第八十六話:新居
「は? 何言ってんの。馬鹿じゃないの?」
その返答に、またも、ぴきり、とリュートの額に青筋が浮かぶ。
何が、一体そんなに、頭に来るかって、この台詞。新婚ほやほやである夫に向かって、新妻が堂々と吐き捨ててくる台詞なのだから、堪らない。……この、望まぬ結婚をしてやった、もとい、させられた哀れな夫に対して。……しかも、残してきた同胞を助けたいと懇願し、頭まで下げる、この元英雄の夫に対して、である。
「え、エリー……。お前な、いい加減にしろよ。こうして、『旦那様』が、わざわざ頭下げて頼んでるんだ。貞淑な妻なら、そこは、『はい、かしこまりました。貴方様のお言いつけどおりに』、だろうが」
「はあ? 貞淑って、何それ? 馬鹿じゃないの? それに、『銀髪の従兄弟を助けに行かせてくれ』なんて、そんな愚行をこの私がはいはいと許すと思って? 一体、何の為に苦労してあんたを結婚式から連れ出したと思ってんのよ! あんたは、私の夫よ。どこにも行かせないわ」
「何を恩着せがましく、連れ出してやっただ。僕は自分で脱出計画立ててたんだ。お前の世話になんかならなくても、自力でエイブリーと一緒に脱出出来たんだよ。それが、お前のせいでエイブリーを一人置き去りにしてきてしまったんだから、彼の救出をお前が手伝うのは当たり前のことだろ。いいから、黙って、この旦那様の言うことを聞け! このクソ嫁!」
「は? 何、亭主関白気取ってんのよ、このヒモ旦那は。あんたと狐ちゃん二人で逃げ出した所で、住む場所もないってのに。今、こうして素敵な新居があるのは、一体誰のおかげだと思ってんのよ」
そう言って、新妻が、堂々と指したその背景には――。
リュートが想像していた以上の、豪邸の姿。先まで暮らしていた皇宮には到底敵わないものの、帝都の端にあるこの邸宅は、その広さ、豪華さ、共に、この国でもかなり上等な部類に入るであろう見事な屋敷だった。聞けば、この家は、新妻エリーヤの母親であるグラナ将軍の持ち家である事から、『グラナ邸』と呼ばれているらしい。
外から見ると、基本、赤茶けた煉瓦造りの乾いた建物であるが、中に一歩入れば、そこは別世界。乾燥した外観からは一転、床に敷き詰められた精巧な織りの絨毯に、細かい細工の調度品。果ては中庭には棗椰子に囲まれた泉に、その水を引いた家庭菜園まで備え……と、もう、至れり尽くせりの楽園だった。
だが、その楽園の一角に、豪華さからはほど遠い、無骨な建物が一つある。
この館の主とその娘、エリーヤが有する独立騎士団――女のみで構成される、紅玉騎士団の宿舎である。ここで、女騎士達は常に寝起きし、訓練に励み、有事があれば、その手に得物を取って戦いに赴くらしい。……いわば、女騎士達の牙城である。
その女の家に、ブリュンヒルデの背に乗って、花嫁と共に到着するなり、花婿は、一人置いてきた従兄弟の救出を、頼み込んだのだが、けんもほろろに断られて、この、早速の夫婦喧嘩、という次第である。
これには新婚夫婦を迎え出た館の侍女や、紅玉騎士団の面々も泡を食った様で、皆一様に、厩舎前でにらみ合う血染めの新婚夫婦を、取り巻くより他にない。そんな中、帰還したキリカが、竜から降りるなり、慌てて二人の間に割って入った。
「もう、何ですの? 来て早々喧嘩なんて。新婚さんなんだから、いちゃいちゃしていればよろしいのに」
「うるさいな、外野は黙ってろ。大体、何だ、新婚さんって。僕はこんな破廉恥女、妻になんかしたくはないぞ。お前みたいな、敵の女はな!」
「はあ? あんたに選択権はないのよ。私が、するっていうんだから、するの。それにね、今、またあんたに皇宮に戻られたら困るのよ。今度こそ、元老院はあんたを殺しに来るわ。そうなったら、私、未亡人になって、また、あの愚帝と娶せられちゃうんだから、まっぴらごめんよ。だから、あの愚帝がくたばるまで、あんたには生きてて貰わないと困るのよ。『神が決めた私の夫』としてね。だから、当分、この館から、一歩も出すつもりはないわよ」
「また、監禁か! 皇帝といい、お前といい……。僕は、そんな鳥籠生活、まっぴらだ! いいから、そこをどけ! 今すぐ、エイブリーを助けに行く! 僕が居なかったら、多分、あいつがガイナス将軍の毒牙にかかる……。そうなったら、多分、あいつは、……しゃべるだろう。あいつは、拷問に耐えられる男じゃない……。有翼の国の情報が、漏れるということは……」
思い当たった、最悪のシナリオに、悔しげにリュートの歯が、ぎり、と鳴る。だが、哀しいかな、このまま皇宮に戻って、一人で従兄弟を助け出せる算段は、今は、ない。どうしたって、この忌々しい『新妻』に頼るより他にないのだ。
そのリュートのいつにない逼迫した様子を、すぐに妻は悟ったらしい。これは、面白いことになったわ、とばかりに魅惑的な提案を持ちかける。
「……そうね。いいわよ、あなた。あの狐ちゃん、助けてやっても。ただし、条件付きで」
「条件?」
相も変わらず、人の足下を見てくる嫌な新妻である。だが、ここで、断れば、エイブリーの命、そして、有翼の国も危ない。自分のプライドと、秤にかけて、どちらが重要かは言うまでもなく――。
「分かった。聞いてやるよ、『奥さん』」
「そ。いい子ね。『あなた』」
夫からの潔い返答に、妻は、血で汚れた口元に、また勝ち誇った笑みを浮かべると、控えていた腹心キリカの方へと、即座に振り返った。
「キリカ。あんたと、紅玉騎士団の諜報部で、あの狐ちゃんの救出、頼むわ。皇宮は何かと物騒だけど――信頼してるわ。私の旦那様からの大切なお願いよ」
「……はい、姫様。可愛い旦那様からの命令ですものね。何とかしてみますわ」
リュートにしてみれば、この女も、妻も、敵国の憎い女である。だが、今は、エイブリーの確保が最優先。流石のリュートもプライドをかなぐり捨てて、かつて対峙した敵に頭を下げてみせるしかない。
「頼む、キリカ。僕からもお願いだ。あの男、嫌味で小者で、……どうしようもないヤツだけど、僕の従兄弟なんだ。頼む、あんたが助けてくれるなら、あいつも喜ぶと思うんだ。あの男、あんたにべた惚れした様子だったし――」
この突然の告白に、諜報部があるという宿舎に戻らんとしていた麗人の顔が、一瞬驚愕し、そして、いつにない、満面の笑みに変わる。
「あらあら……。あの狐ちゃん、そうだったの……。この、私をね」
「そうだよ、キリカ。あいつ、あんたのこと『お姉様』とか呼んで、あんたの奴隷にだったらなってもいいとかまで言ってるんだ。だから……」
リュートの目には、この副団長は、ざっと見積もって、二十代半ばほどに見えている。
……確かに、エイブリーの方が年下ではあるが、このくらいの年齢だったら、釣り合わなくもないだろう。年下から好意を寄せられて、悪い気がするとも思えないし、あわよくば、エイブリーの恋も成就すれば――、と踏んで、リュートはその恋心を教えてやったのだが、実際は、甘かった。
思った以上の言葉が、この麗人から、返ってくる。
「うふふ。じゃあ、尚更助けてあげなくっちゃあいけませんわね。だって、貴重ですもの。三十路越えてから、なかなか寄ってきて下さる殿方、いらっしゃらなくって。しかも、こんなこぶつき女にね。うふふ、ティータに新しいパパが出来るかもって言わなくっちゃあ」
「……え?」
……三十路? こぶつき?
それは、つまり……。
「あ、あんた、子供、居るのか?」
「はい。あの、陛下との謁見の時にも居ましたでしょう? あの、若い女騎士、私の娘ですの。十五の時に産みましたわ。もう、娘も十五になって独り立ちしましたから、第二の人生として、新しい旦那様を迎えるのもよろしいわね。ティータもそろそろ子を産んでも良い頃だし、一緒に孫でも育てましょうか」
再び告げられた事実に、リュートは絶句する。
……十五で出産ということは、十四で妊娠したということであり……。しかも、この見た目二十代の女は、もうすぐ、祖母になりたいとか言っているわけで……。
全てを総合して、リュートが辿り着いた結論は、ただ、一つ。
……ご愁傷様、エイブリー……。
「おーほほほほ。じゃあ、姫様。私もちょっと、未来の旦那様を救出してきますわ。それでは、そちらも、ご夫婦仲良くね。おーっほっほっほっほ」
そう、見事な高笑いを残して、麗人の姿は騎士団宿舎へと消えていった。残されたのは、再び――。
「……それで、不本意だが、聞いてやるよ。何だ、お願いってのは。『奥さん』」
感情の一切籠もらぬ棒読みで、自分の妻をそう呼ぶ夫と、それに対して、勝ち誇った笑みを浮かべる新妻の姿。
まさに、その姿は、双方一触即発状態。ともすれば、たちまち殴り合いそうな新婚夫婦なのだが、そんな中、見守る使用人達を掻き分けて、突然、一人の侍女が割って入ってきた。そして、一言、予期せぬ単語を口にする。
「姫様。旦那様をお迎えする『ハーレム』のご用意全て整いました」
――ハーレム。
その聞き慣れない単語の意味を、館の奥に妻と共に案内されながら、リュートは熟考する。
……『一人の人間が、数多くの異性を妾として侍らせていること』。
おおむね、この認識で、間違いないだろう。だと、するならば。
考え当たった答えに、リュートはその腹の底から、嫌悪による吐き気をもよおした。
何故ならば、この女王蜂の様な女の言うハーレム、と言って考えつくのは、――つまりが、この家の主人であるこの妻が数多く囲っている男妾達を指す、という事であり、そこに、自分もその一人として、迎え入れられる、ということなのであるから。いくら、『夫』であろうが、やはり、それは形式上であり、自分は、この女の奴隷、つまり、愛玩動物に過ぎないわけで、そのハーレムに迎えられるのが妥当というわけだ。
その事実は、プライドの高いリュートにとって、考えるだけ、忌々しくって、仕方がない。
だが、当の妻はそんな夫の燃え立つような内心とは裏腹に、あっけらかんとした笑みを浮かべて、館を先に進んで行く。のみならず。
「あはははっ。大丈夫よー。あんた、一応私の正式な夫だけど、うちの子達には、そんな事、気にするなって言ってあるし。うん、精々、仲良くやってね」
……などとまで、言ってくる。
――何が、気にするな、だ。お前の愛玩動物の一員になるくらいなら。
「居並ぶ男妾ごと、ぶっ潰してやる。何が、ハーレムだ。気持ち悪い」
そう、小さくリュートが吐き捨てたと同時に、辿り着いたのは、グラナ邸の奥の敷地に立てられた、一際瀟洒な館だった。
おそらく、この館の中には、この女が取りそろえた男妾がずらりと列を成しているのだろう。珍しい動物を飼うように、多くの民族から取りそろえられた美男子達が、どうせ、金ぴかと派手に着飾って、この女の寵を得ようと、媚びている……。
そんな所に違いない。
だが、そのリュートの予想は、この破天荒な妻の前に、あっけなく崩れ去る事となる。
「さ、あなた。入ってちょうだい」
何故なら、満面の笑みで妻が招き入れたその館の入り口には。
「………………」
流石のリュートでさえも、絶句してしまった、驚きの光景。
確かに、予想したとおり、この姫を迎えるために、中で、ずらりと人の列が並び、そのどれもこれもが、ようこそ、いらっしゃいませ、とばかりに頭を下げているのだが。
だが、しかし。
リュートが予想した金ぴかの男妾の姿は一人としていなかった。居たのは、それとは真逆にある……女達。ざっと数えて、三十人ほどはいるだろうか。その全てが、女、女……これまた、女なのだ。
そして、もう一つ意外なことに。
「ゆ、有翼の民……?」
その女達の背に輝くもの。それは、間違いなく、リュートと同じ、空を飛ぶための二対の翼だった。
「ど、どうして……」
ずらり、と主人を迎えるために整列した有翼の民。下は十四、五に見える少女から、上は、それなりの熟女まで。そして、それを、ハーレムと呼ぶ、この横で微笑む妻。全てを鑑みて、リュートが出した答えは。
「え、エリー……。お前、まさか、同性愛……」
「ちがーうっ!!」
べしりっ、と軽やかな音を立てて、リュートの頭がはたかれる。
「誰が、女色趣味よ、誰が! 私はノーマルな、男好きよ! この子達が私の妾な訳ないでしょう!」
「はあ? じゃあ、この状況何なんだよ! こんな女達を取りそろえて、お前のハーレムってことは、そういう趣味があるのかと思うだろ? てっきり、気持ち悪い男妾達がいると思ってたのに! 説明しろよ、説明!」
「……ったく。私は、男を何人も飼っておく趣味は無いのよ。確かにここは、私のハーレムだけど、私の為のハーレムじゃないの。私は、このハーレムのパトロンってだけで、私が妾として彼女らを囲ってるわけじゃないのよ。彼女らの主人は、私とは、べ・つ」
言っている意味が、さっぱり分からない。
……パトロンって何だ。主人って何だ。
大体、この居並ぶ有翼の民の女達は、一体どこから連れてきたんだ。
そう頭に疑問符ばかりを浮かべるリュートに、妻は、一言、驚愕の台詞を突きつけていた。
「ここは、あんたの為のハーレムよ。今日から、あんた、この女達のご主人様だから、頑張ってね」
……それじゃあ、私、着替えてくるから、これで。詳細は、そこの女達に聞いたらいいわ、と最後に残して去っていった新妻の顔だけが、やけに、リュートの脳裏をぐるぐると回っている。
何故なら、今、目の前の光景を、直視したくても、直視出来ないからだ。
「ようこそ、新しい旦那様。今日から、一同、心より旦那様にお仕えします」
おそらく、この中で一番の熟女と思われる有翼人女性のその言葉によって、一斉に、頭を下げる女達。そして、その居並ぶ女達から、恭しく差し出される飲み物に、着替え。
……この、状況は、一体?
結婚式に引き続き、今日二度目の硬直が、リュートを襲う。
ただただ、呆然と、目を見開いて、目の前の光景を理解せんと努めるが、……どう頑張っても、無理だ。
どうして、自分が、この女達の主人になるのか。しかも、ハーレムの主人と言うからには、それは、つまり、……そういうことで。
もう、訳が分からなさすぎて、妻の言うとおり、女達に聞くより他にない。
呆然とした頭を何とか現実に引き戻して、リュートは目の前に着替えを差し出す有翼の民の女に詳細を問わんと、その手を取った。まだ、若い二十代前半ほどの薄桃色の羽の女で、そこそこの美人だ。何か、びくびくと怯えた様子なのが、気になるが、同じ民なら、この状況を説明してくれるに違いないと、その手を引き寄せたのだが。
「お、おい、君……」
そこまで、問うたところで、突然、女の手が振りほどかれた。そして、館全体に轟くような、悲鳴。
「――きゃーーーーーっっ!! けだものっ!!」
……け、けだもの?
またも状況が飲み込めず、唖然とするリュートを尻目に、リュートの手を振りほどいた女は、もう狂乱状態で泣き叫んでいた。
「いやっ! 嫌よっ! 私、やっぱり無理よぉ! どんなに美形だって、もう男は嫌っ!! もう嬲られるのは、嫌よぉっ!! お願いっ! お願いだから、触らないでっ!!」
けだもの呼ばわりされた挙げ句、この台詞。ショックを通り越して、もう動けないリュートを前に、一斉に他の女達が、泣き伏す女を宥めにかかる。
「大丈夫、大丈夫よ、カーラ。姫様の話だと、この方、紳士らしいから、決して、乱暴なことはしないって」
「そうよ。前の男達とは、違うわよ。……多分。だから、ね?」
だが、そんな周囲の有翼の民の女達の言葉にも、カーラと呼ばれた女の狂乱ぶりは一向に治まる気配は無かった。髪を振り乱して、悪夢でも振り払わんとでもするように、激しく言いつのる。
「嘘よ! 男なんて、みんな一緒じゃないの! みんな、ハーレムの主になったら、今までの態度を一変させて、私たちを物のように扱ったじゃないの! 私は新しい旦那様なんかいらないのよ! 女と子供達だけで暮らしたいのにっ! どうしてっ!!」
どうして、と言われても、聞きたいのはリュートの方である。
まったくに、状況が掴めない。ただただ、女が泣き叫ぶという、今まであまり直面したことのない事態に、為す術無く佇んでいるだけだ。
だが、そんな呆然とするリュートの足に向けて、突然。
「出てけっ! カーラ姉ちゃんを新しくいじめる男は、お前かっ!」
その言葉と共に、蹴りが食らわされた。
流石に、脛の一番痛い所に食らわされたこの蹴りには、リュートとて堪らなかったらしい。いきなり、この僕を蹴るとはいい度胸じゃないか、倍返しにしてやるよ、とその足下を見遣る。……だが。
「でてけ、でてけっ! ここはぼくたちのいえだぞっ!」
「あたらしいパパなんて、いらないんだからなっ!」
そこには、そう幼い言葉を発する、これまた幼い子供達。その背に翼のある有翼人から、体に獣に似た毛の生えた、おそらく獣人、と思われる子供。果ては、頭に角の生えた少女、と、これまた人間博覧会な数々の民族が揃っている。その全ての子供達が、渾身の力で、ていっ、ていっ、とリュートの脛を蹴ってくるのだ。これには、流石に反撃も出来ず……。
……駄目だ、状況が。……状況が、さっぱり、飲み込めん……。
そう、遠い目で呟いたところで、ようやく助けが入っていた。
「こらこら、お前達。やめなさい。今日来たばかりの方に、失礼でしょう。ここは、このマダム・シェリーに任せなさい」
「すみませんわねぇ、旦那様。驚かれたでしょう」
先に助け船を出した、マダム・シェリーという女性の案内で、リュートが通されたのは、館奥にある、一番上等な部屋だった。聞けば、このハーレムの主人にだけ許された部屋ということらしい。なるほど、悪趣味な程に豪華である。
「お、驚いたも何も……。訳が分からないことだらけだ。頼む、説明してくれ。ええと、……」
「シェリーと申しますよぉ、旦那様。ここの女達は、皆、私の事を『マダム・シェリー』と呼んで、慕ってくれてるんです。このハーレムの中で、一番の年長ですので、何かと取りまとめ役のようなことをさせて頂いておりましてねぇ」
そう挨拶して、茶を差し出す婦人を、改めて見遣れば、確かに。実に、最年長と言って相応しい容貌だった。
一言で言えば……肝っ玉母さん、とでも言うべきだろうか。おそらく四十代くらいなのであろう、その年齢の女性によくある胴回りがご立派な体型。もちろん、胸も、尻も負けじと張り出していて、体つきは一言で言えば、リンゴの様である。加えて、後頭部で一纏めにした髪が、これまた子だくさんの母、といった風体を思わせて、女になかなか免疫のないリュートでも、……実に、親しみやすい女性だった。
「まあまあ、こんな若くて、美形な方が、旦那様としていらっしゃるなんて、こちらも驚いたんですよぉ。だって、私ゃ、産まれてこの方、こんな美男子、お目にかかったことないってほどで。目んたま飛び出すかと思ったんですよぉ、あはははははっ」
「わ、わかったから。い、いいから、説明してくれ。状況が、さっぱり飲み込めないんだ。大体、君たち、有翼の民の女性が、どうして、こんなグラナ邸にいるんだ。しかも、ハーレムとかって……。それに、さっきの異民族の子供達は……?」
「あれあれ、そんないっぺんには答えられませんよぅ。ええ、まあ、まず順序立てて話しますとね、私ら……、『選定』されて、帝国に拉致された元南部の住人です」
「な、南部の? じゃあ、エルダーのか?」
薄々予想はついていたとはいえ、改めて知らされた女性達の素性に、リュートは驚きの声を漏らす。
「ええ。十三年前の第一次侵攻の時から、去年の新皇帝による選定の時まで。ここにいる女達は、皆、帝国に奴隷として連れてこられたんですよ。私も、その一人ですわ。私なんか、一番最初に拉致された時の奴隷ですから、もうこの国に十三年はおりますかしらねぇ」
「さ、最初の拉致奴隷? じゃ、じゃあ……」
「うふふ。十三年前は、私だって、こんなに太ってなかったんですからねぇ。『選定』されて、この帝都で高く売られました。金持ち連中の、愛玩動物としてね」
哀しくも、壮絶な過去をそう語りながら、意外な事に、マダム・シェリーの顔には、怒りも哀しみも、浮かんではいなかった。ただただ、諦めに満ちた、淡々とした眼差しに口調。だが、その態度にこそ、彼女が受けた不遇がありありと染み出ているのだ。
……どうせ、怒っても、哀しんでも、状況は変わらない。
そう思わせられるだけ、十三年という歳月は長かった、ということだ。
「それから、私の他にも次々と有翼人が奴隷として、この国に連れてこられたようですが、私はある金持ちの屋敷の鳥籠に閉じこめられていたので、その辺りはよく知りませんでした。でもね、それから数年経って、当時二十代だった私の容色に翳りが見え始めてきた頃――、私は、また、突然売られたんですよぉ」
「また、売られた?」
そうリュートが問いを返した先で、今まで無表情を貫いていた婦人の顔に、一瞬、暗い影が落ちた。観賞用奴隷として囲われていた生活よりも何よりも、その先の運命こそを呪うように。
だが、婦人は持ち前の年齢相応の経験豊富さからか、その影を一瞬でぬぐい去ると、また、淡々として、リュートに臨んだ。そして、驚愕の一言を彼に告げる。
「はい。売られたのは、有翼人の繁殖施設でした」
……有翼人の繁殖施設。
教えられた事実に、リュートの体の芯に、ぞわり、と何か嫌な物が駆け抜けた。
それは、リュートが皇帝との会話で探り出していた情報……考えるだけで忌まわしい、有翼人を家畜のように扱う施設の事だったからだ。
「この国で、新たな有翼人奴隷を産み出す目的で作られた場所……。そういう認識でいいのか?」
全身に汗をかきながら、リュートがそう問うたその先で、婦人は黙って首を縦に振る。
「そ、その施設は、今でもあるのか? この、帝都に?」
「いいえ。帝都とは違う場所にあります。そこは、……正直、口にするのも憚られますが、……お察しの通り、女が奴隷を産むために、孕まさせられる……。それだけの施設です。そこに、私も売られて、子を産むことを強要させられました」
……それは……。
想像するだけ、吐き気をもよおす、陰鬱な場である。そこは、もう、人間の居る場ではない。家畜……いや、それ以下だ。
その地獄を、この女性は味わってきて……。そして、今でもその辛酸を舐めさせられている同胞達がいる、ということだ。
思い当たったその考えに、リュートの内心に、炎が灯る。
かつて燃やした憎しみに似た、心の奥底に燃えるその焔。それに流されるまいとは思うものの、どうしたって、彼女らの運命は哀しすぎる。
「許せないな……。やっぱり、帝国人はどうあっても許せない……」
だが、そんな炎に水を差すように、リュートはもう一つの疑問にぶち当たる。
「だが、どうして、そこに売られた貴女が、今、ここに? ここは、グラナ将軍の持ち家で、繁殖施設ではないだろう?」
その問いに、婦人はまた静かに一つ頷くと、今度は、少々その口元を緩めて、また意外な言葉を発していた。
「助けられたんです。女将軍様と、その娘であるエリーヤ姫様に」
――助けられた?
あの女と。そして、その母親に、だって?
あまりに予期しなかった答えに、目を見開いて硬直するリュートの内心を慮ったかのように、また婦人はその詳細を語り出す。
「ええ。私、売られたんですけどねぇ。どうにも子供ができなくって。石女だってんで、処分されそうになったんです」
「……しょ、処分?」
「有り体に言えば、殺処分ですわ。美しくもない、そして、子も産めない女奴隷は、いらない、と。そこを助けてくれたのが、グラナ将軍と姫様だったんです。――『いらないんだったら、うちで飼うからちょうだい』と言ってね」
……どうして。
どうして、そんなことを、あの女が。
リュートがそう問わぬうちに、婦人はさらに話を続ける。
「それから、私や他の処分対象の女達は皆、このグラナ邸に引き取られましてねぇ、女達だけの館を与えられたんです。それが、この館ですよ。でも、こうして女達だけとはいえ、大量の有翼人を一度に飼うことは、帝国の法律で禁じられて居たんです。『有翼人のコミュニティが作られるのは、困る』という元老院からのお達しでね」
考えれば、そうであろう。奴隷である有翼人の結束は、帝国にとって好ましい物ではないことは、皇帝にも確認済みの事実である。
空を飛べる者の反乱。それこそが帝国の恐れる最たるものであるのだから。
「それで、ここに引き取られた私らも、すぐに元老院に引き渡されようとしたんですが――、そこで、将軍閣下が、意外な提案をしてくれまして」
「……提案?」
「はい。『この女達は、ここでハーレムを作って、子を産ませるために引き取ったのだから、問題ないだろう。今は女しかおらぬが、じきに有翼人の男を一人住まわせて、この女達に子を産ませてみせる。それなら、いいだろう』と」
これまた、あの姫の母にふさわしいというか、なんというか。実に、大胆な言い逃れぶりである。
「それで……、ここは、有翼人の男一人の為のハーレムとして、認められたってわけか……」
「そうです。それで、次々とまた将軍と姫様は処分される有翼人の女を見つけては、ここに住まわせてくれるようになったんです。勿論、子を産め、などとは強要されません。それから、さっき見たでしょう? 色々な民族の子供達。みんな孤児で、死にそうになってた所を、将軍が引き取ったんですよ。それを私らが、育ててるんです。ええ……正直、ここでの生活は、あの鳥籠生活や繁殖施設に比べたら、……それこそ、楽園のようで」
……自由はないものの、食べ物には困らず、帝国人にも虐げられず。女達だけで、孤児を育て。
奴隷という身分のものにとっては、ここは夢のような生活です。
そう静かに目を伏せる婦人の控えめさが、どうにもやるせなくて。
リュートは、また、その下唇を、ぐっ、と噛みしめた。
「ええ、でもねぇ、一つだけ問題が起こりまして」
女達だけの生活に、救われた心地を覚えたことを吐露したその先で、婦人は、その口から深い深いため息を吐き出していた。
「さっき、言いましたでしょ? ハーレムであるとして、カムフラージュするために、有翼人の男を一人を住まわせた、と。この自称『ハーレムの旦那様』になった男達が、これまた、困った男らでしてねぇ」
「……困った、男?」
「ええ。彼らも奴隷として北の大陸から拉致されたんですが、ここに迎え入れられるなり、……なんでしょうか。男の本性を現した、とでもいうのですかねぇ。皆、ご多分に漏れず、俺は、ハーレムの主だって調子に乗って、ここにいた女達を次々に犯したんですよぉ」
……次々と。ここの……、さっきいた女達を。
意志のない、性欲の捌け口として。無惨にも、女の心もプライドも、何もかも、踏みにじって。
ああ、だから。
ようやく、リュートは先に、『けだもの』と罵った女の狂乱ぶりを理解する。
地獄のような施設から脱したこの楽園で尚、嬲られ、物のように扱われた女の哀しみと怒り。そして、傷は……。自分がどう頑張ったって、受け止めることも、癒すことも出来ないくらいに、激しく、深いのだ。
「それで、怒ったのが、姫様です。女をそんな風に扱う男なんぞ、うちにはいらぬと、二束三文でその男達を立て続けに売っ払ってしまいまして。でも、繁殖名目のハーレムであることを元老院に示す為には、どうにも、新しい有翼人の男が必要だったんです。それで、姫様、私たちに、『この私のハーレムに相応しい男を連れてきてあげるわっ! そうね、私が惚れるくらいの、とびっきりの美形で紳士な希少種ちゃんをねっ!』と仰って……。その後、姫様は奴隷の中から色々ここの主人に相応しい男を見繕っていた様ですが、そんな折、大森林の平定遠征やら、神託たらで、ごたごたとして、逃げるように北の大陸へ旅立って行かれて……」
――それで、あの、出会いか。
かつての、あの南部の森での偶然の邂逅が、リュートの脳裏に蘇る。そして、戦いに、……もろもろの忌まわしい出来事。
あげく、こうして、何故か夫として家に連れてこられて、この、ハーレムの主にもなれ、と来た。
その事実を聞けば聞くだけ。
考えれば考えるだけ。
煮えくりかえる、あの、新妻への怒り。
「私ら、帝国人の事を心の底から憎んでいますけど、でも、やっぱり姫様と将軍様はどうにも憎めないんですよぉ。良くも悪くも……、この国で出来る最高の幸せを与えようとして下さっているんです。そりゃあ、私らだって、奴隷から解放されるのが一番ですけどね。そこまでは、姫様達も出来ないようで」
……何が、幸せか。何が、憎めない、か。
「……ふざけるな」
「旦那様?」
今まで淡々と事実を喋っていた婦人すら驚きを見せるほどに、リュートの体は震えていた。そして、その怒りのままに、婦人を残して、その羽を翻した。
そして、激情に身を任せ、一人、館を飛び出し、向かうは勿論。
「ふざけるな、あの破廉恥女! 一体、どういう了見だ! あの面、いっぺん、ひっぱたいてやる!!」
婦人の引き留めの台詞を後ろに館を飛び出せば、日はもう暮れていた。だが、館に灯る明かりのおかげで、リュートはその目的地を見失うことはない。ただ、黙々と、その明かりが灯る館に向けて、足を進めながら、先に聞いた事実を熟考する。
……殺されそうになっていた同胞を救ってくれ、彼女らが暮らす家を与えてくれたという事実。そして、今も尚、彼女らを養い、庇護してくれているという事実。
それを踏まえて尚、リュートの怒りは治まらなかった。
何故なら、どう考えても、分からなかったからだ。この妻の真意というものが。そして、この夫という立場の自分にハーレムを与えるというその行動が。
「エリー! お前、一体、どういうつもりだ!! 僕はこんな事実、お前から聞いてなかったぞ! 一体、何の企みがあって……」
そう、怒声を飛ばして、グラナ邸の本邸の一室に飛び込んだリュートだったが、その先の言葉は、紡げなかった。
目の前に広がる、彼を絶句させ、その頬を真っ赤に染めさせた光景。それは……。
「あら、旦那様。早速、初夜の夜ばい?」
真っ白な寝間着を纏って、悩ましげに寝台に横たわる妻の姿だった。
おそらく絹で出来ているであろうその寝間着は、肌の露出は多くないものの、かなりの薄手で、横になった妻の腰のくびれや、その上にある胸の膨らみなどを、くっきりと浮かび上がらせている。一見すると、実に、魅惑的な、新妻なのだが……、どうにもリュートはそれを認めたくはない。こんな女の色香なんぞに騙されて堪るか、とばかりに、即座にその目を瞑り、そのままに抗議の声を妻に浴びせかける。
「お前っ! 一体、どういうつもりで女達を助けたんだ! お前も有翼人を奴隷として貶める帝国人の分際でっ! 何だ、今更、良心の呵責を感じて、罪滅ぼしのつもりかっ!」
それに対し、寝台の上の妻は、うざったそうに、その赤毛を一つ掻き上げると、一言、意外な言葉を返す。
「まさか。私が、そんなもの、感じるタマじゃないでしょ。必要だから、しているだけよ」
「……必要?」
あの、有り体に言えば、役立たずの女奴隷達を飼う、ということに、一体、どんな必要性があるというのだろうか。
まったく見当もつかず、思わずその目を開けてしまった夫の前で、妻は、また妖艶に髪を掻き上げて見せた。途端に、ふわりと、艶めかしい香りが、夫の鼻を、くすぐってくる。
「そうよ。今後、私がしようとしている事には、どうしてもあの子達が、必要なの。彼女たちの協力を得るために、私は彼女たちにいい環境を提供して、ハーレムと偽って、援助してあげている。それだけよ。あんたも、その『いい環境』の一つよ。どうせなら、お飾りの旦那様は、美形で、女を嬲らない紳士がいいでしょ? 女に弱いあんたなら適任じゃない。あの森であんたに会う前、ロンからあんたの話を聞いた時から、私、ずっとあんたに目をつけてたのよ。このハーレムに、白羽の美形ちゃんが加わったら、何て素敵かってね」
「ば、馬鹿野郎っ! なんだ、その勝手な理屈! 僕の意志は一切無視か! た、確かに、僕は彼女らを欲望に任せてどうこうするつもりはないけどな! ぼ、僕だってだなぁ!」
「ああら。あんたは私の奴隷じゃなかったの? それに、狐ちゃんを助けて欲しいんでしょ? 断るなんて、出来ないわよ。精々、紳士的な旦那様として、彼女らの力になってやってよ」
本当に、嫌な妻である。とことん、人の足下ばっかりを見てくる。
……こんな、女。こんな、女。
だが、そう歯噛みするリュートに構わず、妻はその体を寝台から起こし、また、しなだれるように、首に抱きついてきた。これまた、途端に、リュートは、体全体で、妻の丸みの帯びた体型を感じ――。
「や、やっぱり大嫌いだ、お前なんかっ! 絶対に、いつか、その寝首掻いてやるからなっ! 今はエイブリーの為に、我慢してやるが……。僕は忘れたわけじゃないぞ、同胞達の仇をなっ!!」
堪らずに、女の体を、暴力とも言える強さの力で、寝台に投げ倒していた。
……きゃっ、といつにない悲鳴を上げて、妻が寝台の上に転がる。その衝撃で、赤い髪が、白い敷布の上に流れるように広がり、そして、緩んだ胸元からは、中に隠されていた谷間が露わになって。それに加えて、髪の間からはあの、濡れた唇が、てらり、とその姿を覗かせていて――。
これは、……正直、堪らなかった。
即座に、リュートは目の前の光景から目を逸らして、その踵を返す。のみならず、……覚えていろよっ、と、まるで三流の敵が口にするような言葉まで吐いて、そそくさと、妻の部屋を後にするより他にない。
その後ろ姿に、新妻はまた、けだるげに体を起こすと、ふう、と一つ溜息をついて見せた。
「あの女達に、手をつけない、なんて。ま、ひとまず、合格かしらね。あの、旦那様は」
そう一言、夫が去っていった扉に向けて、言い放つと、新妻は、またもうざったそうに流れた髪を掻き上げて、ちら、とはだけた胸元を見遣った。そして、その胸元を飾っていた紐をつまんで、また、一言、不満げに呟く。
「ああ、もう。初夜の為に新調した最高級の寝間着なのに。……意気地のない旦那様ね」
「……何だ、あの女。本当に……」
そうぶつくさと文句を垂れながら、妻のいる部屋を後にしながら、夫が向かったのは、ハーレムのある館からかなり離れた飛竜の為の厩舎だった。もう夜ということもあって、飛竜は逃走防止用の鎖によってつなぎ止められ、それは勿論、リュートの愛竜とて、例外ではない。一体ずつ仕切られた柵の中に、その首を繋がれて、おとなしく餌を食んでいた。
「はあぁ……。ハーレムに帰っても、またけだもの呼ばわりされるだろうなぁ。何なんだよ、もう、この状況は」
柵を上げて、藁が敷き詰められた上に横たわる愛竜にそう声をかければ、喉をぐるる、と鳴らして答えてくれた。慰めてくれるつもりなのだろうか。酷く、うれしい。
「……また監禁なんてごめんだな。とりあえず、エイブリーが確保でき次第、逃げ出す算段をとらなきゃな。あいつ、無事だといいが……」
そう冷静に、言葉を紡ぐその内心で、リュートは、いい知れない違和感を覚えていた。胸の奥を、何かがちくちくと引っ掻いているような、そんな感覚。どうにも心が落ち着かなくて……。自分で自分が制御できない。
こんな、今の自分では。ハーレムに帰ったら、何をするか、分からない。何故なら、自分も男の端くれなのだから。自分の欲望に任せて、自分より弱い者を捌け口にしないとは、絶対に言い切れないのだ。
――本当のけだものには、なりたくないな。
ふう、と溜息をついて、そう思うその口の中が、また、何か熱いものを思い出して。
……ああ、あの女は、僕を喰おうとしていたな。まるで、けだもののように。
そう、昼間のキスに思い馳せる。……だが。
その熱も、すぐに理性の前には砕け散って。
「だ、……駄目だっ! ぼ、僕は何を考えてるんだっ! あの女は、憎い仇で! 僕は、あの女の夫になりにこの国に来たんじゃないっ! 冷静になれ! 冷静に、……祖国の事だけ考えろ。そう、あの国で待ってくれている人の事だけを!!」
そう自分を戒めて、目の前の愛竜の鱗に触れれば、それはほんのりと冷たくて、自分の荒ぶった心を、すうっと、静かに収めてくれた。
――ひとまずは。
やはり当初のもくろみ通り、同胞の協力を得るべきだろう。ここで、同胞の女達に出会えたのは、僥倖だったが、正直、女では心許ない。帝国で事を起こすには、やはり、もっと多くの戦力になる者達、つまり男達の協力が必要だ。
幸いなことに、あのマダム・シェリーは、有翼人の繁殖施設にいた、と言うし、その情報を元に、未だ囚われている彼らを解放すれば……。
そう今後の展望に思い馳せて、前を見遣れば、また愛竜は慰めようとしてくれているのであろうか、牙の並んだ口から、赤い舌をちろちろと出している。その舌に、顔を舐められ、白銀の鱗に体を委ね、金の目を見つめれば、何よりも、心が澄んで――。
「お前と一緒が一番落ち着くよ、ブリュンヒルデ。うん、間違いなく、この屋敷で、お前が一番の美人だ」
気がつけば、リュートの意識は、愛竜に包まれながら、深淵へと落ち込んでいっていた。