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第七十二話:哀悼

 ナバラ平原の戦いから一夜明けて、みぞれ雨は雪となって、深秋のルークリヴィル城を白く染め上げていた。

 

 戦の終結後、騎士団が全て半島最南端のエルダーに帰ったことを受けて、残った有翼軍は、全て、ミッテルウルフ候が守っていたこのルークリヴィル城に撤退。そして、王太子命令によって、戦の敗北の責任を問う形で、指揮官だったリュートは更迭され、現在、城の東塔に謹慎処分の命を受けていた。さらに、彼を陥れんと企んでいた近衛隊長ラディルも同様に、西塔への謹慎処分。

 だが、この選定候が二人も謹慎という前代未聞の事態を受けても、尚、ラディルの迫真の演技によって、その命を長らえた銀狐は、おとがめなしの処置だった。これに、黙っておれないのが、この機に毒蛇達を一掃してしまおうと目論(もくろ)んでいた宰相配下のオルフェである。

 

「東の御大公殿下は、未だお見えではないのか!?」

 

 東大公の為に用意された部屋に飛び込んで来るなり、きつい口調で、オルフェはかつての同僚に問いつめる。だが、問われた元同僚は、その自慢の巻き毛をくるくるといじって、不機嫌に否定の言葉を返すのみだ。

「だーかーら、まだ、帰ってきてねぇって、言ってんだろ〜。ったく、銀狐仕留め損ねたのはお前だろうが。それを今更ランドルフに頼ってどうしようってんだよ」

「だから! それは私じゃなく、あの阿呆文官共のせいで……」

「そいつら、掌握出来てなかったのはお前の責任だろうが。ああ、嫌だ、嫌だ。えらそーに、俺らの元去って、宰相のとこに行ったかと思えば、これだよ」

 嫌みったらしく吐かれる長身の男からの言葉に、オルフェは、尚も、その胸元に掴みかかって抗議する。

「うるさい! お前みたいな何も考えていない筋肉馬鹿に、そんな事言われたくないわ、レギアス! 大体、ランドルフ様もランドルフ様だ。この一大事に、こうして部屋を空けて、一人でどこかへ行っておられるなんて……。東大公というご身分を何だと考えておられるのか! リュートがああなった今、あの方がヨシュア様を導いてやらねば、きっと、またあの銀狐めが出張って来るに違いないのだ。それを……」

 と、言いつのるオルフェの手を、ぐい、とレギアスの手が押し戻していた。そして、いつにないほどの真剣で、そして、怒りを孕ませた目線で、オルフェを見遣ると、一言、鋭く言う。

 

「おい。大公だろうがなんだろうが、今のあいつは、一人の兄貴なんだよ。そっとしておいてやれ」

 

 その言葉に、オルフェはレギアスが何を言わんとしているかを、即座に悟る。

「……クルシェ様のことか。あれは……、正直、私も、その、……残念に思っているが……」

「そう思ってんだったら、尚更じゃねえか! 今くらい、大公、大公って言ってやるなよ! 今くらい、一人の兄貴として、哀しませてやれよ!!」

 そう言いつのりながら、良く鍛え上げられたレギアスの腕が、細いオルフェの首元をきつく締め付ける。だが、この攻撃にも、オルフェはその態度を崩さず、尚も、反論を返さんとした。

「だ、黙れ。大義を成す為には、一時の感情に流されてはいかんのだ。今は、弟君のことより、もっとすべきことが……」

 

 ――ばきっ。

 

「もう一回言ったら、今度は全力でぶん殴るぞ」

 東部一、と謳われる武官の拳が、線の細い文官の頬にめり込んでいた。どうやら、かなり加減したらしく、幸いにして、歯は折れてはいないようだ。だが、その頬に残された跡は、誰が見ても痛々しいほどに、くっきりと浮かび上がっている。

 その跡を、さすりながら、尚も、オルフェは持論を崩すとことはない。いつもの調子で、かつての同僚に向けて、常々言っていた嫌味をくれてやる。

「……ちっ。だから、嫌なんだ、野蛮人は。こうやって、武力でしか解決できない。まったくに建設的でないよ」

「ふん。小難しいこと言うよりも、拳と拳、ぶつけ合った方がよっぽど理解出来る事もあるんだよ。覚えとけ。次言ったら、歯という歯、全部折るぞ」

 

 最後とばかりに、それだけ吐き捨てるように、オルフェに告げると、レギアスは、その目をちら、と窓の外へと向けた。

 そこには、うっすらと雪を被った、この城で唯一の祈りの場。厳かな鐘の音が、粛々と、鳴り響いている小さな神殿があった。

 

 

 

 

 

 ――カーン……。カーン……。

 

 死者の魂を冥府に送り届けると言われる鐘の音が、小さな神殿に木霊する。

 その、薄く明かりが差し込む神殿には、先の平原の戦いで戦死した、身分ある兵士の遺体が安置されていた。皆、流石に身分の高い者だけあって、丁重に、その遺体は、棺に収められている。

 その中の一角、特に身分の高い人物が安置されている場所に、黒の装いの男は一人、ぽつり、と佇んでいた。

 

「……クルシェ……」

 

 男の前には、静かに瞼を閉じて、横たわる黒羽の少年の体。

 その氷のように冷たい肌に、男はそっと触れてやりながら、言葉を紡ぐ。

「クルシェ……。よく、頑張ったな。本当に、……よく……」

 その褒め言葉に、無論、少年は一言も返すことはない。ただ、静かに、あの臨終の時に見せた微笑みを、その口元に浮かべているのみだ。

 だが、少年のその哀しくも、満足げな微笑みこそが、何よりも、男の心に突き刺さってならなかった。

 

 ……こんな、最期を。……こんな、最期しか、お前に与えてやれなかったのか、と。

 

 兄としての責務と、そして、愛情とが、男の心だけでなく、体をも揺さぶっていた。

 気づけば、肩を大きく震わせるほどの、激しい嗚咽がその口から漏れていた。かつて、父が死んだときだって、これほどに乱れはしなかった。あの時は、父の覚悟と、そして、その意志の大きさにただただ、敬服し、涙を流した。だが、今は違う。

 漏れ出るのは、心を引きちぎられるような痛みだけだった。

 

 ……哀しい。

 だた、ただに、哀しくてならない。

 

「クルシェ……。クルシェ……。私は、……私は、どうしたら……」

 

 そう涙の間に問いながら、兄は、もう弟の体を愛おしげに撫でてやることしか、出来なかった。

 そして、その慟哭をかき消さんばかりに、またも哀悼の鐘が鳴らされる。

 

 

 

 

 

 

 ――カーン……。カーン……。

 

「……クルシェ……」

 

 その鐘の音を、城の主室で一人聞きながら、王太子ヨシュアは、一人、物思いに耽っていた。

 あの王都で、共に闘技場を楽しんだ少年が、死んだという。あの、おどおどと、引っ込み思案だった少年が。一人の兵士として、あの血まみれの戦場に飛び込み、そして、敵将である将軍と共に、刺し違えて、果てたという。

 

「そんな……。あの、クルシェが……」

 

 その華々しい戦いぶりと、哀れなる最期を聞けば聞くだけに、王太子の心は、まるで大きな石でも乗せられたかのように、重くなる。

 何故なら、それは、まさしく、誰もが誇るであろう武勇に他ならなかったからだ。あの、少年の細い身で。大公家の次男という身分でありながら、将軍を殺し、リュートを救ったのだから。

 

 ……一方で、省みて、自分の身はどうだ。

 

 ヨシュアは、改めて、戦場での自分の醜態を、その脳裏に思い起こさせる。

 あの重要な場で、一歩も動けず、ランドルフの叱責を受け、そして、近衛隊長ラディルの企みにも気づかず、そして、まんまと利用されて、ここにいる。それに加えて、あの従兄弟、エイブリーも、証拠はないし、本人も知らぬ事と言い張っているが、もう、心底信用出来るものではない。

 

「何て、……何て、情けない男なんだ、僕は……」

 

 現在、リュートを、その王太子権限によって、更迭しているものの、決して、自分はそんな事が出来る器ではないとわかっている。ただただ、何も物事を分からぬうちに流されて、何を信用していいのか分からない、馬鹿な王子のままだ。

 到底、その信ずるところのままに、死んでいったクルシェの足下にも及ばないではないか。

 

 その事実が、激しくヨシュアの心を抉る。

 かつての弱々しかった友人への憧憬と嫉妬。そして、どうにもならない、この自分の無力感と劣等感。

 

 ……自分は、王太子なのに。この国を統べる、王の血を引いているのに。

 

 その思いが、窓を震わせる、嫌な風漏れの音と合わさって、ヨシュアに焦燥感をもたらしていた。

 あの、クルシェでさえ、戦ったのに。そして、あの憧れてやまなかったリュートが、こうなってしまった今だからこそ。

 

「僕が……、僕が、戦わなければ。……僕が。この王太子である、僕が戦わなければ、どうするっていうんだ」

 

 自分を鼓舞するように、若き王太子はその腰を、上等の椅子からすっくと上げていた。そして、窓に降る雪を、その青い瞳に映しながら、一人、その胸に決意する。

 

「この雪が止んだら……。その時こそ、僕の本当の初陣だ。必ず、僕の手で……、あの残った女騎士達を駆逐してみせる。もう、リュートには、頼らない。僕は……、僕は……」

 

 ……誰にも脅かされぬ、この国の王太子なのだから!

 

 そう一人、内心で決意して、少年は、雪降る窓辺を後にする。

 だが、その少年の、一人の男としての覚悟とは裏腹に、雪は未だ止む様子を見せなかった。ただ、ひょうひょうとうるさい風の音が、耳について、いやに少年の心を煽っていた。

 

 ……早く、一人前にならなければ。早く結果を出して見せなければ。そして、あのリュートをも凌駕する男にならなければ、と。

 

 その心に追い立てられるように、王太子ヨシュアは、初めて、自分の口で、幕僚会議を招集していた。議題は、勿論、エルダーに残る竜騎士の残党駆逐の為の次の戦について、である。

 

 

 

 

 

 

 ――カーン……。カーン……。カーン……。

 

 先の哀悼の為の鐘とは違う音色の鐘を、リュートは東塔にある謹慎室の中で聞いていた。かつて自分が何度か鳴らした幕僚会議招集の為の鐘である。

 

「……まさか。また、戦をするつもりじゃあ……」

 

 その鐘が示す意味に、即座に気づきながらも、リュートには、もう為す術がなかった。今は、あの平原の戦での失態によって、更迭され、謹慎処分となっている身。どうしたって、会議に出席することなんぞ出来ない。

「馬鹿な……。こんな状態でエルダーを攻めたって、やられるだけなのに……。誰か、時期を待つことを進言するものがいればいいが……」

 そう出席出来ぬ会議に思い馳せながら、リュートは堅牢な鍵が付けられている窓から外を見遣った。謹慎室と言っても、所詮は塔の最上階に位置する質素な一室に過ぎない。選定候という身分を慮ってか、牢には入れられず、鉄格子すらないこの部屋があてがわれていたが、それでも、やはり、塔の部屋、ということで、決して過ごしやすい所ではない。暖炉もないし、すきま風もひどく、外とそう変わらぬような寒さだ。

 だが、今のリュートのとっては、その辛い寒さこそが、望むものだった。寒さでもなんでもいい。とにかく、自分に罰を与えたかったのだ。

 

「クルシェ……」

 

 どうにもならない会議の招集の件を、一旦頭から追いやって、リュートは質素なベッドに再び腰掛けて、一人、思い馳せる。

 

 あの、自分を庇って、死んでいった、黒羽の少年。

 最初はおどおどと引っ込み思案で、自分の意志などほとんどなかったようなあの、少年が。

 そして、この半島に自分の意志でやってきて、驚くほどに成長を見せていたあの、少年が。

 

「僕の、せいで……。僕の、……せいで……」

 

 まだまだ、彼には輝かしい未来が待っていたのであろうに。きっと、まだまだ成長して、もっと素晴らしい男になって、そして、あの兄と共に、東部を支えていったのであろうに。

 

 それを、自分の浅はかさのせいで、すべて奪ってしまったのだ。

 彼が持っていた、未来も、希望も。すべて、すべて。

 

「何て罪深い……。僕は、何て……」

 

 そう頭を振っても、その頭を占める哀しみと後悔は少しも薄れはしなかった。ただ、この手と羽に残っている血の跡が、疎ましくて、腹立たしくて他ならない。

 

 振り返れば、思い起こされるのは、少年の無償の慈しみの心だけだった。

 あのどうにもやるせなく眠ってしまった砂浜で、ずっと風を送り続けてくれたあの優しさと、手を取って暖かい食事に誘ってくれたあのいたわりの気持ちだけが。

 

 ……どうして、自分は、あの気持ちに素直に答えてやらなかったんだ。

 ただ、自分の身に降りかかった不幸に浸って、どうして彼の心を受け止めてやらなかったんだ。

 彼は、あんなにも、こちらに手を伸ばし続けてくれていたのに。いつだって、この世界に自分を引きとめようとしてくれたのに。

 どうして、自分は、いざという時に、あの十の頃の弱い自分に負けてしまったのだ。

 

 ……どうして。……どうして。

 

「……っ。…………っっ」

 

 はらはらと、熱い涙が、頬を伝う。

 何よりも、自分が生きている証とも思える、熱い涙が。

 

「クルシェ……。ニルフ……。レミル……」

 

 戦い、死んでいった男達の名が、その口から漏れる。そして、彼らの死んでいった有り様に、……今まで、考えることを拒んできた彼らの、死んだ意味について、一人考える。

 ……今までは、生きる糧としての恨みにしかならなかった彼らの死は、一体、如何なるものだったのか、と。

 

「考えろ……。考えろ……。意味なんか、なくったって、考えなければならないんだ。そして、この僕がした、大罪についても。それが、僕の、そして、この国の……」

 

 冷たい雪の戦場で死んでいったレミル。

 暗い坑道で焼かれて死んでいった『南部の風』の戦士達。

 雨のガンゼルク城で死んでいったニルフと兵士達。

 風と炎の平原で死んでいったクルシェと兵士達。

 そして、捕虜のロン、そして、敵将だったサイニー将軍と、あの忌々しくも猛々しい姫の残した言葉。

 

 ありとあらゆる事柄が、ぐるぐるとリュートの頭の中を駆けめぐる。

 正直、直視したくない現実ばかりだ。だが、目を背ける訳にはいかなかった。これから、成すべき事は何なのか。そして、この自分が生きるべき道は、何なのかを見極めるために。

 

「……駄目だ……」

 

 だが、いくら考えても明確な答えは出なかった。

 何か、自分の心に暗い靄がかかって、その答えを出すことを拒否しているのだ。あの、自分を暗い冥府の世界へと引きずり込もうとする影が、今も邪魔して、思考を混乱させている。

 結局、まだ、自分はあの甘くて暗い世界への憧憬が、心のどこかでぬぐい去れていないのだ。今も、どこかで、この世界を忌み、そして、愛する者が眠る場所を追い求めて止まない。

 ……これでは。

 

「これでは、駄目だ。……これでは、駄目なんだ……」

 

 その思いに辿り着き、リュートが再び、その頭を振った時だった。

 一段と荒いすきま風が、ヒュウヒュウと、金の髪と汚れた白羽を揺らしていた。その寒さに、ふと、窓の外を見遣ると、舞い散る雪の向こうに、一つ、きらり、と光るものがある。

 慌てて、窓に張り付き、外を見遣ると、そこには、白銀の鱗を光らせた若竜の姿。

 

「――ブリュンヒルデ!!」

 

 その呼びかけに応えるように、ブリュンヒルデはその羽を伸ばして、一直線にこの東塔へと翔て来た。そして、窓の前まで来ると、その体を反転させ、鋭い棘のついた尻尾を、ぶん、と振り回して、窓へとぶつける。

 

 がしゃん、と音を立てて、一撃で、鍵の付いた窓が破られていた。それと同時に、ブリュンヒルデの甲高い鳴き声と、外に降っていた雪が部屋の中に入ってくる。

「ブリュンヒルデ! お前、一体どうして……!」

 きゅうきゅうと甘えた声を出す竜に、即座にリュートは窓辺へと駆け寄って、その頭を撫でてやる。すると、その窓の下から良く聞き知った声が投げかけられた。

 

「隊長! リュート隊長!!」

 

 見遣れば、東塔の下には、元近衛隊士のアーリとリザの姿があった。彼らは周囲をちらちらと見回すと、誰も居ないのを確認して、その翼を羽ばたかせて、塔の上へと近づいてくる。

「アーリ! リザ!! お前達、どうして?!」

 驚くリュートに構わず、二人は窓の外から、彼に向けて、毛皮のコートと、大きな荷物をおもむろに押しつけてきた。そして、一言、意外な言葉を告げる。

 

「――逃げて! 逃げて下さい、隊長!!」

 

「……に、逃げろだって?」

 あまりに突然の出来事に狼狽えるリュートとは裏腹に、アーリとリザは、さらにせっぱ詰まった声音で彼に詰め寄ってくる。

「はい! このままじゃ、隊長が平原の戦の全責任を負わされます! そうなる前に、早く!!」

「そーだぜ! 俺たち、そんなの許せねえんだ! 今まで全部隊長に任せといて、一回失敗したからって、あんたを更迭する上の奴等なんかな! なあ、アーリが調教してたあの島まで、このブリュンヒルデで逃げてくれ! 後で俺らが助けに行くからよ!!」

 

「お、お前達……」

 その意外な申し出に、リュートは驚きながらも、即座にその首を横に振る。

「だ、駄目だ、そんな事。僕がした失態の責任を取ることは、当然の事だ。ここから、逃げるなんて、そんなこと、絶対に……」

「じゃあ、ここに居たら、どうにかなるって言うんですか! このままここにいたって、状況は変わらんでしょう! 俺たち、あんたに心底惚れて付いて来てんです! このまま、あんたを失いたくないんですよ!!」

「逃げるって考えるから駄目なんだよ! 何だっけ、俺、馬鹿だからわかんねーけど、ええと……」

 と言いながら、リザは、その懐から一冊の本を取り出した。あの、王都でリュートが彼に贈ってやった『これで貴方も貴公子! 正しいクラース語入門講座』という本だ。それをぱらぱらとめくると、リザはボロボロになった一枚のページを指し示して言う。

「そーそー、これこれ! 『再起を図る』! これだよ、これ! 隊長、『さいき』ってヤツはかんなきゃ駄目っしょ! 俺たち、落ちこぼれだって、今、こうして立派に国王軍の兵士やってんだから! 俺らがいい見本だろ?!」

 そう言って、にかっと笑った男の出で立ちは、とても、いい見本とは思えないほど下品なものだった。だが、その言葉は、リュートの心に何よりも深く、深く染み渡っていた。

 そして、一人、大きく頷く。

 

 ……そうだ。このままでは、自分も駄目だと思っていた。

 

 こうして、未だに心に靄がかかったままの自分のままでは、如何なる責任も取れはしない。この、忌まわしい枷を断ち切らねば、死んでいった者達への何の弔いもできないのだ。

 自分の咎を直視し、そしてそれと向き合わなければ、一体、自分に何の償いが出来るというのだろうか。

 

「――逃げるのではなく……、決着を、付けるために」

 

 その言葉と共に、リュートは二人の部下に向けて、初めて、その顔を上げて、明確に頷いていた。そして、差し出された上着と、荷物をしっかりと受け取って、窓の外で待つブリュンヒルデの手綱を取る。

 

「アーリ、リザ。僕は必ず帰ってくる。この心に、決着を付けて、責任を取るために。それまで、頼むぞ」

 

 竜の背で、明確に語られたその言葉に、一瞬でアーリとリザの目に輝きが差した。

「……はいっ! 隊長! 後の事は任せて下さいっ! 俺も、こっちのこと上手く誤魔化したら、すぐに、島に向かいますから!」

「そうそう! トーヤや筋肉のおっさんも誘ってよ! みんなであんたのこと……」

 

「……いや」

 

 言いつのる二人の言葉を遮って、リュートはその首を横に振る。

「島には、行くつもりはない。だから、お前達はここで待っていてくれたらいい。僕が行かねばならないのは……」

 そう言って、リュートはその碧の瞳を遙か北へと馳せた。山脈を越えた、あの懐かしき、東部の地。自分の栄光と哀しみの全てが、始まりを告げたあの運命の地へと。

 ぐい、と力強く手綱を引っ張ると、リュートは、何よりも凛とした声音で、ブリュンヒルデにその行き先を告げていた。

 

「行こう。――僕の故郷、クレスタへ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――カーン……。カーン……。

 

 哀悼の鐘を後ろに、ランドルフは、何とか目尻の赤い滲みををぬぐい去って、招集された会議へとその足を向けていた。

 正直、まだ弟の死が受け入れがたくて、考えが纏まらない状況だが、事態は、大公という身分の彼を待ってはくれないらしい。ふらつく足取りを立て直し、気を張って、城の会議室の椅子へと着席する。

 その彼の憔悴した様子に、会議室に向かう途中で合流してきたレギアスが、後ろから心配げに声をかけてきた。

 

「おい、大丈夫か。辛かったら、俺が代わりにこの会議聞いておいてやるぜ」

「いや……、いい。大丈夫だ。それよりも、一体何故、またこのような会議を……」

 

 と、小さく疑問の声を漏らしながら、ランドルフは会議室の中心に座る王太子の姿を見遣った。すると、そこには、先の戦の時とは少々違った様子の少年の姿。

 その双眸に、何か強い決意を宿したような光を湛えて、じっと窓の外の雪を見つめている。一見するとそれは、とても王太子に相応しいような力強い眼差しなのだが、ランドルフには、どうしてもその少年の宿した光に、何か不安のようなものを感じてならなかった。

 

 ……一体、どうしたというのだ、殿下は。一体、何をそう焦った目をしておられるのだ……。

 

 そうランドルフが、その内心で疑問を抱いた時だった。

 今にも開かれんとしてた会議を打ち破るように、一人の兵士が、部屋に駆け込んできた。そして、その口から、おもむろに、驚愕の報告を紡ぎ出す。

 

「――も、申し上げます! りゅ、リュート様が……! 更迭され、東塔におられるはずのリュート様が、突然姿を消されました!!」

 

 この報告に、会議室は一斉にどよめく。

 中でも、彼の身を案じていたランドルフは堪らずに席を立って、兵士へその詳細を話すように詰め寄った。

「それは真か! あの馬鹿! 一体どうして?!」

「そ、それが……。どうも、元近衛隊士達が手引きして、お逃がししたようで……。聞けば、あの白銀の竜に乗って、遙か北の地を目指して去って行かれたとか……」

 あり得ない報告に、ランドルフの顔色が一瞬にして変わる。

「な、何だと、あの馬鹿猫……」

 

 ……この大事な時期に。この、責任を取らねばならん、この時期に。

 逃げた、だと? あの一騎打ちで気を抜いたのみならず、この時期になって、まだ逃げるだと? 逃げ……。

 

 そこまで考えて、もうランドルフの思考は、中断されていた。勿論、体を揺らす、この激しい怒りによって、である。

 

「……許さん。絶対に許さんぞ、あの山猫……。どんな理由があろうが、自分の背負うもの放り出して逃げるなんぞ、この私が絶対に許さん! あの首根っこ捕まえて、即刻、この場に引きずり出してやるわ!!」

 

 怒りのあまり、ぶるぶると震える手を握りしめて、ランドルフはおもむろに会議室をを背にしていた。

「失礼、殿下! 私、急用が出来ましたので、この会議、欠席させて頂きます。少々、たちの悪い山猫狩りに行って参りたいと思いますので、どうぞ、ご容赦を」

「ら、ランドルフ殿!」

 もはや、王太子のその引き留めも、怒り狂う黒羽の大公には届かなかった。ただ、一言、レギアスに、後のことは頼む、と言い捨てると、有無を言わせぬ足取りで、会議室を去っていく。その様子に、残された者はただただ、あっけに取られたように、ぽかんとその後ろ姿を見送る事しかできない。

 

 だが、そんな会議室の中で、唯一意味ありげに、歪められている口元があった。

 銀狐と揶揄される北の大公、エイブリーの口である。

 

 ――面白くなってきたじゃないの。

 

 そう一人ごちて、エイブリーは、北の大公席から、去っていった大公の席を眺める。

 

 ……あのラディルが捕まって、一時はひやひやしたけど、これは面白いことになった。あの田舎者は勝手に自滅してくれたし、果ては、この責任放棄の失態と来た。もう、あの忌まわしい田舎者なんか、こちらが手を出さずとも、失脚する。

 そして、上手いことに、あの田舎者を追って、鬱陶しい東の大公も消えてくれた。

 

「これは、チャンスじゃないの」

 

 またとない好機に、にんまりと狐に似たつり目が嗤う。

 

 もうあのラディルなんか、放っておけばいい。こうして、お人形の王太子は、珍しくやる気になっているみたいだし、これを利用せぬ手はない。

 このお人形を頭に据えて、実質自分が指揮を取って、残っている女騎士達を殲滅すれば……。

 

 その思い当たった企みに、思わず、くくく、と狐の口から笑いが漏れた。

 

「いいねぇ。『銀の英雄、エイブリー』。うん、悪くない、悪くない」

 

 そう呼ばれる自分を、その脳裏に浮かべながら、エイブリーは至って真摯な顔つきで、王太子に進言をしていた。

 勿論、……エルダーに残る紅玉騎士団殲滅の為に、王太子自らの親征を推し進める進言を、である。

 

 


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