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第八十四話:結婚

「うんうん、可愛い、可愛い」

 

 目の前の人物の姿に、リュートの声はいつになく上機嫌だった。

 

 品の良い、純白のリンダール風の衣裳に加え、頭には大きな羽飾り。いつもは彩られることのないその顔にも、見事に化粧が施され、手には、ころころと鳴る鈴の付いた扇と、実に今日という日に相応しい(なり)である。

 

「流石、いい衣装用意してくれたなぁ。うんうん、実に今日の結婚式という華やかなる場に相応しい格好だよ。……ぶっ……ぷぷっ」

 

 そう人物に向けて、微笑みを見せながらも、リュートの頬はもう、崩壊寸前だった。

 なにしろ、あの、何かに付け、自分を目の仇にし、いつも足を引っ張ってきた男が。あの、忌々しい従兄弟が。

 こんな、……旅の踊り子、という女の格好をしているのだから。

 

 だ、だめだ、もう限界、と呟くと同時に、リュートの頬は、一気に雪崩を打っていた。

 

「あはははははっ! 似合う! 似合うぞ、エイブリー! 踊り子の衣装、凄く似合ってるぞ! あははははっ」

「わ、笑うなっ! 誰のせいでこんな格好していると思ってるんだ、誰の!!」

 

 恥ずかしさからか、それとも怒りからか、笑われるエイブリーの顔は既に真っ赤だった。

 考えてみれば当たり前で、大公家の長男というやんごとない身分にあった男が、こんな女装などしなければならないのだから、彼にとっては恥どころか、憤死ものだろう。

 加えて、悔しいのが、彼を笑う男の出で立ちだった。

 こちらも同じ、リンダール風の衣装なのだが、エイブリーとはうって変わった上質な男物で、その異国情緒漂う衣装が、実にこの男によく似合っているのである。

 男の白羽、金髪に合わせたかのように、白の絹布に金糸で刺繍が施された長衣。加えて、いつも奴隷用の首輪が嵌っていたその首には、細かい細工の首飾りに、腕にはしゃらしゃらと鳴る金属製の腕輪。

 それに、優雅に横笛を構える仕草が加わったその姿は、まさに、遠い異国から連れてこられた哀れなる囚われの王子、という表現がしっくり来るほどに、儚げな魅力を帯びていて……。

 正直、悔しいったら、ないのである。

 

「なんだよ、この差……。どうして、僕だけが……」

 

 頭の羽根飾りを揺らして、がっくりとうなだれるエイブリーに、さらに、哀れなる王子に見える男は優雅に笑いかける。

 

「いいじゃないか。僕だって、女装くらいしたことあるし。あ、でも、僕の方が、ずっと綺麗だったけどな。あははははっ」

「な、何だよ! 女装趣味があるなら、お前がやったらよかったじゃないか! そ、それに大体どういうつもりだよ。どうして……」

 

 と、エイブリーが、今居る控えの間にかかる幕から、そっと外の様子を窺えば、――そこには。

 

 じきに開かれるであろう結婚式の為に、各国から取りそろえられた花々、そして、豪奢な調度品に彩られた大広間。採光用の窓が天井に大きく取られたその空間は、何百人という人数を軽く収容出来るくらいはあるだろうか。これまた床の大理石で出来た幾何学模様が溜息をつきたくなる見事な広間だった。

 そして、その脇にずらりと控えるは、この帝国を支える元老院議員の姿。ざっと、数えるだけで、およそ二十人ほど。その中で、一際白髪頭の男が幅を利かせている。

 その男――帝国元老院議長ヴァルバスを見るなり、エイブリーの顔が、泣きべそへと変わった。そして、絞り出すような声音で、金髪の男へと掴みかかって抗議する。

 

「……どうして、拉致するのが、元老院議長なんだよっ!!」

 

 彼が、泣きたくなるのも、無理はない。

 この今日という日になって、急に、この従兄弟から、議長拉致計画を知らされたのであるから。

 

「狙うなら、他にもいろいろ居るだろうがっ! どうして、あんな一番の大物狙うんだよっ!」

「何言ってるんだ。大物だから、色々使い道があるんだろうが。狩りなら、群れのボスを狙うのが、僕の流儀だ」

「だ、だからってな! し、失敗したって知らないからな! 全部お前の責任にして、僕は逃げてやるっ!!」

「……はいはいっ、と。黙れ、エイブリー。どうやら、主役のお出ましだ」

 

 リュートのその声と共に、誰も居なかった控えの間の扉の外から、三つの足音が近づいてきていた。

 一つは、精悍さを語る男の足音。もう一つは、たおやかさを語る女の足音。そして、三つ目は、何か引きずるような、のたのたとしたみっともない足音。

 気づけば、式場上座へと続くこの控えの間に、三人の人影が現れていた。

 

 赤い髪の護衛騎士ツァイアと、侍女サルディナに抱えられて、歩みを進めて来る無機質な顔――。

 

 無論、あの冷たい仮面を付けた、帝国最高位に位置する男。――皇帝、カイザル・ハーンその人である。

 

 全身を覆うようなゆったりとした白地の衣装に、顔を隠すように目深に被られた帽子。そして、その下から、不気味に覗く、紅玉の双眸。

 実に、この結婚式という華やかなる場に似つかわしくない、異様な格好である。

 

「これはこれは、花婿殿。本日は誠におめでとうございます。この有翼の民の王子より、心からお慶びを」

 

 嫌味を込めて、前を通り過ぎる花婿に、そう声をかけてやれば、仮面の下からは、くぐもった声が返ってくる。

 

「白か。今日の式典、楽しみにしておけ。祝いとして、式典後にお前の血も神に捧げてやろう。ガイナスの拷問は辛いぞ。覚悟はいいか」

「それは、誠に結構な提案で。……後に、この王子よりも、お祝いの曲をお届けしますので、どうぞ、お楽しみに」

 

 リュートのその返答を受けて、皇帝はその仮面の下で笑ったようだった。顔の肉が、奇妙にはみ出しているのが、いい証拠だ。

 

 ――『お前の血も』、か。

 

 式場に向けて歩みを進める皇帝の後ろ姿を見送りながら、リュートは言われた言葉を反芻していた。

 

 ……皇帝、お前、やはり……。

 

 リュートのその内心の予感を体言すべく、皇帝は、手に持った錫を、ぎらり、と一つ光らせていた。そして、幕をめくって、式場へと姿を消して行く。

 

 

 

 その姿を追わんと、有翼人二人は、またも控えの間の幕内から、外の様子を窺ってみた。

 すると、丁度北に位置するという上座には、かろうじて中が透けて見えるほどの幕が掛けられた椅子が二脚。おそらく、この幕は、皇帝の惨状を、属国からの来賓に見せたくないという配慮の為なのだろう。確かに、皇帝が椅子へと歩みを進めている今現在には、誰一人として来賓はいない。

 

 そして、その上座から、数段下がった真正面には、紙とペン、そして、短剣が置かれた背の低い机が一台。おそらく、その仰々しく箔押しがされた紙が、皇帝の言っていた婚姻証書なのだろう。あれにペンで記名して、置いてある細工の施された短剣で、花嫁自ら手を傷つけ、証書に血判をする、という手順に違いない。

 

 ……そして、その証書を。

 

 ちら、とリュートの視線が、ふたたび上座に座る皇帝へと向いた。

 その後ろには、赤々と燃え立つ篝火(かがりび)

 おそらく、これが、証書をくべて、神に婚姻が成されたことを示す聖火というものなのだろう。

 

 その炎に、嫌でもリュートの脳裏に惨劇の光景が蘇る。

 ……上空から降り注ぐ火矢。撒き散らかされた油に引火して、もうもうと燃え立つ平原。その中で、のたうち回り、死んでいった兵士達。

 

 あの悲劇の戦場を作り出した女が。

 あの、炎のような女が。

 もうすぐ、兄という不気味な花婿に嫁ぐべく、この場にやって来るのである。

 

 ――あんな、女。

 

 蹴り倒され、罵倒された記憶に、リュートの奥歯が、ぎり、と嫌な音を立てる。

 

 あんな女、どうなろうが知った事じゃない。

 あんな、……あんな。

 

「あんな仇の女なんか、どうでもいい。……そうだ。どうでもいいんだ」

 

 そう、リュートが自分の燃え立つ怒りを収めたその時、控えの間に召し使いが現れていた。

「陛下のご準備整いました。これから、ご来賓と、花嫁様をお迎えします。どうぞ、白様達も式場にてご着席のほどを」

 

 

 

 

 それから、召使いの案内でリュートらが通されたのは式場の右隅。丁度、北東に位置する小さな椅子だった。上座にあるその椅子からは、奇妙とも言える式場が一望することが出来る。

 

 まず目につくのは、式場のいたる場所に配置された物々しい兵士の姿だった。その中で、指示を出し続けている黒装束の男の姿に、嫌でもリュートの目が釘付けになる。

 ――暗黒騎士、ガイナス。

 流石に、今日という式典には、無礼が常の彼も、身が引き締まるようだ。いつもの鼻ほじりも、耳掃除も今日は形を潜めて、次々と的確に兵士を配置している。

 一見すると、とても彼を出し抜いて、突破するなど出来ないような完璧な警備に見えるのだが、それを見遣るリュートの目は絶望に彩られる事はなかった。むしろ、この逆境こそをも楽しむかのような、そんな不敵な目線。

 それに、堪らず、エイブリーが問いかけていた。

 

「おいおい、大丈夫かよ。あの暗黒騎士の目を盗んで、一体どうやって……」

「うん、まあ、勝算はあるよ。何て言ったって、僕らには彼らにはない特権があるんだから」

「特権?」

「そうそう。いいかい、エイブリー君。君のその背中に付いているもの。それは飾りかい? うん?」

 

 と、リュートが従兄弟に向けて、とびっきりの笑みを浮かべた時だった。

 一際大きな太鼓の音と共に、召使いの声が式場に通っていた。

 

「ご来賓方、ご到着ーっ」

 

 その声に、嫌でもリュートらの目が、式場入り口へと向く。

 すると、かなり上座から離れた来賓席に向けて、次々と各国の要人と思われる人物らが姿を現していた。

 

 どれも、これも、リュートらが目にしたことのない、驚きの民族達。

 まず、目につくのは先頭に入ってきた、壮年と思われる巨漢の男の姿だった。その背丈は、リュートの倍ほどはあるだろうか。丸太の様な四肢に、どっしりとした胴回り。だが、驚くべきはその巨体ではなかった。何よりも、リュートの目に留まったのは、彼の体を覆う、みっしりとした体毛だった。リュートらの体毛とは質が違う。そう、まるで、獣のような見事なその毛並み。

 

「大森林エントラーダより、国王ラー=ドゥー様、ご出席ぃ」

 

 召使いのその言葉を信ずるなら、このやたらじゃらじゃらとアクセサリーをつけ、毛が生えていない顔の部分に独特の入れ墨を施した男が、今現在、暴動が起きているという国の主――つまり、獣人という民族の主、ということである。その意外な出で立ちに、エイブリーが驚嘆の声を上げていた。

「何だ、獣人って言うから、獣耳とか、尻尾とか生えているかと思ったけど、案外普通じゃないか。でかくて、毛深いだけか。布を巻き付けただけに見えるけど、一応服も着ているし、結構人間的だな」

「おいおい……。獣耳に尻尾って、お前、想像力逞しすぎるぞ、エイブリー。いいから、黙れよ。ほら……、他にも」

 

「海洋国家ミダールト元首、ミトワルト・シャイダーン様、ご出席ぃ」

 

 リュートの声に促されるように、召使いが新たな人物の名を読み上げていた。

 その声に応えて、一礼したその人物。一見して、リンダール人と同じ、何の特徴もない人種の貴婦人なのだが、一点、見逃せない特徴がある。

 ドレスと同じ水色の扇を優雅に振る、その手。すらりと伸びた指の間に、海の生物のような水かきがついているのだ。それは、まさに、長年海と共に暮らしてきた、海の民の特徴に相違ない。

 

 そして、彼女の後ろに続くように、今度は軽薄そうな若者が入場してきていた。こちらは、海の民とはうって変わって、その特徴が嫌でもよく分かる。なぜなら、見たことのない角が、その頭に生えていたからだ。

 

「有角の国、パルパトーネより、ル・ポイキオ殿下、ご出席ぃ」

 

 しゃらり、と自慢の角を彩る装飾品を揺らして、着席する若者の姿にリュートは絶句する。その頭の角も勿論だが、何よりも、奇天烈なのが、その衣装だった。

 色彩の暴力と言うか、何と言うか。赤、青、黄、という原色に加えられたありったけの色味。派手を通り越して悪趣味なその衣装に、リュートは、内心、そのセンス、あり得んとあきれ果てるものの、この衣装が彼らにとってはおそらく普通なのだろうと、理解する。

 

 それから、次々と現れる、とりどりの民族達。

 ……やたら、頭の大きな小人族に、耳の先の尖った長命族、などなど……。

 

「人間博覧会だな、これは」

 

 だが、揃った来賓達に、そう呆れの声と好奇の目を向けるリュートこそが、何よりも会場の注目の的だったらしい。皇帝の後ろに控えているこの白羽に向けて、来賓達から、ひそひそとした話し声が聞こえていた。

 

 その式場のざわめきを破ったのは、おもむろに立ち上がった元老院議長ヴァルバスの一声だった。

 

「列国の皆様。本日は、ようこそ、この素晴らしき式典へ。属国として、この帝国を支える皆様方からの忠誠、誠に嬉しく存じます。ですが――」

 

 ありったけの嫌味を込めた議長の視線が、来賓席最前列に座る巨漢へと向く。勿論、現在、暴動が起こっている大森林の主、獣人の王に向けて、である。

 

「少々、由々しき事態に陥っているお国もございます。他の属国の皆様方には、是非とも反面教師として頂きたい所ですが」

 これには、流石の獣人の王も黙っておれなかったらしい。獣の牙に似た犬歯を見せ、呻るような低音で、一言反論を口にしていた。

「確かに、俺の国、迷惑かけてイル。だが、国としては、帝国に逆らうつもり、ナイ。今、女将軍と協力して、暴動抑えてイル。心配するナ」

 どうやら、リンダール語があまり話せないようだ。その国王という身分に似つかわしくないたどたどしさに、議長の顔に、さらなる侮蔑の色が宿る。

「それなら、結構。しかし、いつまでも、このような事、許されぬとお分かりですね。属国としてでも、貴方が獣人の王で居られるのは、一体、誰のおかげか」

「分かってイル。結婚式終わったら、俺、すぐに大森林帰ル。大丈夫」

 この獣人の王からの明確な臣従の言葉に、議長の顔に再び笑みが戻る。そして、その視線を、今度は上座後方にいるリュートへ滑らせると、起立するようにと合図を送ってきた。

 

「さて、花嫁をお迎えする前に、ご紹介をしておきましょう。この神の啓示が成就する喜ばしき日に、北の大陸から、お客様が駆けつけてくれました。――有翼の国、ミラ・クラース王国より、リュート王子です」

 

 その言葉に導かれて、リュートは上座前面、丁度、幕内に座る皇帝の横へと歩みを進めていた。改めて、上座前面に現れたその見事な哀れな王子の出で立ちに、来賓達から次々と興味の声が上がる。

 

「有翼の国ですって? 北の大陸まで、帝国に屈したと言うの? まさか」

「いやいや、噂では、帝国軍は聖地にて大敗を喫したと聞いておりましたのに。やはり、帝国の軍事力は侮れぬということでしょうか」

「それにしても、あの王子の羽に髪の色、見て下さいな。実に、有翼の民とは美しい。ぜひ奴隷に欲しいものですな」

 

 次々と投げかけられる好奇の視線に、リュートは、少々辟易した心地を覚えるものの、これくらいは予想の範囲内、と、その笑みを絶やすことはなかった。儚げで、そして、優雅で。居合わせた列国の主がすっかり騙されるほどの美麗な笑みを、これでもかと湛えてやる。

 そして、その自慢の白羽を、一つ羽ばたかせると、皇帝へと向き直り、恭しくその足を折って見せた。

 

「陛下におかれましては、この喜ばしい日に、この身をご招待して下さって、光栄の至り。後に、御為に祝いの一曲を捧げましょう」

 それに対し、幕内の帝王から、またもくぐもった声が返される。

「うむ。来賓達に、とくとお前の曲を聴かせてやれ、白。楽しみにしておるぞ」

 この皇帝から今日、初めて投げかけられた声に、また、式場の来賓達から次々と声が上がった。

 

 ……誰だ、陛下は声も出せぬほどに衰弱しておるなどど言ったのは。

 ……健在も健在。力強いお声ではないか。

 ……しかし、ご尊顔が拝せぬというのは少々残念ですな。神の代理人となりますと、そうそう余人の前には姿を見せてくれませぬのか。

 

 ひそひそと囁かれる来賓のこの反応に、リュートは頭を垂れたまま、……まあ、詮無いことだな、と嘆息する。

 確かに、肝心の主役が、こうして幕の内、では、いらぬ腹も探りたくなるというものだ。それが、属国の主であるなら、尚更に。

 

 ――さて、この王様達も、どうするかね。

 

 そう内心で、また計略を巡らせて、リュートが先にいた椅子へ戻ろうとした時だった。

 隣にいた皇帝が、幕の内から意外な命令を下していた。

 

「白。これより、花嫁の登場だ。ここにいて、笛を吹いて、花嫁を迎えよ。そして、誰よりも近くで婚姻の儀を見届け、お前が証人となるのだ」

 

 この提案を、リュートが断る理由はない。むしろ、拉致する予定の議長との距離が近づいて結構、と二つ返事で頷いていた。

 

「さて、では、花嫁様を迎えるべく、一曲……」

 

 また、ばさり、と優雅に白羽が翻る。

 そして、その儚げな美形王子から紡ぎ出される、ゆったりとした、美しい旋律。

 

 その甘い、甘い調べに乗せられるように、式場正面の重々しい扉が空いていた。そこから、現れる、圧倒的な光景に、場に居合わせた者、すべての目が、揺るぐ。

 そして、それは、意外な事に、この笛を吹く異国の王子も例外ではなかったらしい。少々、笛の音が乱れているのが、いい証拠だ。

 その、かつては英雄と呼ばれ、眉一つ動かさず、竜騎士を屠ってきたこの男でさえも、そう、動揺するほどに。

 

 それほどに、現れた花嫁の姿は圧倒的だったのだ。

 

 ……見るもの全てから溜息を奪う、その無垢な純白の魅力。

 いつもは靡かせるままにしている赤毛も、一つに結い上げられ、全てが白のベールの下に隠されていた。そして、常に、露出させているその肌も、品の良い、純白のドレスの下に全て収まり、唯一胸元だけが女の証を示すように、上品に空いている。加えて、その白鳥のようにすらりと伸びた首には、これまた純白の真珠の首飾り。

 さらに、とどめとばかりに、いつも傲慢に彩られているその唇は、化粧によって、実に上品に色味が抑えられ、艶だけが清楚にその上に乗っているのである。

 

 そんな純白の花嫁に、一つだけ、色味があるとすれば。

 

 それは、上質な紅玉を思わせる、その深紅の双眸だけだった。

 

 ――その、瞳が。

 

 どうしても、リュートの目から離れないのだ。

 あの、炎の瞳が。

 あの、情熱を宿した、ルビーの輝きが。

 

 ……どうして。

 どうして、この馬鹿な目は、こんなにも。

 こんなにも、あの瞳から。

 

 思わず、リュートはその笛の音を止めて、純白の花嫁から目を逸らしていた。

 

 だが、リュートが顔を背ける内にも、花嫁の歩みは止まらなかった。来賓達からの祝福を受けながら、深紅の敷布をしずしずと進んでくる。

 そして、その敷布が途切れるその先で、背の低い机に辿り着き、上座にいる、夫となるべき男に向けて、深々とそのベールを垂れて見せた。

 

「本日の喜ばしき日を迎えることが出来て、誠に嬉しく存じます。神の御前にて、成婚の後は、この命絶える時まで、添い遂げることをここにお誓い申し上げます」

 

 いつもの驕慢な声音とはうって変わった、玲瓏な声音。

 その声に、また、リュートはその背筋に、ぞくり、としたものを覚える。だが、彼の動揺とは裏腹に、花嫁の動きは止まることがなかった。

 

 また、神と、その代理人に向けて一礼すると、机に置かれたペンを手に取り、置かれた紙にかりかりとそれを滑らせる。おそらく、自分の名をこの婚姻証書に記名しているのであろう。その淀みない手の動きに、場は、水を打ったように静まりかえった。

 そして、その静謐な式場に、またも鈴を鳴らしたような上品な女の声が響く。

 

「それでは、私、エリーヤ=ミーシカ・ハーンは、ここに名を記し、神の御前にて、血の盟約をせんことを誓います」

 

 その言葉と同時に、一同に見せつけられるかのように掲げられる短剣。そこから、すらり、と鋭利な刃が姿を現して。小枝のような女の親指が、静かに、押しつけられた。

 それと同時に、刃を伝う女の鮮血。

 ぽたり、とひとしずくだけ垂れたその赤は、一点だけ、純白の装いに、赤い染みを付けて。

 

 その、残り全てが、神への誓いの紙に、吸い取られていた。

 

 ……花嫁の誓いの成立。

 

 それを受けて、式場に、一声に割れんばかりの拍手が巻き起こる。

 中でも、敬虔なる議長ヴァルバスの喜びようと来たら、尋常でなく、……ようやく姫様も神の御意志を感じられた、素晴らしい、素晴らしいと、何度も涙ながらに頷いていた。

 

 そして、その拍手が鳴りやむのを待って、再び花嫁が動き出す。

 右手に短剣を。そして、左手に証書を携えて。

 今度は、花婿様の番よ、とばかりに、上座に向けて迫ってくるのだ。

 

 それを待ち受ける皇帝の傍らで、また、リュートの視線が、花嫁に釘付けになる。

 その純白のドレスに一点、付けられた、その染みが。

 まるで、初雪に、ぽとり、と落ちた赤い果実を思わせるその染みが。

 

 何よりも恐ろしく、そして、不気味なものに思えて、ならないのだ。

 

 だが、リュートの内心に構う事無く、花嫁はこつり、こつり、と鳴らして、階段を上がってきていた。その近づく歩みに、リュートの横で、ぴくり、と皇帝が動きを見せる。

 半透明の幕の外にいるリュートからでも、はっきりと分かったその動き。

 それは……。

 

 手に持っていた錫の飾りを、くるり、と回して。それを、すらり、と上に引き抜いて。

 

 現れるは、花嫁の持つ短剣に勝る鋭利な刃の輝き――。

 

 

 ――やはり!! 

 

 皇帝のその行動に、リュートは自分の予測の正しさを、即座に悟る。

 

 ……やはり、この男、ここで、妹を殺す気だった! 

 この衆人の前で。そして、何よりも、この結婚の命を下した、神の前で。

 この忌まわしい、婚姻を、血で汚す為に。

 

 そして、それは、この男だけではない。

 さらに、短剣を持った、花嫁の足音が、上座に近づく。

 

 ……お前もか、エリー。

 お前も、この婚姻を、全力で汚そうというのか。

 

 ――ならば。

 

 リュートは即座に、後ろにいたエイブリーに目配せをしていた。勿論、逃亡、そして、拉致の準備を整えるために。

 

 ……大丈夫だ。

 今なら、逃げられる。この、背の翼がある、僕らなら。

 

 そう呟いて、リュートが見遣ったのは、天井に明けられた採光用の天窓だった。

 ここなら、警備の兵士は誰も居ない。外の竜騎士も、流石に式典の最中にこの上を飛びはしない。何しろ、天から神の啓示をうけた婚姻なのだから。

 

 ……行ける。

 今なら、行けるんだ。今なら。

 だから、エリー……。

 

 ――精々、派手にやってくれよ。

 

 

 そう呟いて、リュートが、凶悪な笑みを浮かべた時だった。

 とうとう、純白の花嫁が、上座にその姿を現していた。変わらずに、血の付いた短剣と、証書を、その手に携えて。不気味に、そのベールの下から、清楚な唇だけを見せて。

 

「うふふふふ、今度は貴方の番よ、旦那様」

 

 その言葉と共に。ふわり、とベールが揺れて。

 ついに、花嫁は駆けだしていた。

 夫となるべき、目の前の男に向けて、その、手の短剣を、ぎらり、と光らせて。

 

 それと同時に、幕内で、すらり、と抜かれる仕込み刀。その、おそらくは花嫁の体に突き立てられる刀こそが。

 何よりも、リュートの逃亡の契機なのだ。この刀が抜かれるのを、ずっと、待っていた。

 

 ――よし! 殺れ!

 

 どっちでもいい。派手に、相手を刺し貫け!

 

 

 そう、リュートが踏んだ、その先で。

 突然。

 

 花嫁の短剣の切っ先が、その方向を変えていた。

 兄である皇帝が座る椅子から、その傍らへと。そう、丁度――。

 

「……えっ……」

 

 リュートが居る、位置へと、間違いなく。

 その花嫁の血が塗られた、短剣の、切っ先が。

 

 ……どうしてだ。

 どうして、僕を。エリー……。

 

 そう呟く間もない、刹那に。

 

 リュートの身は、あっさりと切り裂かれていた。

 

 鮮血が、たらり、と流れる。

 どうやら、咄嗟に防御が取れたらしい。体に傷は、ないが……それを庇った掌からは。

 さらに、じわり、と赤い血が流れ出て。

 

 それを、自身でぬぐい取る間もなく。

 べたり、と何かが掌に押しつけられていた。


 見遣れば、それは――。

 

「うふふふふ。嬉しいですわ、貴方も誓って下さって」

 

 それは、紙だった。

 しかも、ただの紙ではない。リンダール語で、何やら書き記された、仰々しく箔押しのされた上質の紙。

 

 それだけなら、良かった。

 だが、リュートは、その紙にあり得ないものまで発見していた。

 忘れもしない。リュートが、捕虜ロンから、初めてリンダール語を習ったときに、教えて貰ったその文字が。

 

 ――『リンダール語では、こうやって綴るのネー。お兄サンの、名前は』

 

 その教えられた綴りが。

 どうして。

 

「どうして」

 

 どうして、この、婚姻証書という、奇天烈な紙に、書かれているのか。

 この、リュートの血までも吸い取った、神へ婚姻を成す事を示す、神聖な紙に。

 しかも、夫の名を記すべき、その場所に。

 妻、エリーヤのサインと血判が記されたその横に。

 

 どうして、自分の、『リュート・シュトレーゼンヴォルフ』という名が!

 

 だが、その答えは目の前の純白の花嫁からは聞かれなかった。

 その代わりとでも言うように、花嫁はおもむろに哀れな王子の血の滲む手をとって、それを。

 

 ――ぺろり。

 

 舐めて、見せた。

 まるで、愛撫でもするように、愛おしげに、艶めかしく。

 その、色味のない唇から覗く、赤い舌で。


 途端に、血の色が、唇にまで、滲んで。

 清楚の塊だと思った女の唇が、一気に、赤く、妖艶に染め上がる。

 

 そして、その口から吐き出される、扇情的な一言。

 

「うふふふふ。ふつつか者ですが、末永くよろしくお願いしますね、あ・な・た」


不慮の事故により消えてしまった第八十四話を、突貫工事で書き直しました(泣)見苦しい点あるかも知れませんがご容赦ください。あとで修正かけます。うわーんっっ。

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