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第九十五話:本能

今話、暴力的表現、性的表現を含みます。苦手な方はお気を付け下さい。

「謀反ねえ……。んな馬鹿なこと、本気で考えてんのかねぇ、あの雌蟷螂は」

 

 耳たぶに唇を寄せて、ガイナスの問いが投げかけられる。だが、その問いに、答えは返ってこなかった。

 その耳たぶの持ち主から返ってきたもの。

 それは、ありったけの侮蔑を込めた、唾だった。べとり、となま暖かいそれは、見事に、ガイナスの口元へと命中する。だが、その侮辱を受けた当の本人はと言うと、その返答に怒りどころか、笑みすらも浮かべて、唾を吐き出した口へと迫る。

 

「何でぃ。俺様と唾を絡めたいんだったら、素直にそう言いな、キリカ」

 

 そう愛の言葉を囁くなりの、キス。

 容赦はない。相手の唾液も何もかも、吸い取らんばかりの激しいそれ。温く、臭い口内が解け合って、体の芯を、じんと燃え上がらせる。

 

 ……と、ふと、感じる鉄の味。

 自分の内に持つ感情の、あまりの高ぶりに、すぐには気付かなかったらしい。ガイナスの舌が、がりり、と噛まれていた。

 

「……ってえな」

 

 痛みを返すように、ガイナスの拳が振り下ろされる。途端に、今まで食らい付いていた女の顔が歪み、柔らかな寝台が軋みを上げた。

 

「キリカ。俺様の血を舐めるのも、いい加減にしておけよ。こっちの舌ぁ、もう傷だらけなんだよ」

 

 昼下がりの帝都シャンドラ、暗黒騎士団宿舎の一室。この国で最高の将軍と讃えられる男が、血の滲む舌を見せつける。

 だが、組み敷いた女の顔は、男の舌よりも遙かに傷を負っていた。赤く腫れた目元に、紫色の頬。だが、それでも女の持つ美しさは、少しも損なわれていないと、ガイナスは思う。

 何故なら、その瞳。

 腫れ上がった瞼の奥に隠された瞳からは、少しも輝きが衰えていない。この女の、最大の魅力が、この自分の下にあって、尚更に増しているのだ。……反抗的に、そして、絶対的に、自分を否定し、侮蔑するように。

 

 ……ああ、(えぐ)っちまいてぇな。

 

 女から向けられる眼差しが、ガイナスの加虐心をじわじわとくすぐってくる。だが、抉ったら、それが最後。もうこの輝きは拝めないのだ。何とか理性を働かさせて、ガイナスはその指を、女の目元から離す。

 

 そして、一息ついた後、女の全身を改めて見遣る。

 一糸まとわぬ姿で、寝床に横たわったそれは、円熟した女の香気を、存分に漂わせていた。少し垂れかけた肉が、もうとろけそうに軟らかくて。

 

 ……ああ、肉ってのは腐りかけが旨いってえけど、あらぁ、本当だったな。若けぇだけの筋張った肉より、ずっといいや。

 

 堪らずにガイナスは、それにかぶりつく。

 この女を捕らえてから、一体、何度甘噛みを施したか分からぬ身体だ。四肢も、胸も、至る所に歯形と痣が浮き出ている。その歯形に合わせるように、また歯を立てて噛んでやれば、途端に、女からは、奇声とも嬌声とも言えぬ声が漏れた。

 

「ああ、待った甲斐があったぜ、キリカ。覚えてるか? 俺様が一度お前に求愛した時のこと。あらぁ、確か、お前が十四の時だったかなぁ。あんまり可愛くって、あの時、すぐに食べちまいたかったんだが、ここまで待って良かったぜ。存分に、熟れてら」

 

 懐かしい昔話。

 だが、女はそんなものに(ほだ)されてはくれない。男の情を一刀両断にするような冷ややかな視線をぶつけてくる。

 

「キリカ。これでも俺様はショックだったんだぜぇ。お前が俺より、他の優男なんか選んじまってよぉ。挙げ句に、十五で子持ちになっちまって……。なあ、あんな優男の何処が良かったんだ? すぐに戦で死んじまった、あの男なんかよぉ」

 

 思い出したくもない男の顔が、ガイナスの脳裏に過ぎる。食べたいと思った女を、横取りをした男の顔。……ああ、そう言えば。

 

「あの狐、どっか、あいつに似てんな。優柔不断だけが取り柄だったあの優男によ。っんとに、お前は男の趣味が悪いのな。ああやって、世話の焼ける駄目男ばっかり、目を掛けやがってよぉ」

 

 どこからどう見たって、格好を付けるだけしか能のない優男だったのに。甘ったれで、情けなくて。戦場では嫌らしい策を巡らせるだけ巡らせておいて、あっさり首を刎ねられただけの、かつての自分の軍師が。

 

「なあ、俺様の方がずっといいだろ、キリカ。優しくしてやるから、このままずっと、俺の愛人でいな。そしたら、あの銀狐だって、生かしておいてやってもいいんだぜ? 俺様の玩具としてならな」

 昔の嫉妬心が、ガイナスの声を猫なで声にしていた。いつぶりだろうか。女にこんな声を投げかけたのは。

 だが、そんな暗黒騎士の名に似合わぬ仕草も、女の心を溶かすには至らなかったらしい。ぺっ、と音を立てて、変わらぬ侮蔑が返ってくる。

 

「お黙り、ガイナス! お前の事も、死んでしまった男の事も、今の私にとっては全て過去のことですわ。それをいつまでぐじぐじと言っているの?! ああ、しつこい男って大嫌い!」

 

 今度は、血液混じりの唾。先に殴った時に、女の頬の内部が切れたのか。その鉄臭い香りが、また、ガイナスの加虐心を煽りに煽る。

「キリカ。お前、もう少し賢い女かと思っていたぜ。いやいや、尚更いいねぇ。俺様ぁ、女は馬鹿な方が好きだぜ。賢しくてあざとい女なんてなぁ、女じゃねぇや。……だからよぉ、馬鹿は馬鹿なりに、さっさと喋んな。そしたら、もっと優しくしてやるからよ」

「……しゃ、喋るって、何のこと? わ、私は……」

「ああ、まだ言うかね、この姥桜副団長殿はよ。さっきも言ったじゃねえか。陛下に言わせりゃ、あの雌蟷螂、謀反でも企んでんだろ? それがもし、本当だってんなら、いやあ、あの女も馬鹿だな。……馬鹿すぎて、萎えちまうほど、馬鹿だ」

 

 そう言って、柔らかい臀部を掴み上げてやれば、女からは、鋭い膝蹴りが返ってくる。

 いつもいつも、こうだ。この女との睦みあいは、いつもこうして、格闘技の試合になってしまう。長年惜しいな、と思っていた女との香しき性交なのに。

 

 ……ああ、しちめんどくせ。

 

 とりあえず、女の尻を堪能したくて、ガイナスは膝蹴りをそのまま腹で受け止めてやる。見事に急所を抉ってきて、痛くないと言ったら嘘になるが、女の尻の心地よさの方が、痛さに勝る。

 

「なあ、キリカ。お前さんらの企み、陛下は大分前から気付いていたみたいだぜ? まあ、証拠はねえから、今までは動けなかったらしいが。でも、あの不自然な結婚式での逃亡。あれが、不味かったなぁ。あのせいで陛下の中でずっと燻ってきた猜疑心に火がついちまった」


 あの結婚式の後、ガイナスは、皇帝から下げ渡された銀狐から、有翼の国の情報を聞き出すことに成功していた。そうなったら、もう用済みの狐なんか生かしておく価値はない。散々玩具にしてから、殺してやろうと思っていたのだが、皇帝の侍女が突然やって来てこう言ったのだ。


 ――『ガイナス将軍。その男、まだ殺さないで下さいな。陛下が、その男を使いたいと仰いますの。私が彼を治療しますわ』


 勿論、ここまで来てお楽しみの拷問が終わりなど、ガイナスには納得の行かない事だったが、皇帝の命令なら仕方がない。最後にあの狐の横っ面ぶん殴って納得するしかなかったのだ。

 そして、あの狐を利用しろ、と命令をされた。

 あのリュートという有翼人は、狐を自身で取り戻したいと思うだろうが、姫がそれを許すはずがない。ならば、姫は夫へのせめての情けとして紅玉騎士団の諜報部を使って、あの狐の奪回を図ってくるだろう。それを、捕らえ、何か適当に容疑を吹っかけて、根掘り葉掘り聞いてみろ、と。


 ……根掘り葉掘りたぁ、なんでぇ。

 そう問いを返せば、皇帝の侍女は、驚くべき答えを返した。


 ――『あの結婚式での姫様の不自然なお逃げよう、改めて陛下はお疑いになっておられます。……あの女を嫁にしなくて助かったは助かったが、あの女がああいう逃げ方をしたからには、何か下心あってのことに違いない、と。もしかしたら、あの母親が大森林から帰ってこぬというのと、関係があるのかもしれぬ。諜報部の女でも何でもいい。紅玉騎士団の女から、……あの、雌蟷螂が企んでいることは、何かと聞き出せ、と、そう仰せで』


 結局、その時は皇帝が何を疑っているのかは知らされぬまま、ガイナスは渋々と皇帝の命に従う羽目になってしまった。

 正直、その当時は、皇帝の仮説について、内心、……まさか、そんなこたねえだろう、紅玉騎士団の女なんかが、あの狐、取り戻しにくるもんか、と高をくくっていたのだが、結果はどうだ。案の定、紅玉騎士団の諜報部と思しき女達が、共に酒宴を、と接触してきた。そして、それにひっかかったふりをして、罠を張って見れば、このキリカという獲物がかかったのだ。


 だが、この捕らえた女、どれだけ痛めつけても何も喋らない。

 殴っても、こうして、ベッドの上で屈辱を与えてやっても、全てすっとぼけてくる。


 だのに、皇帝からは、何としてでも謀反の証拠を聞き出せとの矢継ぎ早の催促。これに、ガイナスはほとほとうんざりしている。何故なら……。

 

 ……あーあ、謀反とか、証拠とか、本当に、しちめんどくせ。俺様ぁ、このままこの女を征服したいだけだってのによ。

 

 そう嘆息するとおり、証拠を聞き出すための手段が、いつの間にか目的に変わってしまっているのだ。

 この女から証言を引き出す云々よりも、とりあえず、今は、この女を喰いたくて、喰いたくて堪らない。有り体に言うなら、皇帝の命令を遂行する事よりも、性交を愉しみたいのだ。

 仮にも暗黒将軍と謳われる将軍だ。拷問にかけては定評がある。だから、この女にもっと地獄の痛みを味わわせて、知っている事を吐き出させるのも不可能ではない。だが、したくないのだ。とにかく、今は、このかつて惚れた女を自分のものにしたい。


 何しろ、かつて、どうしても手に入れられなかった獲物は、今も、この手の内で、さらに匂い高く、そして、誇り高く、自分を拒絶してくる。それが、ガイナスには、堪らない。どうにも、狩りをする獣の本能が駆り立てられる。どうにかして、この雌を肉体的にも、精神的にも、この雄の前に屈服させてやろう。そう思わされるのだ。


「キリカ。いつかの有翼の国では、おっちゃん、我慢してやったけどよ。もう観念しろって。あんな姫さんのお付き、いつまでやってんだい。もし、謀反が本当なら、そんな馬鹿な事考えている母娘の側にいるこたねぇだろうが。な? 俺のものになれって」

「お。お断りですわ! そ、それに姫様を侮辱するなら許しませんわよ?! いい加減に……」


 相変わらずの態度。

 まあ、よくもこの暗黒将軍相手に、それだけ虚勢が張れるもんだ、とガイナスは感心の念すら、覚える。だが、それがまた、尚更良くて。


「陛下は、お前からの証言が得られないなら、あの雌蟷螂と姫さんを泳がせて、さきにボロを出させようって魂胆だぜ。そんで、俺様にあの蟷螂喰わせようってんだ。……堪んねぇだろ? あんな虫、俺様ぁ好みじゃないっての」

 

 ……好みは、お前。

 お前なんだよ、キリカ。

 

 そうまた耳元で囁いて、ガイナスの愛撫は加速する。

「お、お黙りっ! いつまで尻を触ってる気よ、このエロ将軍が!! か、閣下が謀反だなんて、そんなことあるはずがないでしょうっ!」

「んんー、俺様もそうは思いたいんだがなぁ。サイニーがおっ死んじまって、聖地奪回だの何だのと、将軍の仕事がただでさえ忙しくなったのに、あの雌蟷螂まで消えられたら、俺様、お前の事可愛がってやる暇、なくなっちまわぁ。な? そんなの嫌だろ? 毎日、俺様に尻や乳、揉まれたいだろ? ああ、何なら、お前にそっくりの娘も一緒に……」

「……死ね!!」

 

 再びの、激しい蹴り。

 だが、それも、一つの愛の表現かと思い、また、ガイナスはその筋肉の鎧を纏った腹で、受け止めてやる。

「それにしても、もし、謀反が本当だったとしたら、だ。あの雌蟷螂が馬鹿だと思うのは、自分の欲望しか見えてねぇところだよなぁ。だって、考えてもみろよ、キリカ。ここでクーデターが起こったら、一番誰が得すると思う? ……あの暴動を起こすしか能のねえ劣人種共だよ。政権交代のごたごたに、これを好機とますます図に乗ってくるぜ。ヘタすりゃ、独立要求……、最悪、帝国への反旗……だろ? んなこともわかんねぇで、どうして謀反なんて起こすんだよ、あの女は」

 

 だが、その嘲るような問いと、激しい愛撫にも係わらず、女将軍の腹心、キリカの目には、些かも揺るぎがなかった。

 まるで、そんなこと、閣下ならとっくに考え済みよ。分かっていないのは、お前達の方、とでも言いたげな自信たっぷりの眼差し。だが、その意味を問うても、この女は答えはしないのだろう。


 ……結局、心は、あの雌蟷螂のもんなのか。

 

 そう考え当たると同時に、ガイナスからは諦めたような溜息と、尻への激しい平手が繰り出される。

 ……ぴしゃり。

 さすが、女の尻は肉付きがいいだけあって、いい音だ。

 

「な、キリカ、もっかい言うぜ? 俺様のものになれよ。な? こうして、毎日遊ぼうじゃねえか。んん? お前、まだ三十なら俺様の子も産めるだろ? 何なら、本妻にしてやってもいいんだぜ」

 一体、何度目か分からないほどの求愛の台詞。

 ガイナスにしてみれば、女に向けて、この自分の子を産めと命じることは、最大の愛情表現なのだ。だのに、この女はうんと言うどころか。

 男の隙を突いて、いつの間にか、その手をベッドの下へと潜らせていた。そして、ガイナスが気づいた時には、既に、なにやら光る物をその手に握りしめていて。

 そして、躊躇いもなく。

 

「――お断りですわ。誰がお前のベッドに繋がれる愛玩動物になどなるものですか」

 

 拒絶の言葉と共に、ぶすり、と、ガイナスの腹を抉ってきた。

 

 途端に、血生臭い匂いが部屋に、充満する。見遣れば、ガイナスの腹には、深々と突き刺さる、鋭い刃物に似た物体。その独特の形状に、ガイナスは見覚えがあった。

 今、自分と女が横たわっているベッド、その四方に設えられていた円十字――神の印の真鍮細工が一つ消えている。いや、消えたわけではない。

 なにしろ、その細工の一つは、今、きちんと、ガイナスの腹に突き刺さっているからだ。

 

「……ふん、お前の目を盗んで、磨いておいたのよ。いいから、そこをお退き!」

 

 この期に及んで、この女、こんな鋭い爪隠してやがるとは。

 その事実が、さらにガイナスの心に火を付けた。

 

 ……滅茶苦茶に、ヤッちまうか、この雌。

 

 再び急所に振り下ろされんとしていた女の足を、きつく掴んでやる。途端に、女の身体はまたベッドの上へと転がって、一つ、鼻にかかった叫び声が漏れていた。

「……あっ」

 その声と、露わな女の姿態に、ガイナスの頭の芯が、溶けたらしい。欲望が、止まらない。ねじ切れんばかりに、女の足を引きずり上げる。

 

「なあ、キリカ。また、喰わせろよ」

 

 理性の糸が、ぷつりと切れた。

 そして、その音と共に、何故か、ガイナスの脳裏に皇帝の台詞が蘇る。

 

 ――『サイニーは、ただ人間たらんとしただけだ。獣に堕ちたくないと願うことが、あれの人間たる証だったのだ』

 

 ……馬鹿馬鹿しい。


 そんな欺瞞が、この欲望の前に何の意味がある。

 そんな願いがなくったって、俺様は人間だ。第一、人間だって、獣の一部だろ。

 人間なんて、結局一皮向けば、こうだ。男と女は、結局、雄と雌でしかない。魅力のある雌が居たら、雄は、闘争を勝ち抜いてでもその女に子を産ませたいと思う。そうやって強いものが弱いものを踏み台にして、雌を犯すことの何処がおかしいってんだ。

 馬鹿じゃねえの。

 国だって、人だって、何を気取ることがあるんだ。強えもんが、ヤリたいように、ヤレばいいだけの話なんじゃねえの。領土だって、神様だって、女だって、欲しけりゃ、どんどん喰っちまえばいいんだよ。こうやって、……一瞬でも気持ちよくなれるんならな。

 

 それが、間違いなく、ガイナスの信念だった。

 そして、その信念に嘘偽りなく、目の前の雌を喰わんとした、その時。

 

「――閣下! ガイナス閣下! 皇帝勅令です」

 

 部屋の外から、暗黒騎士団の配下と思われる男の声が響いた。本当に、何というタイミングの悪さか。だが、仕方ない。キリカをきつく組み敷いたままに、入室許可をしてやる。

 

「どうしたぃ。陛下は何て言ってきたんだ」

 

 極力冷静に、だが、入ってきた騎士の顔を一瞥することもなく、ガイナスは問う。だが、問われた当の騎士はと言うと、部屋の中の光景に絶句して、上手く言葉すら紡げない。

 何しろ、酷く体液臭い部屋の中で、女を組み敷く将軍。その腹には、ぽたぽたと血が伝う真鍮細工が突き刺さったままなのだ。

「……か、閣下。そ、その腹、い、如何なさいました……」

「ああ、気にすんな。ちょっとしたプレイだ、プレイ。俺たちなりの愛の交歓でぃ」

 

 一体、何をどうしたらそんな愛情表現になるのか。

 どう考えたって、騎士には、腹に得物を刺されながら、変わらずに女を抱きにかかる将軍の行為が理解出来ない。

 

「……か、閣下! そんな女騎士を、いつまでも抱いている場合ではありません。陛下から、暗黒騎士団の大森林への出動命令が出ました。何でも、大森林の暴動の鎮圧助勢だとかで……。しかし、おかしいですね、助勢なら、つい先頃、エリーヤ姫の紅玉騎士団が行かれたばかりだというのに……。元老院の方々も、一体此度の陛下の命令は、如何なる事やと不思議がっておられますが……。どうされます?」

 

 おそらく、助勢は名目。

 皇帝の真の命令は、大森林にて事を起こすやもしれぬ雌蟷螂の監視と、それがもし起こった場合、即座にあの女に対して鉄槌を振るうこと。もし、本当にあの女将軍が謀反を起こせば、大義名分をもって、堂々とあの親子を潰せるからだ。皇帝の猜疑心の根元である、あの雌蟷螂母娘を――。

 

「ああ、しちめんどくせ。俺様ぁ、春にゃあ、鳥の国へも行かなきゃなんねえのによ。次から次へと、面倒な仕事、回してきやがって……。だが、……しゃあねえか」

 

 この、目を潤ませながらも、きっぱりと自分を拒絶してくる女との情事が中断されるのは、惜しいけれど。この女の心が、あの雌蟷螂の元にあるのは、それ以上に気にくわない。

 男であれ、女であれ、この自分の雌を横取りする者は、遠慮なく叩きつぶす。それが、この暗黒将軍、ガイナスの流儀だ。

 

 そう決意すると、男はおもむろに腹に突き刺さった鋭い細工を抜き去り、それを愛しい雌の元へと投げつけて見せた。横たわったままの女の腹に、ぽたぽたと男の血が舞い落ちる。

 女の柔らかな白肌に落ちた、その赤が、また、ガイナスの獣の本能に火を付けて。

 

 ……ああ、喰いてぇな。血が滴る肉が、喰いてぇや。

 

 べろり、と舌なめずりが、止まらない。

 

「さ、一緒に行こうぜ、キリカ。楽しい昆虫採集だ。ああ、ひょっとしたら、あの白い羽の金髪兄ちゃんもいるかねぇ……ああ、なら、丁度いいやな」

 

 くくっ。

 何か楽しいことを考えついた時の笑いが、ガイナスの口から漏れる。

 

「ペットも一緒に連れて行こうぜ。あの可愛い銀狐もな」

 

 

 

 

 

 

 

「な……、クーデターって、お前、正気の沙汰じゃないだろ……」

 

 一方、帝都から遠く南に離れた大森林の天幕では、リュートの口から、さらなる驚愕の溜息が漏れていた。だが、対峙する姑は、その呆れを些かも苦にすることなく、変わらぬ豪快な飲みっぷり。

 

「正気も正気じゃ。酔っぱらいの戯言と思うてか、婿殿。妾は、ずっと、以前から、この国を憂えておったのだ。だが、このままでは、この国は変わらぬ。脆弱で愚かな元老院。地方に蔓延る官吏の癒着と腐敗。そして、無知蒙昧なる宗教に、それを盲信する民衆に、自国の重要機密の漏洩。そして、不満を募らせ、今にも暴発しそうな諸属国の火種。その全ての憂いを断ち切るのには、あの皇帝では無理だと妾は判断したのだ。……あの、病に伏しておる皇帝ではな」

 

「だからって、自分の娘を皇帝にすげ替えようなんざ、おかしいだろう? いくら、エリーが自身で女帝の座を望んだからって……」

 

「妾とてこのようなこと、一朝一夕に思いついて、言っておるのではないわ。言うたであろう? 妾は先の第一次侵攻の時からずっと、この国の行く末を案じておったと。その時から、十三年。それだけの年月を重ねて、妾は準備を重ねてきた」

 

 ……本来ならば。

 

 どこか、寂しげな表情で、女将軍が言葉を句切る。

 

「本来ならば、妾とて、この様な手段、正しくないことは分かっておる。真に正しいのは、現皇帝を諫め、宗教狂いの腐敗した元老院を一掃し、国を立て直すというのが、筋であろう。だが……元老院はともかく。あの皇帝では、駄目なのだ。あの、カイザルが皇帝では……」

 

 どうして、ここまであの皇帝を否定するのか。

 

 確かに、あの皇帝は褒められた男ではない。加えて、あの病だ。執政が出来ぬ、愚帝というのも分かる。

 ならば、侍女であるサルディナの子が産まれたら、カイザルを廃し、その子を新皇帝として立てて、この帝国を再建すればいいだけのことではないのか。どうして、それなのに、自分の産んだ娘を新帝として立てる必要があるのか。

 

 リュートには、理解出来ない。

 

「……結局、お前も権力が欲しいのか。自分の娘を女帝にして、この帝国を思うがままにしたい。そうじゃないのか?」

 

「それは……」

 

 一瞬、何かを喋ろうと、女将軍の口が開かれる。

 だが、その先は、語られることはなかった。ただ、否定の仕草と共に、意外な言葉だけが返ってきた。

 

「そう思いたければ、思って貰って構わぬ。妾は、いくらでも権力の亡者と罵られても良い。だが、あのカイザルと、その子では、絶対的に皇帝として相応しくないのだ。あれでは、駄目なのだ。あれが皇帝になったときから、……いや、正直、先帝陛下が有翼の国に遠征を決めたときから、妾は、この国の皇帝を変えるべきではと、ずっとそう思うてきた」

 

 資質の問題は勿論、それ以外に、この女将軍が、皇帝を否定する理由があるのか。

 ……先帝の正妃の血が入っているから、それに嫉妬して? 

 ……それとも、ただ、権力が欲しいが為に?

 ……その為に、娘を教育して、帝位を簒奪しようと、ずっと企んでいたのか?

 

 だが、やはり、その答えは女の口からは返ってこなかった。

 これだけ口を噤むには、この女だけが知る事情でもあるのだろう。あの、神の代理人を否定するそれだけの理由が。

 だが。

 

「い、いくら帝位を簒奪するに足る理由があったとして、だ。そんなことしたら、どうなるか分からないお前じゃないだろう? それに、帝位が欲しいなら、放っておいたって、皇帝はあの病で死ぬんじゃないのか? そうなった時を狙えば……」


「駄目だ。あの病は、じわじわと死に至る奇病と聞いておらんか? 明日、もしくは来年死ぬとは限らんからな」

 確かに、皇帝はその様なことを言っていた。そして、延々と続く苦痛に、いっそ頭から腐り堕ちたらよいのに、とも。

「いや、待てよ。皇帝は、病が辛い様子だったし、もう少し待てば、嫌でも帝位から降りるだろう? そうなったら……」

「それも駄目だ。聞けば、既に女の腹に皇帝の子がおると言う。おそらく、その子が生まれるまでカイザルは病がどれだけ辛かろうとも、帝位を譲らないだろうし、また、父の様に自害するということもないだろう。それに、カイザルの病気の進行を、そう長々と待てぬのだ」


 リュートのこちらの提案も、軽く一蹴。その理由を問うてやると、姑からはまたも小馬鹿にしたような台詞が返ってくる。


「何も聞いておらんのだな。もう騎竜技術は漏れておるのだぞ? 何年も先までこのまま帝国の失政が続けば、今は沈黙を守っている国も、反旗を翻したくなるやもしれん。早期の改革が我らには必要なのだ。だのに、あの皇帝も元老院もガイナスも、既得権益にしがみついてばかりおって、国家の大計を考えようともせぬ。そんな帝国を蝕むダニに等しい奴等は、即刻、首でも刎ねてやったらいいのだ」


 だが、そう自信満々に言われても、リュートに納得出来るはずもない。

「待てよ。もし、騎竜技術が何年も前から漏洩しているとしたら、今、帝国でそんなごたごた起こして、属国が黙っているわけがないだろうが。帝国の支配に不満を持っているというその諸国が、もし、これを契機に、お前の言う反乱でも起こしたら……」

 

「ああ、婿殿。そんなこと、妾とて、とうに織り込み済みであるわ。言うたであろう? 妾はこの大陸の統一に心血を注いだ将軍じゃ。そして、一朝一夕にクーデターを思いついたわけではない、と」

 

 リュートの懸念は、いともあっさりと、女将軍の鎌の前に一刀両断にされて、侮蔑の言葉が返される。

 

「お前、何も聞いていなかったのか? 言うたであろう? あの愚かな聖地奪回事業の推進より、十三年。諸国の反乱を恐れておった妾は、密かに属国の首脳と秘密裏に会って、交友を結んでおったと」


 その指摘に、……そう言えば、と、リュートは一つの事実に思い当たる。

 確か、あの有角の国の王子が、グラナ邸にやって来たときも、姫とひどく親しげだった。普通、傲慢なリンダール人の姫なら、劣人種とされる異民族と、そんな交流は持たないだろう。彼女が、ああまで王子と仲がよい、というのは、その十年以上かけて密かにしていたという交流が、実に有意義だったことの証である。


「……そう。それで、その努力が、ここに来てようやく実を結んだのじゃ。見たであろう? あの首脳陣」

 

 くい、と女将軍の親指が、天幕の外を指し示す。そう、丁度、先に行った大きな天幕がある方向を。

 

「あれは妾の友にして、これからの同志、『愛酒連合』の面々じゃ」

 

「彼らが……? あの、各国の首脳陣が、お前の同志だと……?」

 

 同志とは、一体。

 そう問わんとしたリュートの前に、雌蟷螂からの答えが返ってくる。

 

「ああ、妾とて、帝国のクーデターを、属国の好機にするつもりはない。だが、このままあの皇帝と元老院が失政を続ければ、待っておるのも、これまた属国の反乱しかない。何しろ、帝国の要である騎竜技術は漏れておるのだからな。将来的には、反乱を起こして、帝国から独立する事も、不可能でもないかも知れぬ」

「それは、そうだろうな。騎竜技術があれば、支配を受ける属国でいることはないわけだし……」

 

 そう、とリュートの言葉に、女将軍は深く首肯する。

 

「貴様の言うとおりだ。だから、十年以上かけて、密かに結んでいた交友関係を利用して、こちらから持ちかけたのじゃ。彼らに、『妾が望むクーデターが成功すれば、属国の地位の向上、或いは独立を考えて見せよう』とな」

 

「……お前の方から、属国へ譲歩を持ちかけたのか? 皇帝の地位にもない。たかが、将軍のお前が、その独断でか?」

 

 常識で考えれば、到底許されない行為だろう。

 まさしく、帝国への裏切り、と言えるほどに――。

 

「そう。元々、死に体の帝国なのだ。肥え太りすぎた贅肉を切り落とすだけのこと。それの何がおかしい?」


 その言葉に、即座にリュートは、今までの事実を元に、考えを巡らせる。


 本来、無駄な贅肉。

 それが、自らの意志を持って、本体に害を与えて、或いは本体を死に至らしめて、そぎ落とされるのがいいか。それとも、自ら贅肉をそぎ落として、本体の命を守るか。そのどちらが、有益か。

 

 つまり、このまま血の雨が降るであろう反乱を各地で起こされて、帝国が滅びるのがいいか。

 それとも、自ら、属国に譲歩して、大帝国の地位を捨ててでも、リンダール人の国家を守るのがいいか。

 

 女将軍は、そう問うているのだ。

 

「こんな過ぎたる領土など、火種の元、か。ならば、武力的に勝っている今の内に、温情を与えて、さっさと独立させてやったらいい。そういう事だな?」

「ああ、婿殿。多少、他国から奪い取れる利権が減るのは覚悟の上だ。それ以上に、身に余る巨大帝国の運営は危険なのだ。それが、どれだけ説いても選民思想にかぶれた元老院には理解出来ぬことらしいのでな。妾と娘で独断の上、先に譲歩を持ちかけたのだ」


 リュートが思い当たった答えは、どうやら、正解だったらしい。それに機嫌を良くしたのだろうか、さらに姑の飲酒量は増え続ける。それに、些かあきれ果てながらも、真意を問わんと、リュートが問う。


「では、お前は帝国は、どうなるべきだと考えているんだ……?」


「そうだな。とりあえずは、リンダール山脈と、その周辺にある帝都シャンドラを中心とした地域、……現在の帝国直轄領だけはリンダール人の国家として、死守したい。また国のない流浪の民、……つまり奴隷になるのだけはごめんだからな。そこを拠点として、属国として残っても差し支えない国は、とりあえず配下に残して、今より縮小化した帝国経営をするべきであろう。加えて、属国から独立した国々との、対等な国交を結ぶこと。その事も含め、今、あちらの天幕では首脳陣が話し合っておるのだろうよ」


 よもや、その様な事まで考えていようとは。

 この飲んだくれの年増婆の姿からは考えられないことだ。だが、その考えは、理解出来ないわけではない。


「確かに、自国の持つ能力を超えた地域の支配は、困難だから、いらぬと言うのも分かるが……。にしても、自国内での抵抗は激しいんじゃないのか?」

「まあな、せっかく手に入れた領土を手放すなど、民衆は激怒するだろう。だが、元から間違っていたのだ。騎竜技術という圧倒的な武力を手に入れ、甘い汁を求めるだけ求めた。二代皇帝ドラグナによって始められたその侵略行為が、元々の間違いだったのかも知れぬ。そう気付くのに、妾も遅かったと思うがな」


 本来なら、もっと早くに、侵略国家という顔を捨てるべきだったのに。


 かつての自分の愚かさと、そして、今もその顔を捨てきれぬ自分の国家の在り方に、女将軍の顔が後悔に歪む。

 もっと早くに、目を覚ますべきだった。

 もっと早くに、奴隷民族だったという劣等感から来る、歪んだ優越思想を捨てて、自分たちのこれからの有り様を見つめ直すべきだった、と。


「妾も、かつては、この大陸を制することこそが、リンダール人の為になると思って疑わなかった。だが、それも、もう、終わるのだ。終えるべきなのだ。未来に、この国を残すために。国を持たなかったリンダール人が、この大陸で誇りを持って生きていくために」


 ……この、大陸で。

 女将軍の口から語られたその言葉は、あるかどうか分からない遠い故郷への思いを断ち切る様な――。

 そんな決意と、哀愁に彩られていた。


「しかし、例え、お前のその選択が、真に帝国の未来にとって有益だったとしても、だ。よく属国の面々が、それに同意したな……」

「無論、同意を得るまでには、長い時間がかかった。だが、皆、帝国の支配に不満を抱きながら、これ以上戦火が続く事が、真にこの大陸の未来にとって有益でないと分かっておるのだ。この大陸に血の雨が降るのは、もう沢山だ、とな。そして、妾はその思いもずっと、昔からの交流の中で、首脳陣の彼らと語ってきたのだよ。この大陸を憂う、一人の人間同士としてな」


 一人の人間同士。

 ……ああ、確かに、この女は、彼らを『友人』と呼んでいた。劣人種でも選民でもなく、同じ人間としての付き合いを、この女は提示したのだ。


「だが、そんな物わかりのいい国ばかりじゃないだろう? 武力で属国にされた国は、帝国のこと恨んでいるだろうし……」


「左様。その通り、同意を得られない属国もあった。それが、この国、大森林エントラーダだ。言ったであろう? 貴様らの国にカイザルが遠征に行く直前に、この国で本当に暴動が起こったと。この国はな、妾の提案を蹴って、帝国に反旗を翻す道を選んだのじゃ」

「……反旗? それは、そうだろうな。この国は、かつての大陸の覇者だし、もしある程度、騎竜技術を知っていれば、竜騎士にも対抗出来るだろうし。僕なら、そうする。自分の国を踏みにじった国と、何事もなかったかのように、仲良く手を繋げるものか」

「そう。貴様の言うとおり、獣人達はそのような算段で反乱を起こした。だが、妾にしてみれば、これは誤算だった」

「誤算……?」


 リュートがそう問いを返すや否や、女将軍の口元が、にや、と意味ありげに歪む。そして、語られたのは、到底リュートが承伏出来ないような衝撃の事実だった。


「言うたであろう? 妾はな、カイザルが有翼の国へ再遠征に、自ら行くと言い出した時、やはり、もうあの皇帝ではこの国は無理だ、と判断した。そして、同時に思ったのだ。これは、好機であるとな」


 有翼の国に、神の代理人である皇帝、カイザル自らが遠征に行く。

 それは、すなわち、長い間、この国に皇帝が不在であるということを意味する。これが、好機でなくて、何なのか、と女将軍は言う。


 ――何しろ、もういらぬと思った皇帝が、自ら国を空けてくれると言うのであるから。


 思い当たった答えに、リュートの白羽が、びりびりと戦慄する。


「まさか、お前……。あ、あの有翼の国で、ぼ、僕と皇帝が戦っている隙に……」


 思わず言い淀んだ、その答えを、また艶めく肉厚の唇は、悪びれもせずに語っていた。



「そう。皇帝がおらぬ間に、さっさと玉座を頂こう。――そう謀ったとして、何がおかしいのか? んん? 婿殿よ」


 

 

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