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第七十話:劫火

 ぷしゅ。……ぷしゅり。

 

 その、二度響いた血飛沫の音に、リュートは呆然とした頭で、一つ奇妙な心地を覚えていた。

 

 

 ……あれ。どうして、二つも血飛沫の音が響くんだ? 僕が、将軍に斬られたはずなのに。僕の剣は、将軍を刺し貫いていないはずなのに。

 

 あれ。

 

 それから、どうして、僕は、こんなに痛くないんだ?

 サーベルで、斬られた、はずなのに。……こんなに、目の前で、血が迸っているのに。

 ……一体、どうして。

 

 

 

「き、貴様……」

 

 呆然としていた耳に、将軍の声が届く。

 その声に、ようやくリュートの意識は、現実に引き戻された。

 

「貴様……、一騎打ちを、邪魔するとは……。し、しかも、……こ、小僧の分際で……」

 

 ……ごふり。

 

 将軍の口元から、鮮血が吐き出されていた。見遣ると、先の墜落の衝撃で割れた鎧の間をついて、剣が、将軍の腹に刺さっている。

 しかも、おかしいことに、先まで将軍と相対していたリュート自身の体は、地面に横たわっているのだ。……一筋の血も流れぬ、無傷の状態で。

 

 ……確かに、自分は、将軍の剣を受けたと思ったのに。どうして、自分は、無傷で倒れているのだ。

 どうして、将軍は血を流しているのだ。

 

 そして、どうして、将軍のサーベルが、……目の前の、……小さな黒羽を、赤く汚しているのだ。

 

 

 ようやく、頭に入ってきたその事実に、リュートの体が、激しく揺らぐ。

 

 そこには、腹に剣を突き刺された、鉄人と謳われる将軍。

 そして、彼の前には、将軍のサーベルを食らって尚、剣を握りしめている、黒羽の、少年の姿。

 

 がたがた。

 がたがたがた。

 

 恐ろしい程の震えが、リュートの全身を襲っていた。

 

「あ……あ……」

 

 震える唇で、ようやく、リュートはその少年の名を、呼んでやる。

 

 

「――く、クルシェーーーーっっっ!!!」

 

 

 ……ごふり。ごふり。

 再び、将軍の、そして、クルシェの口からも、鮮血が迸る。

 

「こ、小僧……。その身を盾にして、尚、私の腹に剣を突き立てるとは……。ふ、ふふ、なかなか大した、小僧ではないか……」

 刺さる剣を握りしめながら、将軍が震える声音で、目の前の強い意志を宿した、瀕死の少年をそう評する。

「……こ、殺させない。りゅ、リュート様は、殺させない。……ぼ、僕が、僕が、守るって、誓ったんだ。この、僕が……」

 そう声を絞り出しながら、クルシェの手は、尚も鉄人に抗うように、剣を放そうとしなかった。その手に、力を込めて、さらに、鉄人の鍛え上げた腹を、食い破る。

 

「……ぐっ……。ゆ、油断、したわ……。ふ、ふふ……。せめて、あの白羽と決着を、とでも、と思うておったが、まさか、こんな子供にな……」

 言いながらも、将軍の瞳は、どこか満足げな色を帯びていた。まるで、こんなまだあどけない少年に、殺されることこそが、本望であったとでも言うように。

「ぼ、僕は、許さない。……僕を……初めて、認めてくれたリュート様を……殺させることなんか、絶対に、許さない……」

 

 ――ぐい。

 さらに、クルシェの剣が、将軍の腹に突き立てられた。それと同時に、将軍の手が、力無く剣からほどかれる。飛び散る鮮血。そして、何も、掴むことなく空を切る手。

 

 ざしゃり。

 みっともない音を響かせて、将軍の頑健なる体躯が、地に転がっていた。



「……ふ、ふふ。……白羽の戦士よ。貴殿、良い部下を持たれておるな……」

 地に転がり、仰ぎ見た空に、将軍の呟きが溶ける。

「貴殿より、そして、この私より、……強い男だよ……。この、小僧は……。迷いを抱えて戦う貴殿や、私より……ずっとずっと……な」

 そう呟いて、同じく血を流して倒れ行くクルシェに向けた将軍の視線は、どこか、羨望とも言える色を帯びていた。とてもではないが、鉄人と謳われる男には、ふさわしくない、その眼差し。

 だが、その視線も、言葉も、打ち震える白羽の男には、少しも届いていないようだった。ただ、その顎をがくがくと震わせ、現状を直視するのがやっとの様だ。

 その様子に、将軍は意味ありげに、また、ふふ、と小さく笑いを漏らした。

「せ、せめて、け、ケリをつけたかったものを……。これが、私にも、貴殿にも、相応しい、結末……ということか……」

 そう言いながらも、鉄人は、何について決着を付けたかったのか、その口からは、明言しようとはしなかった。


「ふふ……。……弱かったよ。……弱かったよ、私は……。グラナ将軍、貴女の言うとおりだった……」

 自らの生き方に思い馳せ、鉄人は、祖国の女将軍の名を呟く。そして、ヒュドラの紋章のついた鎧を纏ったその体を、最後のプライドだ、とでもいうように、何とか引き起こそうと試みた。

 だが、流れるおびただしい量の血がぬめって、重厚な体躯を持ち上げることが出来ない。再び、ざしゃり、とざらついた音を立てて、体が転がる。

 

 ……ごふっ、ごふっ……。

 もう、腹からの出血は止まらない。その事実に、鉄人は自分の命が、如何にもうわずかであるかを悟って、最期とばかりに、祖国に待つ主君に向けて、その思いを馳せた。

 あの、赤毛の、傲慢で、猛々しい、だが、それでも尚、慕わしい主君に。

 

「陛下……。申し訳ありません。私は、……もう、貴方を……、陛下をお守り、できません……。出来うるならば、……貴方のお側にて、お支えしたかったものを……。……ですが、……これが、私の……」

 そう言い淀むと、鉄人は重くなりゆく瞼を、最後の力とばかりに、かっと見開いた。

 光を失いゆく鉛色の瞳。そこに映るは、ただただ、暗く、全ての明るい光を覆い尽くした、曇天の空。寒々しい平原を、陰鬱に覆い尽くす、空一面の暗雲……。

 その暗い天に、鉄人はにやり、という意味ありげな笑みを漏らしていた。そして、自嘲げに呟く。

 

「ふ……。やはり、我が終幕に、光は見えぬか。だが、それでいい。それでこそ、我が……(あがな)いであるのだから」

 

 震える血染めの手が、鉄人の首元に伸ばされた。そして、そこから、血でさらに赤黒く染め上げられた神の印が、取り出される。

「神よ……。私に救いはいらぬ。……私の身は、いくらでも煉獄の劫火で焼かれよう。それ故に……。この、貴方の為に戦ったと言われるこの鉄人の故に。……救ってやってくれ。……私以外の……私の欺瞞によって死んでいった者を……。そうでなければ……」

 

 ぷちり、と音を響かせて、首飾りが鉄人の首から外されていた。

 

「そうでなければ、私はもう、……貴方を敬わぬ……!!」

 

 鉄人の手から、弧を書いて、首飾りが飛ぶ。

 

 ……こつ、こつ。

 

 無機質な音を響かせて、神の印が、寒風に揺らめく枯れ草の中へと、消えていた。

 後に残るは、ただ、ただ、狂乱の色を帯びた、英雄の叫び声のみ。

 

「――クルシェ!! クルシェーーーーっっ!!」

 

 

 

 

 

 ――どおぉぉぉぉ……。

 

 そんな戦場の一角の悲鳴は、平原に轟いた地を揺らさんばかりの雄叫びの前に、あっけなくかき消された。

 

「鬨の声をあげよ! 今こそ、侵略者共に、鉄槌を下すときだ!!」

 

 黒羽の大公の檄が、凄惨な戦場に木霊する。そこには、もう、圧倒としか表現出来ぬような、見事な明暗の軍様が展開されていた。

 白兵戦に持ち込んで、一瞬優位を保ったかに見えた騎士達も、統率の取れた、そして数の上でも上回っている有翼軍に、瞬く間に蹂躙。そして、それは地上戦のみではない。生き残っていた空中の騎士達も、大男ナムワ、黒犬リザ、そして白銀の飛竜ブリュンヒルデ、そして、その調教師アーリの前に、無惨に敗退を喫していた。その中で命からがら生き延びた十数騎のみが、その竜首を返して、南の丘へと逃走をし始める。

 

 

「――姫様! 姫様!! エリーヤ姫様はおいでか!!」

 ようやく追撃を振り切って、紅玉騎士団が待機していた南の丘へと、一騎がやってくる。その慌てふためき逃げてきた騎手の顔に、待ちかまえていたように、女達の侮蔑の表情が向けられた。そんな中、印象的な赤毛が、竜の陰から、その姿を現す。

 

「ここにいるわ。あら、なぁに? そんなに慌てふためいて。頑健で落ち着きのある蒼天騎士様が、みっともないこと」

「……な、なぁにって、姫様! 分かりませんか!? は、白兵戦も、空中戦も、このままではもうもちません! 将軍閣下も行方不明で、兵ももうわずかなのですよ?! それなのに、どうして、このような場でただ傍観しておられるのですか」

「何故って……。お前、あの時いたじゃない。私たち女の手は借りぬ、動くな、とか何とか言っていたでしょう? あら、もう自分の言ったこと、忘れちゃったの?」

「あ、あれは……」

 かつての応酬をその脳裏に思い起こさせながらも、何とか騎士はこの場を取り繕おうと、さらに言葉を探す。そんな彼の前に立ちはだかるようにその歩みを進めながら、かつて馬鹿にされていた姫は、さらに、驚愕の事実を騎士に、告げてやった。

 

「あ、それからね、お前達の偉大なる将軍様、……多分、死んじゃったわよ。私、ここから望遠鏡で、見てたもの。小さな黒羽の男の子に、ぶっすり刺されてたわ。……途中まではいい一騎打ちだったのに、つまらない結末よ。将軍も、リュートもね。ばっかじゃないの」

 

「……な……! か、閣下が……!!」

 知らされた鉄人のなれの果てに、もう騎士は、言葉もない。

 

 そんな茫然自失の騎士に、周囲の女騎士達は、さらに詰め寄って、畳みかけるように言葉を紡ぐ。

「閣下も戦死なさって、一体どのように御勝利なさるおつもりですの? 偉大なる蒼天の騎士様。この馬鹿な女達めに、お教えくださいな」

「あらあら。子宮も使わぬ、家事も出来ぬ女に、なんの価値があるのか、と申されておりましたけれど。では、聞きますが、戦に勝てぬ男に、どのような価値がありますの? 男は、戦って、なんぼの生き物でございましょう? 子供でも産め、と仰いますけど、戦いに勝ち残れぬ男の子供など、産みたくはございませんし」

「女は強い殿方が好きなのですわ。あなた方が勇姿を見せて、この戦に勝ってくれていたら、私たちだって、喜んで、夜のお相手、致しましたのに。ざあんねん。素敵な下着も用意しておりましたのよ。うふふふふ」

 

 ……うふふふふ。あはははは。

 

 吐き出される女達からの嘲笑に、騎士は言い返すこともできず、ただ、悔しげに歯をぎりぎりと鳴らす。

 ……こんな女。こんな女共、いつもなら、その横っ面ひっぱたいてでも言うこと聞かせてやるのに……。おのれ……。

 そう負け惜しみの呪詛の言葉を内心で吐いていた騎士の前に、すっと、何かが差し出された。

 

「悔しい? なら、勝ってきなさいな。それも出来ぬなら、さっさと私の前にひれ伏しなさい。この、負け犬が」

 

 それは、この傲慢な台詞を、堂々と吐いている赤毛の姫の足だった。

 勿論、裸足などではなく、軍靴に、竜を操るための拍車を付けた、武装した足である。それを、騎士の眼前まで、ぐい、と押しつけると、赤毛の姫は、尚も高飛車な台詞を吐き出した。

 

「助けて欲しければ、この足に、私の奴隷になることを、誓いなさい」

 

 それは、到底、騎士道を旨とする蒼天騎士には、飲めぬような条件だった。足への誓い、それ即ち足への接吻を意味している。そんな屈辱的な行為など、誇り高き騎士のすることではない。ましてや、自分たちが侮って、蔑んできた女の足などに。

 だが、騎士には、それ以外に残された道はなかった。自分、そして、生き残った騎士の命。そして、この戦での勝敗。全てを鑑みて、今は、この女に屈するしかなかったのだ。

 

「ひ、姫よ。せ、せめて、お情けを。我が騎士としての身分を慮って下さるならば、せめて、そのおみ足への口づけではなく、お手への誓いをば……」

 おずおずと、騎士の手が、姫の手に伸ばされる。……そして、その手の甲に、口をつけんとした瞬間。

 

 ――がつり!!

 

「汚い手で触らないでよ。お前みたいな男、私の手に触れる価値もないのだから」

 

 冷酷な台詞とともに、思いっきり騎士の顎が蹴り上げられていた。そして、とどめとばかりの、顔面への拳での第二撃。

 堪らず倒れ行く騎士に、さらに追い打ちとばかりに、姫の言葉が飛ぶ。

「いいわ。命だけは助けてあげる。その代わり、この戦での勝利は、全て私が貰うわよ。……あの、白羽ちゃんの身柄もね」

 そう不敵に言い残すと、赤毛の姫は、その愛竜シルフィの背に跨って、手綱を、勢いよく引き戻した。それを合図とばかりに、シルフィが、天に向かって、一つ嘶く。

 

「さ、行くわよ、紅玉騎士団! この戦の勝利を手にするために!!」

「――御意!!」

 

 凛々しい女達の声と共に、一斉に竜が雄叫びを上げた。そして、抜かれるサーベルに、戦斧。

「キリカ。空中戦の指揮は頼むわよ。私は地上戦の方に行くから。ついでにあの白羽ちゃん、かっさらってくるわ」

「はぁい。姫様。お任せを」

 去りゆく姫を、そう見送りながら、キリカは、先の男騎士の方をちらり、と見遣った。そして、その豊かな胸をたぷり、と一つふるわせると、まるで親愛の情、とも取れるようなにこやかで、かつ優麗な眼差しを彼に送ってやる。

「うふふふ。騎士様。よかったですわねぇ、生き残って。あとで、たっぷりと可愛がって差し上げますから、そのままで私の帰りをお待ち下さいね。ええ、姫様は、貴方の事いらない、なんて、酷いこと仰ってましたけど、私は、貴方のような殿方、だーい好きですの」

 聞くだけなら、まるで愛の告白の様な言葉である。だが、男騎士の目には、はっきりと映っていた。……この、女副団長の目の奥底に光る、妖しい光が。

 

「逃げたら、もっとお仕置き致しますわよ。うふふ。え? ちょっと痛いけど、じきに良くなりますから、そう心配なさらずともよろしいのよ? あ、それからね。あなた方、私たちに子でも産んでおればよい、などと仰ってましたけど、誤解のないように、一つ言っておきますね」

 

 おほほほほ。

 そうまた一つ優雅に笑うと、キリカは最後にある事実を告げて、男騎士の元から飛び立っていった。

 

「……私、これでも、今年で十五になる娘がおりますのよ」

 

 

 

 

 

 

「よし!このまま騎士達を囲むように、展開しろ! 奴等に反撃の隙を与えるな!!」

 

 砂埃の煙る戦場に、ランドルフの命令が響き渡る。

 その命に、リュートの育てた兵士達はよく従い、戦局は有翼軍の勝利に大きく傾いていた。この喜ばしい状況に、ランドルフの横で戦い続けてきたレギアスが、早々と歓喜の声をあげる。

「やったな、ランドルフ! このまま行けば、こっちの勝ちだぜ! 将軍もいねぇしよ!!」

 

「……将軍?」

 

 その言葉に、ランドルフはやっと、一つの事実を思い出す。今まで、目の前の戦局に集中していて、ずっと頭から追いやっていた事柄だ。

「そう言えば、あいつ……! リュートは!! リュートはどうした!? 確か、将軍と一騎打ちを……!!」

「い、一騎打ち? 俺は、あいつとはぐれちまって、何処に行ったかずっと知らなかったけど、そんな事になってんのか?!」

「ああ。先に丘で待機していた時に、見ていた! あいつ、確かに将軍と……」

 そう言って、リュートのいるであろう方角に、ランドルフが目を馳せた時だった。

 

 曇天の空に、風を切り裂く轟音と共に、新たな竜騎士団が飛来していた。

 その騎手は、遠目にも分かる、丸みを帯びた体の者達……そう、全て女で構成されている、独立騎士団、……紅玉騎士団の面々だった。

 

 その先頭で指揮を取るは、燃え立つような赤毛の美姫。きらり、とその赤目を挑戦的に光らせて、一直線に、戦場へと翔けてくる。

 そして、その上空で、小さく旋回してみせると、空中、そして、眼下で戦っている兵士達に向けて、堂々と自らの名を告げてみせた。

 

「我は、帝妹、エリーヤ=ミーシカ・ハーン! 有翼の者も、竜を操る者も皆、聞くがいい! この、戦、今から私が貰う! 敵軍の兵、速やかに投降すれば、その命、保証しよう! だが、これ以上我らに逆らうのであれば、手加減はせぬ! 全て、我に刃向かう暴虐の徒として、即刻排除にかかる! よいな! 今から十数える間に、有翼の民は、武器を捨てて、この私に投降せよ!」

 

 有翼の民の言葉、クラース語で告げられたその命令に、一斉に有翼軍がざわつきを見せる。そんな敵軍の様子にはお構いなしに、赤毛の女は、今度はその口から、海の向こうの言葉であるリンダール語を紡ぎ出した。

「そして帝国兵! お前達も同様である! お前達の将サイニーは戦死した! 今から、私がこの軍の総指揮官として、指揮を取る! 私の麾下にて、従い、即刻このエリーヤの元まで馳せ参じよ! 良いな! では、有翼の兵らよ! 十数える!! ……いーち!!」

 

 突然現れた赤毛の姫の命令と、自らの軍の将軍の死に、残っていた騎士らも驚きを隠せないようにざわめく。だが、今まで、白兵戦に持ち込まれて、苦戦を続けていた騎士らにとって、現れた赤毛の女は、まさに勝利の女神の存在に他ならなかった。皆一様に、その絶望の顔に、希望の色を覗かせて、歓喜の言葉を口にする。


「姫様! 皆! 姫様が来て下さったぞ!!」

「退け! 一旦、姫様の元まで退け!!」

 

「……にーいっ!!」

 

 そう二つ数を数える間に、騎士達は早々と姫の元へと逃げをうっていた。その様子に、満足げに頷きながらも、姫は歪んだ笑みをも漏らす。

「……はん。あれだけ私たち女の事を侮っていたのに、いざとなると、このざま。本当に、偉大なる蒼天騎士が聞いて呆れるわ。……さーん!!」

 

 一方で、姫がそう数える内にも、有翼兵は攻撃の手を緩めようとはしなかった。ましてや、武器を捨てるなど論外。

 

「何だ、あの女! あんなふざけた事ぬかす女、この黒犬様がやってやんぜ!!」

 姫の言葉に痺れを斬らしたように、空中にいた有翼軍の中から、金髪、黒羽の男、リザが飛び出していた。ひゅん、と軽やかに風切り音を響かせると、かつて王都最強と謳われていた剣をふるって、一直線に、赤毛の女の元へと切り込む。

 

「よーん! ……ジェック!!」

 

 数を数えるその口で、姫は即座に部下の女の名を呼んでいた。

 その声に呼応して、一瞬で、姫の目の前に、巨大な戦斧を構えた女騎士が現れる。亜麻色の肌をした、男よりも遙かに頑健な体躯の女だ。

 

 ――ひゅん!!

 

 一瞬で黒犬リザの眉間に向けて、戦斧が振り下ろされる。それを何とか凌ごうと、リザが剣を交差させるが、その剣はあっけなく女の前で弾かれることとなる。

「……やべっ……!!」

 剣を失って、そう呟くか呟かないかの内に、再び戦斧がリザの脳天を狙っていた。

「リザ殿! 大丈夫か!!」

 ガキッ、という鋭い音と同時に、リザの耳に野太い声が届く。見遣ると、眼前で斧が、有翼の大男によって止められていた。

「……筋肉のおっさん!!」

「リザ殿! この騎士、なかなかの手練れである! ご油断めされるな!!」

 

 

 

 そう空中にて、豪傑達が斬り合う内に、姫の口から紡ぎ出される数は、もう八を越えていた。だが、一向に有翼軍は、姫の命令に従う気はないらしい。あろう事か、姫の存在などなかったかのように、再び、逃げまどう騎士に向けて、白兵戦を続けているのである。

 その様子に、一人、ランドルフだけが嫌な予感を感じ取って、叫んでいた。

「皆! 何かあるぞ! 一旦退け!! 風上へ、退け! 退け!!」

 だが、ランドルフの命令も、勝利目前にして猛り立つ有翼軍の兵士達には届かない。追いつめられた騎士を尚も蹂躙せんとて、さらに風下の方へと迫る。

 

「はん。愚かね。せっかく生き延びるチャンスを与えてやったのに。あの黒羽ちゃんは、賢明にも逃げの命令をうっているのにね。ま、勝利目前こそが、兵士達に、一番の油断が現れる、といったところかしら。……九!!」

 

 その最後直前の数と共に、姫の背後に一斉に女騎士達が現れる。

 足だけで竜を操り、そして、その両手に、弓引く女達が。……その全ての矢尻に、火のついた矢を番えて、である。

 即座に、危険を感じ取ったランドルフの檄が、戦場に木霊する。

 

「――総員、退避!! 残っている油に引火するぞ!! 退避!! 退避ーーーっっ!!」

 

 

 

「……さよなら。十っ!!」

 

 その最後の数と共に、一斉に戦場に火矢が降り注いだ。油で汚された有翼の民、そして既に絶命している騎士、飛竜が横たわる、狂乱の戦場へ。

 

 

 ――ごぉおおっっ……。

 

 一斉に、枯れ色の戦場が、赤く染め上げられる。……血の色に、そして、姫の瞳の色によく似た、激情の色に。死して罪人が焼かれると言われる、地獄の劫火に似た、赤に。

 眼下に轟くは、ただただ、狂ったように叫ぶ、有翼の民の声のみ。

 

「……キリカ。空中に残っている残りの兵の始末、それから生き残った帝国兵らの救済、頼んだわよ」

 その眼下に広がる残酷な赤色を、その同じ赤目に映し取りながら、炎の赤毛が翻った。

「私、ちょっと、あの白羽のリュートの所へ行ってくるわ」

 






 ……ぱちぱち……。ぱちぱち……。


 先の戦闘で、上空から撒き散らかされた油の残骸が、枯れ草に引火して、平原を赤く染めていた。その揺れる炎の壁を、呆然と背にして、ゆらり、と白羽が立ち上がる。


「クルシェ……。クルシェ……」


 そう言って、血染めの手が伸びたのは、その手よりも遙かに赤く染め上げられた、少年の体だった。 見れば、将軍のサーベルによって切り裂かれたのであろう傷が、ぱっくりと体に刻まれている。……とてもではないが、助かりそうもない、傷が。

「クルシェ……。クルシェ……」

 そう呼びかけて、小さな体を抱き起こしてやると、クルシェは、こぷり、と血を吐きながらも、うっすらとその瞼を瞬かせた。

「りゅ、リュート様……。ご、ご無事で……?」

「クルシェ!! クルシェ! どうして……!! どうして、こんな真似をした! どうして……!!」

 

 そう叫ぶ間にも、背後の炎は、留まることなく、白羽に迫っていた。枯れ草に弾ける火花に煽られて、酷く熱い。だが、今は、そんな熱さも感じられぬ程に、少年の体から流れゆく血が、熱すぎる。

「りゅ、リュート様……。ぼ、僕のことはいいから、に、逃げて……。逃げて……」

 もう喋るのも辛いであろう口で、クルシェはそう呟く。その間にも、炎は二人へと襲いかからんと、その勢いを増していた。


 ……ぱちぱち。

 弾けた火花が、血染めの白羽を、掠める。

「だ、駄目だ! 駄目だ、クルシェ!! お前を、……お前を置いて……」

 リュートが、そう言い淀むか淀まないか、その時だった。

 ぶわり、と上空からの風が、迫り来る炎を遠くへ追いやっていた。見遣れば、そこには濃緑の鱗を輝かせた一体の飛竜の姿。そして、その上からは、高らかに響く、女の声。

 

「――リュート! 迎えに来たわよ!!」

 

 ひゅん、と風を切って、一つ旋回すると、飛竜はまだ炎の手が迫っていない風上の平原へと、滑るように着地していた。そして、その背から、ひらりと飛び降りて、騎竜していた女が、リュートの前へとその姿を現す。炎よりも激しい、赤い色を、その髪と瞳に宿した、激烈な女が。


「え、エリー……」


「リュート! もう勝負はついたわ。この私の勝ち! だから、敵軍の将であるあんたを、私の捕虜として貰い受けに来たの! さ、おとなしくなさい」

 とても、この凄惨な戦場とは思えぬ台詞が、女の口から紡ぎ出された。

 その信じられないような女の冷徹さに、クルシェを抱きしめていたリュートの体が、即座に動いた。近くに落ちていた自分の剣を拾って、これ以上近づくな、とばかりに、ぴたりと、それを女に突きつける。


「お、お前……。よ、よくも……。よくも、僕の兵士達を……。よくも、こんな惨いこと……」

 次々と引火し、逃げまどっている兵士達の叫び声を後ろに、些か揺るいだ声音で、リュートがそう呟く。だが、その問いに、目の前の女は少しも悪びれた様子はない。 


「よくも、って……。何言っているの? ここは戦場でしょ? ありとあらゆる手段を用いて、勝つのは当然じゃないの。大体、この戦を始めたのは、あんたとサイニーでしょ? 私は、それに乗っかっただけよ。それに、私はきちんと、投降を呼びかけたわよ。ガンゼルク城の時もそう。生き延びるチャンスをみすみす逃したのは、そっちのほうじゃないの。それにね、そうまで言うのだったら聞くけど、あんたのしてきたことは惨いことじゃないの?」

 言うと、エリーは、その背後の平原に累々と横たわる騎士の死体を指さした。先の戦闘で、リュートの策によって殺された者達である。

「ち、違う。違う! 僕は、僕が、してきたことは……。僕は、お前達からこの国を守るために、戦って……、お、お前達みたいな、侵略者は、死んで当たり前じゃないか! だから……!!」

「ふーん。国の為に戦ってるの。じゃあ、何で一騎打ちに応じたの? それから、何で、あんた一騎打ちで突然手を抜いたの? あのままあんたが指揮を取ってれば、戦場は焼かれなかったかも知れないし、この男の子だって、こうならなかったかもよ?」

 鋭い指摘と共に、赤毛の女は、リュートの腕の中にいる虫の息の少年を指さした。その言葉に、びくり、とリュートの体が震える。


「こんなの、違う……。……こんなのは、違うんだ。こんな事、僕は……! こんな、……こんな結果なんか……」


 その言葉に、ぴくり、とエリーヤの頬が反応する。

「……こんな結果が、何ですって?」


「こんな……こんな、クルシェが……犠牲になることなんか……。こんな、みんなが焼かれていくことなんか、僕は…、僕は……」

 そう言い淀むリュートの前で、ちっ、というきつい舌打ちが飛んだ。そして、それと同時に、感じる、顎への一撃。

 

「呆れた! こんな結果、望んでなかったとでも言いたいの!?」

 

 気づけば、リュートの顎が、女の足に蹴り上げられていた。それだけではない。倒れ行かんとするリュートの身を引き起こすように、襟元がきつくねじ上げられる。

「あんた、そんな覚悟もなしに、この戦場に立ってたの? ええ? じゃあ、何? あんたは、こんな事が起こるかも知れないなんて、考えもしないで、兵士達を使ってたって訳? ふざけんじゃないわよ、この腑抜け!!」

 がくがくと、女の手がリュートの首を激しく揺さぶる。

「ち、違う! し、死ぬことなんか、いつだって覚悟していた! けど、こんな、クルシェが……、兵士達が……」

そう言い淀むリュートに、再び女から侮蔑の視線が送られた。

「はあ? あんたが死ぬ覚悟? ばっかじゃないの? あんたが死んでどうなるってのよ、ええ? あんた一人死ぬ覚悟出来てて、それで多くの命使ってましたって、ホントに頭いかれてんじゃないの?! そんな自己満足な男の為に死んでった男達はどうなんのよ!! あんた、人の命背負ってきてんでしょうが! それが、自分だけ死ぬですって? 冗談も休み休み言いなさいよ!!」

 立て続けにわめかれる女の言葉に、一瞬、男の瞳が揺るいだ。だが、脳裏に浮かぶ、死んでいった兄たちの姿に、すぐに動揺を払拭して、尚も反論をその口から紡がんと、言葉を探す。


「――う、うるさい、この侵略者! お前なんかに、そんな事言われたくない!! お前達がこの地に来なければ……レミルも……兄さん達も死ぬことはなかったんだ。こんな、こんな……僕だって、復讐の為に戦わなくても……」


 ――ばしり!!


 言いつのる男の頬に、女からのきつい張り手が飛んでいた。

「復讐? さっきあんた国の為に戦ったって言ってなかった? 違うの? 復讐だったの? 馬鹿馬鹿しい! 復讐がしたいんだったら、あんた一人で刺しに来なさいよ! この私や、サイニーの所まで、あんた一人で刺しに来たら良かったのよ! 自分一人の自己満足の為の復讐だったらね!!」


 ……自己満足の為の復讐。

 その言葉が、嫌に、鋭く、リュートの心を(えぐ)る。


 それでも尚、リュートの内心の炎のような怒りは止まらなかった。撲たれた頬を引き戻して、目の前の女に向けて、再び侮蔑の言葉を吐き捨てる。

「……だ、黙れ! ……黙れ、黙れ、黙れ!! お前にそんな事言われたくない! 盗人の雌豚なんかにはな!」

 ぐい、と、頬を撲った手を掴み、それをねじ上げて、男は女に抗う。だが、それでも眼前のルビーの瞳は、些かも揺るいでいなかった。

「……ええ。そうね。私にこんな事、言えた義理じゃないということは、重々承知しているけれど。どうしてもあんたには一言、言ってやりたくってね」

 言うと、女は、男に掴まれた手を振りほどいて、再び、その首元に掴みかかる。


「いい? わかんないんだったら教えてあげるわよ! あんたが望んで、兵達をここに引っ張って来たんでしょうが! そんで、あんたが一騎打ちをすることを決めたんでしょうが! そんで、あんたが勝っていれば良かったものを、大事な所で気を抜いたから、この子が犠牲になったんでしょうが!! それくらい、わからずに、ここにやってきていたの? ええ? 人の命を奪うことも、奪われることも、責任を負うつもりもなく、この場に立ってたって言うの、あんたは!!」


 吐き出された言葉に、ふるり、と碧の瞳が揺るいだ。そんな男の動揺に、さらに女は、苛立ちを増したかのように、容赦なく自分の感情をぶつけにかかる。


「いい? 国のためでも、復讐でも何でもいいけど、人の命預かって、人の命奪うんだったらね、自分だけ死ぬなんて言うんじゃないわよ! 雌豚と罵られたって、どれだけ恨まれたって、泥でも血でも被ったって、生きる覚悟しなさいよ! どれほどみっともなく殺されようが、命が消えるその最後まで、自分は生きるという覚悟を持ちなさいよ! いい? 自分から死を望めるほど、あんたは綺麗じゃないのよ!!」


 

 ……綺麗じゃない。

 言われる通りだった。顧みてみれば、自分の姿はどうだ。

 血に染まった羽は、あの心象風景で見た、かつての自分の無垢な白羽からは、ほど遠かった。

 あの美しい母譲りの、自慢の白羽だったのに。


 汚れることなど、今まで少しも苦痛ではなかったのに、今はただ、血に染まったこの羽が疎ましい。

 そして、それより尚、吸った血の重さが、恨めしい。

 

 ……どうして、どうして。

 



 ――がつり。

 

 再び、女の足が男の体を蹴り上げていた。そして、再び、ちっ、という舌打ちが、吐き捨てられる。

「あのルークリヴィル城では、素敵な男だと思ったのに! つまんない男になっちゃったわね!! いいわ! もう、あんたなんか、いらない!! ……腑抜けのあんたなんかね!」

 

 女はそう締めくくると、リュートの体を、最後とばかりに一つ踏みつけて、踵を返した。そして、近くに息絶えて横たわる、かつて鉄人と謳われた男に、ちらり、と一瞥をくれてやる。

「本当に、サイニーも馬鹿な男よ。ああ、……興ざめした!! もう、帰るわ!! 本当に、忌々しいっ、こんな戦!!」

 

 

 それだけ吐き捨てると、女は、ばさり、とその炎の様な髪を翻して、劫火の中から飛び立って行った。


 残されたリュートは、その騎竜した女の後ろ姿を呆然と眺めながら、腕に残されたクルシェの体を、ただただに、きつく抱きしめるしかできない。そして、ただただ、自分のしでかしてしまった事と、女に言われた言葉とを、きつく噛みしめる。


 ……ああ。僕は、何て事を。

 何て、僕は……。

 


 ……と、ふと、はらり、とリュートの瞳から涙がこぼれ落ちた。

 あの、兄が死んで以来、一度も流す事のなかった、涙が。


「リュート様……。逃げて……、逃げ……」

 腕の中で、クルシェが尚も言いつのる。自分の身よりも、遙かに、英雄と呼ばれた男の身を案じながら、その懇願は止むことはなかった。

 

 その少年の言葉と、流れる血に、なま暖かい涙が、尚も、はらはらとリュートの頬を伝う。

 

「違う……。違う……。こんなの、……こんなの、違う……。違うんだ……。違うんだ、クルシェ……」

 

 はらはら……はらはら。

 後悔と、絶望と、そして、やるせないほどの哀しみの涙が。

 

 迫り来る炎の熱さすら、乾かせぬ涙が、止めどなくリュートの頬を濡らしていた。

 


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