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第七十六話:宣戦

「て、帝国へ、帰れ、ですって……?」

 

 突然現れた黒装束の将軍のその言葉に、エリーヤは先までの態度から一変、信じられないといった声音で、そう問いを返した。それに対して、男は、ほじりだしたばかりの耳垢を、ふっ、と吹き飛ばしながら、またもぞんざいに答える。

 

「ああ。姫様、自分の言った約束破っちゃいけねえよなぁ? 確か、姫様、サイニーに、会戦が終わったら、帝国へ帰ってやるっていう約束してたんだろ? 自分で言い出した約束は、守んねえといけねえよなあ?」

 

 確かに、した覚えのある約束だが、エリーヤは、何食わぬ顔で、あっさりシラを切ってみせる。

 

「そんな約束、してたかしらね。覚えがないわ」

「おいおい、姫様。そんないつまでも意地張って、帝国帰らないつもりかい? あんたにゃ、そんな勝手、もう許されないんだぜ。俺様は、サイニーとは違うからよぉ。おめーさんが、どれだけ泣き叫んだって、帝国に縛り付けてでも連れ帰ってやらあ」

「……な、何を無礼な! ガイナス! 私を誰だと思ってるの? 私は帝妹よ! 口を慎みなさい! 口を!」

「慎めったってなあ。……元老院の爺達から、皇帝の名で勅命出てんだわ。紅玉騎士団と姫様の本国への早期帰還命令がな」

 

 そう言うと、暗黒騎士の異名をとる将軍は、その鎧の下から、一通の書簡を取りだしていた。

 ……円の中の十字。そして、その下の竜翼紋。それは、紛うことなき、リンダール帝国皇帝の印だった。

 

 その印に、エリーヤの瞳があり得ないほどに動揺する。

「ば、馬鹿な! あ、あの愚帝が、ですって? 大体、あの男は……」

「おいおい、愚帝たあ、酷え言いぐさじゃねえの。仮にもお兄様で、皇帝陛下だろう? そんでもって、姫様の大事な……」

 

「――お黙り!!」

 

 暗黒騎士の言葉を遮るように、姫の一喝が、部屋中の空気をびりびりと揺らしていた。その今までにない憤怒の表情に、居合わせた女騎士だけでなく、捕らわれたままのヨシュア達すら震え上がる。

 だが、そんな周囲の驚きには目もくれず、さらに赤毛の姫は、その口から唾を飛ばさんばかりに、暗黒騎士を恫喝していた。

 

「それ以上、あの男の事を私の前で口にしたら、許さないわ、ガイナス! あんな愚帝、兄でも何でもないのだから! 私は……」

 今にも首を絞めんばかりのその姫の剣幕に、流石の暗黒騎士も辟易したらしい。その先を言うことを諦めて、どうどうと言いながら、まるで竜をあやすように、姫を宥めてやる。

 

「ああ、ああ、わかったよぅ。まあ、兄妹喧嘩は、本国でやってくんな。俺様の仕事はあんたを連れ帰ることと、サイニーの引き継ぎだからよ。あんたら兄妹の事情なんか、どうでもいいんだわ。それにしても、サイニーの野郎はヘマしやがったなぁ。こんな鳥の国の野郎に殺されるなんざ、赤っ恥じゃねえの」

 

 語られた新たな事実に、またもエリーヤは、その怒りの炎に油を差されたように、いきり立った。

「さ、サイニーの引き継ぎですって? じゃ、じゃあ、お前がこの国での戦争を引き継ぐと言うの?」

「ああ、そうさ。っつっても、俺様は、まずあんたを連れ帰らなきゃならねえし、この北の国は、これから雪に閉ざされるだろう? ま、しばらくは俺様は本国に居て、来年の春にでもがっつり、聖地奪回してやるつもりだからよ。ま、しばらくは俺様の配下の第一軍をここに駐留させておくだけだよ」

「な、何ですって? また、お前、そうやっていいとこ取りしようってのね? 以前の大森林の平定遠征の時と同じように! 許さないわ! ようやく、こっちも王太子を捕虜にして、これからだって時に……」

 

 そう言い淀む姫の言葉に、暗黒騎士ガイナスは、その黒い目を、ちら、と捕らわれているヨシュア達の方へと向けた。そして、また、耳垢をほじりながら、品のない調子で言葉を紡ぐ。

「おいおい、鳥の王子様捕まえたってか。にしてもよぉ、ホント、気味悪いなぁ、有翼人ってのは。鳥と人の相の子ってか。これが、高く売れんだから、まあいいけどよぉ。どれどれ」

 言いながら、暗黒騎士の無骨な指が、ヨシュアの細い顎に伸びていた。そして、品定めでもするように、その顔をじろじろと見遣る。

「ふうん、この王子様なら、高く売れんじゃねえの。銀髪ってのが惜しいけどな。これが金髪なら、もっと高値が付いたのによぉ。ま、この国には身代金ふっかけるだけふっかけて、あとは身柄なんぞ返さず、さくっと本国で売っちまおうぜ」

 勿論、この暗黒の騎士と、姫の間で語られる言葉は、海の向こうのリンダール語であるため、ヨシュアにはその内容は理解できない。だが、この間近に迫るアクの強い顔をした男の迫力が、何よりも自分の身の危うさを、明確に語っていた。

 

「や、やめろ……。やめてくれ……」

 そう小さく呟いて、ヨシュアの瞳にふるり、と涙が浮かぶ。

「おいおい、おっちゃんは何もしねえよ、王子様。この姫様が、お前を売っ払っちまおうってんだから、そりゃあ、悪い姫様だろう? けけけ」

 涙混じりで震えるヨシュアを余所に、男は、尚も下品に笑うと、今度は、その指を自分の鼻の穴に入れ、ぶちり、と二三本鼻毛を纏めて抜き始めた。

「……おおー、良く取れた、良く取れた。に、してもよぉ、姫様。姫様は、ちっとも成長しねえのなぁ」

 

「成長ですって?」

 

 そう忌々しげに問うエリーヤの視線に構わず、暗黒騎士は、尚も鼻毛を抜きながら彼女の方に向き直る。そして、その手に抜けた鼻毛を確かめながら、またも意味ありげに、にやにやと笑いかけた。

「そうそう、特に……ここが、な」

 

 ――むに。

 

 そう言って、まだ鼻毛が付いたままの手が掴んだのは……。

 

「――きゃああああああっっっ!!」

 

 女なら、誰しも、そう甲高い悲鳴を上げるであろう、神聖な、二つの双丘だった。

 これには、堪らず、姫、そして、その配下の女騎士達が、即座に、腰のサーベルに手をかける。中でも、副団長キリカの抜刀速度ときたら、目にも留まらぬほどで、気が付かぬような内に、暗黒騎士のその喉元に、切っ先が、ぴたりと突きつけられていた。

 

「おいおい、キリカ。あんまりじゃねえの」

「お黙り、ガイナス! 姫様の御胸に何て事を! しかも、鼻毛を抜いたまんまのそのきったない手で! 許せませんわ!!」

「ああー、もう三十路越えの婆はうるせえなぁ。おめーの胸はでかくていいけどよぉ、そろそろ垂れてくるんじゃねえの。何なら、俺様が毎晩……」

「――死ね!!」

 

 そうキリカが、叫ぶか叫ばないか。

 くるり、とその体が、反転させられていた。勿論、突きつけていたサーベルも、既に遠くへ飛ばされている。


「ふぅぅぅ。おめーもまだまだだなぁ、キリカ。あの女将軍の足下にも及ばねえわ。出直してきな」

 気が付けば、キリカの体は、男の下にきつく組み敷かれていた。間近に迫る男臭い匂いが、つん、とその鼻をくすぐってくる。

「お、お退き! このエロ将軍め!!」

「へぇへ。口の減らない姥桜副団長だね。ま、おっちゃん、今日の所は、とりあえず我慢してやるとしますかね。ところで、姫様よ、この王子様の話に戻るが……」

 

 そう言うと、暗黒騎士はキリカの体を解放し、再びヨシュアの顎へと、その鼻毛の付いたままの指を伸ばした。そして、また、あの値踏みするような目線を嫌らしくヨシュアへと向けてくる。

 

「……この王子様、いくらふっかける?」

 

 その言葉は、勿論、ヨシュアには分からない。だが、その目こそが、何よりもその男の意図をヨシュアに語っていた。

 

 ……ああ、自分は売られるんだ。

 いや、それだけじゃない。人質として、この帝国人達に良いように利用されて、お金や、ひいては軍を……。

 

 思い当たったその自分を待ち受ける運命に、はらはらとヨシュアの瞳から、涙がこぼれ落ちていた。悔しさや、恐ろしさのためではない。ただ、この功を焦った自分の浅はかさが恨めしくて。

 

 ――僕は、何て事を。

 

「リュートみたいになりたかったのに……。僕は、僕は、なんて……」

 

 零れ出るのは、ただただに、後悔と、あの、血の繋がっているかもしれない男への憧憬の念だった。だが、そんな少年の涙をあざ笑うかのように、目の前の暗黒の男が、尚も、嫌らしく絡んでくる。

「へへへ、王子様。まあ、今の内に、故郷の風景、たっぷり見ておきな。身代金だけふっかけたら、すぐに帝国に連れて帰って売ってやるからよ。なあに、気にすんな。おめーみてーな高級品買うのは、金持ち連中だけだから、そう悪くない暮らしができるぜ。こんな、雪の降る寒い国なんか、おさらば出来て、丁度いいじゃねぇか。なあ?」

 

 そう言って、暗黒騎士が、エルダー城のこの主室の窓から、外に目を向けた時だった。

 

 雪の降り止んだ、深秋の寒い青空に、きらり、と一つ、眩しく輝く光があった。

 位置からして、太陽ではない。太陽よりも、もっと低い位置の、そして、もっと鋭い光だ。

 

「な、何だ?」

 

 そう暗黒騎士が言うや言わないかの内に、見る間にその輝きは増していた。いや、正確に言うと、輝きが増したのではない。近づいてくるのだ。

 この、エルダー城に。この、最上階の主室に。そして、暗黒騎士の佇む、この、窓に。

 

 

 気が付けば、耳をつんざく、ガラスの割れる音。そして、舞い散る窓枠の破片。

 

 

「う、……うわあああっ!!」

 

 

 暗黒騎士の叫びが、かき消される。

 それと同時に、部屋に飛び込んできたのは、何ものをも切り裂くような猛々しい風。そして、目も開けられぬほどに輝く、眩しい白銀の鱗の竜尾だった。

 

 その白銀の光の背から、凛とした、よく通る男の声が投げかけられる。

「よーしよし。ブリュンヒルデ。良くやったな。どうやら、この部屋でビンゴだったらしい」

 

 その声に、風の衝撃で一斉に目を瞑っていた女騎士、有翼軍の捕虜、そして、赤毛の姫の目が、見開かれた。

 

 そこに居たのは、白銀の鱗の竜の光にいや増した、白く輝く羽を持った男だった。まだ、きらきらと舞い踊る小さなガラス片をその背に、ばさり、と、その翼を大きく羽ばたかせている。

 そして、何よりも印象的なのが、その太陽を映し取ったかのように輝く金の髪と、エメラルドの輝きを帯びたその瞳。ただ、唯一、顔に刻まれた痣が、痛々しくその男の美観を損なっているのが、残念ではあるが。

 

 

「――りゅ、リュート!!」

 

 

 思わず叫んだ姫のその呼びかけに、突然飛び込んできた男が、にっこり、と、最高の貴公子の笑みを浮かべて、答える。

 

「やあ、エリーヤ姫。またお会い出来て、光栄の至り」

 

「な、何しにしたのよ……、あ、あんた。ど、どうして、こんなとこに……」

 あまりの突然の貴公子の来訪に、呆気にとられて、流石の姫も、言葉もうまく紡ぎ出せない。そんな姫の様子を尻目に、金の髪を煌めかせた男は、さらに増した笑みで答える。

「いやあね、ずっと、貴女にお会いしたと思っておったのですよ。何故なら、ね……」

 

 ……その言葉と同時に。

 

 ぴたり、と男の剣の切っ先が、赤毛の姫の喉元に突きつけられていた。かなり、間合いがあったにも関わらず、居合わせた女騎士達が、誰一人、動けなかったほどの、その一瞬で。

 

「貴女のお言葉どおり、復讐に来たのですよ。こうして、僕一人でね」

 

 気づけば、もう、姫の喉元と切っ先の距離は、皮一枚ほどもなかった。うっすらと、その首から赤い血が滲んでいる。

 それに、ようやく動いた女騎士達のサーベルが、一斉に金の髪の男に向けて、突きつけられる。

 

 だが、その無数の女達の剣にも、金髪の男の目は一分たりとも揺るぎはしなかった。

「動くな、女共! 動けば、それより先に、この姫が死ぬぞ!!」

 勿論、この男の言う言葉は、はったりではないと、女騎士達には分かっている。おそらく、自分たちのサーベルが刺し貫くより早く、この男の剣は姫の首を切り裂けるだろう。それほどまでに、この男の剣には迷いがないのだ。

 

「りゅ、リュート……。あ、あんた……」

「動くな、エリー。復讐に来いと言ったのはお前だろう。だから、こうしてお望みどおり、僕一人で来てやったんだ。おとなしく、僕の復讐にその身を委ねろ」

「……ふ、復讐ですって? ま、まだあんた、そんな事を……」

 

 剣を突きつけられながらも、エリーヤはその顔に、軽蔑の笑みを浮かべる。だが、それに対して、男から返ってきたのは、その笑みにいや増した凶悪な笑みだった。

 

「そう、復讐。お前をここで殺すよりも、素敵な復讐を僕は考えついたんだよ。うん、心配するな。僕はやるといったら、やる男だから」

 

「こ、ここで、私を殺すよりも、……す、素敵な復讐ですって……?」

 未だきつく突きつけられる剣に、少々脂汗を滲ませながらも、エリーヤは気を張って、何とかその軽蔑の笑みを顔に保つ。

「な、何言ってるのよ。あんたみたいな腑抜け男に、一体何が……」

 

「……ああっ! な、何でえ、何が起こったんだよぉ! まったく、ひでえ目にあったぜぇ!」

 

 言いつのる姫の言葉を遮るように、破壊されていた窓枠の下から、ようやく暗黒騎士ガイナスが這い出して来ていた。そして、身に降りかかったガラスの破片を振り払うと、姫に剣を突きつける白羽の男と、自分をぶちのめして飛び込んできた白銀の竜を交互に見遣って、尋ねる。

「おいおい、姫様。何だよ、この金髪兄ちゃんと、白っこい竜はよぉ」

「……先の平原の戦いで、サイニーを追いつめた敵将よ。ま、私の前には屈したんだけどね」

「誰が屈しただ、誰が! そっちこそ、何だ、この黒騎士は!」

 毅然として言葉を返す姫の言葉に、さらにリュートはその剣を突きつけ、見知らぬ男の素性について問うた。それに対して、またも平然とした言葉が、姫の口からは返ってくる。

 

「暗黒騎士、ヴラド・ガイナスよ。帝国最強の第一軍を統べる将軍。とりあえず、今日は、私を迎えに来ただけだけど、この雪が溶ける次の春には、お前達をこれでもか、と蹂躙してくれるであろう新たな敵よ」

 

「……暗黒騎士だって? そうか、こいつがロンの言っていた……」

 告げられた騎士の素性に、意外にも、リュートの口が笑うように歪められていた。その事を怪訝に思い、剣を突きつけられたままにされながら、姫がさらに問う。

「あら、絶望しないの? せっかくサイニーを殺したっていうのに、こうして次々と新しい敵が来ちゃうんだから、諦めちゃったほうがいいわよ」

 だが、その姫の嫌味にも、リュートの口は揺るがない。あろうことか、さらにその口元を歪めて、不敵な言葉を返していた。

 

「……いいや、諦めない。こうして、次の敵が来ることは予想していたからな。ま、案の定、といった所だ。それに、お前を連れ帰りに帝国から来たのだったら、むしろ、好都合だ」

 

「好都合ですって? 何を、馬鹿な事を……。それで、……どうする気? こうやって、私を人質にとって、ガイナスと交渉でもする気? 生憎ね。この男は交渉の『こ』の字も知らないし、それに忘れてない? こっちだって、人質がいるってこと」

 

 リュートの反論をあざ笑いながら、姫はその視線をちら、と後ろの方へと移した。そこには、突然のリュートの来訪に呆気にとられて言葉もない王太子、銀狐、そして、有翼兵の姿。

 だが、その姫の意味する視線にも、リュートの瞳は些かも揺るぐことはなかった。ただ、一言、意外な言葉を口にする。

 

「――交換条件、といかないか」

 

「……交換、条件?」

 

「そう。僕とヨシュアと兵達を、交換しないか」

 

 告げられたあまりにも意外な言葉に、場に居合わせた者が一斉に、その目を見開いた。

「こ、交換? あ、あんたと、……王太子を? あ、あんた、正気?」

「正気も正気さ。ヨシュアと一般兵を解放する代わりに、僕が捕虜になってやろうと言っているんだ。どうだ? 悪くないだろう? ロンに聞いたぞ。僕は随分高く売れる希少種だそうじゃないか。それに、将軍を打ち破ったことがある経歴もある。この僕を捕虜に出来るなんて、破格の条件だと思わないか?」

 

 予期せぬ破天荒な提案……いや、要求に、加え、この、どこまでも不貞不貞しい、貴公子の笑み。

 この男の真骨頂とでも言うべきこの凶悪な笑みに、流石のエリーヤも、即座に返す言葉が見つからない。そんな中、口を開いたのは、副団長のキリカだった。

「な、何を仰るの? 大体、白羽さん、貴方、確か選定候に過ぎないのではなくって? それを、王太子と一般兵と交換なんて、条件が釣り合わぬにもほどがありますわ!」

 

「ん? 何だ、おばさん、横からうるさいな。釣り合わないだって?」

 

 あっさりと、返されたその言葉、……特に、おばさん、という言葉に、一瞬でキリカの額に青筋が浮かぶ。

「な、何ですって、この……! 誰がお前みたいな選定候如きと王太子を交換するものですか! 大体……」

「ああ、わかったよ、おばさん。なら、聞いてみようか」

 言いつのるキリカの言葉をそう遮ると、リュートは剣を姫に突きつけたまま、その目線だけを後ろにいる有翼の民へと馳せた。そして、その中で震える一人の男に、おもむろに問う。

 

「ねえ、教えてやってくれたまえよ、エイブリー君。僕の本当の出自をね」

 

 勿論、突然名指しされた銀髪の狐に似た男は、即答出来るはずもない。この嫌っている従兄弟からの、あまりに意外な問いに、手を縛られたままの格好で、ぱくぱくと口を動かすのみだ。

 そんな従兄弟の様子に、堪りかねたように、リュートがさらに、芝居がかった調子で、畳みかける。

 

「ねえ、ほら。僕の親愛なる従兄弟君。あの御前会議だよ。思い出したまえ。君も知っているだろう? 僕の、本当の父親が誰なのか、ということ……」

 

 その問いが意味するものは何なのか。

 ようやく、エイブリーはその鈍い頭で理解する。そして、額に大量の汗をかきながら、こちらも、張り付いた笑みをもって、その口を開いた。

 

「そ、そそそそうだった、そうだった。き、ききき君の本当のち、父上は、こ、国王陛下だったね」

 

 この北の大公の口から飛び出した言葉に、場に居合わせた女騎士達が、一斉にざわめく。中でも、剣を突きつけられている姫は、殊更驚いたように、呆然と呟いた。

「な、何ですって? あ、貴方が、国王の息子ですって……?」

 

「そう。僕の母は、初代王太子妃だったけど、ちょっと事情があって、王宮離れてしまったので、現王妃ではないんだ。でも、僕が王の子であることは間違いないよ」

 勿論、リュートの父親が誰であるかは、国王である可能性がある、というだけで、はっきりとは決まっていない。だが、ここで、彼が、何よりも王の子であるとはっきり明言してみせるその意図は……。

 

「うん。ちょっと、事情があって、今はヨシュアが王太子だけど、本当は僕が王太子になるはずだったんだ。だから、問題ないだろう? 本当の王太子と、現王太子と交換するっていうのは。十分釣り合う条件だと思うけどな」

 

 ……対等の交換条件であることを、何よりも明示するが故。

 

 その為に、リュートはわざわざ捨てた王の血を、エイブリーの口を通して、利用しようとしているのである。これには、勿論、当のヨシュアが黙っていられないと口を開こうとするが、隣にいたエイブリーが、邪魔するように、先にその口を開いていた。

 

「いやいやいや。リュート君、いや、リュート王子。弟殿下の為に、自分を身代わりにしようとするなんて、何て素晴らしい兄弟愛! 僕、感激しちゃったなあ! こんな兄弟愛、見せつけられたら、流石の姫様も嫌とは言えませんよね? 交換しましょ、そうしましょ?」

 

 この、清々しいまでの寝返りっぷり。

 自分の采配の甘さで、捕らえられたこの状況になって、リュートに頼ろうというのであるから、実に不貞不貞しいとしか言い様がない。この従兄弟の台詞に、流石のリュートも、内心あきれ果てながらも、笑みを絶やさず、エイブリーの言葉を、肯定する。

「そうそう。エリー。王子である僕に免じて、可愛い弟を返してくれないかな。王子と王子なら、悪い条件ではないと思うけど」

 こちらも、負けず劣らずの不貞不貞しさ。これに、堪らず、姫の口元も歪む。

 

「なあに? じゃあ、貴方、私の捕虜……つまり、奴隷になろうって言うの?」

「うん。まあ、そうなるね。駄目かい? 僕はきっといい奴隷になると思うけどな、姫様」

 

 その言葉を受けて、しばし、両者の間に沈黙が流れる。お互いがお互いを値踏みし、その真意を探らんとするような眼差し。その奇妙な沈黙を破ったのは、暗黒騎士の剛胆な笑い声だった。

 

「はははははっ。面白れえ兄ちゃんじゃねえか。いいんじゃねえの、交換してやれよ。そこの銀髪の坊ちゃんより、ずっと高く売れらあな。ま、ちょっと、何か顔に痣付いてるけど、治りゃ、綺麗な顔立ちしてそうだしよ」

 

 だが、その暗黒騎士の言葉にも、姫の口から、うん、という言葉は聞かれない。そのたっぷりとした唇を歪めるままに、剣を突きつける男に軽蔑の眼差しを向けて、言う。

「何言ってるのよ。あの戦場で言ったでしょ、あんたなんか、いらないって。私は、もうあんたなんかに興味はないの。そっちの銀髪の王子様の方が、何百倍も可愛くってよ。……ま、どうしても私の奴隷になりたいって言うんだったら、ね」

 そこまで言うと、姫は、その印象的な瞳をさらに、きらり、と光らせて見せた。そして、男が到底承伏出来ぬような条件を、その口から紡ぎ出す。

 

「私の奴隷になりたいんだったら、この足に口づけしなさいな。それが、私への永遠の服従の誓いなのだから」

 

 剣を未だ喉元に突きつけられたままに、姫はいつもと変わらぬ高飛車ぶりで、足を突き出していた。それに対して、対峙する男からは、一言、否定の言葉が返ってくる。

 

「――断る」

 

「あ、そう。なら、交渉決裂ね。私は、王子様とあんたを交換する気はないわ。いいから、黙ってこの剣を退きなさい。でないと、大事な王子様を先に殺っちゃうわ……」

「足への誓いは断るが――」

 

 姫のその言葉が、そう遮られるや否や。

 突きつけられていた剣が、突然、放り出されていた。そして、きつく引き寄せられる、姫の細腰。

 

 気づけば、言いつのろうとする蠱惑的な女の口元が、男の口によって、塞がれていた。

 

 その一瞬の、出来事に、城の主室に居合わせた者全ての目が、釘付けになる。

 

「――――っっ!!」

 

 ようやく、自分の口が何をされたか理解した姫の口が、解放される。そして、まだ、呆然としたままの姫の眼前で、その口元を近づけたままに、男が一言、不敵に笑っていた。

 

「……ふん。いつかのお返しだ。これで、いいだろ」

 

 あまりの、破天荒ぶり。

 この男の言動に、姫は勿論、居合わせた者すべての口から、言葉も出ない。その呆気にとられる一同を後ろに、男はまるで汚物でもぬぐい取るように、口元を手で拭き取ると、さらに、呆然とした姫に向けて言い放つ。

 

「ああ、勘違いするなよ。お前みたいな雌豚に口づけするなんて、僕にとっても屈辱なんだからな。お前はニルフ達を殺した女だ。絶対に、許す気はない」

 

 その言葉と、間近で突きつけられる勝ち誇ったような笑みに、ようやくその頭を正気に戻した姫が、顔を真っ赤に染めて、一言、叫ぶ。

 

「こ、この、下手くそ!! キスってのは、こうやるのよ!!」

 

 今度は、男の首が、ぐい、ときつく抱き寄せられる番だった。

 そして、先の唇同士が触れるキスとはうって変わった、濃厚なキスがお見舞いされる。

 

「ん、んんんっ……!」

 

 口内に、入ってくる、他人の異物。その艶めかしさと、息苦しさに、思わず男は、姫の体を突き飛ばしていた。そして、吸い取られていた空気を、即座に、その口から吸い込む。

「……ぷはっ!」

「ふふん! どうよ、この上手さは! あんたみたいな男には、もっとたっぷり教えてあげないとね!!」

 

 温く唾液の残るその唇を離して、目の前の赤毛の女はそう勝ち誇る。そのあまりの女の振るまいに、艶めかしいキスをお見舞いされた男は、女の髪よりも遙かに赤く顔を染めて、罵声を飛ばした。

 

「こ、この、破廉恥女!! こっちこそ、お前みたいな女には、貞淑という言葉、たっぷりと教えてやるよ! 覚悟しろ!!」

「はあ? 貞淑って、何、その化石みたいな言葉? そっちこそ、覚悟しなさいよ、奴隷として、たっぷりこき使ってやるからね!!」

 

 もう、ここまで来ると、流石の暗黒騎士、そして、キリカですら、あきれ果てて言葉もないらしい。

 そんな敵国人の居並ぶ中、ただ一人、王太子ヨシュアだけが、慌てたように口を開いていた。

 

「だ、駄目だ、そんなこと! リュートが僕の身代わりになるなんて、絶対に許さないぞ!! 僕が捕らわれたのは、僕の責任だ! だから、僕が奴隷になる! それでいいんだ、リュート!!」

 

「……よ、ヨシュア殿下……」

 涙混じりのその少年の言葉に、彼の隣にいたエイブリーさえも、驚きの色を隠せないようだ。自分の傀儡に過ぎなかったこの幼くて、勉強不足の王子様から、まさか、こんな言葉が飛び出すとは、予期していなかったらしい。だが、流石、変わり身の早い銀狐は、ここでまた交渉が決裂しては敵わない、自分の身までまた危うくなってしまうではないか、と懸念して、慌てて、ヨシュアの口を塞がんと動く。

「殿下! よ、よろしいのですよ! あの田舎者の忠義を立ててやって下さいな! ね? 殿下は御身安泰でなければ、ならないのですから、僕と一緒に帰りましょう! ね? ね?」

 

「……少し、ヨシュアと話をさせてくれないか、エリー」

 

 エイブリーの言葉を遮るように、リュートは姫に向けて、そう言うと、おもむろに、ヨシュアの前まで、その歩みを進めていた。そして、隣の銀狐を、その碧の目で、きつく一睨みすると、彼の後ろにいた少年兵二人を呼んでやる。

「トーヤ。レオン。お前達二人も、来い。三人に話がある」

 

 

 

「りゅ、リュート。ご、ごめん。ぼ、僕が功を焦ったばかりに、こんな事になって……」

 少しならいいと、許された少年三人とリュートの会話で、まずは、おもむろにヨシュアがそう頭を下げていた。

「リュート……。僕は、あの平原の戦いで、どうにも出来ない自分が恨めしくって……。そして、死んでいったクルシェにも、申し訳がなくって……。それで、僕もリュートやクルシェみたいに戦わなきゃと、どうにも焦ってしまったんだ。でも、結局は、このざまだよ。僕は、結局、馬鹿な王子のまんまで……」

 どうにもならない悔しさと、後悔からか、はらはらと、涙が、王太子の頬を流れ落ちる。そして、それに同調するように、隣の元近衛隊士のトーヤも、いつもの腹黒さから、一変、素直にその頭を下げていた。

「ぼ、ボクも、ゴメン……。だ、だって、クルシェちゃんが、死んじゃうなんて、許せなくて……。つい、仇を取ってやるって、殿下に付いて来ちゃって……」

「トーヤ……。すまなかったな。クルシェは、お前の大切な友達だったのに……」

 そう謝るリュートに、トーヤは、首を横に振って答える。

「ううん、隊長のコトは、恨んでないよ。クルシェちゃんが、何より隊長のコト、大事に思ってたの、ボクはよく知ってるから。ただ、こんな悲劇起こした帝国が、どうにも許せなくって……」

 

 そう珍しく本気で泣き伏すトーヤを庇うように、今度は、その後ろの坊主頭の少年が、口を開いていた。

「そうだぜ! 俺だって、兄ちゃんや、『南部の風』の事がどうしても許せないんだ! なあ! 何で、あんた、さっきあの女の首切らなかったんだ!? 出来ただろ? あんな女も、ここにいる帝国人も、皆殺しにしてやればいいんだ! みんな、その首、刎ねてやればいいんだよ!!」

 

 その少年の見せた、憎悪に駆られた眼差しに、リュートの瞳に、ほんのりと、憂いの色が差す。

 

 ……ああ、きっと、僕も、こんな目を、していたのだ。

 こんな風に、歪んだ、真っ暗な、希望も、何もない目を。

 

 そう思い当たった時、堪らずに、リュートはレオンの肩をきつく抱き寄せていた。そして、その懐から、一冊の古ぼけた帳面を取り出すと、それを彼の手に、渡してやる。

「レオン。聞いてくれ。僕がこのエルダーまで、一人で来られたのは、お前の兄の遺した南部の情報が書かれたこの帳面のおかげなんだ。ここに書かれたエルダーに吹く風と、この城周辺の詳細な情報が、単騎突破を可能にしてくれた。つまり、君の兄が、僕をここに導いてくれたんだ。……これからの、僕の戦いの為に」

「……これからの、戦い?」

「レオン……。今のお前に何を言っても、分からないかも知れないが……。どうか、復讐の為に、その命だけは無駄にしないでほしい。お前の命は、お前の兄が守った命でもあるのだから」

 

 その言葉に、レオンの体が、ふるり、と震えていた。そして、信じられないといった様子で、自分を抱く英雄の顔を見遣る。

「……な……。何、言ってんだよ……。ふ、復讐は、あんた、どうしたんだよ……。なあ、約束しただろ? 時が来たら、あんた、この国にいる帝国人、皆殺しにしてくれるって、俺と約束したじゃねえか!!」

「そ、そうだ! リュート! 君が、捕虜になるなんて、絶対に駄目だ! 君はまだ、この国に必要なんだ! 僕が捕虜になればいい! この、君より、遙かに劣った僕が、捕虜になるべきなんだ! こんな間違いを犯した、愚かな僕が……」

 レオンの言葉に被さるように、ヨシュアも言葉を重ねていた。その少年二人を前に、リュートはその目を閉じ、ゆったりと、その首を横に振って答える。

 

「いや、いいんだ。僕も、どうせ、更迭された身だし、再び軍を統率するのも、そう簡単には許されないだろう。それにね、いいかい、ヨシュア。確かに、君のしたことは、間違った事だっただろう。だが、この世の一体誰が、一度も間違いを犯さないことなどあるだろう。現に、僕だって、そうだ。僕だって、数え切れない過ちを犯した」

 そう少年達に、諭すように言いながら、リュートは、その脳裏に、あの忌まわしい戦場を思い浮かべていた。


 ……焼かれていった兵士達。血まみれで死んでいったクルシェ。

 すべて、自分の愚かさが引き起こした咎。決して、忘れてはならない、そして、目を逸らしてはならない、自らの罪。

 それを噛みしめて、尚、英雄と謳われた男は、言いつのる。

 

「……本当に、愚かなのは、その過ちから目を背けて、何も学ばない事だ。だから、ヨシュア。君も、自分のした罪を直視して、それから、どうか逃げないで欲しい。君は、この国の、揺るがぬ王位継承者なのだから」

 

「リュート……」

「ヨシュア。君は、僕になる必要はないんだ。君は、君らしく。そして、君の考えで、どうか犯した過ちを償って欲しい。これから、この国に生きる、全ての民のために、どうか、学び、そして、正しいことを為せる君主として、成長して欲しい。それが、僕からの、君への願いだ」

「で、でも……! き、君がいなくなったら、この国はどうなるんだ! 英雄である君が、この国を守らなかったら……」

 

 尚も、納得出来ぬ、といった様子で、そう詰め寄るヨシュアに、リュートはその肩をさらに、きつく抱いてやる。

「いいや。僕は英雄ではないよ。この国は、僕一人の手で守るものではない。現に、あの平原の戦いもそうだった。皆がいてくれたから、あの戦いで、あそこまで戦えたんだ。死んでいったものも、そうでないものも、皆、この国を守った英雄なんだよ」

 ……クルシェも、ニルフも。そして、名もない兵士達も。皆で、この国を守ったのだ。そして、これからも……。 

「ヨシュア、トーヤ、レオン。君たちは、まだ若い。君たちこそが、これから、この国を守る英雄になるんだ。どうか、その若い命を無駄にせず、誇り高い祖国の英雄として、戦ってほしい。……僕は、少し、ここを離れるけれど、心は、君たちと共に、いつまでも戦っているから」

 

「りゅ、リュート……。き、君は、一体……」

 告げられた思いと、そして、未だ見えぬこの男の真意に、潤んだ眼差しで、ヨシュアが問う。それに対して、返ってきたのは、何よりも眩しい、そして、不貞不貞しい、英雄の笑みだった。

 

「なあに。ちょっと、行ってくるだけだよ。……帝国を、ぶっ潰しに、ね」

 

 ……帝国を、ぶっ潰す。

 

 あまりにしれっと言われた言葉に、三人の目が、こぼれ落ちんばかりに見開かれた。

 とてもではないが、人一人で、しかも奴隷になろうという男が、そんな事、できるはずもない。まともに考えれば、気が触れているとしか、思えない、その発言。

 だが、どうしてだろうか。この男が言うと、何故か、それが不可能に聞こえないのだ。この、誰よりも不敵な笑みを、その顔に宿した男が言うのなら。


「リュート、君……。ほ、本当に……?」

「ああ。丁度都合良く、あの女が帝国に帰ると言うし、僕はそれに付いていこうと思うんだ。この国を蝕む害虫は、その巣ごと撤去しなきゃね。その為に、僕は帝国へ行こうと思う。全ての物事を見定め、この国に害をもたらす悪を根本から取り除き、この国の安寧を得るために……。例え奴隷になったって、全力で抗って、帝国を内部から引っ掻き回してやるさ。それが、これからの僕の戦いなのだから」 


 ……もう、復讐の為に、死ぬのは、やめたのだ。これからは、この国を守るために、戦い、そして、生きる。


 それが、白の英雄と謳われた男が出した答えだった。


「さ、三人とも、ルークリヴィル城へ帰りなさい。これからまた、半島は雪に閉ざされるし、しばらくは侵略の心配はない。それに、僕は望んで帝国に行くのだから、身代金ふっかけられたって、払わなくていい。なあに、大丈夫だ。この国には、僕より素晴らしい男達が一杯いるんだから、彼らを頼りなさい」

 

 そう少年達に告げ、踵を返すその脳裏で、リュートは共に戦った戦友達にその思いを馳せていた。

 

 ……誰よりも勇ましく、戦場を駆けめぐっていた豪傑達。知略を持って、毒蛇達を制さんとした文官。そして、誰よりも、自分を支えてくれていた、あの黒羽の主君。

 皆が、居るから、この一歩が、踏み出せるのだ。

 皆に、この背を預けられるから。こうして、一人でも、自分は戦いに赴けるのだ。


「……僕は、一人ではない。だから、行ってくるよ」


 そう告げる英雄の後ろ姿に、少年達の目から、涙がこぼれ落ちる。


「隊長! ボク、ずっと待ってるからね!」

「ゆ、許さねえからな! 変節して、帝国の仲間になっちまったら、俺、絶対に許さねえからな! 絶対、帝国ぶっ潰して来いよ!!」

 そう涙混じりに声をかけるトーヤとレオンの後ろで、ヨシュアが、小さく呟くのが、リュートの耳に届いた。それは、あまりに小さく、ともすれば、泣き声にかき消されそうな程にか細かったが、確かに、彼は言っていたのだ。

 

 ……リュート……兄上、と。

 

 

 

 

「おちびちゃん三人と、別れは済んだようね」

 

 三人の元から戻ったリュートに、赤毛の姫が笑いかける。

「覚悟はよくって? 帝国は、この国とは違うわよ。そこで、奴隷になるということが、どんなものか、楽しみにしているといいわ」

「……ふん。まあ、好都合だったな。丁度、お前達の巣というものが見たかったことだし、行ってやるよ。そっちこそ、余分な者、連れ帰ってきたと、後で後悔したって遅いからな」

「ふふ、そうこなくっちゃね。こっちも面白くないわ。ま、約束は守ってやるわよ。あのおちびちゃん達と、兵士はちゃんと返してやるわ。だから、これ付けて」


 そう言って、ぽん、とリュートの手に渡されたのは、どう見ても……。 

「く、首輪……?」

 

 それも、どうみても、竜の首にしては小さすぎる……、まるで、丁度、人間の首のサイズの……。

「もしかして、……僕のか?」

「そ。奴隷の証」

 

 あっさりと、肯定されてしまったその屈辱の証に、即座にリュートの後ろから、高らかな笑い声が投げかけられた。見遣れば、そこには、銀の髪を揺らして、馬鹿にした笑いを浮かべる、忌々しい従兄弟の姿。

「あはははははっ! 田舎者に相応しいアイテムじゃないの! ま、せいぜい、そこの姫様のいい家畜になるんだね! ま、僕はさっさと王都にでも帰って、のんびりするとでも……」

 

 ――ばきり。

 

 笑う狐の口から、鮮血が迸っていた。そして、吹っ飛ぶ体に、みっともない悲鳴。

「ああ? 何言ってんだ、このクソ狐は」

 あまりの出来事に、狐と呼ばれるエイブリーが前を見遣れば、そこには、限りなく爽やかな笑みを浮かべて、拳を握りしめる従兄弟の姿。

「誰が、お前と交換すると言った。お前も、僕と一緒に帝国に行くんだよ。ま、従兄弟同士、仲良く帝国観光といこうじゃないか、エイブリー君」

「……え、……ええ? ええええええええ?」

「何? 嬉しくて、嬉しくて、堪らない? そりゃ、何よりだ。うん、僕もようやくお前がぶん殴れて、嬉しいよ。初めて会ったときから、ぶん殴ってやろうと思ってたからな。ああ、嬉しくって、嬉しくって、まだ手がうずうずするなぁ」

 事態が飲み込めず、目を白黒させるエイブリーの前で、貴公子が、碧の瞳を妖しく光らせて、その手をばきばきと鳴らす。そして、一言。

 

「な・ぐ・ら・せ・ろ」

 

 勿論、……否、と言う余地はない。

 ただ、響くのは、銀狐と呼ばれる男の悲鳴と、そして、英雄と呼ばれた男の拳がぶつかる音のみ。

 

 

 

 

 

「ああ、すっきりした。お待たせ」

 

 一仕事、終えて、きらり、と汗を光らせたリュートが、ボロ雑巾、いや、かつての従兄弟をその足の下に敷き敷き、そう笑みを漏らす。その従兄弟に対するあまりの暴挙に、些か呆れの色を滲ませながらも、姫も負けじと挑発的な言葉をかけた。

「ふん。いい度胸ね。あんたの復讐ってのが、どんなものか見届けてやるわよ。いつでも、かかってらっしゃいな」

「ああ、そうだな。こっちこそ、お前達とその国が、どれくらい腐ってるのか、しっかりと見届けてやるよ。覚悟しておけ」

「……はん。楽しみだこと」

 

 男と女の間で、互いに挑戦的な眼差しが交わされる。

 一人の英雄と謳われた男と、帝国の鍵を握る女。運命の、二人の間で――。

 

「――じゃあ、行こうか、帝国へ」

 

 目の前の赤毛の女に、そう吐き捨てながら、白の英雄と呼ばれた男は、その碧の目をもう一度、城の外へと馳せた。

 翼を持つ、風と共に生きる民の国。……麗しの、ミラ・クラース王国へと。

 

 

 ……我が、懐かしき故郷。何にも代え難い、大切な人々が生きる、この国へ。

 

 必ず、帰ってこよう。

 この国を脅かす害悪を取り除き、戦いを終えて、必ず、この、愛おしい国へ。

 


「行ってくるよ」

 


 それが、この国をかつて救いし英雄の、新たな戦いへの宣戦布告だった。

 

  

これにて、第三部半島編終幕です。

この長い話、しかも、この展開で、ここまで読んで下さった読者様には、もう本当に、ありがとうございますとしか、言えません。

そろそろ、ウザくなってきた方も多いかと思いますので、明言をば。……この話、次の第四部帝国編、そして、最終章で終わります。ようやく、山の頂が見えてきた、という所でしょうか。

正直、何度か、途中で挫折しかけていました。このネット小説という環境では、あまり鬱展開好まれず、ライトで楽しい展開の方が好まれるのだろうな、とは分かってはおりまして、いっそ、この話、公開しないほうがいいのだろうかと悩みました。読者の方も、あんまりこういう展開は読みたくないのだろうな、期待裏切ってるな、と正直、後ろめたくもあり、そこから来るスランプやストレスもあったのですが、結局は、最初から決めていたこの展開を初志貫徹しました。多分、この展開にしたら、読者は離れるし、酷評はくるだろうな、とは思っていたのですが……まあ、案の定ですわ……。

でも、私はどうしても、ただ、強いだけの主人公は書けなかったのです。私が惹かれるのは、どうしても、コンプレックスや、挫折のある人物なので。

で、ようやくリュートも復活しまして、これから帝国編なのですが、すみません。今度は私が、へばりました。精神的、肉体的な疲れが溜まっており、しばらく今までの分修正しつつ、充電してから、第四部書き始めたいと思っています。あと、ご意見窺いたいのですが、この話、十五禁にしてもいいでしょうか?エロ将軍も投入されたことですし、生々しい描写を入れていいものか、と悩んでおりまして。勿論、反対意見多ければ、ピュア(笑)な方向で頑張ります。そういうのが苦手だとか、十五才以下の方(いるのか?)、嫌だったら、遠慮なく仰って下さい。

では、なるべく早めには帰ってこようと思っております。ここまで読んで頂いて、本当にありがとうございました。それでは、また、四部で。


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