第九十二話:森林
――大森林エントラーダ。
帝国の中心を走るリンダール山脈の南に位置する、国土の大半が密林に覆われた王国。
巨大な体躯と、毛深い体毛が特徴的な獣人族が住まうこの王国は、かつては、諸国を従える大国として、大陸中にその名を轟かせていた。だが、天然の要害とも言える密林を拠点に、その勢力を大陸の半分ほどまで広げていたこの大国が、何故、現在、かつての奴隷民族が興した国家、リンダール帝国の属国に成り下がっているのか。
それは、ひとえに、大帝ハーンの編み出した騎竜技術の前に、軍事的な敗北を喫したからに他ならない。
頑健な体に、鋭い牙、というその肉体的な優位さから、この大陸の覇者となりえた獣人族だが、その優位さこそが、彼らに戦略なるものを必要とさせなかった。戦となれば、ただ突撃し、圧倒的な力で相手をねじ伏せる、というのが彼らの常套手段。
だが、その無知なる繁栄こそが徒となった。
大帝ハーン、そして、その息子、奇跡の二代皇帝ドラグナによる緻密な戦略、および、空を飛べるという占有能力により、当時の獣人軍は奴隷民族だったリンダール人に大敗。瞬く間に、大陸の覇者の座から転落し、かろうじて王制のみが守られるという屈辱的な属国身分に成り下がったのである。
その歴史上の大戦が行われたという首都エントラ近隣の上空に、ばさり、と白羽が舞い踊る。
「うん! ここはいいな、ブリュンヒルデ! あの糞乾いた帝国より、ずっといい風が吹いている。久々に羽が伸ばせて心地がいい」
帝国南部、交易都市ベイルーンから、この属国まで、その背にずっと乗せてきてくれた白銀の愛竜を供に、リュートの飛翔は止まらなかった。大森林特有のしっとりとした風が、実に羽に心地よく、その歓喜の舞は、上に、下にと、まさに、縦横無尽。
だが、完全なる自由、というわけではない。彼らの後ろには、まるで監視をするように、ぴたりと騎竜する、妻、そして紅玉騎士団の面々。さらには、あの雌蟷螂将軍、姑ミーシカ・グラナの姿まで。
「婿殿。そう遠くへ行くでない。可愛い我が娘が、また夫が居なくなってしまうと、心配しておるではないか」
変わらぬ酒で掠れた声。
何しろ、あの酒場での邂逅以来、リュートは、この女の傍らから、酒が無くなったのを、一度も見たことがない。当然、今とて、持っていた革袋の口から、ちびちびと酒を舐めながらの騎竜である。これには、流石の娘もあきれ果てたように、母に対して、窘めの言葉を口にしていた。
「お母様、飲酒騎竜はお止め下さいと、以前から口を酸っぱくして申し上げて居るではありませんか。そうやって、飲みながら飛んで、何度墜落しそうになったと思ってらっしゃるんです」
「ははは。まあ、良いではないか。妾は、酒とこの愛竜と死ねるなら、本望じゃ。のう、ガルーダ」
そう豪快に笑いつつ、女将軍が愛竜の背を撫でるものの、当の愛竜ガルーダはと言うと、殉死はごめんだとばかりに、ぐるる、と低い声で呻って見せている。
「何じゃ、ガルーダ。貴様も雄なら、こんないい雌を乗せて死ねる事こそ、幸いと思わぬか。……ん、何じゃ、その不服そうな鳴き声は。そうか、やはり、妾より竜の雌の方がよいのか。よしよし、今度の発情期には、そこの白い美竜を貴様の嫁として貰ってやるゆえ、たんと交尾に励むがよい」
この提案には、嫁として指し示された白竜の主が黙ってはいなかった。即座に、翼を羽ばたかせ、愛竜を守るように、その背に飛び乗る。
「……おい! うちのブリュンヒルデを、誰がお前のとこの駄竜の嫁になんぞやるか! それに、こ、交尾とか言うな! うちの可愛い娘がそんな傷だらけの竜の毒牙にかけられて堪るか!!」
「いいではないか、婿殿。貴様には妾の娘をやったのだ。代わりに貴様の竜を妾のガルーダに寄こせ。交換条件じゃ」
「いらん、こんな嫁! 今すぐ、引き取れ! 僕は気楽な独身に戻りたいんだ! それにしても……」
この国に吹く、しっとりとした風に、悠々と身を委ねていたリュートだったが、その眼下に広がっていた光景に、不審を抱かなかった訳ではない。この湿気った風とは裏腹に、足下に広がる荒涼とした光景――、それは、まさに大森林という名からはほど遠い、草木の疎らな荒野だった。そして、その荒れ地には、ほそぼそと建てられたあばら屋の数々。上空からでは詳しく確認出来ないが、かなりの住民がそのあばら屋群には住んでいるのだろう。煙突からたなびく無数の煙がいい証拠だ。
「一体、この首都周辺はどうしたっていうんだ。ここに来るまでは密林がうんざりするほど、広がっていたというのに。この一帯だけ、切り取られたように、寒々しいじゃないか」
このリュートの疑問について、横で、愛竜シルフィに騎竜していた嫁が答えを返す。
「ガイナスの仕業よ。元々、この辺も、木々が鬱そうと繁った森林で、その中に獣人達の住居があったのだけど。私があなたの国に行く前に、この国で本当に大きな暴動が起こったのよ。最初は私の紅玉騎士団がその鎮圧に当たっていたのだけどね、神託があるっていうんで、元老院に無理矢理連れ戻されたの。それで、私の後任になったガイナスが、この首都周辺を無差別に空襲したのよ。あの有翼の国での平原の戦の様に、上空から油を巻き散らかしてね」
「……油?もしかして、サイニー将軍がやったみたいに、上空から油の入った革袋を落として、点火するっていう、あの方法か?」
「そ。ガイナスは、容赦とか手加減とかいう言葉、知らないからね。暴動を起こした者も、そうでない者も、一緒くたに焼き尽くしたのよ。あの、けだものは」
「そんな……」
聞けば聞くだけ、凄惨極まりない暴虐。確かに、帝国の統治を乱すものに、鉄槌を加えるのは、将軍の職務として当たり前の事かもしれないが、それでも、ここまですることはない。
見せしめ、と言ってしまえば簡単だが、見せしめが、見せしめとして効果を成す以上に、この凄惨さは過ぎている。
……そう、ここまでされれば反抗したくないというよりも――、さらに、帝国に対する憎悪を獣人に植え付けるだけではないのか。
思い当たったその考えに、リュートが、この国のもう一人の将軍、ミーシカ・グラナの顔を見遣るも、彼女はまるで仮面を付けたように、その表情一つ動かすことはない。それに耐えかねて、さらに、リュートが問おうとするも、嫁の言葉によって、遮られる。
「あ、ほら、見て、あなた! 見えてきたわよ! ガイナスの焦土作戦にも耐えた、この国のシンボル、エントラの大樹が!!」
その言葉に導かれるように、リュートが眼下を見遣れば、そこには、焦土となった首都を見下ろすかのようにそびえ立つ一本の巨木の姿。
空を飛んでいるリュートらの高度に、今にも届きそうな程に高い、その枝先。そして、その枝葉を支える幹の太さも、半端ではない。まるで、小さな城――いや、実際に、そうなのかも知れない。この木には、おそらく人工的に空けられたのであろう、小さな円形の穴が空いているからだ。それは、即ち、この木を住居としている人間が居ることを語っている。
その旨を妻に、問うてみると、頷きと共に、驚きの答えが返ってきた。
「ええ、あの大樹は、一本の樹に見えるけど、実は何本もの木が絡みついて育った複合体なのよ。その木々が絡み合う課程で出来た空洞を利用して、古くから獣人族はあの木を住処としてきたの。そして、何千年という時を経て、あの木を城として改造し、王が住まう宮殿にしたのよ」
大樹の中に作られた住居。それだけでも驚きだというのに、中を城に改造した、というのだ。いやはや、世界は広く、面白い。あの闇商人の小人族といい、この大森林の王国といい、この大陸には、実に好奇心を刺激される。
「それから、その右に残っている帝国風の建物が、大森林総督府」
思わず、異文化の波に飲まれてしまったリュートの思考を、妻の声が引き戻す。
心を逆撫でされて、調子を狂わされて仕方のない、妻の声。それを聞く度に、現実が嫌でも目の前に押し寄せる。
眼下には、大樹の根を避けて、無理矢理建築されたと思しき帝国風の乾いた焼き煉瓦の建物。そして、その中心には、帝国の威光を思い知らせるかのようにそびえ立つ、円十字。他でもない、リンダール人の唯一神の象徴である。
差し込む太陽の光を受けて反射するその印。
その不自然なまでの輝きに、リュートの心には一つ、疑問が浮かぶ。なにしろ、この荒野の首都にあって、その総督府と神の印だけは、焼き跡一つないのであるから。
「おい、確か、またこの獣人の王国で暴動が起こって、この総督府が襲われた、とか言っていたな。その鎮圧の助勢として、紅玉騎士団はこの地に来たんだろう? それにしては、そんなにこの建物、傷ついているようには思えないんだが……」
この国に来て、腑に落ちぬ事ばかり起きる。
暴動だの、神託だの、血縁同士の結婚だの、と理解の範疇を越えた事件ばかり。この訳の分からぬ出来事の連続に付いて、もう耐えかねると言ったようにリュートが問えば、女将軍からは不敵な言葉が返ってきた。
「そのことについても、きちんと貴様に話してやろう。だが、その前に、我が親しき友人達に、お披露目式、といこうではないか。我が可愛い娘の『婿殿』をな」
「お帰りなさいませ、将軍閣下。並びに、ようこそ、紅玉騎士団団長にして、帝妹エリーヤ様」
ばたばたと、帝国の竜紋が描かれた旗がはためく、帝国第三軍宿営地。
エントラの荒野に一角に設営されたその入り口に、一行が到着するなり、迎えの言葉と共に、すぐに女が現れた。おそらく、彼女も女将軍配下の騎士なのだろう。帝国三軍の紋章、竜牙紋がその胸に輝いているのが、その証拠だ。
「遅かったですわね、閣下。もう、待ちくたびれておられますわよ、『愛酒連合』の皆々様が」
……『愛酒連合』?
迎えの女から告げられた、奇妙な言葉。それが、やけにリュートの心に引っかかる。だが、リュートの怪訝な視線に、姑は構う様子はない。女の小言に笑って答えながら、天幕と帝国第三軍の旗が無数に建つ宿営地の中へと足を進めていく。
「はは、済まぬな。少々、所用で出かけたベイルーンで、飲み過ぎた。まあ、よいわ。我が飲み友達も、妾の気性については、既に承知しておるだろうが。これから、共に、楽しく飲み交わそうではないか。可愛い娘婿も連れてきたゆえな」
その言葉と共に、リュートが、嫁、そして姑に誘われて、歩みを進める第三軍宿営地は、少々意外なものだった。
まず、女将軍が率いる第三軍、というからには、その構成員も、紅玉騎士団同様、女ばかりか、と思っていたら、そうでもないらしい。見る限りでは男の数が圧倒的だ。その事実に、リュートは、なるほど、異質なのは、やはり紅玉騎士団のほうだったのだ、と理解する。
大体が、戦争は男がするものだ。そこに、のこのこと、腕力的に落ちる女という性が入り込むことこそがおかしい。男は戦い、女は後ろで子を産み、家庭を守る、と言うのが有翼の国では当たり前だった。
その当たり前の、男だけの軍営。
本来ならば、そこに不自然な事など感じようはずもないのだが、リュートのかつての経験と、動物的、とでもいうような勘が、この軍の異質さを感じ取っていた。
……静か過ぎるのだ。そして、その静かさに増して、異様なほどに高い士気が、ありありと感じられるのだ。
暴動を鎮圧する。いや、そんなものではない。むしろ、……これから戦場に向かうかのような兵士達の気勢。訓練には余念がなく、軍営に乱れ一つない。
「お帰りなさいませ、将軍閣下! 一同、敬礼っ!!」
通り過ぎる女将軍に対して、一糸乱れぬ敬礼。
それは、否応なく、兵士達の将軍への心酔ぶりを語っていた。女であるとか、少々蟒蛇の気がある気性だとか、そんなものは、関係ない。この将軍なら、後ろについて戦っても良いのだ、という兵士からの忠誠が、リュートの目にもありありと見て取れるのだ。
……凄いな。あのサイニー将軍に、勝るとも劣らない統率能力……。これだけ兵をまとめ上げられる人物は、男にもそうそう居ないというのに。
この素晴らしいまでの軍の統括手腕に、リュートも、流石、女将軍の称号は伊達ではないと、姑の事を見直すものの、この異様な士気の高まりについて、不信感はぬぐえない。
だが、当の姑はと言うと、歩みを進めるその先で、変わらず酒の入った革袋に口を付けているのだ。まさに、不貞不貞しさの極みだが、さらに加えて、ここで、これから愛酒連合なるいかがわしい集団と飲み交わそうと言うのだから、呆れて溜息をつくより他にない。
「こんな場所で、また酒盛りをする気か。こんな焼き尽くされた荒野見ながら飲んで、何が楽しいのか、僕には分からないな」
そう仏頂面で問えば、姑からはまた豪快な笑いが返って来た。
「ははは、婿殿。共に飲み交わす友さえおれば、酒は何処でも美味いものだ。貴様は、酒を飲まぬのか?」
「……飲む。飲むが、お前とは飲む気はない」
祖国で、いつかした約束。
慕わしいあの三人の友と必ずや、杯を交わそうと。その誓いを果たすまでは、酒など、飲めるわけがないのだ。
……そう、あの、レンダマルで出会った巻き毛の剣の師匠と、二重人格の眼鏡の小男と。そして、何よりも、かつて忠誠を誓ったあの、黒羽の主君と――。
「そうか、婿殿。貴様にも、信頼出来る友がおるか。……ふふ、よい事じゃ。幸いにして、妾にも、おる。この帝国の――、いや、この大陸の未来について、共に語り合える友らが、な」
この雌蟷螂、と揶揄される女にそこまで言わしめる友なる人物達。この帝国の一翼を担う女傑が信頼する友とは、一帯、如何なる人物達なのか。
そう思い馳せる内に、リュートの足はある天幕の前まで誘われていた。
他の天幕より、遙かに巨大なそれは、軍議専用のものなのだろうか。他の無数の天幕より、かなり頑丈で、豪奢な作りである。そして、その入り口両翼には、守りを固めるように配備された将軍配下と思われる騎士達の姿。しかも一人や二人ではない。この天幕を死守するのだ、というような気迫とともに、数十人の騎士が、リュートの前に立ちはだかって、身体検査を求めてくる。
「何も、持ってないぞ。なにしろ、僕は、哀れな無一文のヒモ亭主なんだからな」
そう誤魔化してみても、詰め寄る騎士達は、表情一つ緩めることはない。淡々とリュートを羽交い締めにすると、体中隅々まで探って、あろう事か、リュートが交易都市で強奪した金銭までも没収していく。
「ああっ! 僕の虎の子をっ! 返せよっ! たかだか酒宴に、ここまですることないだろうがっ!」
「閣下のお客様と言えど、例外は一切認められません。私達の使命は、この素晴らしき酒宴を、滞りなく、かつ、安全に執り行うことですので」
まさに、けんもほろろ、という騎士達の態度。
その厳重さに、些かリュートは不信感を覚えるものの、先を行く姑の足は止まらなかった。他の騎士達に合図をして、巨大な天幕の重い入り口を開けさせる。その中は、何重にも幕が掛けられているせいだろうか、外からは見通せぬ程に暗かった。
「婿殿。妾を救いし、英雄の息子にして、娘が選んだ夫よ。来い、妾の手の内を貴様に見せてやろう」
そう笑って、幕の内へと先に進む女将軍の姿は、色街で男を女色という地獄へと引きずり込む娼婦にも似て。
加えて、その娘である妻の唇までも、たっぷりと、妖しげに艶めいていて。
「リュート、いらっしゃいな。あなたに、私の望みを見せてあげる。あなたの妻である、この私の、ね」
この先に続く暗闇は、果たして、希望の宝庫か。それとも、男を喰らうという雌蟷螂母娘の巣か。
思い当たったその思考に、びりびりと、リュートの羽が震える。それは、まさに、かつて血を滾らせた戦場に赴くが如く――。
「……ふん、上等だ。見せてみろよ、『姑殿』、それに『奥さん』」
分厚い幕が、二重、三重にも掛けられた天幕の中は、酷く蒸し暑さを感じた。
この厳重な幕は、内部の会話が中に漏れぬようにという配慮なのだろうか。ここまでしなければならない酒宴など、聞いたことがない。普通、酒を飲むと言えば、もっと明るい場で、和気藹々とするものだろう。
「おい、姑殿。そろそろ、説明を――」
堪りかねて、リュートがそう声をかければ、最後の内幕が、姑の手によって捲られた。その中から現れたもの。
――それは。
暗い天幕の中、蝋燭の灯りだけに照らされて浮かび上がる顔、そして、顔。その居並ぶ面々に、リュートの唇が声を出さずして、震える。
……見覚えが、あるのだ。
居合わせた愛酒連合なる集団の面子のその殆どが、見たことがある顔なのだ。忘れもしない。あの、忌まわしき結婚式にて――。
まず、入って右手に座るは、毛深い体躯に、独特の入れ墨の入った壮年の男。
そして、その隣、壮年の男の右には、水色の扇を振る手に、独特の水かきを持つ美女の姿。
それに加えて、入って左手には、しゃらしゃら鳴る装飾具を付けた角、そして何よりも、色彩の暴力とも言える民族衣装が印象的だった青年までも。
「大森林エントラーダ国王、ラー=ドゥー……。それに、海洋国家ミダールト元首、ミトワルト・シャイダーン………! そ、それに、お前! 有角の国パルパトーネの第二王子、ル・ポイキオ!!」
その他、この三人だけではない。
結婚式に来賓として出席していた属国の首長達数名が、ずらりと雁首揃えて居並んでいるのだ。
この、姑が指揮する第三軍の、何の変哲もない天幕に。
この大陸の、大物達が、何喰わぬ顔をして。
この雌蟷螂を待っていました、とでも言うように。
これに、絶句しなくて、何に絶句するというのだろうか。
「あら、よく名前覚えていたわね、あなた。全員正解よ。この方達、全て、私とお母様がお呼びした愛酒連合の皆様方なの。今宵は、この方々を楽しくお酒を酌み交わそうと思いまして」
固まる夫を尻目に、妻は、何がおかしいの、とばかりに、酒と肴が並んだ天幕の中心の席へと、その歩みを進めて行く。
「な……、エリー……。この面子と酒を飲み交わすって、どういう事だ。これは、ちょっとした国際会議級の会合だろうが……」
何しろ、結婚式に呼ばれる国王達ばかりである。それが、一体、なにゆえに、この、妻と酒を――。
だが、そのリュートの押し寄せる疑問とは裏腹に、場は、ようやく主役が来たかといった様子で、国王級の人間が次々とその口を開いていた。まずは、あのお調子者の有角の国の王子、ル・ポイキオ。
「やあっ! 愛しのエリーヤ姫っ! 待ちくたびれたよ。一体、何をのんびりしていたんだいっ! あんまり待ちすぎて、僕の角が一プピエも伸びてしまったじゃないかっ! ああっ! まさか、君の事だからベイルーンで買い物三昧かいっ! あ、でもそこのヒモ亭主君は、何にも買ってくれなかったんだろっ?! もうっ、言ってくれれば、僕が貢いであげたのにっ!」
相変わらず、鬱陶しい喋り。これだけ待った位で伸びるという一プピエなる角の長さが、いかほどか、少々気になるものの、今のリュートにそれを問う余裕はない。
何しろ、畳みかけるように今度は、水かきの美女の言葉。
「困りますわ。こんな荒野にいつまでもおりましたら、あたくしの美肌が乾いてしまいます。待ちくたびれましたわ。ねえ、ラー=ドゥー陛下ぁ」
そうゆったりと扇に乗せられる言葉を受けて、今度は、この大森林の主、獣人の王ラー=ドゥーが、辿々しいリンダール語で、その口を開く。
「……ホントダ、姫君。アノ、結婚式の後、コノ主賓方、秘密裏にこの国に連れてクル、大変ダッタ。しかも、この水かき女、人使い荒イ。アレくれ、コレ出せ、ホント、面倒」
「ええ?! 今、何ですって? あたくしが我が儘ですって?! 随分ですわね、この毛むくじゃらの低脳民族の分際で!」
先の上品な、ゆったりとした喋り口調から一転、水かき美女が聞き取れないほどの早口で暴言を吐く。これに、言われた当の獣人の王の額に青筋が浮かばぬはずがない。その鋭い犬歯を口元から覗かせて、隣に座る水かき美女を威嚇する。
「低脳とは、なんダ、ミトワルト。俺の民族、馬鹿にする、許さナイ」
「はんっ! 本当の事言っただけですわ! いつまでも、昔のプライドに拘って、ぐじぐじと下らない反抗ばかりお続けになって。ガイナスにここまでされないと、お分かりにならなかったの? 自分らの今の立場というものがね! 大体、貴方も貴方でございましょう! 暴動も止められず、自国民を、ガイナスに焼かれるなんて、国王失格もいいところですわ! あなた方が、あんな暴動起こさなければ、この会合も、もっと早くに実現しておりましたのに! 本当に、下らない獣共ですこと!!」
この言葉には、流石の獣人の王も、どこか堪えるものがあったらしい。その犬歯の奥から、即座に反論を紡ぐことが出来ない。その態度を見越して、さらに水かき美女が、似合つかわしくない暴言を一息でまくし立てる。
「大体ね、あたくしが我が儘って仰いますけどね、ラー=ドゥー! この姫と雌蟷螂に比べたら、あたくしなんて可愛いほうです! この不貞不貞しさが、下品な服来て歩いている、けだもの母娘に比べたらねぇ」
これに、今度は、帝国の将軍親子の額に青筋が浮かぶ番だった。分けても、母の激高ぶりときたら、半端ではなく、獲物を狩る蟷螂の様相で、水かき美女、ミトワルトへと迫る。
「何じゃと、ミト。妾のみならず、娘への侮辱をするとは、貴様の国家、焦土となる覚悟は良いか」
「……ふんっ! 何を仰いますやら、元奴隷民族の分際で。うちの戦艦、舐めてらっしゃったら、そのうち痛い目に遭いますわよっ!」
えてして、国の重要職という女はこんなものなのだろうか。我が強いにも程がある。
だが、そんな女の戦いも、海洋国家元首が口にした戦艦という言葉すら、今のリュートには気にかかるものではなく。
――何だ、この、首脳会談は……。
愛酒連合というふざけた名目の元集まった面子の豪華さに、疑問を抱くより他にない。
何故なら、どう考えたって、皇帝でもないただの将軍如きが、勝手にこの面子を取りそろえる事なんて出来ようはずもないし、また、その中心に帝妹に過ぎぬ自分の妻が座れるはずもないのだ。
しかも、おそらく、先の獣人の王の発言からして、この会談は帝国にも知られぬ秘密裏なもの。それを一介の将軍、しかも、女将軍という身分にあるものがやってのけるからには。
……おそらく、相当の準備があったに、違いない。
思い当たった答えに、リュートの全身から、どっと、脂汗が吹き出す。
外で見た士気高い第三軍の兵士達。
虚偽の暴動に、のこのこと乗り出したこの女傑。
元老院によって仕組まれ、この妻によってぶち壊された結婚式。
そして、そこに来賓として呼ばれたこの首脳達。
皇宮で再会した皇帝の病に、魔女と蔑まれた侍女。
グラナ邸で出会ったハーレムの女達に、加えて、交易都市で出会った闇商人が握っていた機密事項。
この国に来て、起こった出来事の全てが、リュートの脳裏をぐるぐると駆けめぐる。
いや、それだけではない。
あの有翼の国で出会った糸目騎士も。
そして、平原で死に絶えたサイニー将軍が残した言葉も。
そして、あの幼き日に、遺骨となって戻ってきたヴァレルという父でさえも。
「――どうした、婿殿。顔が、真っ青じゃ」
そうにやりと笑いかけてくる、この姑に。
「何なら、妾が介抱してやろうか? 二人っきりで、な」
そう肩に手を置いてくる、この雌蟷螂に。
――全て。
そう、全てが。……繋がると、したら。
ぞわり。
ぞわぞわ、ぞわり。
一瞬で、寒気が背筋を駆け抜ける。
怖い。怖くて、堪らない。
だが。
知りたい。知りたくて、堪らないのだ。
その思いが体中を貫くと同時に、リュートは肩に置かれた手を振りほどいていた。
「――教えろ、姑殿。僕に、全てを教えろ。言わないなら、力ずくでも喋らせるぞ」
そして、そう、勢い任せに姑の首元に掴みかかれば。
雌蟷螂と揶揄される女の口からは、てらり、と光る舌が覗いていて。
妻のものによく似た、たっぷりとした唇からは、まるで誘惑でもするかのような台詞が飛び出す。
「よかろう、婿殿。この場は娘に任せて、ゆるりと語ってやろう。……二人きりで、な」