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第九十話:女傑

「さてさて。何が望みだ、有翼人の男よ。金さえ払えば、何でも用意してやるぞ」

 

 また、ぱしぱしと小気味よい音を響かせて、菱形の粒が軽快に弾かれる。

 聞けば、この道具、『算盤(そろばん)』という小人族独特の計算道具らしい。仕組みはよく分からないが、この菱形の粒を弾くと、どんな計算でも素早く正確に出来るのだとか。いやはや、世界には実に面白い道具があるものだ、とリュートは改めて感嘆せざるをえない。

 あの挑発的な挨拶の後、有翼人逃亡者リュートと、モグリの闇商人ヒルディンは、カウンターから酒場の隅のテーブル席に場所を移し、丁度向き合う形で椅子に腰掛けていた。と、言っても、闇商人の方は、大人になっても背丈の低い小人族である。椅子に独特の分厚い底板を敷かねば、テーブルの上を見ることも出来ない。

 改めて見てみると、このヒルディンなる人物、相当、歳は、いっているに違いない。刻まれた皺の数など、リュートとは比べ物にならぬほど多いのだが、その背丈や声はまるで子供で、リュートにとって見れば、少々どころか、かなりの違和感を覚える民族だ。

 

「ふうん。小人族か。結婚式にも居たような気がするけど。に、しても変な民族だな」

「な、何を言うか、この鳥めが。我が輩ら小人族の力を舐めると怖いのであるぞ。小人族は、国こそ、帝国配下の小さな属国だが、その商才は、どこの民族よりも優れ、この大陸の経済は、我が輩らが裏で糸を引いておるといっても過言ではないのであるからな。我が輩のようなモグリから正規の商人まで、小人族の商売情報網は、帝国一だ」

 体は小さくとも、馬鹿にするでない、と言いたげに、小男はまた、ぱちり、と算盤を一つ弾いて見せた。

「なるほど。武力の代わりに、その商才で生き残った民族達、というわけか」

「左様。まあ、帝国人は我が輩らのことを、高利貸しのチビ助と馬鹿にする者もおるが、それでも借金をしにくるのだから、結局、我が輩らの経済力は無視できないのであろうよ。加えて、我が輩ら、帝国中を旅しておる商人故、その知識も帝国人より遙かに優れておる。敬え、敬え」

 

 そう言って殊更にふんぞり返るのは、やはり、どこかにチビ助だ、とからかわれる劣等感があるのだろう。なんだか、身を少しでも大きく見せようとする小男の努力が、微笑ましいものに見えてきて、リュートは先までの挑発的な態度を緩めて、思わず、くすり、と笑ってしまったのだが。

「ああっ! 何だ、その態度は! 奴隷民族の鳥の分際で! 畜生、少し綺麗な姿をしているからといって、調子に乗るでないぞ! いいだろう、貴殿の欲しい物、みんな高額で吹っかけてやるとも」

「……ああ、ごめん。悪かったって。もう笑わないからさ。それより、早速商談と行きたいんだけど。まず、とりあえずは……」

 

 

 

 

 

「サーシャ、お前さん、本当に変な男を連れてきたな。男の有翼人で、こんなに自由に歩き回ってるのなんか、俺ぁ、初めて見たぜ」

 酒場の隅の机で、闇商人と対等に渡り合う有翼人の男の姿に、流石の酒場の主人も、驚きを隠せないらしい。長年、この都市で酒場を開いているが、女奴隷以外で、有翼人の客など来たことがない。ましてや、この奴隷にそぐわぬ不貞不貞しい態度。思わず、夜の仕込みである芋の皮を剥く手を止めて、テーブル席を注視してしまう。

 この酒場に来て、男がフードを脱いだため、嫌でも目に入る、緩く結わえられた金髪と、碧の目。長く、酒場の主を勤めてきても、見たことのないその美しさに、思わず嘆息してみせる。

 

「労働用の男の有翼人は、工事現場で見たことがあったけどよぉ。それにしても、あの兄ちゃんは破格じゃねえか。何ていうか、他の人間と違って品があらぁな。それに、あの金髪、どんな民族だってお目にかかったことがねえくらい綺麗だなぁ。ありゃ、高値がつくだろう」

「ええ。私も驚きました。まさか、同族の方が助けてくれるなんて、思いもしなかったから……。それに……」

 ちら、と恥ずかしげにサーシャの瞳が、金髪の同族の目に向けられたのを、マスターは見逃さなかった。

「おいおい。なんでぇ、サーシャ。お前さん、あの兄ちゃんに、早速惚れちまったのかい。まあ、綺麗な碧の目、してるもんなぁ」

「……えっ。ええっ? ち、違いますよ、マスター。私、そんなんじゃ……。た、ただ、あの外套の下の白羽は、私もとっても綺麗だと思いましたけど……」

 まるで、初恋の少女のように、そう頬を染めて、サーシャが取り繕う。そして、動揺を極力悟られまいと、芋を剥く作業を手伝いながら、今度はその目をちら、とカウンター席の隅へと滑らせた。

 そこには、相変わらずに、飲んだくれた年増の売春婦が一人。そして、彼女の荷物だろうか、カウンター奥には長い棒状の包みが一つ。

 何度かこの酒場に来たことがあるサーシャだが、見たことのない顔だ。新入りだろうか、それにしては歳が行き過ぎているし、大体が、娼婦の仕事は夜からであるというのに、こんな真っ昼間から飲んだくれて大丈夫なのだろうか。

 心配になって、サーシャが、マスターにその旨を問う。

 

「ああ、気にすんな、あの婆は、ここ最近時々やって来て、いつもああして一昼夜飲んだくれてるんだ。なぁに、そのうち、いつもの迎えが来らあな。それよりも、俺ぁ、もう少し、芋持ってくるからよ。ついでに、外の様子も見てきてやるから、ここであの兄ちゃんと待っててくれや」

 

 そう答えると、マスターは、飲んだくれる年増の女に二言三言声をかけて後、一人、裏口から、外へと出て行ってしまった。

 

 

 

 

 

「なるほど、なるほど。当面必要なのは、水、食料、それから地図か……。夜までには用意できるが、そのかわり、特急料金を加算させて貰うから……、これだけな」

 ぱちぱち。

 算盤の目が、一桁多く上げられる。これには堪らず、算盤の使い方を覚えたてのリュートの指が。

「馬鹿言え。このぼったくりチビが。これくらいが、妥当だ」

 ばちり、と元の値段から三割増し程度の金額を弾く。

「何だ、何だ、けちくさい鳥め。貴殿らのような奴隷民族と対等に商売してやるだけありがたいと思うがいい。……に、しても、貴殿、一体誰からそんなに逃げたいのだ? 今、酒場の主人が、外の様子を見に行ったようだが、まさか……」

「気にするな。僕は、押しかけ嫁から逃げたいだけの哀れな夫だ。それよりも、即金でこれだけ払うんだから、もう少しまけろよ」

 この不貞不貞しい値切りに、この年季の入った商人も、この男は、思ったより一筋縄ではいかない、と悟ったのだろう。堪らずに、浮かび上がった汗を拭おうと、その懐から布きれを取り出そうとした。

 だが、その時。

 

「何だ、これ」

 

 誤って懐から、布きれと共に、小さな巾着がこぼれ落ちた。それを、思わず、リュートが拾い上げてみせると――。

 

「だ、駄目だ! それを返せ!!」

 

 今までの態度から一変、噛みつかんばかりの勢いで小男がリュートの手に掴みかかってきた。

「こ、これは、貴殿が一生かかっても払えぬような高額商品だぞ! 触るな!!」

 この動揺に、無論、この男がつけ込まぬ訳が、ない。

 

「ほぉう……。高額商品、ね。興味あるな」

 そうにやり、と嫌な笑いを漏らすなり、小男の制止を振り切って、巾着の中身をあらためる。

 と、その中には。

 

「干し草……? それに、何かの書類か?」

 

 未だ、リンダールの文語には明るくないため、何の書類かまではリュートには判別出来ない。だが、その干し草の方だけは、酷く見覚えのあるものだった。そう、忘れもしない、あの平原の戦――。

 

「飛竜草か、これ?」

 

 あの戦で、そして、愛竜ブリュンヒルデを調教するのに使った干し草に相違なかった。確か、母竜の香りに似ているとか何とか。だが、この国に来て、それを目にすることは一度としてなかった。竜騎士の国に来た、というのに、一度も、だ。

 だが、そのリュートの内心の疑問よりも、遙かに小男が抱いた疑問は大きかったらしい。丸眼鏡の奥の瞳をふるふると振るわせて、信じられないといった様子で尋ねてくる。

「き、貴殿。な、何故、これが飛竜草だと知っている……? い、異民族の、それも奴隷身分の貴殿が、どうして?!」

「ど、どうしてって……」

 考えてみれば、当たり前のことなのだ。この帝国の繁栄を支える騎竜技術は、国の最重要機密であるわけだから、その技術は、リンダール人にしか伝えられないし、また、伝えてはならないものなのだろう。それを知っているリュートはおかしいし、また、その技術の要である飛竜草が、おいそれと出回るわけはない。ましてや、それが異民族の手になど――。

 と、そこまで考えて、思い当たった答えに、今度はリュートが問いを返す番だった。

 

「そう言うお前こそ……。小人族のお前が、どうしてこんなもの持っているんだ。しかも、商品とかって……」

「い、いや、これは……、その……」

 

 互いに、気まずい沈黙。

 何しろ、帝国の最重要機密である。それを知っている男と、互いに対峙しているのだから、これが、内心、穏やかでいられるはずがないのだ。

 

 このヒルディンという異民族に知られる騎竜技術。

 そして、リュートには、当の竜騎士ロンヴァルドからもたらされた騎竜技術。

 

 あの糸目騎士ロンから聞いた言葉が、ぐるぐるとリュートの頭の中を駆けめぐる。

 

 ――『川の流れは、絶対に逆流しない。一瞬、堰き止める事が出来たとしても、後に待つのは、決壊と、堰き止められた水による洪水ダケ』

 

 その言葉が、最後に脳裏に浮かぶと同時に、リュートは即座に闇商人へと詰め寄っていた。

「おい、商人。お前の知っている情報を知りたい。話せ」

 

 だが、流石は闇商人というだけある。極上の情報をほいほいと話すわけもない。

「くけけ、有翼人。貴殿も何か訳ありのようだな。だが、我が輩を舐めるなよ。商人がただで情報を差し出すわけがないだろうが。……そうだな、あと、二十万リーブル即金で用意してくれたら、触りくらいは教えてやらんこともないが」

 商魂逞しいというか何というか。

 あれだけぼったくっておいて、まだ金を巻き上げようというのだから、小人族というのは根っからの商人なのだろう。だが、リュートにしてみれば、これ以上の出費は、今後の事を考えるとしたくはないし、また金銭強奪行為をしようにも、外にはそろそろ紅玉騎士団が配備されている頃である。うかつにふらふらとは出られない。

 まさに、八方塞がりな状況なのだが、それを小男も悟ったのであろう。にやにやと、人の足下を見るような視線を丸眼鏡の奥から送ってくる。

「さあ、どうする? 言ったであろう? 闇商人と取引するからには、破産覚悟だ、と。我が輩は、びた一文、まけるつもりはないぞ、くけけけけ」

 だが、そんな嘲笑を受ける男は、少しも慌てる様子もなく、しばらく考え込むと。

 

「おい、サーシャ。その芋の皮剥いてる小刀、ちょっと貸してくれないか」

 

 あまりにも、意外な要求。これに、サーシャが洗った小刀を素直に渡すと、闇商人はいささか狼狽えた様子を見せた。

「お、おいおい。我が輩を刃物で脅そうという魂胆か? あいにくだな、商人を舐めるなよ。金にならんことは、一切しないのが、我が輩らの信条だ。ここで、もし、貴殿が力ずくで我が輩に言うことを聞かそうとするのであれば、今後、全ての小人族を敵に回すと思え。さっき言ったように、小人族の情報網は大陸一なのだからなっ……て、おい!!」

 この闇商人必死の抗弁も、不貞不貞しい有翼人には通じていないらしい。サーシャから受け取った小刀の切れ味を確かめるように、きらり、と光らせて見せた。

「や、やめろ! わ、我が輩は何も喋らん! 何も喋らんぞ!! だから、やーめーろーーーっ!」

 

 ざくり、という、何かを切る音が、闇商人の前で響いた。


「……って、あれ?」

 だが、商人は、その身に一切の痛みは感じていない。てっきり、自分の喉元を脅してくると思っていたのに。それを不審に思い、商人ヒルディンが、恐る恐るその目を見開いてみると、そこには。

 

「これ、高値で売れるだろ? 聞けば、この大陸には金髪は居ないと言うし」

 

 男の後頭部で一つに結わえられていた金髪が、ざっくりと、切り取られていた。

 それこそ、惜しげも、ためらいすらもなく、いとも簡単に。

 

 この行動には、流石の闇商人も、目を見開いて、吃音混じりに答えるしかない。

「あ、ああ、ああ。ま、まあ、そりゃ、高くは売れそうだがな……。(かつら)にするには、少し量が足りないが、まあ、部分的な付け毛にすれば、帝国人の金持ちが喜んで買いそうだ。しかし、貴殿、思い切ったことをするな……」

 背に垂れるほどの長かった金髪の束。その黄金に似た魅惑の輝きが、きらきらと商人の前で揺れている。実に、珍しく、そして、貴重な髪の色なのだが、当の本人はそれを少しも惜しむ様子はない。不揃いな短髪になってしまった髪を整えるように、また刃を頭髪に当てながら、あっけらかんと答える。


「別に、こんなの産まれたときから生えている毛だ。髪に拘るなんぞ、女でもあるまいに。じきにまた生えてくるし、どうってことないだろ。それよりも、これ、買うのか、買わないのか」

 たかが、髪の毛。だが、この国ではいない、金髪の毛だ。希少価値は、格段に高い。これに、小人族の商魂が揺さぶられぬわけがなかった。

「わかった。買ってやる。それにしても、貴殿自身は、一体どれだけの値が付く奴隷なのだ。その白羽も、我が輩はこの国で見たことがないし――」

「知らんよ、他人が決めた自分の価値なんぞ。僕は、ただのはねっ返りの山猫さ。それより、その髪を買うというなら、お前の知っている情報、売ってくれるな? いいから、話せ」

「……よかろう。しかし、この髪の金額相当の分だけな。それから、夜までに品物を用意しろ、というなら、今から準備せぬと間に合わぬ。先に手配をしてきてからで良いか? 少々込み入った話になるだろうし……」

 そう言いながら、商人は、先に落とした巾着と共に、貴重な金髪の束をそそくさと懐にしまうと、高い椅子から、軽快に飛び降りて見せた。

 

「おいおい、それだけ持って行って、後は、はい、さようなら、という気じゃないだろうな」

「ば、馬鹿にするでないわ。我が輩ら商人は、信用こそが第一なのだ。代金貰って、商品は渡しません、では、同族達からもつまはじきにされてしまう。そうなれば、本当に商売上がったりであるから、我が輩は、きちんと情報は渡すとも。それでも信用出来ないなら、食料品の代金は後払いでいい。ああ、ちなみに、小人族の取り立てのしつこさは、帝国一であるゆえ、努々(ゆめゆめ)代金を踏み倒そうなんぞ、思わんことだ。では、また、後ほど。面白い有翼人の男よ」

 


 それだけ言い残して、閑散とした酒場を後にする小男の後ろ姿に、リュートはふう、と深いため息をつく。

「なんというか……。面白い大陸だな。人種の坩堝(るつぼ)……。違う『人』と『人』が交わり、そして、暮らす、というのは、僕ら、有翼の民が想像するよりも遙かに複雑だろうに。人種の壁は、時として、『人』を人として扱わず、弱きもの、劣るもの、として定められれば、否応のない支配と、滅亡が待っている……」

 市長の輿を担いでいた奴隷として使われる、国も持てない民。そして、全て滅ぼされたというあの女騎士ジェックの民。そして、遠き北の大地の有翼の民。

 その他様々の民族の悲劇と怒りを敷石に、繁栄するこのリンダール帝国。支配の根幹を成す騎竜技術に、そして、それを知る小人族。

 この交易都市に来て、ようやく、リュートは帝国のなんたるかが、分かり始めたような気がしていた。

 

「あの、糸目騎士ロンが『見てきたらいい』、と言ったのは、この事だったのか? だが、あの男、一体、何のつもりで……」 

 未だ、自分の捕虜として、有翼の国に留まったままの騎士の真意について、リュートは再度、思い馳せる。それと同時に、心にかかるのが、いつか皇宮で見たこの大陸の全図だった。

「あの地図が誇張をしていないのであれば、……帝国は危うい。それを使わない手はないが、やはり、僕一人では……。エイブリーは、……多分、死んでしまっているだろうし。……あれは、完全なる、僕の失態だったな。彼を、連れてくるべきではなかった……」

 

 そう後悔の念に苛まれて、リュートがぐっ、とその唇を噛みしめた、その時だった。

 

「――サーシャ! 逃げろ!! し、市長が……!!」

 

 外に芋を取りに行っていたマスターが、突然、入り口から飛び込んできた。

 おそらく、何者かに 暴行を受けたのだろう。顔には、先まで無かった打撲痕がありありと浮き出ていた。

 

「ま、マスター! ど、どうしたの……」

「いいから、そこの兄ちゃんと逃げろ! お前達がここにいるのは、ばれて……うっ!!」

 

 ばきり、という再びの殴打の音が、マスターの巨体をなぎ倒していた。

 その後ろから、現れた者達。それは、市場で市長の護衛をしていた兵士達に加えて、先にリュートが金銭強奪をした被害者――リンダール人の悪漢達だった。

 

「おい、そこの鳥! さっきはよくも俺たちの財布を盗んでくれたなぁ。借りは返させてもらうぜ」

「さっきは油断しちまったけど、二度目はねえぜ。こっちには、市長様もついているんだからなぁ!」

 

 そして、その言葉に促されるように、兵下達の後ろから、肥満体の男が現れる。

 

「お前達、よくこの界隈に鳥二人が逃げたと通報してくれたな。サーシャ、私から逃げられるとでも思ったのか? この界隈にいるとしたら、お前が行きそうな所は、この店付近しかないからな。しらみつぶしに探ってみれば、ほうれ、案の定」

 

 どうやら、逃げた有翼人二人の居場所を教えろ、と、市長が即座に布令を出したのだろう。それに、この悪漢達が応えて、居場所を特定されたに違いない。

「ああ、糞っ。しっかりトドメ刺しておけばよかったな、あいつら」

 と、リュートが後悔しても遅し。瞬く間に、酒場の入り口という入り口は、兵士と悪漢達によって、封鎖されてしまった。

 

「へっへっへ。見ろよ、あの鳥二人。雄と雌、つがいで高く売れらぁ」

「なあ、市長様よ。通報したんだから、礼金弾んでくれよなぁ。ついでにあの凶暴鳥捕らえたら、追加金も貰うぜ」

 数の上では確実に優勢のため、今度は必ず勝てると踏んだのであろう。悪漢達は次々と舌なめずりをして、構える有翼人に迫ってきた。それに対して、市長も、変わらぬ不快な笑みを浮かべると、懐から取りだした紙と、男の有翼人の姿を交互に見比べて答える。

 

「何々……。『金髪に、碧の目、それに白羽の若い有翼人の男』、か。元老院議員様からの書簡に書いてあったとおりだな。帝国第二軍サイニー将軍を殺し、帝妹を攫った大逆人か。そして、今、外で検問をしている紅玉騎士団の主、帝妹エリーヤ様までも、この男を躍起になって捜していると言うし……。さて、元老院と帝妹、どちらにこの男を売るのが得策か……」

 思っても見ない、上等の獲物。

 高く売れる、というだけではない。元老院なり、帝妹なりの中央の権力者にすり寄ることの出来る絶好の機会を運んできてくれる鳥である。これに、強欲な市長の触手が伸びぬはずはなかった。

 

「よぅし、どちらに売るかは、後で決める! とりあえず、捕らえろ、皆の者ぉ!!」

 

 ばしり、と鞭が一振りされ、市長の命に従うように、兵士と悪漢達が動く。

「……ちっ! ヒルディンから、先に剣も買っておくんだったな!」

 まさに、多勢に無勢。サーシャはただの女。とても戦力にはならぬし、酒場のマスターは既に伸されている。リュートの手にあるのは、先に髪を切った小刀だけ。これでは、さしものリュートも、危機感を覚えるものの――。

 

「誰が、負けるか、この野郎!」

 負けん気だけは、変わらずに折れなかった。伊達に、白の英雄として、死線をくぐってきてはいない。こんな兵士の一人や二人、小刀でも相手に出来る。あとは、武器を奪えば、凌げるだろう。

 と、リュートが踏んだその先で。

 

「――きゃあっ!!」

 

 悪漢達が、カウンターにいたもう一人の有翼人、サーシャの方を襲っていた。

 これには、今、兵士達の相手をしているリュートも、咄嗟に助けに行けず。

「おとなしくしろ、雄鳥! この雌鳥がどうなってもいいのか!!」

 

 市長からは、悪党のお手本の様な台詞。これには、さすがにリュートも呆れ果てるものの、何の罪もないサーシャの命を犠牲にすることは出来ない。その小刀を渋々下ろして見せる。

「だ、駄目、リュート様! わ、私はこんな奴隷生活慣れてますから! 私はいいから、貴方だけでも逃げて!!」

「黙れ、雌鳥! お前にも、後でたっぷりと仕置きを科してやるからな! それから、この酒場の店主もだ! 鳥たちを匿った罪で、この店も取り上げてやろう。ふふ、ここにまた売春宿を増やすのもいいな。ピンハネをすれば、この私の懐もさらに潤うし、なにより、女だ、女!!」

 この男、心底下衆なのだろう。女好き、というよりは、女を貶めて、辱めるのが何よりも好き。そんな顔をしている。

「げへへ、また若い娘奴隷でもかっ攫ってきて、ハーレムといくかな。最近、この辺りも娼婦の質が落ちたし、この市長自ら、女の水準を底上げしてやるとしよう。とりあえず――」

 サーシャの顎をきつくねじ上げるその先で、市長の視線が、ちら、とカウンターの隅に滑る。

 そこには変わらず酔いつぶれている年増の娼婦と思しき女が一人。リュート達の危機だというのに、構わずに、その顔をカウンターに突っ伏して、潰れているのだから、実にいい気なものである。

 その不貞不貞しさに、流石の市長も嫌悪感をもよおしたらしい。ちっ、と舌打ちの後、サーシャの顎から手を離すと、伏している娼婦の黒髪を掴んで、顔を上げさせようとした。

 

「まったく、こんな婆、即刻首だな。こんな年増の娼婦なんぞ、萎えるだけだ。女はやはり、若いのに限る――」

 

「――おい」

 

 市長の台詞が、遮られる。

 他でもない、彼が掴んだ黒髪の下から投げかけられた声によって、である。

 抗うことなど、出来ないような、獣に似た、その声。それだけでも、迫力があるのに加えて。

 

「あっ! あいだだだだだっ! な、何をするっ!!」

 

 物理的に、口封じ、とでも言おうか、市長の口が、奇妙に握り潰されていた。しかも、片手。人の三倍をあろうかという市長の巨体を、女の片手で、ねじ上げているのだ。

 そして、長く垂らされた黒髪の間から、尚も吐き出される低い声音。

 

「誰が、年増だ、この豚野郎。まさか、貴様、帝国人の分際で、(わらわ)の顔を忘れたとは言わせぬぞ」

 

 その言葉と同時に、黒髪の間からは、まるで鬼神のごとき形相の女の顔が覗く。年増の娼婦、いや、そんなものではない。リュートが今まで見たことがないほどの、迫力のある――そう、まるで獲物を捕まえる猛獣の様な――。

 

「あ、……あ、貴女はっ……! ま、まさかっ!!」

 

 見せられた顔に、思い当たるところがあったのだろう。市長の顔が一気に青ざめる。だが、それも、一瞬。

 

「――ぐ、ぐげえっ!!」

 まるで、潰された蛙の如き声音とともに、市長の顔が砕けていた。

 

 一撃。それも、女の拳、一撃で。

 あっさりと、大の男が失神。

 これに、居合わせた者全てが、押し黙らぬはずがない。無論、英雄と謳われたリュートとて、例外なくに。

 

 だが、その周囲の視線を受ける年増の女の方は、一向に構う様子はない。今まで飲み干した酒瓶をいくつかその手に取ってみせると。


「どいつもこいつも情けない男であるな。女を人質にとって交渉か。反吐が出るわ。不快じゃ、下衆共め。……()(つくば)れ」


 それを、ためらいもなく、次々と悪漢の顔に投げつけて見せた。

 一分も外れぬその命中。こちらも、一撃で、悪漢共を見事に、床へと打ちのめす。残るは、リュートを捕らえんと得物を構える兵士達のみ。

 その兵達に、年増女は、またも黒髪の間から、ぎらり、とその目を光らせると、何か意味があるのだろうか、兵達の体つきを上から下まで舐めるように観察して見せた。

「何じゃ、どいつもこいつも情けない体つきをしおって。これが、帝国を支えるべき兵とは笑わせるわ。さしずめ、この市長と共に、惰眠と暴食に浸っておったのであろうに。……ちっ、よいわ、ここは妾じきじきに稽古をつけてやるとしよう」

 

 この言葉に、兵達は何かを本能で悟ったのであろう。即座に、その得物をリュートから年増女へと向けてみせる。

 だが、女は、向けられる剣や槍に、一分の恐れも見せることはない。その堂々たる体躯を上げて、すらり、と兵達の前に立ち塞がると、カウンターの奥に隠してあった包みをその手に取った。

 女の身長以上もあるかという長い棒状の物体。それに巻かれていた布が、女の手ではらり、と解かれる。

 そこから現れた物――、それは、リュートが見たことのない武器――、棒の先端に、槍の穂先と、斧の頭が付けられた、そう、丁度槍と斧が合わさったような独特の武器。そのいかめしくも、特徴のある形状に、兵士達が一斉に戦慄する。

「……戦斧槍(ハルバード)! ま、まさか、その武器っ……!」

 

「妾の得物、止められるものなら、止めてみよ。この、腑抜け共が」

 

 その武器が、女の言葉と共に、一瞬で消える。リュートが、女が一気に前に踏み出したのだ、と気づいた時には、もう、武器が兵士の体に次々とめり込んでいて。

「何じゃ、女をどうにかしたかったのではないか? 妾なら、いつでも相手をしてやるぞ。ただし――」

 そして、その動きの素早さに驚愕し、白羽を震わせた時には、もう遅く。

 

「この、雌蟷螂(めすかまきり)と揶揄される妾の相手が務まるのであれば、の話だが」

 

 仕事を終えた戦斧槍が、死屍累々と兵士が横たわった酒場に、がつり、と鈍い音を立てて打ち立てられていた。

 おそらく、兵士全員、致命傷ではないが、急所ばかりを的確に狙われたのだろう。床に横たわったまま、ぴくりともしない。動くものと言えば――、そう、一仕事終えて、鬱陶しげに掻き上げられる女の黒髪だけ。

 

 この、見事なまでの一掃に、流石のリュートも、言葉がない。無論、助けられたサーシャも同様に、言葉の出ぬ口をぱくぱくと魚の様に動かしている。

 そんな中、黒髪の女は得物である戦斧槍を、くるり、と器用に回すと、再びその髪を掻き上げて、有翼人二人の方へと向き直った。

 

 肩までかかる流れるような黒髪。そして、おそらく、若いときにはとびきりの美女だっただろうと思われるその整った顔立ち。強いて言うならば、黒豹だろうか。しなやかな体と、肉食動物を思わせる鋭い視線が、実に印象的だ。歳は、よく分からないが四十代ほどに見える。その年相応の小じわが、また、女に特有の威厳と、風格を与えていて。

 まさに、女傑と言うに、相応しい堂々たる出で立ち。

 それは、とても、先の飲んだくれた娼婦崩れの様な姿からは、想像が出来ない豹変ぶりだった。

 

「――おい、そこの鳥のつがい」

 

 先に市長達を打ちのめした声音と同様に、迫力のある掠れた声が、リュート達に投げかけられる。そして、変わらぬ肉食動物の視線も。

 これに、即座に、リュートが警戒を強める。

 

 ……この女、ただ者ではない。この特殊な武器を使う手さばきといい、動きの速さといい、娼婦どころか、かなりの手練れだ。

 加えて、こちらには、剣もないし、足手まといのサーシャもいる。

 何か攻撃をされれば、おそらく……。


 と、内心で戦慄するリュートに、さらに圧迫感を与えるように、女の見事な体躯が近づいてくる。

 引き締まった腰、そして、太い腿。

 ……こつり、こつり。

 踵の高いサンダルを履いた足が、リュートに迫る。

 この女の迫力に、何故だか、足が動かない。あっという間に、間合いが、詰められる。気づけば、襟元が掴み取られていて。このままでは、不味い、とそうリュートが思う先で。

 

 近づいた女のたっぷりとした唇からは、意外な、一言。

 

「気持ち悪い。吐きそう」

 

 ……一体、何を言われたのか。

 意味が分からず、再度、リュートが女の顔を見遣ると。

 

「もう、……限界」 

 先の迫力から一転、真っ青な顔でそう言いながら、女が、口を押さえてせり上がるものを必死で堪えている。これには堪らず――。

「ば、馬鹿っ! や、止めろ、こんな所で!! この、年甲斐もない酔っぱらい!!」

 即座に、リュートがカウンター後ろにあった桶に手を伸ばす。そして、その桶が構えられるや否や。

 

「う、うええええぇぇ……」

 

 見事な、吐瀉。

 恥じらいも何もない。ただ、酸っぱい臭いと、年増女の獣のような声だけが、酒場には充満し、さっきまでの緊張感が跡形もなく、砕け散る。

「……な、何なんだ。何で、僕がこんなおばさんの介抱を……」

 そう遠い目で呟くも、目の前の女の吐瀉は止まらず、リュートは仕方なく、その手で背中をさすってやる。

 

 と、その時だった。

 死屍累々の様相を見せる酒場の扉が、突然、開き、そして、甲高い女の声が飛び込んでくる。

 

「ああっ! まーた、飲んでらっしゃったんですか?! 何の為にこのベイルーンに来たと思っておられるんです?!」

 

 まだ若い、少女の声だ。

 その到底この場末の酒場には相応しくない声に、思わずリュートが振り向くと、そこには、知った女によく似た少女の姿があった。

 一言で言えば、若いキリカ。短い髪型も、涼やかな目元も、今、帝都に残っている紅玉騎士団副団長にそっくりである。ただ、ないものがあるとすれば、それは、大人の色気だけだ。彼女が持つ肉感的な体ではない、まだ初々しい少女の体。

 その女にリュートは見覚えがあった。いつかの皇帝と暗黒将軍との謁見の折、乱入してきた帝妹に付き従っていた少女騎士――確か、キリカの娘とかいう女だ。

「まったく、こんな昼間っから飲んだくれて! 大体、ここには姫様をお迎えにいらしたんでしょうに! もう郊外で既に宿営されているというのに、どうして、母親である貴女がこんな所で酒を飲んでるんですか!」

 この小言の言い方までキリカにそっくりである。だが、注目すべきはそんな事ではなく、彼女の台詞の中身だった。

 

 ……『姫様を迎えに』? 『母親である貴女が』?

 

 そう言われた意味を熟考するリュートの前で、年増女はようやく胃の内容物を吐ききったらしい。ぐい、とその口元を拭ってみせると、一分も悪気などないような態度で言葉を返した。

 

「何じゃ、ティータ。お前には、このベイルーンの酒の旨さが分からぬのだな。これだから、最近初潮を迎えたばかりの小娘は困るのじゃ」

「……なっ! そういう下品な事は言わないで下さいと、何度言ったら分かるんですか! 大体、そんな場末の娼婦みたいな趣味の悪い服も着ないで下さいと、口を酸っぱくして申し上げているでしょう! まったく、こんなだらしない格好を列国の皆様に見られたら、帝国の威信に傷が付きます! もっと自覚を持って下さいな!」

 

 ……『帝国の威信』?

 も、もしかして、この女……。

 

 思い当たった答えに、ぞくり、と寒気がリュートの背筋を駆け抜ける。

 考えたくなかったその答え。この、自分の手の中の桶に、げろげろと吐瀉物を吐ききったこの女が。この、うざったげに黒髪を掻き上げて、少女の小言をそしらぬ顔で聞き流しているこの年増が。

 

 思わず考え淀んでしまったリュートの思考に、止めを刺すように、少女騎士ティータの金切り声が、酒場に響く。

 

「もうっ! 聞いて居らっしゃるんですか、――グラナ将軍閣下!!」



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