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第九十六話:間者

「……なっ! 皇帝カイザルが、有翼の国に行っている時に、帝位の簒奪を、だって……?!」


 ――有翼の国への再侵攻に、皇帝が遠征に行っている隙を突いて、政権奪取を行おうとしていた。


 女将軍に告げられた衝撃の事実に、あの、有翼の国への、突然の再侵攻が、リュートの脳裏に蘇る。

 確か、レンダマルで行われた収穫祭の頃……、忘れもしない、ランドルフの元で仕事をしていて、密偵に拉致されかけた頃の話だ。


「ああ。その通り。カイザルがおらぬ内に巣穴を乗っ取ってやろうと思ってな。主が居ぬ内が、簒奪の好機じゃろう?」


 それの、何がおかしいのか?

 そう問いたげな表情で、女将軍は変わらずに、酒をその口に注ぎ込む。


「……だが、不味いことに、その遠征の直前に、この大森林で暴動が起こったと言っただろう? これが、誤算だったのだ。この暴動のせいでカイザルが有翼の国行きを止めては適わんからな。そう思った妾は、尤もらしい顔をして皇帝に、進言したのじゃ。――妾の娘を、大森林の平定に当たらせますので、どうぞ、陛下は心おきなく遠征へ、と」


 それで皇帝が、大森林平定を妹姫に任せ、やって来たのが、あの有翼の国最南端の都市、――住民が『選定』という名の下に惨殺された街、エルダーだったというわけだ。

 そして、その皇帝軍との戦の助力にと、白羽の矢が立てられたのが、このリュートがいたレンダマル――王国東部を治めるロクールシエン大公が有する東部軍だった。そこに東部大公の息子、ランドルフの秘書として働いていたリュートは、彼と共に出征を余儀なくされ、あの雪交じりのカルツェ城の戦いで、皇帝と初めて出会った。


 ……何という、運命の悪戯か。


 数々の思惑が入り乱れた邂逅に、リュートは、そう長い嘆息をする。一方で目の前の姑は、変わらず、その飲酒を止める気配はない。ぐびり、とまた杯を空けて、先の話を続けてくる。

  

「カイザルとサイニーが遠征に行き、妾は、これでひとまず邪魔者が居なくなった、と安堵した。だが、ここで計算違いが起こった。すぐに収まるであろうと思っていた大森林の暴動がなかなか収まらない。いくら騎竜技術が漏れておると言っても、所詮、相手は頭の悪い獣人共だ。生粋の騎士である紅玉騎士団には、そう簡単には勝てぬ。そして、極力、血を流さず、奴等の暴動を収め、優位を保った上で、再び獣人の王に、娘から講和を持ちかけて、妾の『愛酒連合』に加わって貰おう……。そして、他の国々の首脳と、今日の様な酒宴を開いて、承認を受けた後、それから、クーデターを、とそういう算段だったのだが、なかなかこれが、難しくてな」


 ……まさか、皇帝とサイニー将軍と、有翼軍、つまり、白の英雄として名を馳せた自分が戦っている間に……。

 

 あの一年も前の、カルツェ城の戦いとルークリヴィル城の戦いの間に、よもや帝国でそのような事が起ころうとしていたとは。


「……だが、ようやく暴動も鎮圧を始め、娘とここの獣人の王と、ようやく講和がなろうという寸前に、元老院の邪魔が入った。『講和なんぞ、せんでよろしい、貴女にはもっと重要なお役目が出来ました。すぐに帝都にお帰り下さい』と、無理矢理エリーと紅玉騎士団を連れ戻したのだ」

 

 おそらく、重要な役目、というのが、あの近親婚という狂った神託のことだろう。当然、エリーにとって、兄の子を産めなどという命令は受け入れがたい。そして、彼女は、その兄との結婚から逃げ、有翼の国に勝手に行ってしまい、そこでリュートと出会ったというわけだ。

 一方、暴動を起こしたこの国で、彼女の後釜になったのが……。

 

「そう。それが、元老院によって、この国に差し向けられたガイナスだった。これが、また、……やりすぎてくれた。見たであろう? 外の惨状」

 

 暴動を起こした者も、そうでない者も、一緒くたに焼き尽くして、あの、荒野だ。

 

「ここまでされて、ようやく獣人の王ラー=ドゥーも悟った。未だ、帝国の軍事力と自分たちの間には、かなりの力量の差がある。それ故、今のところは、反乱を起こして独立を手に入れるよりも、妾の提案を飲んで、独立権を得た方が遙かに有益であるとな」


 確かに、そうだろうと、リュートは納得する。

 ここまで圧倒される、と言うことは、未だかなりの戦力が帝国にあるということを嫌でも語っている。これに勝とうと思ったら、自軍にもかなりの犠牲が出ることを覚悟しなければならないだろう。そうするよりは、遙かに雌蟷螂の提案を飲んだ方が、獣人の国にとっては被害が少ないのは、明らか。だが……。


「しかし……。ここまでされて、獣人共は、遙かに帝国人を憎んで居るんじゃないのか? 普通……」

「そう。憎んでおるよ。だが、憎しみは憎しみとして、腹に収め、妾の唱える新生リンダール帝国建国に助力してくれるという決意をしてくれたのだ。そして、今日が、その輝かしい手打ち式じゃ」

 

 それは、つまり。

 もし、エリーとこの女将軍のクーデターを、諸国が(こぞ)って支持した、ということになる。

 獣人も、海の民も、有角の民も。その他の諸民族も。

 

 それ故、今日、この大森林にて、あの首脳陣が集まったのか。

 

「もしかして、あの首脳陣を集めるのも、あの結婚式を利用した形なのか? さっき、彼らは、結婚式の後、この国に秘密裏に集まったと言っていたし……」

 

「ああ。元老院が、あの忌まわしい結婚式に、エリーを有翼の国から無理矢理連れ戻したのは、承知しておろう」


 勿論、知っている。そうやってガイナスに連れ戻されたエリーに、リュートは付いてきたのだ。忘れるはずもない。


「あの時、妾は思ったのだ。これを利用せぬ手はない、とな。元老院は、娘と皇帝との結婚に反対する妾を遠ざけたい。それ故、『またこの国で暴動が起こった事にしろ』、とこの国の王ラー=ドゥーに命じた」

「つまり、元老院は、お前と第三軍兵をこの国へと寄越して、結婚式が終わるまでは邪魔が入らないように、ここにお前達を押しとどめておこうと?」

「ああ。だが、元老院より、妾は遙かにラー=ドゥーとは旧知の仲だ。そこで妾はラー=ドゥーと話し合い、元老院の企みに、上手く乗った形にして、その実は、この場にて、愛酒連合の正式な調印式を執り行わんと決めた。……そして、あの結婚式に出席するという名目で、皆に国を出てきて貰おうとな」

 

 なるほど、各国の首脳が一堂に会するというのも、難しいことだ。だから、あの結婚式を利用して、式の後、秘密裏に皆をこの場所へ……。

 そう得心がいった所で、さらにリュートが問いを返す。


「それで、お前がこの国で裏工作している間に、エリーは、あの結婚式を……」

 

「ああ。あの馬鹿娘に、結婚式の開催自体をぶち壊されては堪らなかったのでな。キリカの娘、ティータに密書を持たせて、エリーに指示したのじゃ。『妾の娘なら、何とか結婚式を無事に終えて、自力でこの大森林まで来い! それが出来ずして、何が未来の女帝か、馬鹿娘!!』とな」

 

 それで、なんとか結婚式を無事に終えるために、利用されたのが、このリュートという訳だったのだ。

 結婚式自体は、来賓を集めるためにしたい。だが、皇帝との結婚はしたくない。……どうしよう。ああ、そうだ。この国では離婚が出来ないのだった。ならば、他の男と結婚してしまったらいい。あ、丁度いい相手がいるじゃない。あの男なら、何とか無理矢理夫に出来るかも。じゃあ、是非とも結婚式に出席して貰わなきゃ。ガイナスの拷問にかけられるなんて、以ての外よ。


 そう思って、いつかの皇帝とガイナスの謁見の間に、リュートに笛を吹けと、乱入してきたのだ。


 何という、妻エリーヤの暴論、暴挙。


 ……ああ、だから、あんなおかしな結婚式を。


 なるほど、道理で。

 リュートはようやくあの結婚につき、得心がいく。

 

 

「……で、この国で、今日、こうして皆が一堂に会した、という訳なんだな……。帝国の政権交代を、推し進めるために」

「左様。具体的には、もし、政権交代が上手く行ったら、即座に諸国は新帝エリーヤの即位を認め、カイザルの廃位に同意すること。並びに、元老院に諸国の議員を置くなど、諸国の地位向上を認める見返りに、諸国は、即位の混乱に乗じて、何らこの国に反旗を翻してはならぬ事。その他諸々の協定を取り決める……。その為の、酒宴だ」

 

 それで、この女は、連合の盟主、つまり新生リンダール帝国の女帝となるべき娘を、あのベイルーンまで迎えに行っていた、ということか。

 ようやく、この国に来て、意味の分からなかった出来事の真実について理解したところで、リュートはまたも、長い長い、嘆息をする。だが、一部で納得出来たとしても、全て理解出来たという訳ではない。何よりも、クーデターなど本当に成功するものなのだろうか、という疑問がある。

 

 あの皇帝が、妹に『明日からお前、廃位ね。私が女帝よ』、と言われたくらいで、『はい、皇帝の座、どうぞどうぞ、差し上げます』などと言うわけがないし、元老院だって黙ってはいないだろう。それに、今、帝都にある暗黒将軍だって、何か事を起こせば、謀反を潰しにかかってくるはずだ。

 

 もし、この第三軍が、エリーを全面的に支持し、武力による皇宮制圧をするにしても、敵が多すぎる。民衆が新たな女帝を認めるのかどうか。また、もし民衆が支持したとしても、現在、執政を司っている元老院をどうするつもりなのか。おそらく、既得権益と狂信にしがみつく彼らは、エリーの即位なんぞ、認めはすまい。

 そして、武力制圧が困難だという理由は、何より、今、帝都に居るという最強の将軍、暗黒騎士ヴラド・ガイナスの存在だ。彼の居る帝都で、皇宮制圧をやってのけ、政権奪取を行うとなると、相応の衝突があることを覚悟せねばらない。

 そんなことが、本当にうまくいくのだろうか。

 

 その旨、女将軍に問うてみる。すると、女の口から返ってきたのは、リュートが到底受け入れられぬような、衝撃の言葉だった。

 

「ああ、あのエロ将軍なら、春には、一旦、この国から消えるだろう? ……他でもない、お前の国に、な」

 

 ……消える? お前の国?

 その言葉が意味するもの、それは――。

 

 考え当たった答えに、リュートは一瞬、血液が逆流しそうな心地を覚える。

 

「お前……。まさか、次の春に、ガイナスが有翼の国へ聖地奪回遠征に行っている隙を突いて、政権奪取を行うつもりか」

 

 到底、受け入れられない答え。何故なら、あの国の再々侵攻で、また有翼の民の血が流されている内に、この雌蟷螂は皇宮を乗っ取ろうというのだから。

 あの、有翼の国に待っている人々が。

 聖地奪回などと言う愚かな救済思想の為に、また、踏みにじられ、屠られるうちに。

 

「――認められるか。僕らの国を、そんな風に利用しようなんて、認められるか、この雌蟷螂が」

 

 かつてない怒りが、リュートの身体を自然に動かしていた。帝国第三軍を束ねるという女傑ですら、抵抗出来ないほどの速さで、女の首を掴みとる。

 だが、そんな娘婿からの予期せぬ攻撃をうけながらも首を絞められる姑は、些かも怯む様子など見せない。ただ、その首に掛かる婿の手を、振りほどかんとしながら、一言、意外な言葉を口にしていた。

 

「――何を言うか。もう利用された国の分際で」

 

「……何?」

 

 今、何と言われた?

 

 今、もしかして、『もう利用された』と言われたのか?

 あの、国が。あの、自分の懐かしい祖国が。

 

 あまりに意外な言葉に、思わず、リュートの手が緩む。

 と、その隙を突いて、女将軍からは、即座の反撃の拳。それをもろに受けたリュートの腹から、内容物がせり上がってくる。


「げ、げほっ……」

「ああ、婿殿。なかなかの攻撃だったな。だが、貴様はまだまだお子ちゃまじゃの。まあ、所詮、あの男に利用された程度の男ということか」

 

 ……あの男、とは。

 一体、何を言っているのだろうか、この女は。

 

 そうリュートが内心で問う内に、女将軍は絞められた首元を、ぐい、と拭って、また元にいた席へと腰を下ろしていた。そして、再び新しい酒に口を付けながら、話し出す。リュートの身を、何よりも戦慄させた、驚愕の事実を――。

 

 

「言うたであろう? 妾は、本来なら貴様らと皇帝カイザル、そしてサイニーが戦っておる間に、クーデターを起こす算段だったと」

 

 確かに、言っていた。だが、その計画も獣人達の予期せぬ暴動があったため、不発に終わったはずだ。それが、一体、有翼の国と何の関係があるというのか。

 

「妾はな、この国にカイザルとサイニーが居てもらっては、困ったのじゃ。出来うるなら、長くこの国に不在で居て欲しい、そう願っておった。特に、サイニーにはな。あれは、妾が思い描くこの国の未来において、最大の弊害となるであろう男であったから」

 

 ――サイニー将軍が、邪魔?

 

 同じ帝国を支え続けてきた将軍、サイニーが邪魔とは、一体どういう事なのか。

 改めてリュートがその旨を問うと、女将軍からは、明らかなサイニー将軍への侮蔑の言葉が返ってきた。

 

「あんな石頭は、もう帝国にはいらん。あの男は、ガイナスより煮ても焼いても食えぬ化石じゃ」

 

 あの、騎士の鑑たる鉄人を、この罵倒。

 流石に、リュートもかつての強敵へのこの評価には納得がいかない。あの男は、憎むべき帝国人だったが、少なくとも、苦悩をしていた男だ。それを、この女は……。

 

「妾に言わせれば、サイニーは馬鹿じゃ。いつまでも昔に固執して後ろばかり向いておる、男の一番嫌な癖を凝縮したような男じゃ。妾は、あれが、大嫌いである。あんな、弱い男などな」

 

 ……『弱い』。

 女が告げた言葉に、リュートの脳裏に浮かぶのは、あの鉄人が最期に残した、哀しくも印象的な台詞だった。

 

 ――『弱かったよ、私は……。グラナ将軍、貴女の言うとおりだった……』

 

「妾は、かつて、あの男と差し向かいで話したことがある。サイニーが、丁度有翼の国に行く前の事だ。あの男、帝国が今まで成してきた他国への惨劇に、心を痛めておる様子だったのでな。そうやって、自分の心を偽って、尚、遠征に行くと決めたのは何故だ、と訊いた。そうしたら、あの男、何と答えたと思う……?」

 

 ――『……私に出来るのは、ただ、今あるこの国を、そして陛下を、全力で守る事だけだよ、グラナ将軍。何故なら、私は、今更もう、裏切れぬのだ。数々の死体の上に築き上げられたこの帝国も。私を父と慕ってくれるカイザル様も。……私は、今更、変節は出来ない。何故なら、私は、変節はしてはならぬからだ。私が作り上げた『騎士道』という欺瞞を信じ、死んでいった者が居る限りは、私は変節をしてはならぬのだ。それ故、私は帝国の決定に従う』

 

 それが、鉄人と謳われた、哀しい男の答えだった。


 彼は、欺瞞に殉ずる道を選んだのだ。

 自分に科した欺瞞を信じ、戦った騎士。そして、その戦いの犠牲となった死者達。全ての者が、彼の行き場を奪っていたのだろう。変節をする、ということは、彼にとって、今まで自分が歩んできた道を否定することに等しかった。そして、帝国が選び取ってきた侵略の果てにある栄光――、それを今更、間違っていたと認めることは、彼が選んだ道に殉じてくれた者、全てを否定することに繋がる。


 自分の為に、そして、自分の思想を共有するが為に犠牲になった全ての魂は、どうしたって裏切れない。例え、その果てに、未来というものがないと知っていても。


 その、男の、哀しい思考が、彼をあの戦場にて、絶命さしめたのだ。

 

 ……ああ、だから、あの男は。


 最期に彼が望んだ言葉を、リュートはその記憶の片隅で覚えている。自分の為に死んでいった者達の魂の救済。それをただただ、神に祈り、自分の魂は、煉獄にて永遠の炎で焼かれようと、言っていた。

 彼は、死に、安息など求めていなかった。

 彼が求めたのは、ただ、ひたすらの贖いだったのだ。死してのちも、ひたすらに、贖いを、と。味方も敵も、全て関係なく。このリンダール帝国という、強大な徒花の犠牲になって死んでいった、全ての魂に向けて。

 

 敵でありながら、苦しみ、最期まで自分の生き方を曲げなかった男の心に、リュートは、ようやく感じ入れたような気がした。

 

 だが、今、目の前に対峙する猛々しい女からは、それとは真逆の、侮蔑の鼻息が返ってくる。


「――はん、馬鹿馬鹿しい。心のどこかで疑問を抱いておるのに、どうして抗うことすら拒否をしてしまったのだ。闘争を諦めた時点で、人は真に死ぬのだ。ならば、そんな死に体など、もうこの帝国にはいらん。妾の弊害になるだけなら、その思想と共に、身体も死ねばよい。そう思うたわ」


 今にも、唾でも吐きかけんばかりの死者への侮辱。それは、この女の信念に甚だしく沿わぬ生き方を選んだ男への、完全なる否定だった。

 

「妾に言わせれば、サイニーは弱すぎるのじゃ。過去に拘ってどうする。死者に義理立てしてどうする。どこまで行っても過去は過去。死者は死者だ。何も変わらぬし、何も語りかけては来ぬのだ。どうせ義理立てするなら、生者にすべきであろう。これから、この国に、この大陸に生きる、すべての子供達にな」

 

 そう言って、女の手が、かつて子を宿した自らの下腹を撫で上げる。そして、その肉厚の唇から語られるは、実に堂々たる女の……いや、母の宣言だった。

 

「妾は、――母である。この血と肉を分け与え、一つの命を生み出したる母である。それ故に、妾は抗う。この血と肉を分けた子供らが、再び虐げられるような未来を、妾は拒絶する。このまま、国家が甘い蜜を吸い続け、死に絶えるままに傍観することを、心の底より侮蔑する。そして、妾は、わが子らが再び奴隷民族に貶められることを、激しく嫌悪する。故に、それを回避するためならば、如何なる手段を用いても弊害を排除する!」

 

 ……それが、妾の決意じゃ。


 そう締めくくられた女の決意は、おそらく、サイニー将軍には、理解出来ないところだったに違いない。

 彼は、今あるものを愛おしみすぎたのだ。

 ……皇帝、今ある帝国。そして、自分を慕って死んでいった騎士達。


 それに対して、この女は、これからあるものを愛おしんでいるのだ。

 ……自分の娘。新しい帝国。そして、その国に暮らすであろう子供達。


 過去と未来。

 死者と生者。

 

 サイニー将軍と、この雌蟷螂と揶揄される女将軍は、まさにその対比なのだ。

 だが、それは、そんなにも反発し、そして否定し合わねばならぬものだったのか。

 

 そう内心で煩悶するリュートの前で、さらに女将軍の鯨飲は続いていた。そして、語られなかった真実が、酒で潤された口から紡がれる。

 

「妾の大望の前に、皇帝と、分けても、その皇帝と現帝国を、何にも代えて守るであろうサイニーは邪魔だった。奴がこの国にいれば、必ずやガイナスよりも躍起になって、妾と娘のクーデターを潰しにかかってくる。それ故に、大森林の暴動が収まり、愛酒連合の酒宴を設けた後、妾のクーデターが成功する――、そこまでは、何とかサイニーを有翼の国に押しとどめておきたいと考えた」


 つまり、この女は、サイニーが有翼の国に行った当時、彼には、有翼の国で聖地奪回という宗教的浪漫に満ちた戦争を、いつまでもやっていて欲しいと思っていた。そういう事だろう。

 だが、戦争の長期化など、一体どうやって謀れようか。まして、同じ帝国人の分際で、どうしてその様な事が出来るだろう。


「婿殿の疑問は、そのとおりじゃと思う。妾は当時、クーデターを謀る為に、この国を離れられぬ身であったからな。工作したくとも、自分では出来ぬ。それ故、妾は、サイニーが出撃した有翼の国の再侵攻において、妾の手の者を遣わしたのだ。妾の密命を帯び、妾の大望を誰よりも理解し、そして、妾をも凌駕する野望を持つ男を、サイニーと共にな」

 

 ……手の者を、遣わした。

 

 その言葉に、リュートの額から、一筋の汗が流れ落ちる。

 野望を、持つ男。有翼の国に、女将軍の密命を持ってやって来た男。

 

 思い当たらない。

 いや、一人だけ、怪しいと思っていた帝国人に、心当たりは、あるのだが。

 だが、まさか、彼ではないだろう。

 彼ではないと思いたい。

 

 だが、彼がした事、そして、彼の言葉が、何よりもリュートの心に突き刺さっているのだ。


「娘から戦の顛末は聞いておるぞ。貴様、あの奇妙な名前の美竜と、あれを調教した男のおかげで、サイニーと対等に戦うことが出来たのだろう? それについて、おかしいと思ったことはなかったか?」

 

 ――『ワタシなら、分かるヨー。アナタ達、竜の調教方法、分かるノー?』

  

「――――――っっ!!」

 

 思い当たった答えに、リュートの全身が、震え上がる。

 

 これと言って、特徴のない短髪の黒髪に、中肉中背の体。そして、何より、あの一文字に切れ込みが入ったかのような、糸目。

 

「蒼天騎士団団員にして、妾の間者。そして、我が娘、エリーヤの花婿候補にして、あの鉄人、ヴィーレント・サイニー将軍の息子。その名は……」

 

 言わずとも。

 

「……ロンヴァルド・サイニー。貴様が捕虜とした男の名じゃ」

 

 

 

 

 

 ……戦慄。

 そして、絶句。

 

 

 

 

 

 リュートには、もう、溜息すらも許されない。

 ただただに、あの男と過ごした半島での時間が、そして言葉が、脳裏を飛び交っている。


 ――『ワタシ、蒼天騎士団の団員、ロンヴァルドね。ロン、呼ぶヨロシ。よろしくネー、綺麗なお兄サン』

 

「ロン……。ロン……、あいつが……」


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