婿候補っていうのは、一体どこから出てきた話なんだ」

 

「本人が、妾に売り込んできたのじゃ。あの有翼の国への再遠征の前にな」

「……遠征の前に……?」

 

 ああ、と首肯の後、女将軍が過去の話を語り出す。

 

「妾が娘を大森林の平定遠征へ送り出し、それを受けたサイニー達蒼天騎士団が、有翼の国へ出撃する直前の話じゃ。娘が不在であるというのに、あの男、珍しく妾の館へやって来た。そして、いつものあの顔で、突然、こう言いおった。――『閣下。私を姫様の婿にして下さい』とな」

 

 ……おかしな男だろう? と繋げられる言葉に、リュートは深く同意する。

 

「妾はあの男が娘を好いておる事、知っておったのでな。ついに来たか、という感じだったのだが、どうして、今、この時期に、と不審に思うた。それに、いかんせん、奴はサイニーの息子じゃ。加えて、これから帝位を望もうという娘を嫁になんぞやれるわけがない。それ故、『誰がお前なんぞに娘をやるか、この糸目地味男め。娘は今遠征中じゃ、帰れ、帰れ』と言うて、奴を叩きだそうとしたのだ。だが……」

 

 ――『知っていますよ、閣下。閣下は、今、姫様を、女帝にとお望みなのでしょう?』

 

「妾は驚いた。確かに娘を擁立してクーデターを、と企てていたが、その事はロンヴァルドには一切教えていなかったからな。信頼出来る者しか知らぬその情報を、一体どうして、と妾は戦慄した。そして、その事実を知るロンヴァルドを抹殺せんと動いたのだが、奴と来たら、相変わらず、のほほんとした笑顔で、こうだ」

 

 ――『やだなぁ。誰に教えられなくったって、わかりますよ、閣下。私は、ずっと、あの姫様のことを見続けてきたんですから。彼女がずっと、何処を見ていたかくらい、知っています。それに――』

 

「それから、奴はこうも言いおった。――『閣下。ちなみに私、こんな事も知っているんですよ? 前回の遠征での、あのルークリヴィル城の大敗、閣下がわざとお負けになったのでしょう? そうでないと、説明が付きませんからね。私は、あの愚かな父とは違いますから、これくらいの企み、見破るのは朝飯前です』、とな」

 

 恐ろしいまでの、慧眼。

 リュートも、この国の皇帝も見破れなかったこの雌蟷螂の裏切りを、いともあっさりと当ててみた。

 あの、ロンという男。

 

 その男の才覚に、今まで彼の事を侮っていた女将軍も、流石に驚いたらしい。当時のことを話すその額に、じわりと脂汗が滲み出ているのがいい証拠だ。

 

「ふふ……。ただの地味男だと思っていたのにな、あの男」

 

 ――『わかりますよ、閣下。何故なら、私も閣下と志を同じくする者ですから。この国は、今、聖地奪回なんぞという馬鹿な浪漫を求めている場合ではないのです。それに、騎士道だの何だのと、自分を誤魔化して、無批判に遠征に向かう……。そんな父の考えが、私は、もう、うんざりなのです。あんな、愚かで哀れな父には、もうついて行けません。私が、真にお仕えしたいのは――』

 

「お前……。ミーシカ・グラナだ、と。ロンは、そう言ったのか?」

 だが、リュートのその問いに、姑は頷かない。何やら、にや、と意味ありげに笑ったあと、話を先に進めてくる。

 

「ロンヴァルドは、父を否定し、妾と同じ志の元に働いてくれると承知してくれた。この国を憂い、今ある弊害を排除したいと思う、妾の志にな。だが……、あの男の器は、妾が思うより、ずっと大きかった。そして、あの男の野望もな」

 

 ……野望? 

 あの男が、その糸目の奥に見ていた望み。それが、何なのか。リュートが問う前に、姑がロンの言葉を代弁する。

 

 ――『グラナ閣下。貴女に野望があるように、私にも野望があるだけです。閣下、貴女、姫様を女帝にしたいとお望みなのでしょう? 私、その志を心より支持し、是非ともお役に立ちたく存じます。ええ、私、幼い頃より、ずっと姫様をお慕い申しておりましたから、どうにかして彼女にお仕えしたいのです。そうですね、有り体に言うなら、彼女を陰から支える夫になりたい。もっと下世話に言うならば――』

 

 ……新生リンダール帝国の女帝の夫に、なりたいのです。

 

 それが、男の大望だった。

 それから男は、次のような持論を展開したそうだ。

 

 ……この世で最も優れた雄、というのは、どんな者だとお考えですか、閣下。

 沢山の女にもてて、多く子孫を残す男。人々の上に君臨して、大義を為せる男。……人それぞれ考え方はあるでしょうが、私はね、閣下。この世で最も優れた雄というのは、この世で最も優れた雌に選ばれる男だと思うのですよ。

 獣は、闘争を勝ち抜いた者だけが、雌と交尾出来る。つまり、良い雌に選ばれる、そして、その雌と交尾出来るというのは、何よりも優れた雄であるという証ということになりませんか? その雌が、いい雌であればあるほど、その闘争は激化し、それに勝ち抜く事というのは、困難を極めるわけでありますから。その闘争に勝って、良い雌を自分の伴侶にする、というのは、男にとって何よりもの勲章というわけです。

 

 そして、あの糸目に妖しい光を宿らせて、男は、宣言したのだ。

 

 ――『この国に君臨する女の腹に、子を生み付けることが出来る。そんな男になりたいと思うのは、過ぎた野望でしょうか』

 

 そう女将軍に告げた男の顔は、実に、野心的で。女将軍に言わせれば、あの地味な騎士の仮面からかけ離れた、『実にいい男』の顔だった、と言うのだ。

 

 ――『私はね、閣下。この国が、欲しいのです。……そう、有り体に言うなら、私の血を引く子供を、この国の皇帝にしたいのです。私が、何よりも優れた雄である証として』

 

 つまり、ロンは、この帝国を治めるであろう覇王の父になりたいのだ。将軍職の息子という今の立場では、おそらく手に入れることが出来ないであろう皇帝位を、あの男はエリーと、その間に産まれる子を通じて得ようとしているのだ。

 

 何という男だろうか。

 あの、のほほんとした笑みの下に、したたかに雄の本能を隠して。誰よりも鮮やかに頂点に立って、この国をその血で征服して見せようというのだから。

 

 ――『閣下。もし、姫様が女帝となり、私の子が次代の皇帝となったら、素晴らしいではありませんか。私はね、自信があるのです。私の血が、この国のこれからの未来を担う子孫を作り上げるであろう自信が。私の血こそが、新生リンダール帝国の長に相応しいという自信が』

 

 その男の大言壮語に、流石のリュートも返す言葉がない。あのロンというお調子者の仮面の下に、こんな野心家の顔が隠されていたなんて。……思いも寄らぬ事だった。

 

「男は、ああであらねばな。その腹に一物も二物も含んで、笑顔で欲しいものを虎視眈々と狙う。知っておるか、婿殿。自然界では、どんな方法でも、狙った獲物を狩れる男が、何よりも、もてるのじゃ。お前なんぞの様に、顔だけ男なんぞ、見向きもされんわ」

 

 ……顔だけ男。

 リュートにしてみれば、産まれたときから乗っている顔だ。そこまで侮辱されるいわれはない。

 それに、欲しいものくらい、今まで笑顔で奪ってきた。ただ、ロンと違うのは、帝位もこの雌蟷螂の娘も、欲しくないから、手を出さない。それだけのことだ。

 

「では、どうして、そんな花婿候補が、あの遠征に……。それに、ロンがお前の認めた花婿なら、どうして今、僕が婿になってるんだ」

 

「……ロンヴァルドの事は、妾が勝手にした事じゃ。あやつが妾の間者じゃ、ということは、娘も知らぬ。無論、紅玉騎士団の誰一人にも知らせておらんかったことだ。娘は、当時、この大森林で本当に起きた暴動を鎮圧するため、帝都を離れておったからな。キリカすら知らぬ、妾と、ロンヴァルドだけの密約じゃ。そして、あやつを花婿候補として認めた、というのも、また、妾の勝手じゃ。未だ娘には、ロンヴァルドとのことは話しておらぬ。結婚させようにも、当の本人は今、有翼の国に捕らわれ中であるからの」

 

 なるほど、確かに。

 今、ロンは、有翼の国の別荘で、相変わらずに監禁生活をしているはずである。居ない者との縁談を進めようにも、出来ないのだろう。

 加えて、あの姫の気性だ。

 今まで、ただの幼なじみであった男が、結婚して下さい、と言って、はい、とすぐに答えるはずもない。彼女の気を引くには、それ相応の対価を払わねばならないことは、確実である。

 ああ、だから。

 

 ――『だから、私は、今、この時期に、貴女に、姫の婿にしてください、と言いにやって来たのですよ、閣下。私が姫の婿になるには、相応の事をせねばならないとは承知しています。その『相応の事』、今なら、私、出来るからですよ。そうですね。私、貴女の間者になって差し上げましょう。そして、貴女と姫様の弊害を、一つ取り除いて差し上げます』

 

 またしても、姑の口から語られたロンの言葉。

 『最大の弊害を排除する』。それは――。

 

「妾は、その男の言わんとすることに戦慄し、そして、尋ねた。――『……まさか、貴様、父を裏切る気か、ロンヴァルド。あのカイザルを誰よりも擁護するであろうサイニーを、有翼の国に押しとどめて、妾のクーデターの邪魔はさせぬと、そういう気か』、とな。そして、その答えは……」

 

 ――『ええ、勿論。……え? あはは、裏切りが出来るか、ですって? 侮らないで下さい。私は、あの父とは違うのです、閣下。私は、あの父の様に欺瞞と過去には生きません。私は、どこまでも現実に生きるのです。私は、これからの国の未来を残すため、そして、私の血を新生リンダール帝国に残すために生きるのです。その為なら、父であろうが、将軍であろうが、容赦はありません。私の野望の弊害は、何を持っても排除する所存です』

 

 古いものに固執し、現皇帝カイザルを最も庇うであろう、将軍サイニーを排除するため。

 旧時代の遺物を排除し、自らの野望を叶えてくれる女、エリーを女帝の地位に引き上げるため。

 

 ロンヴァルドは、そう言って、一人戦いに赴いたのだ。

 ……そして、あの国で、リュートと出会った。

 

 そう言えば、彼は、ひたすら死ぬことだけは嫌がっていた。確か、座右の銘は――、『生きているだけで丸儲け』。

 ああ、あの意味は。

 彼が生というものに、何が何でもしがみついていたその理由は。


 考え当たった事実に、リュートの口元が不自然な笑みを見せる。

 

「遠征の状況、娘からおおむね聞いたぞ。……貴様の元に、ロンは捕らわれて、教えたらしいな、あの騎竜技術」

 

 ……騎竜技術。

 確かに、ロンを捕らえたのは偶然。そして、竜の卵を見つけたのは、偶然だった。

 だが、その後、ロンが騎竜技術を教えたのは、偶然ではない。

 

 もし、仮に、ロンが元からサイニー将軍の遠征を引き延ばすため、あの有翼の国に来ていた、としたら、だ。おそらく、彼は、サイニーを帝国に帰したくないと、有翼の国での戦争の長期化を図っていたはずだ。もし帝国で有事が起こっても、即座に帝国には帰れない。そんな状況を作ろうと試みていたに違いない。

 

 だが、そんなロンの企みとは裏腹に、帝国では、大森林の暴動が一向に収まらず、クーデターを起こせるような状態ではなかった。そして、さらに悪いことに、皇帝が病のために、急遽帰国。

 加えて、暴動の平定に当たっていたはずのエリーまでもが、不幸にも元老院からの神託を逃れるために帝都に連れ戻されると言う、予期せぬ羽目に陥ってしまった。当然、女帝になりたいと腹の底で企む彼女は、その神託を受けて、皇帝の子を産むなんて出来ない。

 ええい、なら、大森林で暴動が収まり、この酒宴が開催されるめどが付くまでは、何とか元老院から逃げ切ってやるわ、とエリーがやって来たのが、運悪く、あの有翼の国だったという訳だ。

 

 そして、さらに、不味いことに、ロンと女将軍の密約を知らなかったエリーは、有翼の国に来るなり、勝手にエルダー城から抜け出して、リュートのいる聖地へと向かってしまった。それを偶然目にしたロンは、焦ったに違いない。何故なら、こんな場で、未来の花嫁がいるなんて、予想外だったし、また、このまま聖地に向かわれでもしたら堪らないからだ。何しろ、未来の女帝、未来の自分の子を産む女を、有翼人に殺されでもしたら大変である。それ故に、彼女を引き留めに半島の森へと付いてきたのだろう。

 

 そして、そこで運悪く起こったのが、リュートとの邂逅だった、というわけだ。

 

 あの場で、ロンは何とか女帝にしたいエリーを逃がすことには成功。だが、自分の身はというと、哀れにもリュートの捕虜という不自由な身になってしまった。

 

 そこで、ロンは考えた。

 

 ……このまま捕虜になっていたら、間者として、帝国軍の内から足を引っ張るという隠密活動ができない。そうなれば、力量のあるサイニー将軍の前に、有翼軍はあっさり負けてしまうだろう。そして、あの聖地を我がものとすれば、役目を果たしたサイニー将軍と蒼天騎士団は、病ゆえに、帰国してしまった皇帝を追って、本国へ帰還するやもしれぬ。そうなったら、帝位を簒奪したいこの雌蟷螂にとって、ガイナス以上の邪魔者が増えるだけだ。

 何とか、この有翼の国に蒼天騎士団を押しとどめておかねば。

 

 その為には、どうしたら、いいか。

 

 そう考え当たった彼の前には、リュートという若き英雄。そして、僥倖かな、飛竜の卵まである。

 

 ……ああ、これを利用しよう。

 この煌びやかな英雄と飛竜なら、きっと、あの将軍と対等、それ以上に戦ってくれるに違いない。これで、戦争は長期化する。そして、あわよくば、邪魔な父も消えてくれるだろう。このロンヴァルドという一人の地味な男が抱いた、女帝の夫になるという大望を、邪魔するであろう、あの弊害も。

 

 まさに、偶然と、必然が混じり合った、ロンの策略と陰謀。

 自然、リュートの脳裏に彼の言葉が浮かぶ。

 

 ――『いいネー。偶然が必然を凌駕するとは、まさにこのコト』

 

 あれは。

 飛竜の卵、そして、リュートという一人の才ある、だが、幼い英雄に出会えた偶然が、将軍を死に至らしめた事について、言っていたのだ。出会いの偶然が、ロンが思い描いていた必然を、遙かに凌駕したのであるから。

 

 ようやく解き明かされたあの糸目の奥の真実に、リュートは長い長い嘆息を漏らす。

 

 ……利用、されていたのだ。

 

 あの時の自分の感情、全て、全て、あの男に利用されていたのだ。

 確か、ロンは、リュートがルークリヴィル城で髑髏をぶん投げて、エリーを退け、口づけまでされたあの一件も見ていた。つまり、彼は、あの当時、エリーが勝手な進軍をしたことを知っていたのだ。

 それ故に、彼は思ったに違いない。


 ……これで姫様は、サイニーに処罰を受け、次の戦には出るなと言われるだろう。だが、ここで、引き下がるような気性の女でないことは知っている。しかも、あの口づけからして、リュートを酷く欲しがっている様子だったし、姫様は次の戦で、サイニーに手を出すな、と言われようが、必ず出しゃばってくるだろう。


 そして、このリュートとかいう英雄は、才はあるものの、非常に精神的には不安定だ。そう、あの父と同じ、破滅に向けて戦うタイプの男。ならば、この二人をぶつけてみれば、面白いことになるな。

 何しろ、共に戦の才能はあるが、未来の見えない二人だ。上手く行けば、相打ちも考えられる。

 そこに、あの姫が居れば……。いや、あの女なら、必ず戦場にいるだろう。


 ……ああ、これを使わぬ手はない。


 ロンは、そう思ったに違いない。


 ああ、そう言えば、とリュートはもう一つの事実に思い当たる。


 確か、平原で戦をしろ、と言ったのも、ロンだった。そして、都合のいいことだけ話し、情報操作をしていたのも、ロンだった。


 彼は、分かっていたのだ。

 リュートの心の内も、将軍の哀しみも、男達の力量も、あの姫の気性も、全て全て、分かった上であの戦を行わせ、一人、勝利に酔いしれていたのだ。何しろ、結果、皇帝の最大の盾になるであろうサイニー将軍は、戦死。だが、それで有翼軍が勝ったか、と言えば、そうではない。後からしゃしゃり出てきた姫の前に敗退し、結果、手柄は全て姫のものになった。そう、これから、帝位を簒奪しようとする、女の手柄に、だ。

 

 あの平原の戦で、本当に、勝利したのは、エリーではない。

 

 リュートという英雄を陰から操って、将軍を撃破させ、最終的には、妻にしたいと思う女に華を持たせたロンヴァルドの勝利なのだ。何しろ、聖地奪回の戦の大手柄である。女帝に、と望む女には、絶好の人気取りの材料ではないか。


 聖地を手放した皇帝と、皇帝を退けた英雄に勝った帝妹。

 どちらが民衆に支持されるかは、明白である。

 

「ロン……。あの、男……」

 

「――どうじゃ? いい男であろう? 貴様なんぞとは比べものにならぬほどにな、婿殿」

 

 完全なる、敗北だ。

 白の英雄と祭り上げられたこの自分は、実に滑稽な道化だった。いや、自分だけではない。あの戦で戦ったもの、死んでいったもの、全てが、ロンという野心家の手の上で踊らされていた人形だったのだ。

 ……欺瞞に殉じたサイニー将軍も。自分の信念に死んでいったクルシェも。共に命を賭けてくれた戦友達も。あの場で、罵倒をしてきたエリーでさえも。

 

 ロンという一人の男が抱いた野望の為に、利用されただけの、役者。


 思い当たったその答えに、リュートはその血がかつてないほどに沸騰しそうな心地を覚える。

 

 

 ……認めるものか。

 そんな馬鹿なこと、認めるものか。

 

 人々の思いが、命が、そんなものだと誰が認めるものか。

 



 ……ロン! ロンヴァルド!!

 

 

 

 

「悔しいか、婿殿」

 

 今にも、腑がねじ切れんばかりに激高するリュートの頭から、冷笑が被せられる。

 

「同じ男として、力量が足らぬと確信させられるのが、悔しいか、婿殿。それとも、自分たちが利用されるだけの弱い民族だと認めるのが悔しいか」


 そんなものではない。

 悔しいのは、矜持が砕かれたからではない。

 ……真に、気に入らないのは。

 

 抗うことすら幼稚だった、この自分だ。

 国家の大計も、諸外国の思惑すらも考えず、ただ、自分の心のままにしか戦わなかった自分の矮小さだ。

 

 あの焼かれて死んでいった兵士達が、脳裏に蘇る。

 

 ……ああ、ああ。

 彼らは将軍が殺したのでも、ロンが殺したのでもない。

 確かに、彼らは、僕が殺したのだ。

 この僕の幼さが、彼らを殺したのだ。

 

 その償いをするために、僕は、今、この場にいるのだ。

 認めなければ。

 全ての罪を認めなければ。いいや、認めるだけでは、駄目だ。そう思って選び取った、この帝国行きだったのだ。

 

 今更、負ける訳にはいかない。

 どれほど自分の情けなさを思い知らされ、重い真実に打ちのめされようとも、ここで引き下がる訳にはいかないのだ。

 

 その思いと共に、リュートは凛としてその顔を上げる。

 

「それで――、ロンは、僕を利用し、サイニー将軍を死に至らしめた。お前が望んだサイニー将軍の排除を、見事にやってのけたというわけだな、女将軍」

 

 打ちのめしてなお、その瞳に鋭さを失わないそのリュートの態度に、女将軍はどこか感じるものがあったらしい。その表情を侮蔑のものから、意味深な笑みへと変化させる。

 

「ああ。見事に、妾の出した条件を叶えて見せた訳だが、その代償にあの男は帰るに帰れない身になってしまったな。他でもない、お前と将軍を対等に戦わせるために教えた騎竜技術のせいで。何しろ、このまま帰国しても、裏切り者の烙印と、火あぶりしかないからな。そこで、奴は今、待っているのだろうよ」

 

「……待っている?」

 

「この国でクーデターが起こり、エリーが女帝になり、あの国に捕らわれているロンヴァルドを助け出してくれることをな。まだ、娘にロンヴァルドの事は知らせていないが、あ奴があの国で娘の為に成したことを考えれば、あの娘とてロンヴァルドを無視することはできまいて」

 

 確かに、ロンの功績をエリーが知れば、このまま彼を有翼の国に捨て置くなど出来ないだろう。そして、帰れば、女将軍との密約を見事に果たした見返りとして、技術漏洩の罪をもみ消して、エリーとの結婚が待っている。

 

 何という汚い、だが、したたかな策略だろうか。

 自分が慕ってきた女を得るために、父を裏切って。そして、さらに、自分の持つ地味さというハンデをひっくり返すような、見事な才覚を見せつけて。

 おそらく、この事実をエリーが知れば、流石に彼女の心だって、ロンに傾くのではないか。


 何という、求愛方法か。そして、何という、処世術か。

 あののほほんとした顔に、見事に、リュートもエリーですらも騙されていたなんて。

 

 と、そこまで内心で思い馳せて、ふと、リュートは一つの疑問にぶち当たる。

 

「……おい。それで、ロンの事はいいが、僕の質問には答えてないぞ。どうして、そんな女帝になろうという女が、僕を婿に選んだんだ? おかしいだろう。ロンとの結婚だって、僕が、今、夫になってるから出来ないだろう?」

 

 このまま、もしエリーが女帝になったら。

 有翼人という夫を民衆は認めはしないだろう。いくら、あの皇帝との結婚式を上手く言い逃れる手段として、利用しただけ、と言ってもだ。この国では離婚は許されないわけだし、今のままなら、必然、リュートが新生リンダール帝国女帝の夫君、ということになる。

 

 ……女帝の夫君。


 その事実を反芻して、リュートはもう一度女将軍へ問いを返す。

 

「じゃあ、何か? 僕はこのまま行けば、この国の……、未来の女帝の夫になる。そういうことだな?」

 

 この、大帝国の。この、雑多な民族を抱える大陸に君臨する大帝国の。

 そして、自分の国を踏みにじってくれた、この憎むべき国の。

 

「ふん、誰が認めるか、そんなこと。僕はこんな国が滅びようがどうしようが関係ない。さっさと滅びろ、こんな国」

「ははははは、威勢の良さだけはロンヴァルド以上だな、婿殿は。そんな事、妾が許すわけなかろうが。ロンヴァルドとの密約を知らなかった娘が、勝手に、貴様を婿に選んだのは、妾も驚いたし、今でも反対である。だが、まあ、この国では離婚が許されてはおらんが、貴様を婿の座から引きずり下ろすのは至極簡単なことだぞ? うん、さくっと、殺処分にしてしまえばいい訳だからな」

 

 ……殺処分。

 そう言えば、あの姫も同じような事を言っていた。離婚したかったら、殺せばいいんだ、と。

 

「お断りだ。誰が、お前らなんかに殺されるか」

「ははは、いい返事じゃな、婿殿。まあ、妾とてすぐに貴様を殺そうとは思っておらん。何より、娘には娘なりの考えがあるようなのでな。この話の続きは本人に訊いた方がいいのではないか? お前を何故婿に選んだのか。そして、何故、お前をここに連れてきて、全ての企みを教えたのか。そして、何故、お前の同胞を庇護しているのか」

「……エリーに、直接だと?」

 

 ああ、と目の前で意味ありげに女将軍が笑ったその時だった。

 

 天幕の外から、突然、大きな歓声が轟いた。

 方向からすると、先に酒宴が行われているという巨大な天幕からだ。その声が意味するもの、それは、即ち。

 

「……ふふ。ついに、調印されたようだの、愛酒連合、――つまりは、新生リンダール帝国建国を望む諸国の密約文に」

 

 ついに。

 リュートが真実の重さに打ち震えている間に、あの妻は。

 諸国に新帝国の女帝として、自らを認めさせたのだ。

 

「僕は、――認めないぞ。僕は、あの女の事を絶対に、認めはしない。それに、いくら今は、まだ軍事力で適わぬ属国が、彼女に同調して、新生リンダール帝国の建国を支持しているからって、騎竜技術が漏れているなら、諸国はさらに軍事力を増してくるだろう? そうなったら、新生リンダール帝国なんて……」


 結局は――。


「そう。どのみち、黄昏の帝国なのだ。だが、その黄昏を、ただ傍観するは、妾も娘も好かぬ。それだけのことじゃ」


 人も国も、いつかは死ぬのだ。

 だが、それだからといって、戦わず、抗わないという道は、選びたくない。

 少しでも未来に生き残れる道があるのなら、全ての血も泥も被って、前へと進もう。


 あの、妻は。

 そんな覚悟があると、そう言うのか。

 

「それでも、娘の生き方が認められぬ、と思うなら――」

 

 リュートの呟きに被さるように、女将軍が静かに語りかける。

 

「まずは、話し合ってみたら、どうだ? 自分の、可愛い妻とな。夫婦円満の秘訣は、まず、楽しい会話から、じゃ」

 

 そう片目を瞑っておどけながら、姑は持っていた酒を、がぶり、と一飲み。それはまさに、蛇が卵を、鯨が海水を飲むが如く、何処に入るのかという勢いで。

 

「……ああ、空になってしもうた。うん、調印が済んだのなら、これからは楽しい酒盛りじゃの。そろそろ妾も酒宴に加わるとしよう。後の事は妾に任せて、新婚夫婦らしく、とりあえずハネムーンを楽しんだらどうだ? そう、この国のシンボルである大樹を眺めながらの食事なんぞいいかもしれん」

「おい、少し待て。こっちはまだお前に訊きたい事が、山ほど……」

 

 だが、リュートのそんな引き留めの台詞が、酒を求める蟒蛇(うわばみ)に届くはずもなく。姑はあっさりとその黒髪を翻して、今居る天幕を後にしていく。

 

「婿殿。貴様にも貴様なりの苦悩があろうが、一つだけ、姑として忠告しておいてやる。この世界がどうあろうとも、人がどう思おうとも、結局一人の人間が出来ることなど、一つしかないのだ。……そう、ただ、今の自分の心に照らし合わせて、決断をすることだけだ。その決断が正しいか、正しくないかなど、後世の歴史家にでも任せておけ」

 

 ……結局、歴史というは、人の決断の積み重ねにしか過ぎぬのだからな。

 

 

 そう静かに言い切って、女将軍は、自らに向けるように言葉を残す。

 

「間違っていたなど、後からいくらでも言えばいい。そして、妾が死した後、遺骨でも掘り出してきて、裁判に掛けて、帝国を乱した毒婦とでも何でも言うがいい。そんなことをされたとて、妾はびくともせぬぞ。この帝国の黄昏を生きる妾の闘争を、妾は誰に非難されたとて、恥じることはないのだから」

 

 どこまでも揺るがぬ、女の決意。

 その決意をさしめた根元は、やはり、彼女が、人の母であるが故だろうか。それとも、もっと他に理由があるのか。

 

 そうリュートが問わぬうちに黒髪は天幕の外へと消えていた。ただ、もう一つ、おまけの、破廉恥な忠告を残して。

 

 

「ああ、それから、婿殿。もう一つ。……夫婦円満には、閨での情事も重要じゃぞ? 今晩、たんと娘を可愛がってやれ」

 

 


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